52ページ目.汗にだって雄と雌があります

 体育祭、当日。


 夏休みが終わってそろそろ一か月ぐらい経つけど、それでも日によっては気温が高い。


 今日の体育祭も、昼間はまだ夏の暑さを保っていた。


 これは熱中症にならないように気をつけないと。


 いや、それよりも終わった後に阿舞野あぶのさんとお互いの汗を嗅ぎ合うという秘密のプレイのために、ちゃんと水分を取ってたくさん汗をかかなくちゃ。


 決してこれは二人が変態だから行うのではない、良い漫画を描くためだ、と自分に言い聞かせる。


 阿舞野さんはクラス対抗リレーの代表に選ばれていた。


 阿舞野さんは女子の中では足が速い。


 ダンスも上手いし、きっと体を動かすことが好きなんだろう。


 翻って漫画を描くときに腕ぐらいしか動かさないオレはというと、見事に鈍足だ。


 当然、代表には選ばれていない。


 なので阿舞野さんの応援に徹する。


 それにしても不思議だ。


 そんなアクティブな女子が、なんでこんなにも正反対のオレに関わっているのか。


 興味を持ったことが一致したから、といえばそれまでなんだけど……。


「うずめー、行けー!」

「うーめ、頑張れー!」


 阿舞野さんを応援するクラスメイトの声が飛ぶ。


 速い速い。


 うちのクラスがただいま1位。


 阿舞野さんは汗を散らしながら先頭を走っていた。


 彼女はじゅうぶん汗に塗れている。


 オレも暑さで汗は流れているとはいえ、阿舞野さんほどじゃない。


 オレの残る競技は騎馬戦とダンス。


 これでたくさん汗をかくようにしっかり体を動かさなきゃ。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 閉会式も終わり今年の体育祭も無事、幕を閉じした。


 しかしオレの本番はこれからだ。


 開会式前に行った阿舞野さんと打ち合わせどおり、人気の無い校舎裏へと二人で行く。


「暑いし、マジ疲れたぁ〜!」


 半袖の体操服を腕まくりした阿舞野さんが言う。


「メッチャ活躍してたね。阿舞野さん、足速い。おかげでうちのクラスが1位だったし」


 オレは褒める。


「ありがと。でもアタシひとりのちからじゃないし。ってか、うちのクラス、足速いの多くない? みんな余裕ある感じだったけど、アタシなんかもう全力疾走だったし。おかげで晴れなのに雨に濡れたみたく体ビショビショ。ってこれって、ゆらっちの漫画の参考にはいいことなんだろうけど」


 そう言って阿舞野さんはニカッと笑う。


 確かにその通り。


 オレも自分なりにちからを出したのと、この暑さのおかげで、けっこう汗をかいた。


「それじゃあ……、どっちから先にする?」


 オレが尋ねる。


「えっと、やっぱ、その、体のニオイを嗅がれるってのはちょっと恥ずかしいから……、ゴメンだけどゆらっちが先に……」


 珍しく阿舞野さんが恥ずかしがっている。


 オレだって恥ずかしい。けど、阿舞野さんには漫画のネタを協力してもらっている身でもある。


「わかった。それじゃ、オレが先に嗅がれる役で。とりあえず部長の原作ではお互いの脇のにおいを嗅ぐことになってるから……」


 オレはそう言って、覚悟を決めて左腕を上げた。


「う、うん。じゃあいくよ」


 阿舞野さんが緊張気味にオレの脇に鼻を近づけた。


 学校でも評判の阿舞野さんの可愛い顔がオレの脇の間にある。


 そしてオレの体臭を嗅いでいる。


 なんとも言えないシチュエーションだ。


 彼女が深呼吸をするように鼻から息を吸い込む音が聞こえた。


「……クッサ!」


 オレの脇に埋めるように顔を接近させている阿舞野さんの第一声。


 うーむ、あんまりハッキリ臭いと言われると、さすがのオレも辛い。


 阿舞野さんがオレの脇から顔を離す。


「でも嫌な匂いじゃない。なんか、オスの匂いがする」


 彼女が言った。


 オス? もしかしてお酢のこと?


「酸っぱいにおいがする?」


「いや、そのお酢じゃなくて雄雌おすめすのオス。女子の匂いと違うから。やっぱゆらっちも男子だね」


 どういうことかよくわからない。


 つまり阿舞野さんは雌の匂いがするのかな。


 でも汗の臭いに男女の違いなんてあるのだろうか?


 いや、それは嗅いでみればわかる。


 次はオレの番だ。


「じゃあ、今度はオレが……、いい?」


 阿舞野さんの急激に顔が赤くなった。


 そしてコクコクと頷き、左腕を上げる。


 オレは彼女の脇へそっと顔を近づけた。


「これ、マジ恥ずい……」


 阿舞野さんが言う。


 接近させると同時に、オレの鼻腔に彼女の体臭が侵入してくる。


 うん……、間違いなくこれは乾いた汗のにおいだ。


 本来は不快なにおい……のはずなのに、なぜか良い匂いでもあるような気がする。


 なんだろう、痛気持いたきもちいいみたいな矛盾した匂い。


 もしかしてこれが雌の匂いってことかな?


 そしてその匂いはオレの鼻を掴んで離さない。


 不思議な匂いだ。


「あ、あの、ゆらっち、嗅ぎ過ぎなんだけど……」


 阿舞野さんの恥ずかしそうな声で、オレは我に返った。


 匂いの虜になってたら、うっかり長い時間、彼女の脇に顔を寄せていたようだ。

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