第29話 死
◇ サイモンside
サイモンは婚約を破棄されたあと、フットマンに取り押さえられて外に出た。サイモンは誰彼かまわず殴り掛かりたかったがフットマンの言葉に思いとどまった。
「ミスター・サイモン。お話があります」
フットマンはサイモンの耳元でそういった。
サイモンが怪訝な顔をしていると、フットマンは他の使用人に言った。
「ミスター・サイモンを家までお連れします。他の方に迷惑をかけると困りますので」
使用人たちは頷いて屋敷に戻った。
馬車に乗り込み、走り出すとフットマンは言った。
「お手伝いできることはありませんか?」
「あ?」サイモンはフットマンを睨んだ。彼の心臓はまだバクバクと鳴っていた。
長身のフットマンは美男子だったが、サイモンと同じく薄暗いところが見えた。顔は青白く不健康そうだった。
「私はずっとレディ・シエナを守ってきました。彼女の敵であれば養子であろうがなんだろうが陥れてきました。レディ・シエナの指示がなくても」
サイモンは彼をじっと見た。この男は随分前、サイモンがアリスを川に落としたときにアリスをカントリーハウスまで連れて行ったあの男だ。
「私――私達はいろいろやりました。まあ、物を隠すなど小さな嫌がらせが多いですが。レディ・シエナに取り入ろうとしたんです。そうすればこの先も職にあぶれることはない。レディ・シエナは貴方と結婚し、財産を相続して私達を雇う。……でも、それも、今や無意味です」
サイモンは徐々に自分が冷静になっていくのを感じていた。
「随分自分勝手なやつだな」
フットマンは笑った。
「貴方ほどでは」
サイモンはギッとフットマンを睨んだが、彼はどこ吹く風で続けた。
「グリムキャッスル伯爵家はティオ・スティーヴンスに相続されます。彼は養子のアリスと親しい関係です。……まだ3歳ですけれど。将来きっとアリスの手によって私達は職を失います。レディ・シエナのために行動したのに、アリスによって職を失うなんてそんな話ないじゃないですか」
フットマンの話は自己中心的で馬鹿げていたがサイモンは指摘しなかった。使えるものなら何だって使う。それがサイモンの今の心情だった。
フットマンは言った。
「だから、私は貴方を手伝おうと思ったのです。貴方はティオ・スティーヴンスに恨みがあるはずだ。貴方は彼に財産も爵位も奪われた。あの子を殺せばすべて取り戻せる。そうでしょう?」
確かにそのとおりだった。あいつが憎いし、シエナも、ヘンリーも憎い。殺せるものなら全員殺してしまいたかった。
サイモンは考えて、フットマンに尋ねた。
「それで、お前にどんなメリットがある?」
「成功した暁には貴方がグリムキャッスル伯爵だ。その報酬として一つは紹介状を書いていただきたい。今のままでは私は推薦状も書いてもらえないかもしれない」
サイモンは頷いた。
「もう一つは金です。……借金があるので」
多分こっちが本命だろうとサイモンは思った。首が回らないのはよくわかった。自分も全く同じ状況にある。
サイモンは棚にある毒の小瓶を思い出していた。あれを使えば複雑な計画は必要ない。こいつはフットマンだ。給仕をするのが仕事のはずだ。何かの料理にまとめて入れればそれで十分。
「他に何人いる?」
「私ともうひとりメイドのメラニーが」
サイモンは頷いた。
「で、お前の名前は?」
フットマンは言った。
「アランです」
ことは計画どおりにすすんでいたはずだった。サイモンは夕食会当日、メラニーによって屋敷の裏口から中に入り、フットマンの服を着て待機していた。
サイモンはこの屋敷の内装がどうなっているかよく知っていたし、それに夕食会がどんな流れなのかもわかっていた。そこにティオが現れないことも。
毒の小瓶をアランに渡して言った。
「確実にやるんだぞ」
アランは頷いた。
そしてその時がやってきた。
サイモンは夕食会の行われている部屋を影から覗いていた。
「アリス? あれがアリスなのか?」
アンジェラと紹介されたのが、あのクソガキだったアリスなのか。
邪魔をしやがって。
サイモンは腸が煮えくり返るのを感じた。あいつはただ虐げられていればいいんだ。反抗するなんておこがましい。
と、メイドが一人やってきて言った。
「食べてはだめです! 味見をしたキッチンメイドが……!」
部屋の中は騒然となった。その中でルークだけが冷静にあたりを見回していた。
サイモンは自分が動揺して影から体を出してしまっていることに気づかなかった。
彼と目が合う。ルークの顔が怒りに染まった。
くそ!
