第23話 三十一歳 夏・望月-13

 ガイエスは『門』で、彼の旅へと戻った。

 随分と世話になってしまった。

 生きて皇国に辿り着き、次に会う時にもう一度必ず礼を言おう。


 ここからは、このコーエルト大河を上流へと歩いて行く。

 手袋を着け、外套を羽織ると少し熱い。

 だが、日差しが直接あたらず肌が楽だと気付いた。

 ……彼は、本当に冒険者なんだな、と変に納得する。


 乾期だからか、コーエルト大河の脇には歩ける程度の『岸』がある。

 魔獣や魔虫ばかりの森の中を歩いていても、時折崖で途切れるのだからと、川沿いにずっと登っていく。

 緩やかな上り坂で、岩はあるが殆どが砂だ。


 山々から流れ出る水の大河には、魔魚は出ない。

 だが、水中には肉食魚がいるので、水の中に入ることはできない。

 大河の水は真水なので、飲むことができるのは助かる。


 ……ガイエスが用意してくれたものの中には、水筒まで入っていた。

 水筒は何があっても手放せないから、引っかけたりして落とさないように外套の中の胸元に来る位置でなるべく身体に固定する。

 道具類もできるだけ身につけ、背負子の中にはあまり物を入れないようにしておくというのはミレナとの旅で学んでいた。


 でも【強化魔法】が使えるようになっていたのは、助かった。

 岩壁伝いに歩かねばならない場所も、崩れないように足場を強化できる。

 魔法の使い過ぎには注意しなくてはいけないが、技能があるおかげで体力に問題はない。

 その日は夜まで川沿いを歩くことができ、一段高くなった岩の上で休むこともできた。


 翌朝も順調に歩を進める。

 川沿いの崖が高くなり、川幅が少しずつ狭まっているが、対岸のヘストレスティア側はすっかり切り立った崖になっているので渡ることは不可能だろう。

 この時期でよかった。

 まだ皇国側は、なんとか川沿いに歩き続けることができている。


 用意してもらった食糧は、なんと四日分以上も入っている。

 しかも、結構美味しい。

 一体どこで調達してきたんだろう……こういうものを用意することができるっていうのも、冒険者として一流なんだろうなぁ。

 ……段位、聞いておけばよかった。



 二日ほど歩いているが、魔獣も魔虫も出てこないのはコーエルト大河沿いだからなのだろうか。

 こんなにも楽に歩けるなんて思いもよらなかった。

 岩場をいくつも抜けて、時折水に浸かると肉食魚が寄ってきて慌てて離れる。

 その岩場もどんどんと狭まっていく。


 昼を過ぎた頃、このまま進んだら休める場所さえなくなりそうだったので、早めに少しでも睡眠をとってしまうことにした。

 夜に寝ている方が、危険だろう。

 大河に落ちないように縄を身体と岩に括り付けて、なんとか眠ることができた。



 夕方になる頃に起きて、身体を少し動かす。

 大丈夫だ。

 体力も魔力も回復している。

 少し携帯食を口にしてから、上流へと歩を進める。


 暫くすると川縁かわべりは歩けなくなり、壁伝いに登っていくことになった。

 崖の上まで登ってしまった方がいいだろう。

 あまり高くはないし、切り立つというほどの角度でもないから足場を捜しつつなんとか登ることができそうだった。


 岩の間へと突き刺すように縄付き鎌を投げて、固定するように岩に【強化魔法】をかける。

 縄を身体に巻き付けて、踏み外してもすぐには落ちないようにして登っていく。

 身体の重さ全てを縄に預けることはできないが、いきなり下まで落下することは防げるだろう。


 崖の上に上がれる場所がなかなか見つけられず、少しずつ横へズレながら移動する。

 何度か斜め上に向かって同じことを繰り返して、飛び出していた崖をぐるりと回った辺りで……上をみると大きく崖がせり出していた。


 あれ……登れるだろうか……?

 手前まで少しは足場がありそうなところを探しつつ、斜め上に向かって登る。

 そろそろ足場が見つからなくなってきた……と思っていた時に、かなり大きめの出っ張りを見つけた。

 助かった、なんとか両足で乗ることができそうだ。


 おや?

 穴になっているのか?

 だとしたら、ここで休憩ができるかもしれない。

 一歩中へ入ると、思いの外、広い。


 ……地面が、平らだ。

 燈火を点けてみたら、片側は壁だったがもう一方に……道らしきものが続いている。


「……な、なんだ? 道があるのか……?」


 こんな、崖の中腹に続く洞……いや、回廊?

 そういえば、コーエルト大河沿いは何度となく可動堰というものの工事が行われたと聞いたことがある。

 昔の工事に使った回廊の名残なのかもしれない。


 ならば……この道は、皇国に続いているのではないのか?


 胸の高鳴りが抑えられなかった。

 神々よ、感謝いたします!

 俺をお導きくださったことに……!


 掲げた燈火は、その希望へと続く道を照らし出す。

 煉瓦積の整備された回廊が続いている。

 いつの間にか、俺は走り出していた。


 途中で蛇行しているその道の先から、明らかに外気と思われる風が入り込んできていた。

 大きな曲がり角で思わずよろけて、壁にぶつかり腰に下げていた鎖がガリガリっと壁を削る。

 腕を少し擦ってしまったが、血が出ていたとしてもよくは見えない。

 だが、そんなことにはお構いなしで俺は外へ続くと信じて走り続けた。



 暫くして……飛び出した先には、豊かで優しい風の渡る森。

 吸い込む空気が、アーメルサスとは全く違う。

 目の前には小さい山がある。

 その山の向こうが……きっと、俺が生まれ変われる場所だ。


 満天の星の元、迷うことなく南へと進む。


 森の中は、今まで見たこともない柔らかくて、踏みしめると少し沈むほどの土で覆われていた。

 数多くの木々からは、魔虫の気配さえ感じない。

 時折その隙間から覗く、空に瞬く星はその色までもはっきりと見える。


 低い山の頂上から、麓に向かってごつごつとした岩と木の根を越えていく。

 恐怖感は何もなくなっていた。

 ただ、少し、不安だった。

 もしも……この国でも受け入れてもらえなかったら……


 いや、だめだ。

 弱気になるな。

 受け入れてもらえるまで、頑張るしかないんだ。



 朝の光が差す頃、俺の目に飛び込んできたのは……森の出口と、石造りの家々だった。





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『カリグラファーの美文字異世界生活』第466話と一部リンクしております。

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