4 冷蔵庫と駄菓子屋さん
国産の家庭用電気冷蔵庫は、1930年に初登場しました。
しかし、我が家に冷蔵庫がやってきたのはそのずっとずっと後の事です。
テレビほどの驚きがなかったのでハッキリとした記憶がないのですが、1965年前後かなと思っています。
1962年にはフリーザー付きの冷凍冷蔵庫が発売され、冷凍食品が家庭でも保存できるようになりました。
又、冷蔵出来るようになり生ものもある程度保存がきくようになりました。
この時の冷凍冷蔵庫は、まだ1ドアタイプでした。
この1ドアタイプの冷凍冷蔵庫の冷凍室は扉を開けたら上部に位置し、冷凍するスペースはとても狭いものでした。そこには製氷皿が付いていてそれに水を入れ、氷を作ることが出来ました。
氷が作れるようになって、かき氷が家で作れるようになりました。
夏休みにはよく、かき氷を作っていました。
そう言えば、あの頃は、アイスキャンデー屋さんがチリンチリンと鐘を鳴らして自転車に乗って売りに来ていました。チリンチリンの音が聞こえてきたら親にねだってよく買ってもらっていました。
豆腐屋さんもラッパをパフ~と鳴らしながら自転車で売りに来てました。
パフ~の音がしたらボールなどの入れ物を持って買いに行ってました。
直ぐ近くに国道が走っているのですが、そこを自転車を走らせて売りに来ていたのです。
国道がコンクリート舗装されたのが1960年位でしょうか。それまでは砂利道でした。
舗装された道路のセンターラインはコールタールだったのではないかと思います。
夏には暑さでそのコールタールが溶けて踏んだら靴裏にべっとり着いたりしてました(笑)
又、私が小学校の頃は、田舎だからでしょうが、殆んど車が通らず、道路の真ん中を遊びながら学校に行ってました。道路の真ん中に寝転んだりもしてました。
昭和30年代は車を持ってる一般の人は殆んどいなかったのではないでしょうか。
今では、その国道はひっきりなしに車が通り、横断するのもなかなかです。
冷蔵庫からかなり話が逸れてしまいましたね。
その後、1970年代以降は自動霜取り機能付きの2ドア式冷凍冷蔵庫が一般化してきました。そうして冷蔵庫もその後どんどん進化して現在に至ります。
今度はその頃のおやつに関してのお話をします。
我が家から1㎞位離れたところに駄菓子屋さんがありました。
学校に行く通学路の途中にあったのですが、低学年の時は、下校中にお店に寄る事を禁じられていたので、一旦帰ってから、お金をもらって買いに行っていました。
私は中学校になったら毎月決まったお小遣いをもらってましたが、小学校の時は必要な時にその都度お金をもらってました。
一回にもらうのは大抵10円です。50円もらったら大喜びです!
その頃、駄菓子屋さんでは飴玉なんかは瓶に入っていてばら売りでした。
何種類かの飴がそれぞれの瓶に入って並べられていて好きな味の飴を選んで買う事が出来ました。その飴はなんと1個1円でした。
他にもガムとか粉末ジュース、ラムネ菓子、卵型アイスクリーム等々。
パンは10円か15円くらいで買えた気がします。
今この文章を書きながら、いったい私は何時代の人間なの?って思っています。
バナナやチョコも気軽に買えなかった時代でした(笑)
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