第17話 三十一歳 夏・望月-7
身体中が怠くて、俺は手に持った菓子の袋をぼんやり眺めながら座り込んでいた。
「……おい、いくら町に近いからって、魔獣が出ることもあるんだぞ?」
いつの間にか俺の後ろに立っていた赤い瞳の男は呆れ声で溜息までつく。
そうだよな、魔獣……いるかもしれない。
そんなことにまで、頭が回らなくなっている自分は本当に冒険者失格だ。
「皇国では……こんな食べ物まで、作られているのか……」
ぼそっと呟いた言葉には、自分でも呆れるくらいの羨ましさがこもってしまった。
こんなものを持っていたと言うことは、この男は最近まで皇国にいたに違いない。
どうやって、アーメルサスに入国したのだろう?
『門』だって、予め仕掛けていないと使えないものの筈だ。
「あんたは、ずっと山にいたわけじゃないんだろう?」
「ああ、六日ほどしかいなかったな」
「……それでも、六日もいたのか……」
本当にこともなげに答えるんだなぁ。
俺は三日間の護衛だって、もの凄く大変だったのに。
「冒険者なら、それくらい普通だろう? 旅をしていれば『道』以外の場所だって歩くだろうが」
「俺は、そんな『冒険』はしたことがない。迷宮も……一度も、ないし」
本当になんで俺は、冒険者になんかなったんだって思うよなぁ。
誇りもなく、理解しようともせず、ただ自分のことばかり不幸だと思っている。
こいつじゃなくたって、冒険者を名乗る誰もから疎まれて当然だな。
「皇国の人達をこの国から出すために……来たのか。あの魔法で」
なんだ?
「冒険者なら『門』は知っているだろう?」
「魔力が少ないから、使える奴もあまりいないよ」
もの凄く息をするのが楽だ。
「魔石は?」
「最近は高価な割に質が悪い。さっきあんたが握らせてくれたものは……この国だとびっくりするくらい高額なものだ」
逃げ出せたことで、心が軽くなって気持ちが和らいだとは思う。
だが、こんなにも身体まで楽になるものなのか?
手の中にまだ握り締めていた、赤い貴石を彼に返す。
この貴石の魔力を殆ど使ってしまうほど『門』というのは魔力が必要なものなのだな。
俺が集めていたクズ石のような魔石では、到底敵わない魔法なんだ。
あの石は全て兵士達に取り上げられてしまったが、今となっては惜しくもない。
赤い瞳の彼は返した貴石に魔力を補充して、衣囊の中へ入れている。
凄いな……あれ程の魔力を苦もなく注げるのか。
やっぱり、皇国に認められて帰化できるのは、優秀な者だけなんだなぁ。
これからどうしたいのか、尋ねられたが何も答えられなかった。
刹那的に飛び出してしまって、先のことを考えていた訳じゃなかったから。
だがあの施設から『脱走』してしまったのだから、もうどこにも俺を受け入れてくれるところなどないだろう。
森のとば口だからまだ危険なのだと頭で解っていても、なぜだか『ここなら平気』なんじゃないかという気持ちがあって座り込んでしまった。
そんな俺に溜息をつきつつ、外套を羽織らせてくれた。
夏場とはいえ、森のとば口でも結構涼しいからだろうか。
どんどん身体から力が抜けていく。
瞼も重くなって、目を開けていられなくなっていった……
暗い、暗い。
上も下も解らない場所にいる。
ああ、これは、夢だ。
子供の頃から幾度となくみている、何もない世界。
これが自分自身の中身なのだ。
俺自身の心の中には、思い出も未来を描くことも今の自身さえも何ひとつなく、死んでいるように生きている。
いや、生きているように見えるが、死んでいるのかもしれない。
この世界に、俺が見るべきものも感じるべきものも何もない……
……?
これは、いつもの夢のはずだ。
いつもの、何もないことをただ見せつけられるだけの。
なんだろう、香りが、する。
『知らないもの』がそこにある。
そうだ。
こんなものは知らない。
この香りは……全く俺の中にない。
なのに、何故、俺はそれを感じているのだろう。
まだ、あるのだろうか。
『ない』以外の、何かを見つけることが、俺にはできるのだろうか。
〈……ふはぁーー……〉
息づかい。
安堵?
喜び?
安らぎ?
……それが……俺が見つけるべきもの……なのか?
揺り起こされて、目を開くがなかなか身体が動かなかった。
だが、何とか歩き出してドォーレンへと向かう。
しまった、ずっと菓子袋を抱えたままだった。
それを返すと小さい布の袋に、菓子を分けてくれた。
途轍もなく、嬉しかった。
美味しい菓子を貰えたということではなく、この男の赤い瞳には俺を蔑むべき者とは映っていないことが。
ドォーレンに着くと、門番が赤目の男を大歓迎をする。
あまり見たこともないほどに、まるで英雄でも戻ってきたかのように。
「ああ、ガイエスさんっ! よく来てくれたね!」
「あんたのおかげで、うちの子供の肌がすっかり治ったんだ! ありがとうよ」
『ガイエス』という名前なのか。
以前、この町で子供を助けたことでもあるのだろう。
他国の人に感謝している姿なんて殆ど見たことがないが、昔から皇国人はどこででも皆から歓迎されていた。
きっと、誰もが優しくて『人助け』を意識もせずにできる人達なのかもしれない。
笑顔だった門番が、俺の身分証を見て真顔に戻る。
「ん? ドォーレン……?」
そうだった。在籍地をこの村に変えられていたんだった。
「あ、在籍地がこの村なのは……職業をもらった時に、変えられてしまったんだ……俺の職と加護神は、首都には住めないから」
「なるほど、そうだったのか。だが、投擲士……士職でも駄目とは」
「俺は、聖神二位だから」
「……そりゃ、仕方ないな。じゃあ『おかえり』かね? アドー」
門番が苦笑いを浮かべる。
……『おかえり』か。
俺みたいに見ず知らずの奴で、この村在籍の者が今までにもいたのだろうな。
ガイエスが少し俺を睨んでいるように見えたが……皇国人にも神の序列があるとは思いたくないな。
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『緑炎の方陣魔剣士・続』弐第95話とリンクしております。
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