第29話 三十一歳 盛夏・夜月中旬-1
その夜、部屋で正典のその言葉を読み返した。
寝床の中でも、ぼんやりと考え続ける。
『繰り返し真実の扉に手を掛け誓うがよい』
何度も真実の扉に手を掛けて誓うのは『正義』だろうか、それとも『決意』だろうか。
どちらもあまりに抽象的で人や社会によって基準が違うもので、何を以てそのふたつを見つけ出せばいいのだろう。
いつまでもそれに迷いながら、その度に繰り返し問うてゆけというのだろうか。
言葉はいつでもどこか不明瞭で、それでいて揺るがぬ何かを示しているようにも思える。
司祭の告白をどう受け止めていいのか、正直よく解らなかった。
かつて『劣る者』を上に立たせてはいけないと思ったのが、彼等の『正義』だったのだろう。
自分達が正しいと信じ切っていたから、傷つけることも切り捨てることも踏みにじることさえ彼等にとって『正義』の範疇だった。
でも、それは正義ではないと全てに否定された。
それは、確かにそうだろう。
他者を犠牲にして成り立つ正義など、あるわけはない。
では自己ならば、犠牲にしていいのだろうか?
かつて罪を犯したことは確かだとしても、どうしてその事件に関わりのない者達が『罰を与える』ようなことをするのだろう。
傷つけた被害者、その被害者に関わりの深かった方々ならば、罪に対しての罰を求める気持ちは理解できる。
だが、ただその話を聞いただけに過ぎない無関係な者達までもが、まるで当たり前だとでも言うように蔑んだり、心や身体を傷つけるようなことをしてもいいものだろうか。
第三者達に、無関係な事態への制裁の権利なんてものがあるとは思えない。
その時、正義はどこにあるのだろう。
『正しく在る』ということは、どこから見ての評価なのだろう。
神々にその真意を尋ねることもできず、黙って待っていても答えが示されることはない。
結局は『人』が決めているものだ。
なんて不安定なものなのだろう、と思う。
私は、迷いのまま、夢の中へと落ちていった。
翌朝の目覚めが……不思議とよかったのが……なんだか変な気分だった。
暫くして、私の日々のお勤めである『
そして、近々『神職位の認定』を受けるように……と言われた。
これは『神務錬士』から『神務士』への昇位が、幾人かの司祭様達に査定されることで決定されるもののようだ。
その『お使い』で訪れる教会の司祭様方からの査定であるが、どの司祭様が査定しているのかは私には知らされないらしい。
査定をお受けでない方もいらっしゃるし、査定していらしてても私には悟らせない……ということのようだ。
普段の行いやどれほど真摯に神々へ仕えているかを見るものだそうで、期間さえも解らない。
「普段通りにしていれば、大丈夫ですよ、アトネスト」
「はい……少し、緊張します……私はあまり、人との会話が得意ではないので」
「ならば、これを機会に学べますね。神々の言葉を多くの方々に届けたいという想いがあるのでしたら、語り聞かせるだけでなく会話の術は学んでおくべきですよ」
司祭様の仰有る通りである。
神典や神話の言葉を諳んじられるだけでは、何の意味もない。
その言葉の意味を汲み、最も神々のお考えに近いであろう言葉を選び伝えることこそが求められるのだ。
きちんと理解したことを『自分の言葉』として発して、誰かの心に届ける必要があるのだ。
幼い頃からまともな会話をしてこなかったことが、こんなにも痛手になるとは思ってもいなかった。
……そういえば、ミレナとは何を話していただろう?
彼女はとてもよく喋る人で、俺が断片的にしか言葉を言わなくてもそれはこうだろうとか、こういうことだね、と聞き返してくれていた気がする。
だから自分で自分のことを話すというより、彼女に答えを見つけてもらう……そんな感じだったかもしれない。
……これは、会話ではないなぁ……
会話……という、相手がいるものは、ただ言いたいことだけを話せばいいというわけではない。
相手の話すことに対しての返答や相槌、伝えたいことを理解してもらうための言葉選びも相手によって変えねばならない。
今でもこの教会にいる同世代に対してでさえ、私は尻込みしてまともな会話が成り立たないこともある。
なんとも……難しい。
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