第20話 三十一歳 夏・望月-10
それからも、俺は毎日子供達にせがまれるままに神話の話をした。
同じ物語を繰り返したり、思い出した別の話を語ったりと、今まで生きてきた中で一番言葉を口にしている日々だった。
ずっと、人と話すのは苦痛だった。
カティーヤの家では、顔色をうかがうばかりで誰とも会話になどならなかった。
友人だと思っていた彼等とは、互いに嘘ばかりだった。
冒険者達とは解り合うことができず、ミレナとは……すれ違ってしまった。
子供の頃から多くの歴史や司祭達の家系に伝わる本を読んできたはずなのに、それらは全く心に響かずろくに覚えていない。
俺が心を動かされたのは、あの皇国からもたらされた神話だけだった。
それを思い出しながら、どうして俺が赤月の旅団への誘いをすぐに断れなかったのか、やっと解った。
ミレナへの想いでも、正義という言葉でもない。
『神々の真の言葉に耳を傾けるべき』と言われたからだ。
この国で崇められている司祭達のいただく『法』と『教典』は、神典が都合よく書き替えられたものだと知っていた。
でもそれを信じなければ、この国は他に縋るべき信仰を持っていなかった。
彼等は正典を取り戻す……と息巻いていた。
それに、俺はどこかで期待してしまっていたのだ。
皇国と同じ名前の神々を信仰しているというのに、あまりにも利己的で図々しく司祭達神職に都合よく歪められた言葉を正すのだと、そう聞こえたから。
だが、彼等に『正義』があったとは、どうしても思えない。
そして最も信じられなかったのは、彼等は使命のために戦うとは言っていたが『全ての民のため』とはただの一度も言わなかったことだ。
下位職の者を認めさせるというようなことを言っていた。
では、それ以外の民のことは?
それにどこで『正典』を手に入れようというのだ?
この国のどこにも、正典は存在していないというのに!
口にする大言壮語は心地よく、いかにも悪を討つ英傑のようだ。
でも本当の英傑は……そんな大仰なことを言って『仲間に命を賭けさせる』ような真似はしない。
皇国の神話には、そんな酷い英傑も扶翼も出ては来ない。
自ら矢面に立ち、神々の全てを信じて民を護る。
だから、神々は恩寵と加護を与えるのだ。
カティーヤから切り捨てられた時に、あの家にも家族にも何も期待していなかったはずなのにあんなにも絶望し拘ったのは……きっと、神々からすら切り離されてしまったと思ったからだ。
俺にはずっとずっと、神々のことしか頭になかったから。
だけど、今ならやっと、放たれてよかったと思える。
歪められたこの国の信仰を、子供達に背負わせてはいけない。
俺が今知っている神話ですら、正典のものではない。
正しく訳されたという、八冊の神典と神話。
皇国は最後の一冊を探し続け、神々の言葉を完成させようと今でも努力を続けている。
読みたい。
正典を。
そして、ここにいる子供達に伝えたい。
本当の神々の言葉を。
「アドー兄ちゃん、どうして、アーメルサスには英傑も扶翼もいないの?」
ずっと神話を聞いてくれていた子供達から尋ねられて、俺は……答えられなかった。
遙か遙か昔、神々から大地を賜った英傑と扶翼は、それぞれの森の周りに領地を構えて力をあわせて国を創った。
それは、アーメルサスも皇国も他の国々も同じだったはずなのに、今、皇国以外にはただのひとりもその血統を守っている子孫がいない。
「なんでなんだろうな……俺もずっと、それが知りたいと思っているんだ……」
俺の言葉にちょっとガッカリする子もいるし、納得できない子もいる。
「皇国の人は知ってるのかな?」
「アーメルサスのことまでは、知らないよ〜」
「他の国に行っちゃったのかなぁ」
「しんじゃったのかもしれないよ」
赤月の旅団が言う『王』とは、英傑なのだろうか。
もしかしたら、今の五司祭家系の祖先は扶翼だったのだろうか。
それとも、どちらも英傑や扶翼を弑してその地位を奪った簒奪者達なのだろうか。
俺が片っ端から読んでいたカティーヤの家系史にも、神職の歴史書にも『一番初め』は書かれていなかった。
この国の正しい歴史まで、奪われてしまっているのだろうか。
人垣が崩れ、誰かがその人の名を呼んだ。
『五日後までに戻る』
そう言った彼が、四日目の昼下がりに村に姿を現した。
俺の、決意を確かめるために。
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