第28話 グリムキャッスル伯爵家の夕食会

◇ アリスside


 アリスは緊張していた。この日、グリムキャッスル伯爵家では夕食会が開かれる事になっていた。夕食会と言ってもそれほど大きな物ではなく、親しい貴族たちを呼んだものだったが、その中にはクリフォード公爵家、すなわちルークとローズが入っていた。


 はっきり言って逃げ出したかった。また部屋にこもっていようかとすら思った。


 けれど、父に反抗すると決めた以上、守ってもらわなくてもいいと言った以上、ルークと面と向かって話さなければいけないだろうということはわかっていた。


 アリスはレイラのドレスを着飾って、ダコタの香水を身に着けた。いつまた監禁されるかわからないので、アリスは幽霊全員を連れて夕食会に参加することに決めていた。


 と言って、ステッキや裁縫箱は、ルイーズに持ってもらうつもりだった。ネックレスは身につけ、香水の瓶はレイラが作ってくれた隠しポケットに入れる。これはダコタが「僕も夕食会でたい! 匂いかぎたい!」というからだった。


「ああ、どうしよう……。アンジェラが私だとわかったら失望するかな……」


 アリスは部屋をうろついてぶつぶつと言っていた。


「大丈夫だよ、きっと」ワンダが地面に並べられた本を読みながらそういった。監視がついてルイーズたちに本を読んでもらえなくなってから、ワンダはルークに教えてもらった方法で本を読むようになっていた。


「大丈夫ですわ。ロード・ストレンジもレディ・ローズも貴女の肩書ではなく、貴女自身を認めてくださっていますから」


 グレースが微笑んだ。


 アリスは息を吸い込んで吐き出した。


「よし!」


 アリスはルイーズにステッキと裁縫箱を持ってもらって、部屋を出た。


「ティオがいないね」ダコタはそうつぶやいた。


「まだ3歳なのですから、夕食会には出せませんよ」グレースがつぶやいてため息をついた。


 アリスは緊張していてそんな会話などほとんど耳にはいってこなかった。


 今日の客は5組くらいで本当に身内だけのもののようだった。アリスは次々に挨拶された。


「アリス・スティーヴンスです」そう答えると皆驚いたように言った。


「ああ、貴女が。いつもご病気がちでしたから初めてお会いしましたわ」多分毎年やっていたガーデンパーティにも出席していた貴族なのだろう。彼女はそういった。


 この場にいる人間はアンジェラの顔を知らないようだった。アリスは少しだけホッとした。


 と、グレースが耳打ちした。


「来ましたわ」


 アリスは応接間の入り口に目を向けた。


 そこにはルークとローズが立っていた。




◇ ルークside




 アンジェラが病気になって舞踏会に出られなくなってから3週間が経過した。彼女のいない生活はどこか物足りず、いままでどうやって過ごしてきたんだろうと不思議に思うくらいだった。


 ルークは舞踏会に参加して、女性の誤解をとく作業を続けた。もうアンジェラがそばにいなくても断ることができるようになっていた。


 アンジェラがサイモンを断った瞬間を見てからだ。


 サイモンはもうだめだと思った。彼はひどく暴力的で、人をさげすむと同時に威圧する男になってしまった。彼はどこか危ない雰囲気があって、一部の令嬢は彼を避けていた。アンジェラもその一人だろう。けれど、アンジェラはそれに打ち勝った。怯えながらも断り睨まれながらも毅然としていた。


 アンジェラからの手紙はずっと届き続けていた。彼女はある日、グリムキャッスル伯爵家の夕食会に参加すると書いてきた。それはちょうど、ルークも参加するもので、久しぶりに会えるとワクワクしていた。それはローズも同じだった。


「お兄様、買い物に付き合ってくださる?」


 そう言って、アンジェラに会うためだけに装飾品を買っていた。


「そうだ、ローズ聞きたいことがあったんだ」馬車の中でルークは言った。


「何でしょう?」


 アンジェラから手紙は今までほとんど受け取ったことがなかった。手紙が来るようになったのは彼女が病気になって会うことができなくなってからだ。


 アンジェラからの手紙をルークは束にしてしまっていた。アリスからの手紙と同じように。


 ある日ふと、手紙の匂いが気になった。それは香水の匂いでよく嗅いだことのある匂いだった。ルークはアンジェラからの手紙を顔の前で振って匂いを嗅いだ。それからアリスからの手紙でも同じことをした。