サイモンは慌てて身を隠すと、その場から走り去った。
計画は遂行しなければならない。
ティオを殺さなければ!!
サイモンは階段を駆け上がり子供部屋に向かった。昔良く遊んだ場所だ。3歳のティオはその近くで眠っているに違いない。
サイモンはナイフを取り出した。あいつだけはこの手で殺してやる。ナイフには例の毒が塗ってある。少しの傷でも効果はあるはずだ。
後ろから声が聞こえてくる。
「サイモン!! 待て!!」
やっぱり追いかけて来やがった。
サイモンは走り出した。
どこだ。どこだ。
部屋を一つひとつ見ていく。扉を開く音があたりに響く。
5つ目でその部屋を見つけた。
ティオは目を覚ましていて、ランプの灯る部屋の中で、こちらを怯えたような目で見ていた。
「見つけたぞ」
サイモンは笑みを浮かべた。
◇ ルークside
毒の騒ぎで皆が慌てる中、フットマンにしては背が低く、人相の悪い男が影から出てきてこちらを見ていた。ルークはその男をしっかりと見た。
「サイモン……!!」
あいつの仕業か。
ルークはこの夕食会で先程、シエナからサイモンとの婚約を解消したという話を聞いていた。
まさかこんなに早く行動するなんて思ってもみなかった。
ルークは立ち上がると、サイモンを追いかけた。
彼はティオを殺しに行く。やつの目的はそれしか考えられない。
「サイモン!! 待て!!」
ルークは階段を駆け上がり、サイモンが入った部屋の前に立った。
サイモンが振り返る。彼の後ろではティオが布団を手繰り寄せて涙を流していた。顔は恐怖で歪んでいる。
サイモンの手にはナイフが握られていた。
「サイモン、やめろ」
ルークの言葉にサイモンは笑みを浮かべた。引きつった笑みだった。
「お前も邪魔をするのか? お前は全部持ってるだろ!? 金も、爵位も、シエナも、全部!! 持ってるやつが邪魔するんじゃねえよ! 俺は奪われたものを奪い返すだけだ」
ルークはステッキから剣を抜いた。細く長いレイピアだ。手入れはされている。切れ味は劣っていないはずだ。
ルークはドミニクに言った。
「頼む」
ドミニクは頷いて、ルークに憑依する。ドミニクが構える。切っ先はサイモンを向いている。
「そんなものをずっと隠し持っていたのか」サイモンはルークを睨んだ。
サイモンは体を弛緩させて、屈伸した。
レイピアの長い刃など恐れていないようで、彼はそのまま前傾し、一歩を踏み出した。
ドミニクが剣を振る。切っ先がサイモンの頬を切り裂く。かなり深く目の下が切れて血が吹き出したのに、サイモンはひるまない。
ティオが叫ぶ。
彼は右手で殴るようにナイフを突き出した。ドミニクはルークの体をのけぞらせてナイフを避ける。ナイフから液体がとんで壁にシミを作る。
「しっかり避けないと死ぬぞ。スープに入れたのと同じものが塗ってあるからな」
サイモンは距離を取ると、頬の血を拭ってそう言った。
「厄介だな」ドミニクがそういった。
ドミニクは姿勢を低くして、レイピアを下げる。
サイモンがまたナイフを大振りする。
ドミニクが飛び出す。レイピアの刃はナイフを握るサイモンの指を正確に突き刺して、切断した。
ナイフが地面に落ちる。
サイモンが右手を押さえて叫んだ。
「あああっ!! くそ!! 指まで持って行きやがったな!!」
ドミニクは切っ先をサイモンの首に向ける。
「動くな。終わりだ」
背後で廊下の向こうから何人かが走ってくる音が聞こえて来る。
それはフットマンとメイドだった。
「ロード・ストレンジ! 大丈夫ですか!?」
フットマンはそういった。
「ああ。こいつを取り押さえてくれ」
「わかりました」
フットマンはそう言ってしゃがみこんだ。
その男の顔を見たことがあった。そうだ、あの日、アリスが川に落とされたあの日一緒についてきたフットマンだ。
彼はサイモンではなく落ちたナイフに近づいた。
サイモンが笑っていた。
ルークがそれに気づいた瞬間、メイドに肩を抑えられているのに気づいた。
「くそ!」
フットマンがナイフを握り、ルークの腹に突き刺した。
ドミニクは反射的に、レイピアを振った。切っ先はサイモンの喉とフットマンの目を斬り裂いたが、遅かった。
ナイフは腹に埋まってしまっていた。
痛みが脳を突き抜ける。ドミニクが離れる感覚がある。
「ぐああああ!!」フットマンが叫ぶ。
サイモンが地面に倒れるのと同時に、ルークは膝をついた。
毒の回りが早い。視界が霞んでくる。音が遠のく。
「ルーク!! ルーク!!」誰の声だ?
