6 有線放送電話とダイヤル式黒電話

 私が生まれた時、電話機も我が家にはありませんでした。

その代わりに、地域団体によって設置された有線放送電話というものがありました。

昭和30年代、まだ地方で電話のある家は少なく、電電公社(今のNTT)の電話を引いたのは、ずっと後の事でした。


 昭和32(1957)年、限られた地域内で、電話線を引き、各家を有線の電話でつなぐ「有線放送電話」に関する法律が制定されました。この法律によって、各地で有線放送電話が開設されるようになりました。


 有線放送電話に加入して定額のお金を支払えば、その地域内では定額でいくらでも電話をかけることが出来ました。

有線放送電話のもう一つの大きな特徴は、電話に受話器とは別にスピーカーが付いている事です。これを「スピーカーホン」と言います。このスピーカーから定時に「有線放送」が家中に流れます。

有線放送の内容は、農作業に必要な農事放送(天気予報など)をはじめ、地域のニュースや住民の語り、学校便り、誕生祝いやお悔みなど多岐にわたります。言わば家に一台、つけっぱなしのラジオがあり、そこから時々番組が流れてくるようなものです。


 我が家にあったこの有線放送電話は、加入者線を3~10の加入者で共有する共同電話で各家に電話番号があり、我が家の番号は「5番」でした。

スピーカーから「5番、5番」と呼び出しがあったら我が家に電話がかかっているという事で受話器を取って相手と通話をしてました。

ダイヤルはついていたと思うのですが、最初のうちは所定のダイヤルを回して、交換手を呼び出して「〇番から〇番へ繋いで下さい」と言って交換手にお願いしていたような気がするのですが、ちょっとここら辺の記憶が曖昧なので違っているかもしれません。


 その後に、放送機能で相手の加入者の番号で呼び出しを行っていたように思います。当時、秘話機能はありませんでした。だから、隣の家の番号を呼び出しているのも各家庭に流れているので、燐家が通話中に受話器を取ると、会話を盗み聞きできたんです。勿論、私はそんな盗み聞きなんてしていませんよ。たぶん、恐らくね(笑)

今でも形や名称を変えて地域の情報を流す地域限定の電話は存在しています。


 我が家に電話機が登場したのは、中学校の頃(1970年頃)だったと思います。ダイヤル式の黒電話です。


 「黒電話」と言われる機種はいくつかあります。

一般的なのは「600型」「601型」その前の「4号」全部黒電話です。壁掛け式もあったようです。

買取ではなく電電公社からの貸与品です。尚、同一仕様によって作られていますが、製造メーカーは複数あります。

1962年に登場した600型電話機は、通話性能と経済性能の両面で“完成された電話機”と言われています。優れた通話機能で多くの家庭に普及し、いわゆる「黒電話」として、この時代でもっとも一般的な通話手段となりました。

 日本でプッシュホンの登場は1969年らしいのですが、我が家はずっとずっと長い間、黒電話でした。いつ、プッシュホンに切り替えたのか記憶にないんです。


 ダイヤルを回して電話していた頃のお話です。今はスマホの普及で固定電話がないお家が増えているのではないでしょうか。公衆電話も殆んど姿を消していますものね。

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