第21話 接近
◇ルークside
その日、家に帰るとルークは引き出しを開けて手紙の束を取り出した。それはアリスからの手紙だった。今でもまだ香水の匂いがする。心が落ち着くようないい匂いで好きだった。
ルークは手紙の束を見てため息をついた。
ドミニクが近づいてきて言った。
「揺れてるね、心が」
ルークは目を細めて彼を見たが、すぐにため息をついてうなずいた。
「ああ、俺は……ミス・カートライトのことを……」
ルークはアリスの強さに惹かれた。そしてアンジェラの強さにも。近くにいればいるほど、アンジェラは光を増しているようにさえ感じた。
(彼女は俺を救ってくれた。俺はアンジェラに何ができているだろう)
余命が現れてから、アンジェラに会うまでの間、ルークの毎日は多忙を極めていた。彼は寿命を伸ばすことに奔走し、自分の時間を作ることができなかった。自分自身の奴隷として働いているようなそんな気さえもした。毎日毎日その日のために色んな場所に向かって、その日分の寿命を伸ばした。
労働者階級はこんな感じで生活しているんだろう。その日のために必死で働いて必死で金を稼いで、なんとか明日に命をつなげる。それがルークには身にしみてよくわかった。
自分が何にも感動できなくなっているのにきづいた。幸せを全く感じられない事にきづいた。
毎日毎日誰かに笑いかけているその顔は貼り付いてしまった仮面みたいだった。
心から笑うなんて全然できなかった。
それがアンジェラに出会い、寿命を大幅に延ばせるようになって、ガラリと変わった。
夕食会の食事がおいしいと感じるようになった。読書をすれば笑ったり感動したりできるようになった。こんなにも毎日過ごすことが楽しいのかと思った。
そして、アンジェラが笑ったり顔をしかめたり、怒ったりする姿が可愛らしく思えていたのだった。
きっとこれは寿命を伸ばしてくれる存在だからではない。アンジェラは自分にとって大切な人なんだとルークは思った。寿命も何も関係なくただ、彼女のことが好きなんだと。
だから、ルークの心は揺れた。ルークはずっとアリスの事を想っていた。寿命をある程度伸ばしたらアリスに会いに行く。それを目標にしていたから頑張ってこれた。
アリスは頑張ってこれた「理由」だった。アンジェラは救ってくれた「存在」だった。
アリスに会って気持ちを聞きたかった。アリスを「存在」として認識できないくらい、離れすぎてしまった。彼女に会ってアンジェラと対等な「存在」として認識できたとき、初めて自分の気持ちが決まるのではないかと思った。
ルークは悩んだ。
◇シエナside
シエナはヘンリーに婚約破棄を禁止されてからモヤモヤとした気持ちをずっと持っていた。彼女は社交界に出て、舞踏会や夕食会で人脈を広げていたが、常にサイモンの顔がちらついていたし、彼と結婚しなければならないという苛立ちが心にあった。
ルークとはあの日、久しぶりに家にやってきた日以来会っていない。彼のことが恋しい。彼と結婚できればどれだけ幸せだろうと思う。
そして、サイモンと結婚すればどんな不幸が待っているだろうとも。
サイモンは最近おかしなクラブに入っているようで、人相の悪い大人たちとつるんでいた。金も際限なく使っているみたいで借金まみれだったが、彼がいつも言うのは
「俺は貴族と結婚するんだ。結納金で借金は返してやるよ」
というセリフだった。
もしティオが病弱じゃなければと思わずにいられなかった。
そんなある日憂鬱な気持ちで舞踏会に参加していると、バーバラが言った。
「少しご相談したいことがあるのですけど?」
バーバラはシエナと友人で見かければ必ず会話をする仲だった。
「なんです?」シエナが言うと、バーバラは近づいてきて声を潜めて言った。
「ミス・カートライトについてです」
シエナはその名前を噂で聞いたことがあった。なんでも今年から舞踏会に参加し始めたアレンシア人で、美しいその容姿と、正義の活躍がいっしょに語られる存在だ。シエナはそんなのただの噂だと思っていた。そんなやつはいない。それがシエナの考えだった。
だからバーバラからその名前が出てきて驚いた。
「ああ、その方ですか。彼女が何か?」
バーバラは大きくうなずいた。
「ええ。私、彼女と話したんです。レディ・トムリンズの家で」
その名前を聞いてシエナは目を細めた。ローズはよくグリムキャッスル伯爵家のガーデンパーティにルークといっしょに参加していた。アリスはその時部屋に閉じ込められていたから知らないだろうが。
(ということは、ルークとも関係があるのかしら?)
