第7話 三十歳 夏ー秋
それからの一年は夢のようだった。
旅というものが、こんなに楽しいなんて思ってもいなかった。
ミレナと二人でいくつもの町や村を訪れ、冒険者として依頼を受けて魔獣の討伐をしたり、薬になる草木を採取したり、そんなことすら幸せだった。
ただ、時折胸が痛くなるのは……どこかでこの幸福な時間が終わるのではないか、という益体もない不安があるからだ。
南側は相変わらず戦火の中で、戦線はアーメルサスの思惑以上に北上してしまい、イスグロリエストとの国境橋は遠くなった。
俺達は北側を西へと向かって旅をしている途中で、いろいろな噂話を聞いただけだったがきな臭い話ばかりだった。
ガウリエスタはミューラからの攻撃に耐えきれず、南から瓦解していったという。
そのミューラも南西のディルムトリエンに攻め上がられて……『禁断の戦法』に出てしまったらしい。
行商人達が言うには、迷宮を溢れさせて魔獣にディルムトリエンを攻撃させたのだとか。そして……溢れた魔獣でミューラも滅びの一途を辿り、元々魔獣と迷宮の多かったガウリエスタもそれに飲み込まれているのだという。
俺達が最も西の町、ウエリエに着いた時にはガウリエスタから攻め上がって来ているのは……既に『人』ではない、と知らされた。
「……つまり、人同士の『
ウエリエの飲み屋でオルフェルエル諸島からの行商人達の話にいつの間にか混ざって、俺達は彼等と一緒に酒を飲んでいる。
いや、混ざっているのはミレナだけだ。
ミレナはこうして『いつの間にか』って感じで人脈が広がっていくことが多い。
俺とは正反対だ。
一緒の卓にいるというのに、俺は一言も話せずただ彼等の会話を聞くだけだった。
「馬鹿なことをしてくれたものだぜ、ミューラもガウリエスタも!」
「ガウリエスタも迷宮を?」
「ああ、そうだ。あの国は砂漠だらけで、とっくに国としての体裁はなくなっていたけど上層部が完全に逃げ出しちまったんだってよ」
「ミューラみたいに最後まで残った凶王に滅ぼされるのと、王がいなくなっちまって滅んでいくのとどっちがマシなんだろうなぁ」
行商人達はまるで他人事のように、滅んでいった他国の様子を噂する。
オルフェルエル諸島から戻った彼等は、ミューラやガウリエスタから船で逃げ出して来た人達の話を聞いたらしい。
だが……このままでは、その魔獣達にアーメルサスは滅ぼされるのではないのか?
その時、ひとりの冒険者らしき男が入ってきた。
「おい! 国境が突破されたぞ!」
酒場は騒然となった。
「突破……って、魔獣にかっ?」
「そうだ、ミカメルとエツェルは放棄して、第二境壁は完全閉鎖だ」
そのふたつの町は国境壁と第二境壁の間にあった、行商拠点の町だった。
皇国に入るために滞在者も多かったし、首都を除けば最も栄えていたと言っていい町だったのに。
「その町には、まだ兵士も町民もいたはずだろう……?」
俺の呟きに、飛び込んできた冒険者に注目が集まる。
彼が少しだけ下を向く。
「……境壁閉鎖が優先されて……全員は、救出されなかったみたいだ」
誰も、声を出せなかった。
国が、民を見捨てたのだ。
おそらく、上位職の者達の避難が完了してすぐに、閉鎖されたのだろう。
見捨てられたのは下位職や冒険者……だ。
「終わりだわ……この国は」
ミレナのその一言に酒場を飛び出していく者、絶望してか座り込み動かない者、酒をあおって逃避する者……
西の端の町で、俺達は為す術なく暗い面持ちで酒場を後にした。
しばらくの間、国境が第二境壁まで北上してはいたが、なんとか魔獣をくい止めることは成功しているようだった。
元ガウリエスタの北部にはいくつかの迷宮になりそうな洞が開いているみたいだが、第二境壁から南へは行くことができない。
迷宮の『素』を潰したくても、外に出てしまったら戻れないのだから誰も手出しができない。
ガウリエスタが滅んだのだからなんとか元の国境を奪還し、イスグロリエスト皇国との橋を手に入れたいと上層部は躍起になって魔法師や兵士を投入した。
だが……結果は芳しくないようで、事態は一向に好転しなかった。
そして、アーメルサスの希望を決定的に打ち砕く事件が起きた。
漆黒の天を切り裂く雷光が走り、轟音と共に大地を穿った。
それは……皇国に繋がる橋が大峡谷へと落ちた、絶望の始まりを告げる音だったのだ。
アーメルサス側がそのことを知ったのは、橋がなくなってから随分経ってからのことだった。
魔虫が、全くと言っていいほど北上してこなくなったのだ。
季節的なものとも思われたが、ガウリエスタがあの状態なのだから増えることはあっても減るのはおかしい。
兵士達は今ならば国境を取り戻せるのではないかと、南下して様子を見に行ったらしい。
その時に、完全に崩れ落ちた橋の残骸と、固く閉ざされて一切の入国を受け付けない状態の皇国国境門を見たのだそうだ。
大峡谷にこちら側から再び橋を架ける工事などできようはずもなく、皇国への陸路を完全に断たれたことにより旧国境への執着もなくなった。
かつて町であったミカメル付近には魔獣が棲み着いていて、おそらく思っているより早く人の入れる迷宮ができそうだと言っていた。
エツェルも似たような状況だろうから、第二境壁は正式に『国境防護壁』として更に強固に整備され門が開くことはなくなった。
アーメルサス教国は、陸路で他国へ入る手段を全て失った。
まず危機感を募らせたのは商人達である。
西のオルフェルエル諸島への船を買い付け、航路の確保と多くの島々との取引を計画し始めた。
政治は麻痺し、司祭達は何の役にも立たぬと権威を失墜させた。
戦に負けはしなかったが勝つこともできず、大きな町をふたつも沈めて民を犠牲にした、なんの加護もないと証明された神職の者達を敬う者はいなくなった。
首都は活気をなくし、経済の中心は西側へと移り、冒険者と商人達は西に集まる。
時代が大きく動き、俺達はその渦の中で翻弄されているようだった。
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