第2話 二十五歳 春-2
成人の儀の後、俺はすぐにでもこのイクルスの町を出るつもりだった。
あの家には居場所などない。
おそらく誰ひとり、俺を見送ることも引き留めることもないだろう。
今朝、起きた時に部屋の卓の上に幾許かの金が置かれていた。
でき損ないへの最後の情け……なのだろう。
既に荷物は最小限まとめて持ち出しているし、戻る必要はないのだと、やっと……足が止まった。
「アトネスト!」
久しぶりに名前を呼ばれて振り返った視線に先にいたのは、俺がこの町で『友人』と呼べる三人だった。
彼等には、俺が神職家系であることは言っていない。
二年ほど前に家にいたくなくて町に出た時に知り合った、俺を俺として受け入れてくれた同世代の友人……だ。
「成人の儀、どうだった?」
「窮屈だっただろ? どうして神官ってのは、ああも堅苦しいんだかなぁ」
「あたしも、すっごく緊張しちゃったよー」
俺がなんとか自分の心を保っていられたのは、彼等がいてくれたからだと思う。
『普通』であることを恥ずかしいことだと思わずにいられたのは、彼等のおかげだから……あの家を出て生きていこうと思った。
だが、その彼等も……俺が得た『職』を知った時に、態度を一変させた。
「へ、へぇ……『士職』ですらないのか……」
「……いるのかよ、あの家系で」
え?
「ちょっと! だめじゃん、そんなこと言っちゃ……」
「いいじゃねぇか。下位職でも『手』なんて、技能も何も必要ない一番下だぜ?」
「神職家系で最下位職じゃ終わりだな」
俺は驚きを隠せず、なぜ知っていたのか……と、問いかけると更に彼等は顔を歪ませる。
ほんの少し上がって見える口角は、侮蔑のしるしか。
「俺達が気付かないほど、間抜けだと思ってたのか? いつもこれ見よがしに『絹』なんか着てたら、平民じゃないことくらい解るよ」
「そうよね……名前の頭文字だって、今代のカティーヤ系のものだし。あの傍流家系の長子のひとりが、あたしと同じ年だって知ってたもん」
「だけど、そんな職業じゃ付き合う価値はないな」
彼等の言葉と眼差しは、俺から全ての光を奪うかのようだった。
友人、じゃ、なかったのか?
俺の呟きを拾って、吐き捨てるように更に刃のような言葉が耳に届く。
「そもそもさ、おまえは友人って言いながら自分のことを何も話そうとしなかったよな? おまえが『でき損ない』じゃなくて、ちゃんとした神職家系だったら、何も知らずに口をきいた俺達が、罪に問われる可能性とか考えなかったわけ?」
「神職家系の人と対等にしゃべったりしたら……罰されるのはあたし達だもんね。調べることくらい、するよ」
「そしたら、落ちこぼれでしかも『聖神二位』っていうからさー。だったら、俺達でもおまえの家系一族からとやかく言われないし、おまえがいい職に就けばこっちにも見返りありそうだと思ってたのによ!」
矢継ぎ早に繰り出されるそれは、家族達から与えられた傷よりも深く突き刺さる。
彼等は俺に原因がある、俺のせいで自分達は裏切ったというのか?
明らかに俺が『下』だから、彼等の役に立たないから……
彼等はそれ以上、俺には何も言わなかった。
俺は、動けなかった。
初めから、友人ではなかったのだろうか。
ただ去りゆく、かつて友人だと思っていた三人の背中が雑踏に紛れてくのを見送ることしかできなかった。
もう、俺には声をかけてくれる人すらいないと胸の奥の痛みが増した時、三人の兵士に囲まれた。
その三人には、第二位家系カティーヤの私兵に使われる赤い双葉の紋が胸章と剣に付けられていた。
俺はそのまま有無を言わさぬとばかりに……役所へと連れて行かれた。
役所は成人の儀を終えて得られた職業を登録し、組合や働く場所を紹介してもらう者達でいつも混み合っている。
彼等を横目に、兵士達に連れられた俺は奥の部屋へと通された。
その部屋には……十数年ぶりに、俺に視線を向ける父の姿があった。
兵士達が退出し、父の後ろに控えていた護衛が俺の横に移動する。
俺を警戒しているのだろう。
父だけでなく、家族の誰もから『優しい』と取れる言葉しかかけられたことはない。
だが……それが、愛情故でないことなど解っている。
「残念だったな」
言葉に滲む憐れみと『下』の者への蔑み。
「このままではおまえ自身もつらかろう。カティーヤ家系に属していてその職というのは、あまりに不憫である」
俺は唇を噛み、既に教会から『
「おまえは神職家系などと無縁であるとされた方が、余程おまえ自身のためだ。だから、新たな人生を歩めるようにしてやりたいのだよ」
(おまえは家門に相応しくないから、出ていけ)
「いろいろ方法は考えたのだが……完全に詮索されないようにするには、この方法が一番いいと判断したのだ」
(おまえに選ぶ権利はないから、全て言う通りにしろ)
「名を変え、血の繋がりを示す記録を消してしまう以外には、おまえを守れないと思う」
(家門の長子を示す名前を返上し、父母の記載も記録も全て抹消して『絶縁』せよ)
真綿でゆっくりと首を締め付けられて、少しずつ息ができなくなるように追い詰められる。
泣くことも、喚くこともできず、あらゆる抵抗を奪われる。
「もしおまえが首都にいたいのならば、神職家門に従務する方が良いと思うのだよ」
『従務』……?
その家門に飼われて、決して表に出ることなく地下で働かされる『隷位職』になれ……と?
父の口元だけの笑顔に張り付く冷たい瞳に、それが本心であると確信した。
「……名は、変えます。家門の方々との繋がりも、全て消していただいて、結構です、が、従務には……就きません」
絞り出すような声で、初めて逆らった。
父の口元からも笑みは消えたが、従務契約だけは絶対にしない。
家族も友人も居場所もなくし名前も奪われ、全ての繋がりを断たれた。
ならば、もう何にも縛り付けられたくはない。
この瞬間、カティーヤ傍流家からアトネストという長子は消えた。
……表向きは、死んだことにされるのだろう。
役所で手続きされた新しい身分証を受け取る。
『ラドーネス』……これが、今日から俺の名前になった。
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