第20話 拒絶


 アリスたちは椅子に座り直した。バーバラのいた場所に座るとルークは言った。

「ミス・カートライト。いっしょにとある舞踏会に出てほしいんだ」


 アリスはキョトンとした。というのももう舞踏会に参加する必要はないと思っていたからだ。ルークと会うことはできたし、ローズとの関係を作れている。このままでもいいんじゃないかと思っていた。あとは少しずつ関係を深めていけば……。


 と、彼は面倒なことを口に出した。

「いいよってくる女性たちを追い払いたいんだ」


 それはお前の巻いた種だろう。


 アリスは眉間にシワを寄せた。

「君も言っていただろう、いろんな女性にその気にさせることをいうなって。前回の夕食会のとき、俺はなんとかしてレディ・ハートを引き剥がそうとしたがだめだった。いつもついてきてしまうんだ。これはだめだ。君がいれば説明を省くことができる」


 アリスは大きくため息をついた。

「それは私に悪者になれということですよね? 貴方が選んだ女性として私が貴方とずっと一緒にいれば、今までいいよってきた女性たちから嫌悪の目をむけられるのはめにみえてますよね。夕食会のときのレディ・ハートのように」

「お兄様最低です」ローズも言って、ルークは頭を抱えた。

「そうなるのか? そうなるよな……。うああ、考えなしだった……」


 どうやら彼はいつからか余命のことばかり考えていたせいで周りのことが見えなくなってしまっているらしい。


 ただ、思わせぶりな態度を取るなと言うのはアリスが言ったことだったし、それ自体は紛れもなくアリス自身のわがままから来ることだった。


 ルークは別にアリスの恋人でもなければアンジェラの恋人でもないのだ。彼が思わせぶりな態度を取ろうがそれは彼の勝手であるはずなのに、ルークは律儀にアリスとの約束を果たそうとしている。それが条件だからと。


 アリスは悩んで言った。

「いいですか。自分で言うんです。今まで悪かったと。それが貴方がしなくてはいけないことです」


 ルークは深くため息をついた。

「わかった」

「ただ。舞踏会にはいっしょに出てあげます。理由になってあげましょう」悪者になってしまうが、もともと貴族連中には嫌われているんだ。別にいいだろう。


 ワガママに付き合ってもらうのだしこれくらいの協力はしないと。

「いいのか!?」ルークは顔を輝かせた。

「ただ、私は悪者になってしまうので、絶対に守ってくださいね」

「ああ、それは約束する!」

「それと、もう一つ」アリスは重要なことを付け加えた。「レディ・シエナ・スティーヴンスが参加する舞踏会には参加しません」

「どうして……」ルークはそこで少し考えて言った。「ああ。君は先代のレディ・グリムキャッスルにお世話になっているんだったね。そうか、レディ・シエナを知っていてもおかしくないのか」


 アリスは少し心がチクチク痛むのを感じた。

「わかった。理由は深く聞かないが、確認するよ」


 ルークはまた連絡すると言って立ち上がり部屋から出ていこうとした。

「あの、ロード・ストレンジ?」

「なんだ?」


 私は彼に手を差し出した。手袋をしていない手だ。


 彼は「ああ」とつぶやいて手袋を外すと私の手に触れた。彼の寿命が伸びるのを確認する。

「ではまた」ルークはそう言うと部屋を出ていった。


 ローズはその様子をずっと見ていた。

「ミス・カートライト。貴女はお兄様のことが好きですか?」


 ローズは突然そう尋ねた。アリスは少し狼狽しながら言った。

「ええと、はい、好きですが……」


 ローズは顔を輝かせた。

「だから更生させようとしているのですね!?」


 は?


 更生?

「兄はもういろんな女性に声をかけていてそれはもうひどいんです。どうにかならないかと思っていたのに、いつのまにか貴女が考えを改めさせてくれたんですね!」


 尊敬の眼差しが送られてくる。返品したい。

「それをあの兄は貴女を盾にしようとして」ローズは少し怒っていた。

「盾だなんてそんな」なんとなく居心地が悪かった。




今度の舞踏会が行われたのは子爵家で前回よりは小規模だった。アリスはペギーとともにやってきたが相変わらず彼女はすぐに眠ってしまった。そして相変わらずなのは貴族たちの反応もだった。彼らは遠巻きにアリスを見てヒソヒソと話をしている。

「居心地が悪いなあ」アリスが言うとグレースは咳払いをした。

「ロード・ストレンジが来るまでですよ」


 ルークたちはまだ来ていないようだ。


 早く来てほしい。アリスは両手をすり合わせてあたりを見回していた。


 その時、彼女は見た。見てしまった。

「げっ」


 そこにはサイモンがいた。アリスを池に落とした従兄弟のサイモンだ。


 まずいまずい!!


 ルークにはシエナがいない舞踏会ということを言っていた。だがサイモンについては話していなかった。


 しくじった!


