第5話 二十八歳 冬から二十九歳 初夏

 俺達を睨み付けるように見下ろしたその男は、吐き捨てるように冒険者か、と呟いた。

 ミレナが無視しているので、俺も何も言わずに視線を逸らす。

 男が怒り出すかと思ったけれど、舌打ちをして席に戻った。

 なんなんだ、あいつ。


「この店が、皇国人の店と知らずに来ている冒険者がいるようだな」


 絹の服の男が大きめの声でそういった時、店内の空気がピリッとした。


「冒険者というのは、身分階位の低い者達がなるものなのだろう? 我々と同席するなど、無礼にも程があるというものだ」


 静かになっていた店内に響いたその声に、ミレナが眉根を寄せる。

 何か言い返してやりたい……が、皇国人と揉めて悪者になるのは『階位の低い者』だ。

 俺達以外にも何人かいる冒険者達も、同じようにムカついているはずだがこちらから手出しはできない。

 どんな理由があったとしても、最初に手出しした方が罪が重くなる。

 嫌な空気が流れる中、ニヤニヤと笑うその男がもう一度何かを言おうとしたその時、俺達の卓に山盛りのイノブタ焼きとふかし芋が置かれた。


「はい、お待たせ」

 そう言って微笑んだのは、この食堂の年配の親父さん。

 くるり、と悪態をついた男に向き直って静かに、でもとても力強く言い放つ。


「確かに皇国人の儂の店だが、ここはアーメルサスだ。町の人や冒険者が来たって何も問題はねぇし、大歓迎だ」

「そーだよ、あんたみたいなのが皇国人だと思われたら、俺達が恥ずかしい!」

「メシを食うところに、身分や政治を持ち出すなよ」


 周りにいた皇国の人達まで、その男に対して文句を言い始めて俺だけでなくミレナまで驚いていた。

 当然だ。

 嫌な顔をされたりしなくても、良く思われてはいないんじゃないかと思っていた。

 皇国人は身分階位に厳粛だと聞いていたし、冒険者なんて最底辺の仕事なのだから。

 思わぬ反撃だったのか、男は顔を真っ赤にして……更に大声で怒鳴る。


「うるさいっ! 私は魔法師だぞ! こんな奴等と同席などできるか!」


 魔法師、と聞き、俺は怯んでしまった。

 ミレナもさっ、と顔色が変わる。

 この国では勿論、皇国でも魔法師は高い地位だ。

 アーメルサスには神職以外に殆ど魔法師はおらず、この国では最高とされている職業のひとつである。


「ほぅ?」

 食堂の親父さんは、全くたじろぐ様子すら見せず不敵な笑いさえ浮かべている。

「奇遇だなぁ? 儂も魔法師なんだよ」

 そういうと、胸元の身分証を取り出して、その男に見せつける。


「ど、銅証……!」

 思わず漏れたミレナの言葉に、俺も親父さんの身分証に釘付けになった。

 このアーメルサスで銅証なのは神職、それもかなり魔力のある司祭達だけだろう。

 実際に見たことは一度もないが、そう言われていた。

 冒険者達が生唾を飲み込み、動けなくなってしまったとしても当然だ。


 そして何も言えず、ただ鼻の穴を大きく膨らませて親父さんを睨む絹の服の男に、同行してきた数人が宥めようと声をかける。


「もう止めてくださいよ、セントローラさん」

「そうですよ。今日のところは別の店へ行きましょう」


 女将さんが出入口の扉を開き、おかえりはこちらですよ、と声をかけると彼等はセントローラと呼んだ魔法師を引き摺るように表へと出た。

 ぱたん、と扉が閉められ、女将さんから笑顔が漏れる。


「ごめんなさいねぇ、みなさん。時々ああいう、頭の悪い勘違いが来るんですよ。お詫びに、一杯奢るからねぇ」

「お、やった!」

「麦酒があるのかい?」

「しょうがねぇ、とっておきを出してやるよ!」


 店中が楽しげに酒を酌み交わし始める。

 親父さんが俺達にも、麦酒を注いだ取っ手付きの小酒樽を持ってきてくれた。


「いつも来てくれて、ありがとうな」

「……吃驚、しちゃったわ……銅証なんて」

「そうか? 皇国じゃ、銅証まではただの『臣民』なんだよ。まぁ、鉄証よりはちょびっとばかり上って程度だ。本当の高位ってのは、銀証以上のことだからな」


 ミレナの言葉にそう返されて、俺は驚きを隠せなかった。

 皇国に行ったら、この国の司祭達もただの臣民ってことなのか?

 ゆっくりしてってくれよ、と厨房に戻る親父さんの背中を見送る。


「身分って、国によってこんなにも違うのね」

「そう、だね」

「皇国に行ってみたかったけど、あたしくらいだと皇国人の最下位より下になっちゃうのかなぁー」


 だとしたら、俺なんて人としても扱ってもらえなそうだ、と少し落ち込む。

 でも俺は自分のことより、たかが銅証に目の色を変えて、子供を切り捨てたりするこの国の神職位の家系が滑稽に思えて心の中で苦笑いをした。



 この店は俺達だけでなく、ミトゥーリスに住む冒険者達にとっても居心地のいい旨い店だった。

 あの一件以来、俺は店の親父さんによく話しかけられるようになり、神話の本を読ませてもらうこともあった。

 しかし、翌年の春の終わりには採掘作業が終わってしまい、店もなくなってしまった。彼等は全員、皇国へ戻ってしまった。


 そしてガウリエスタとの小競り合いが続いていた国境線が、本格的に戦争状態となって国境を越えることは難しくなった。

 皇国から来ていた人々は続々と自国へ戻ってしまって、ミトゥーリスだけでなくどの町でも首都中央イクルス以外では、皇国人を見ることは殆どなくなったという。


 そして……冒険者達の仕事に、国境付近での商人の護衛が増えていき、ミレナも南方の町ミカメルへ護衛依頼で行ってしまった。

 争っている場所に好んで行くなんて、商人達以外にはいない。

 武器や食糧を高値で売りつけているのだろう。


 こんなにもガウリエスタが攻勢になったのは、南方からミューラが攻め上がってきそうだからアーメルサスを押し戻して北側を安定させたいということのようだと、国境線から戻ってきた行商人が言っていた。


 だが、アーメルサスは絶対に引かないだろう。

 ここで引いてしまったら、今はどちらの国にも属していないイスグロリエスト皇国との国境の橋をガウリエスタに明け渡すことになってしまう。

 皇国との繋がりを失うわけにいかないのはどちらの国も同じだろうから、戦線での攻防が激しくなるのは当然だ。


 神職、法職の奴等も余程上の階位でない限り、戦に加わることになるだろう……と、誰もが思っていた。

 しかし、彼等は自分と自分の財産を守ることだけに必死で、前線には冒険者を護衛任務と偽って投入してかなりの犠牲者が出ているという噂が広まっていた。


 戦いは……激しくなるばかりだった。

 俺はただ、ミレナの無事を祈ることしかできずにいた。

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