シエナは考え込んだ。
「それで、そのミス・カートライトがどうしたのです?」
「なにか隠していそうなのです。絶対に秘密があります。私見たんです。彼女の着ているアフターヌーンドレスの襟元にミス・レイラの刺繍があるのを!」
「ミス・レイラって……『フェデフルー』を作っている有名な仕立屋の?」
「ええ、そうです」
ミス・レイラは有名だった。彼女の作る服『フェデフルー』は誰もが欲しがり一部のステータスにさえなっていた。ただ、『フェデフルー』は最近偽物だとバレたはずだ。シエナはそれを思い出して言った。
「でも偽物なんじゃ?」
「いいえ。偽物にはあの刺繍はありません」バーバラは鼻息荒くそう言った。
「本物ってこと? でも、偽物だとバレたときに、いっしょにミス・レイラが亡くなっていたことも公表されましたよね?」
バーバラはそれこそが本質だといった顔をした。
「そうなんです。ミス・レイラは亡くなっているはずです。なのに、ミス・カートライトはどう考えても最近仕立てたとしか思えないアフターヌーンドレスを着ていたんです。ミス・レイラの刺繍入りで」
なかなか面白い話だと思った。それにミス・カートライトという女性のことも気になった。ルークとは関係があるのかどうかというところがネックだった。
ルークは最近女性関係を整理しているようで、口説いて「保留」していた女性たちを断っているそうだ。シエナは自分の為にやっているのだろうかと思ったり、自分も関係を断ち切られてしまうのだろうかと不安になったりしていた。だがここに来てミス・カートライトという女性が出てきた。彼女が関係しているんだろうか?
バーバラは続けた。
「そこでご相談なんです。レディ・スティーヴンス」
シエナは首をかしげた。バーバラは自分に相談だと言った。今までミス・カートライトという名前も知らなかった自分にどうしていきなり相談なんて?
「ええと、……何を相談なんです?」
「ミス・カートライトと話す機会をいただきたいのです!! きっと彼女はミス・レイラが亡くなったことにして自分の為に服を仕立てさせているんです。それに――」
シエナはバーバラの言葉を遮った。
「あの、どういうこと? どうして私がミス・カートライトと関係があると……?」
バーバラはキョトンとした顔をした
「だって、ミス・カートライトのシャペロンは、先代のレディ・グリムキャッスルだったので……。貴女はご存じなかったんですか?」
シエナは眉間にシワを寄せた。
「本当にお祖母様……彼女でしたか?」
「ええ。杖をついて長椅子に座り込んで、目をつぶって寝ておられました」
それを聞いて、シエナは確信した。
お祖母様だ。
シエナも去年一度だけペギーにシャペロンを頼んだことがある。彼女は同じように長椅子に座ってずっと眠っていた。シャペロンとしては完全に失格だった。
ペギーがシャペロン?
いつからアレンシア人と仲良くなったんだ?
社交界にいっしょに参加するなんて相当だ。
まさか何か騙されて……。
シエナの頭の中に沢山の考えが浮かんだ。
とにかく確かめないといけない。ルークにも関係があるならなおさらだ。
ペギーに話を聞かなければ。
◇
「突然すみません、お祖母様。お話があります」
翌日急遽、ペギーの家に向かい、部屋に入るとシエナはそういった。
「まあなんでしょう」ペギーは椅子に座ってゆっくりと寛いでいた。
シエナはペギーが苦手だった。なんというか常に飄々としていて、会話が噛み合っているのか噛み合っていないのかそれすらわからないからだった。
シエナは手袋をつけたまま、ペギーの向かいの席に座った。
「お祖母様、ミス・カートライトという女性を知っています?」
「ああ、アンジェラのことね」ペギーはうなずいた。
「最近彼女のシャペロンをしているんだとか」
「ええ。そうよ」
バーバラの言っていたことは本当だったんだ。わかっていたものの少し動揺した。
「どうして話してくださらなかったんです? 私に紹介頂いてもよろしいじゃないですか」
シエナは苦笑してそういった。
「だって、あなた達アレンシア人が嫌いじゃないの? 『由緒正しい爵位が外から来た連中に汚されてしまう』とかなんとか話していたじゃない?」
シエナは黙り込んだ。確かにそういう話はときおり貴族の中で出てきた。
「個人的に親しくしていた方の娘だし、変な軋轢は作りたくないの。わかる?」
ペギーはそう言って微笑んだ。
「彼女はもう社交界で認められています。彼女に対して『アレンシア人だから嫌い』という感情はありません。だからどうか、私に紹介してください」
「なぜ?」
ペギーは微笑んだままそう言った。拒絶の色がかすかに浮かんでいた。
「彼女と話がしたいんです。少し聞きたいことがありまして」
「では私から聞いてあげるわ」
「いえ……それでは……」それじゃあだめだ。
ペギーが騙されているかどうかを知りたいのに、ペギーに話すわけにはいかない。
「なにか私に話したくない話でもあるの?」ペギーは言った。
シエナは咳払いをすると言った。
「では2つ。一つはロード・ストレンジとどのような関係なのか。もう一つはどこで『フェデフルー』を仕立てているのか」
「それだけ?」ペギーはシエナをじっと見た。
「ええ。それだけです」
ペギーは微笑んで言った。
「わかったわ聞いておきましょう。後で手紙を出すわ」
「お願いします」そう言ってシエナは立ち上がり、天井を見た。ここにいまアンジェラはいるんだろうか。
「アンジェラは今ここにはいないわよ」ペギーが見透かしたようにそういった。
シエナは苦笑いをして家を出た。
彼女が何者なのか調べることができなかった。
こうなったら自分で会いに行くしかない。
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