 アリスは今ペギーと一緒にいる。サイモンはきっとペギーの姿に気づくだろう。もしかしたら、アンジェラではなくアリスだと気づくかもしれない。ルークと同じくらいサイモンには会ってなかったけど、気づくかどうかはわからない。


 アリスは顔を隠し、眠っているペギーをおいて舞踏室から出た。


 幸いサイモンにはバレていないようだ。安心してため息をついた。


 ルークと合流したら文句を言ってさっさと帰ろう。


 廊下でうつむいてそう思っていると、突然目の前に一人の令嬢が現れた。アリスは初め彼女の足しか見えていなかった。

「ミス・カートライト、少しおはなしよろしいですか」


 アリスは顔を上げた。


 そこにいたのはバーバラだった。あのローズの家でアリスの服を掴んだバーバラだ。


 一難さってまた一難だった。また暴力を振るわれるかも!!


 アリスは怯えたが、そんな事はつゆ知らず、バーバラは言った。

「その服、どちらで仕立てましたの?」


 突然の質問にアリスは戸惑った。どこでと言われてもこれはレイラがアリスに取り憑いて作ったものだったから、店で作ったわけじゃない。「幽霊に作ってもらいました」なんてことを言えるはずもない。


 どうしようかと思っていると、バーバラが口を開いた。

「『House of Wiz』というお店ではなくて?」


 ドキッとした。どうしてその店の名前を知ってる?


 いや有名な店なのは知っているが、この服を見てどうしてその名前が出てくるんだろう。

「違いますが……なぜそう思われるのです?」アリスが尋ねるとバーバラは言った。

「わかるんですわ。その服を作ったのがミス・レイラという仕立て屋だということが。でも、ありえません。だって、彼女はすでに死んでいるのですよ? ではどうして貴女は仕立てたばかりに見えるその服を切ることができるのでしょう?」


 アリスが何も言えず黙っていると、バーバラは更に詰め寄ってきていった。

「ミス・カートライト。あなた、何を隠しているんです? まさか、レイラを連れ去って、自分のためだけに服を作らせているのではありませんよね」


 アリスは心臓を貫かれたかと思った。ドッキーン。


 だってそのとおりなんだもん。


 いや、多分バーバラは「レイラは実は生きていて、アリスはレイラを店から引き抜いた」とかそういう意味でいったのだろうけど、字面は完全に真実を語っていた。


 でも無理やりじゃないんだ!


 むしろレイラの言うことをこっちが聞いているんだ!


 そう言ってやりたかったが、霊が見えるなんて言えない。変な目で見られて、噂を流され、ますます嫌われてしまう。

「真実を話しなさい」バーバラが詰め寄ってくる。


 どうしよう。どうしよう。

「どうした?」とそこにルークがやってきた。


 遅いよ!!


 アリスはバーバラに言った。

「きっと勘違いですよ。この服は店で作ったものではないですし」

「でも……!!」バーバラはまだなにか言いたげだったが、アリスはルークの手をとって言った。

「すみません、次のダンスをこちらの方とお約束しているんです。お話はまた後で……」


 アリスはルークの手をとって舞踏室に戻った。タイミングよく、曲が流れ出して、アリスはルークとダンスを踊った。


 これは礼を言うべきなのだろうか……。


 アリスは咳払いをしていった。

「あの……ありがとうございます。助かりました」

「ああ? なにもしてないが」ルークはそう言ってステップを踏んだ。アリスはぎこちなく彼に従った。まだダンスはうまくできない。ついていくのでやっとの状態だ。

「どうして、レディ・グリムキャッスルのそばにいなかった? 探したぞ」


 アリスはルークを睨んだ。サイモンがいたからだよ!

「なんで睨む?」彼は怪訝な顔をした。


 アリスはため息をついた。

「というかなんか周りから睨まれている気がするのは気のせいか?」

「え?」


 アリスはあたりを見回した。確かに見られている気がする。

「私のダンスが下手だからですよ」そうは言ったもののアリスは別のことを考えていた。きっとルークと一緒に踊っているからだ。ルークのことを好きな女性たちが嫉妬で睨んでいるのだろう。アリスはそう思っていた。


 ダンスを終えて喫茶室で飲み物を飲んでいるとルークにいいよってくる女性が現れた。彼女はアリスをチラリと見たあとルークと話しだした。


 しばらく話したあと、ルークが彼女に謝っているのが聞こえてきた。


 多分、ちゃんと断ったんだ。今までそういう態度をとって悪かったと謝ったんだろう。女性は涙目になって去っていった。


 ルークが戻ってくると言った。

「泣かれるのは辛いね」彼はこころなしか気落ちしているように見えた。私は彼の背中を擦った。

「ありがとう、大丈夫だ」ルークはそう言って微笑んだ。


 方法を間違っただけなんだ。根はいい人で傷つきやすい。


 アリスはルークといっしょにペギーの元に戻った。


 と、そこでアリスは固まった。


 ペギーは目を覚ましていた。彼女は今までにないくらい背筋をピンと伸ばして会話をしていた。その相手が問題だった。


 サイモンだった。


 まずい。見つかってしまった!