 ……全く同じ香水を使っている。


 初めはアリスの手紙の匂いが写ってしまったのだと思った。しかし、夕食会に関する手紙がアンジェラから来たとき香ってきた匂いは、まさにアリスの手紙と同じものだった。


 だから、ローズに尋ねた。


「ミス・カートライトからの手紙についていた香水は有名なものなのか?」


 もし二人とも有名な香水を使っているのだとすれば、ただの偶然だ。そうではないすれば……。


 ローズは言った。


「ああ、あれはオーダーメイドみたいですよ。調香師に頼んで作ってもらってるんですって。いい匂いですよね」


「……そうか」


 そんなに仲がいいのか?


 ルークは首をかしげた。


 夕食会で会うときに聞いてみよう。


 アンジェラの手紙にはこう書いてあった。


『直接お伝えしたいことがあります。驚いてしまうと思いますが……』


 悪いことじゃなければいいが……。




 夕食会当日。ルークとローズは馬車に乗ってグリムキャッスル伯爵家のタウンハウスについた。彼らはフットマンに案内されて応接間に入った。すでに何組かの客が来ていて話し声がしてた。


 ルークはすぐにアンジェラの姿を探した。彼女は壁際に立ってこちらを見ていた。


 ルークより先にローズが早足で彼女のそばまで歩いていった。


「こんばんは、ミス・カートライト。あの……直接お伝えしたいことというのは?」


 ローズは微笑んでそう言った。


 ルークはぎょっとした。


(お前にも同じ内容の手紙が来ていたのか!?)


 アンジェラは苦笑した。


「直接お伝えしたいことことはそれなんです、レディ・トムリンズ。それから、ロード・ストレンジ」


 ローズは驚いた顔でこちらを振り返って、それからアンジェラをみた。


「あの……何でしょう?」


 アンジェラ――は言った。


「私は……アンジェラ・カートライトではないんです。そもそも、アンジェラ・カートライトという人物はいないんです」


 ローズは眉間にシワを寄せた。


「それって……どういう……」


「私はアリスなんです。アリス・スティーヴンス。この家の養子です」


 アンジェラ――アリスは少し怯えたようにそういった。


 ルークはアリスの顔をじっと見た。


(ああ、そうだったんだ)