ルークは地面に倒れ込んだ。
◇アリスside
夕食会を開いていた部屋に戻るとローズが走ってアリスのもとにやってきた。
「あの! お兄様が……お兄様が、ミスター・サイモンを追いかけて……」
そこでアリスはハッとした。
毒を入れたのはサイモンだったんだ……。
アリスは慌てて走り出した。サイモンの目的はグリムキャッスル伯爵家を殺すことだ。
毒では殺せなかったが、別の形でティオを殺して、財産を手に入れようとしている。
「ティオ……」
アリスは階段を駆け上がった。後ろからヘンリーやローズがついてきている。
上階にあがり廊下をすすむ。
「ぐああああ!!」と男が叫ぶ声が聞こえた。ティオが眠っている部屋だ。
アリスはその部屋に飛び込んだ。
サイモンとルークが倒れている。その隣でフットマンの……アランが目を押さえてうずくまっていた。地面には血が飛び散っている。
「メラニー! メラニー!! トドメをさすんだ!!」
アランが喚いている。ルークのそばにはメイドのメラニーが立っていたが、怯えたようにこちらを見るばかりだった。
アリスのあとからフットマンやヘンリーたちが駆け込んできた。
メイドたちがメラニーを取り押さえ、アランはフットマンの一人に地面に倒された。
サイモンは喉を切り裂かれて絶命していた。
ルークは……。
アリスはルークに近づいた。
「ルーク!! ルーク!!」
彼の腹部にはナイフが埋まっていた。
「早く医者を!!」
アリスはそう叫んだが、ドミニクが首を横に振った。
「だめだ。そのナイフには毒が塗ってある……」
「じゃあ、あの解毒剤を使えば……!!」
アリスはワンダを見たが彼女はうつむいた。
「さっき使っちゃったでしょ? あれしかないよ……」
「そんな……」
ローズとシエナもルークに駆け寄ってきた。
「お兄様!!」
「ルーク!!」
ルークの顔は青ざめていた。彼はピクリとも動かない。胸も動いていない。
アリスは彼の手をとった。
(そんな……やっと、やっとアリスとしてそばにたどり着いたのに……)
アリスの涙が彼の顔に落ちた。
涙は唇の端に触れて、じわりと形を崩した。
ルークの顔にはまだ、『256』の数字が浮かんでいる。
余命が浮かんでいる。
彼はまだ死んでいない。霊として体を離れたわけじゃないんだ。
と、突然、数字が減りだした。
『254』……『232』……。
「止まって……止まって!!」
アリスは周りの目など気にせず叫んだ。
『198』……『154』……。
ルークの服を掴んで精一杯叫んだ。
『128』
そこで、数字が止まった。
「え?」
どうして『128』で……?
てっきり『30』でとまるのかと思っていた。それが霊になって初めに顔に現れる数字だからだ。
アリスが不思議に思っていると、突然、コツンと音がした。見ると、ルークの腹からナイフが抜けて地面に落ちていた。
誰かが抜いた?
いや、違う。
彼の服はナイフで破けていたし、血がついていたが、その下の皮膚は完全にもとに戻っていた。
アリスはそこに触れた。
傷がなくなっている……。
「どうして……」
その時だった。
大きく息を吸い込む声が聞こえて、ローズとシエナが悲鳴を上げた。
見るとルークが目を覚まして咳き込んでいた。
「ああ! 痛い! あれ、痛くない」
ルークは体を起こすと自分の腹に触れた。
「どうして傷が……」
アリスは自分の目が信じられなかった。ルークが霊なら彼の体の一方は地面に倒れているはずだ。
けれど、そうじゃない。ルークは生きていて、体を起こしていた。
生き返ったんだ。
「ルーク!!」
アリスは彼に抱きついた。
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