 アリスはルークの後ろに隠れるようにしてペギーとサイモンに近づいていった。サイモンがルークに気づいた。

「やあ、元気だったか? ルーク」サイモンはヘラヘラとそういった。


 ルークは不機嫌そうに顔をしかめて言った。

「せめてストレンジとよんでくれ」

「いいじゃねえか。旧知の仲だろ」サイモンが近づいてきてルークの肩に触れた。


 と、サイモンがアリスに気づいた。

「ああ、これはこれは、噂のミス・カートライト。どうやって知り合ったんだ、ルーク」


 どうやら彼もアリスだと気づいていないようだった。アリスは少しだけホッとしたが、顔をあげることができなかった。


 やっぱり怖い。


 アリスはルークの服の背中を握りしめた。

「妹が世話になったんだよ。それで知り合ったんだ」

「へえ」彼は自分で聞いたくせに興味がなさそうにそう答えた。彼からの視線がこちらに向いているのがわかる。アリスは更にうつむいた。


 と、ペギーが言った。

「サイモン。挨拶は済んだでしょう。さあ、私にかまってないで他のところにいきなさい」


 サイモンは一瞬ペギーを見たが、首を横に振った。

「いや、まだ済んじゃいない」


 サイモンはそう言うと、ルークの後ろに隠れているアリスに近づいた。

「ミス・カートライト。俺と踊ってくれないか?」


 アリスは背筋が凍るのを感じた。

「サイモン、踊らないんじゃないのか? レディ・シエナ以外は踊らないと昔言っていただろ」


 サイモンは笑った。

「昔な。いつの話をしてるんだ? あいつの家にガキが生まれてから話は変わったんだよ。泥棒のガキがな」


 サイモンは続けた。

「あれが生まれてから愛想が悪くなったんだよ。目に見えてじゃないが、まあ、俺にはわかる。長年連れ添ってきた勘ってやつだな。あいつのことは好きだよ。愛してるさ。ただ反抗はいけねえ。な、そう思うだろ?」


 ルークはため息をついたがサイモンは気にしなかった。

「俺は俺の好きなようにやるさ。だから他の女とも踊る。それだけだよ」


 サイモンはルークを押しのけて、アリスの前に立つと言った。

「俺と踊ってくれよ、ミス・カートライト」


 アリスは怖かった。彼を思い出すたびに飲み込んだ水や苦しかった呼吸のことを思い出した。彼のやってきた残虐な行為を思い出した。


 怖かった、でも、アリスは顔を上げた。


 サイモンの顔をはっきりとみた。


 随分顔立ちが変わっているが意地の悪い黒い部分は変わっていなかった。むしろ濃くなっているようにさえ見えた。

――社交界に出さない。


 そうヘンリーに言われたとき、アリスは明確に断ることができなかった。戦うことができなかった。


 怖かったんだ。何もできない自分が何もできないまま潰されてしまうのが怖かった。口ではいくら反抗する言葉を述べても行動が伴わなかった。


 でも今は違う。

(私は行動できる。行動しなきゃならないんだ)


 奇妙な形であれルークのそばにいることができた。それは行動した結果だ。


 今でも怖い。でも。


 アリスは言った。

「私は貴方と踊りません」


 サイモンはアリスを一瞬睨んだが、すぐにヘラヘラと表情を崩すと言った。

「まあ、仕方ないわな」


 彼はそう言ってどこかに歩いていってしまった。


 アリスはどっとつかれて、ペギーの隣に座り込んだ。

「大丈夫か?」ルークが気遣うようにそう言った。


 小さなセリフだ。小さな行動だ。けれどそれはアリスにとって重要な意味を持っていた。


 心の中にじわじわと達成感が広がっていくのを感じていた。


 今まではただ従うだけだった。


 部屋にいろと言われれば素直に閉じこもった。


 社交界に出さないと言われた時は、真っ向から戦わず偽名を使って、嘘をついて参加した。


 でも今は違う。

(私は、サイモンの誘いを断った。断ったんだ!!)


 なんだかそれができたことがとても嬉しかった。

「すまないミス・カートライト。あいつはああいうやつで……」


 ルークはオロオロしていたがアリスは顔を上げて彼を見た。

「ええ。大丈夫です」


 ルークはキョトンとしていった。

「怖がってたんじゃないのか?」

「ええ、怖かったですよ。でも……」アリスは微笑んだ。「頑張って断ることができましたから」


 ルークはじっとアリスをみた。その頬が少しずつ赤く染まっていくのにアリスは気づいた。

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