 昔、子供の頃はあまり顔をはっきりとは見ていなかったけえれど、でもそう、たしかにそうだったかもしれない。


 そうか……ずっと会っていたんだ。


「だから手紙の香水が……」ルークがつぶやくと、アリスの後ろにいた女性が言った。


「そうだよ、だから言ったじゃんアリス。僕の香水使い回すんだもん」


 アリスは一瞬後ろをみて、それからルークに尋ねた。


「あの……どういう……」


「いや、ミス・カートライトから来た手紙と、君から来た手紙は同じ香水の匂いがしたんだ。オーダーメイドだったんだろ? だから少しおかしいなって」


「あ……」アリスは口を抑えてうつむいた。






◇ アリスside




 香水なんて盲点だった。アリスは自分の失敗にようやく気づいた。


 と、ローズは少し顔をしかめて尋ねた。


「あの……どうして身分を偽ったのです?」


 心臓が収縮するのを感じた。これはしっかり話さないと。


 嫌われてしまうかもしれないけど、でも、話さないと……。


「それは……」


 アリスは全てを話した。その間にも一組の客がやってきていた。


「それで……あの……ロード・ストレンジにあうために……」


 顔が熱い。


 アリスが顔を上げると、ルークは顔をそらしていた。耳が赤かった。


「そう……ですか……」ローズは少しうつむいて、それから言った。


「ミスター・ヒドルストンから救ってくださったとき、なんて素晴らしい方なのでしょうと思いました」


 アリスは「うっ」と呻いた。やっぱり引き合いに出されてしまう。


 ローズは続けた。


「同じように身分を偽るなんてなにかやましいことがあるんじゃないかと思ったのです……」


 アリスはうつむいた。そうおもわれても仕方ない。


 でも、聞かないと。アリスは顔を上げた。


 ローズは微笑んでいた。


「でもそうじゃなかった。貴女は戦っていたんですね! 尊敬します! かっこいいです!」


 ……アリスはキョトンとした。


「え? 罵倒するんじゃないの?」


「しません! なんでそんな事! 自分の人生を掴み取るために戦うなんてかっこいいです! ね、お兄様もそう思うでしょ?」


 ローズの目はキラキラしていた。


「ああ……、やっぱり君は強い女性だったよ」ルークも微笑んでそういった。


 アリスは急に緊張の糸が切れてしまって、ふっと息を吐き出した。


 なんだ……。


 バレたら絶対に失望されると思っていたのに、そんな事なかったんだ。グレースは正しかったんだ。


 話すのは怖いけど、話さなきゃわからないんだ。


 アリスは微笑んで、ルークとローズに言った。


「ありがとうございます」




 と、執事が現れて言った。


「ディナーの支度が整いました。こちらへどうぞ」


 ルークはシエナをエスコートするらしい。シエナはサイモンとの婚約を解消したわけだし、新しい相手を見つけなければならない。昔からルークのことが好きなようだったし、まあ、母親がくっつけたんだろう。


 少し心がチクチクと傷んだが、ルークを見ると少し残念そうな顔をしていて笑いそうになった。


 席につくとスープが運ばれてきた。女主人であるアリスたちの母親が挨拶をする。


 と、ダコタが顔をつけんばかりにスープに顔を近づけた。


「ちょっと! 何をしてるんですか!?」グレースが慌ててダコタを引き離そうとしたが、ダコタは抵抗した。


 ルークと彼に付き従っているドミニクがこちらを見て怪訝な顔をしている。


 アリスの母親の挨拶が終わりに近づいてきたとき、ダコタが顔を上げた。


「アリス!! これ飲んじゃだめ!! 匂いおかしい!! 毒が入ってる!!」


 その瞬間、アリスの母親が挨拶を終え、皆がスプーンに手をかけた。


 アリスはぎょっとして立ち上がった。


「待って!! スープを飲まないで!!」


 皆が怪訝な顔をしてアリスを見た。


「何を言ってるんだ、アリス……」ヘンリーが少し怒ったような顔で言った。


「毒が入ってるんです!!」アリスが続けて言うとヘンリーは目を細めた。


「毒……まさか……」ヘンリーは多分、妹、アンジェラのことを思い出している。


「そんなわけないでしょう? 何を言ってるの?」シエナが気にせずスプーンを取ろうとしたが、ルークがその手を抑えた。


「だめだ」


 シエナは戸惑った。


 と、そこに慌てた様子でメイドが入ってきた。


「食べてはだめです! 味見をしたキッチンメイドが……!」


 アリスは部屋を飛び出して階下に向かった。ルイーズが慌ててあとから追いかけてくる。


「ルイーズ、例のやつだして!!」


「あ、はい!」


 アリスはルイーズから箱を受け取った。


 階下は騒ぎになっていた。キッチンに向かうと一人のメイドが倒れていて唇を真っ青にしていた。ワンダは彼女に近づくと言った。


「2番の薬を出して!」


 アリスは箱を開けた。箱の中には12の小瓶が入っていた。


 ヘンリーからグレースの死因について聞いて、自分で自分の身を守ると言ったあと、アリスはワンだといっしょに毒消しの薬を調合していた。ただ、どんな毒が使われたか全くわからなかったのでたくさん種類を作る必要があった。


 アリスは倒れているキッチンメイドに近づくと2番の小瓶を飲ませた。


「飲んで ! 頑張って!」


 キッチンメイドはしばらく痙攣していたが、それが徐々に収まると呼吸が安定してきた。意識は失っていたものの、一命はとりとめたようだった。


「もう大丈夫みたい」ワンダは安堵の息を吐いて言った。


 アリスはどっと地面に座り込んだ。


「ああ、よかった」


 フットマンが彼女を運ぶ中、コックや他のキッチンメイドがアリスの手をとって言った。


「ありがとうございます!! あの子がいなくなったらどうなるかと……!!」


 振り返るとシエナとヘンリーがそこに立っていた。


「助かった……のよね?」シエナがつぶやいた。


「ええ。もう大丈夫。でも一応医者を呼んで」アリスはそういった。


「どうやって治したんだ?」ヘンリーが言ったのでアリスは小箱を見せた。


「お父様に話してもらったのが役立ちました。グレース……アンジェラは多分毒で殺されたんだと思ったんです。だから薬を準備してました」


 ヘンリーは驚いたような顔をしていった。


「自分で身を守る準備をしてたんだな」


 アリスは頷いた。


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