第30話 三十一歳 盛夏・夜月中旬-2

 私が『会話』に慣れるためには、様々な年代の多くの方々と話すことだと言われたが、同じ町の中では喋る人も決まってしまう。

『お使い』は、私の苦手を克服するために大変有効な手段だろう。


 まずは近くの町や村などに買い物に行ったり、手紙を届けたり。

 他にも各教会から常に神務士が行き来しているので、移動先から戻らずに直接次の場所に行く時などは在籍の教会への連絡文をそちらへ行く神務士に預ける。


 本日は少々遠目の、ルオアーレの町へと向かう。

 その町にいるであろう南方へ向かう神務士に、司祭様からの手紙を預けるためである。

 馬車に乗り、がたがたと揺れながらも特に何ごともなく進んでいる。


 アーメルサスでのミレナとの旅を思い出し、少しばかり緊張していた。

 ひとりで歩いていて何か起こったら対応できるだろうかとか、魔獣が出たら倒せるだろうか……とか。

 しかし、皇国では全く魔獣がいないのだ。

 街道沿いであれば女性や子供であっても、何ひとつ心配の必要がない。


 その上、馬車も安くて利用しやすいから歩いて遠出をすることもあまりなく、あったとしても相当な山道を進むとか奥地の村に行く時だけである。

 だが逆に、山奥であればどこかの町の教会と方陣門が繋がっており、楽しみとして旅をする方々や地元の人々が道を通るくらいだ。

 馬車方陣も至る所で使われているので、魔力が少なくても馬車に乗って移動するのであれば、さして問題など起こらないのである。


 このような道の整備や馬車方陣は、魔獣がいないからこそ可能なのであろう。

 アーメルサスで魔獣が出ないようにするのは、すぐには難しいのだろうな。

 皇国のような魔法での結界は作れないし、かといってヘストレスティアのように魔獣と共に生きていくというのも……


 いや、いやいやいや、何を突然、そんな大きなことを考えているんだ。

 まずは、私ができることをしていけばいいのだ。

 やたら遠くを見つめてそれに届かないからと、何をしていいかを見失うのはあまりに基準が違い過ぎる。


 私がしたいと思っているのは『正しい神典と神話を学び伝えること』だ。


 それ以外のことに気を取られて、本来の目標を見誤ってはいけない。

 自分を過信してはいけない、大きな展望を持ちそれを実現できるなどと驕ってはいけない。


 大言壮語は言う者の気持ちを高揚させるが、聞いている者達にとっては大ボラと受け取られることも多く大概の場合はその通りだ。

 実力を付け、知識を蓄え、足元をしっかりと見つめることのできる者だけが、高みへと至れるのだ。


 がたっ


 馬車が少し大きめに揺れ、目的地であるルオアーレに到着した。

 ここでは、毒虫除けの草玉を買ってきて欲しいと頼まれたので先にそれを買って……と思ったのだが、到着が遅くて店が閉まってしまいその日は教会に泊めていただくことになった。


 神務士や神務錬士は訪れた教会で、夕餉と寝床を提供してもらえる。

 その替わりに、連絡文の受け渡しなどを請け負うのだ。


「明日はラーミカに戻られるのですね……でしたら、ラーミカ宛の手紙や伝文をお願いいたします」

 ルオアーレの神官に依頼され、ラーミカの町の人達や教会への手紙なども預かる。

 そして、私が依頼された司祭様の手紙も南方面……シュトレイーゼ川近くのミーリエの町まで運んでもらえる方に預けられた。


 夕餉の時に、テイエートというマントリエルで最も北西にある町から来たという神務錬士が話しかけてきた。

「黒の強い焦げ茶の瞳で、緑がかった髪色は珍しいですね。ご出身を伺ってもいいですか?」

「私はアーメルサスの……ドォーレンという村です」

「ほぉ、アーメルサスから!」

 思ってもいなかった、という反応だ。


「アーメルサスの方々ですと、ウァラクか王都が多いかと思っていました。この間まで私はウァラクにおりましたから、アーメルサスの方々とは何人かとお話しいたしましたよ」

「そうだったのですか……」


 他国民だから嫌がられるかと警戒してしまったが、フェルティスと名乗った彼はウァラクのフェイエストで神務錬士になり初めて他領に入ったのだそうだ。

 なんというか……とても話の上手い人だと思った。


 自分のことを話しているのに押しつけがましくなく、アーメルサスのことや私のことを時折尋ねながら私にもちゃんと喋らせる。

 そして必要以上に深くは入り込んでは来ないのだが、興味はあるという言い方をする。


 ……いつのまにか、随分と長い時間話していた。

 会話が全く苦痛ではなかった。


「あなたは、とても話しやすいですね……私は、会話が苦手なのに、こんなに楽しいと思ったのは……久し振りです」

「おや、そうですか? それは嬉しいですね」

「どうしたらあなたのように、相手に不快な気持ちを抱かせずに話せるのでしょう……?」

「うーん……私だって、いつも誰とでも話ができるわけではありませんよ」


 少し話して、駄目かな、と思ったらすぐに引く……という見極めでしょうと言われた。

 どんどん難易度が上がっていく気がする。


「大勢の方々と話しているうちになんとなーくですが、解るようになるのですよ。それと……話しかける時は『笑顔』ですね」

「笑顔、ですか?」


 フェルティスは両手の人差し指で、くいっと口角をあげて笑っているような口元を作ってみせる。

 アーメルサスでは、神職の者が無闇に愛想笑いを振りまくのは下品だと言われていたが。

 そういえば、皇国の教会ではムッツリとしている方には……あまりお会いしたことはなかった。


 笑顔……

 その後、部屋で顔を硝子に映して笑ってみたのだが……効果的とは思えなかった。

 いや、硝子が平らではなくて、少し歪んでいたからだ。

 うん、そうだ、きっと。

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