第19話 胸ぐらを掴まれる
数日後、アリスはルークの家に行くことにしていた。表向きの名目はローズの家に行くという感じだけど。夕食会からもうすぐ一週間が経とうとしていてそれはつまり、寿命が伸ばせそうだったからだった。
ルークの寿命を延ばせば、それだけ彼はアリスとしての自分に割ける時間が増える。
なにか進展があるんじゃないかと期待していた。
アリスはアフターヌーンドレスを着て珍しくダコタといっしょにローズの家に向かった。
ベルを鳴らすと長身でハンサムなフットマンがでてきた。
「レディ・トムリンズはご在宅ですか?」アリスが尋ねるとフットマンは心得顔になって彼女を案内した。
応接間にはローズの他に一人客人らしき令嬢がいた。
ローズはアリスの姿を見るとはっとして立ち上がり、嬉しそうな顔をした。ローズと話していた令嬢は目を見開いてアリスの姿を見た。
◇ローズside
アリスがやってくるまで、レディ・トムリンズ・トムリンズはうんざりしていた。在宅日(アトホームデイ)であるこの日のこの時間は確かに来客を受け付けてるけど、今日来た客はなんというか、キライな客だった。ローズと同じ公爵家の令嬢で、バーバラといった。
居留守を使えばよかったのだが、運悪く帰宅するところを、バーバラに見られてしまっていて訪問を断ることができなかった。そもそも紹介だって相手が公爵令嬢だから仕方なく受けたのだし……と文句を言っても仕方がない。ローズは自分がもっと意思を持って断ることができたらと思わずにいられなかった。
そうすれば、ヒドルストンにも絡まれることはなかったのに。まあ、あのおかげでアリスに出会うことができたのは確かなのだけど。
他にも誰かこないだろうかと思ったが、ローズはそもそもあまり人気のない令嬢だ。それは舞踏会を思い出せばわかることで、ますますローズは気が滅入った。
シャペロンもつけずにやってきたバーバラは、椅子に座るなり手袋を外して、長居をする気満々だった。それもローズは嫌だった。
「この前の舞踏会ではずっと踊り続けて疲れましたわ」とかなんとか、舞踏会での自分の人気ぶりをアピールしてくる。
「レディ・トムリンズもさぞ人気なことでしょう?」バーバラはそんな事を言った。
(わかってていってるんだろうなあ)
ローズは暗い気持ちを押し隠して、言った。
「いいえ。踊ってくださったのは一人だけですし、その方とはもう二度と踊らないよう約束しました」
「あら、そうなの!」バーバラは心底嬉しそうにそう言って紅茶を飲んだ。
嫌味な人だった。ローズは心のなかでため息をついた。
と、その時来客があったようで、女性が応接間に入ってきた。アンジェラとメイドらしき付添だった。その姿を見たローズはバーバラの話の途中で立ち上がった。バーバラは怪訝な顔をしてから、ローズの視線を追い、驚愕していた。
(なんで!? 特に約束もしていないのに! 嬉しい!)
ローズはそう思った。
「ミス・カートライト、来ていただけて嬉しいです。さあこちらにおかけになって」
アンジェラは微笑むと、ローズが指定した場所にすわった。
付添は入り口の近くに立っていたが、メイドに促されて、椅子に座った。
アリスは手袋を外して膝の上においた。ローズはそれを見て更に喜んだ。
(すぐにお暇するつもりはないのね。ミス・カートライトともなれば、たくさんの招待を頂いてお忙しいでしょうに、私のために時間を割いてくれるのだわ)
ローズはそう思って、アリスの顔をじっと見た。バーバラへの感情とはまるで違っていた。
それにしても美しい顔立ちをしている。恐れを感じる人もいると聞くが、ローズはそれ以上に彼女に尊敬と感謝の念を抱いていた。アンジェラがヒーローのように見えていた。まるでロマンス小説に出てくる騎士様のように。
だから彼女はアンジェラがおどおどして両手をしっかりと握りしめ、冷や汗を掻いていることなんて気づきもしなかった。
その時、バーバラが咳き払いをして言った。
「レディ・トムリンズ、こちらの方をご紹介頂いてもよろしいですか?」
ローズははっとして一瞬アンジェラを見た。本当だったら紹介なんてしたくない。それにバーバラよりもアンジェラのほうがずっと崇高に感じていた。だが、ミス・アンジェラ・カートライトはアレンシア人で貴族ではなく、対して、バーバラは公爵令嬢だ。そしてバーバラのほうが年上だった。
「ミス・アンジェラ・カートライト。こちら、レディ・フリンク・フリンク」
バーバラは――アンジェラのことが怖いからだろうか――表情がこわばって見えた。というより、睨んでいるようにさえ見えた。ローズは少し慌てた。
「どうぞよろしく」バーバラはなんとかそういった。
◇サイド、アリス
手袋を外したアリスは目の前にいる二人の公爵令嬢にビクビクしていた。もうすでに嫌われている。だって、バーバラが睨んでるんだもん!
(なんで睨んでるの! 怖い! 私何もしてないのに!)
ここまで明確に嫌悪を示されたのは初めてだった。ルークが来たときに触れるために手袋を外していたが、長居するつもりはまったくなく、すぐにでも出ていきたい気持ちでいっぱいだった。
早く、ルーク!
アリスはルークがどこに行ったのかローズに聞きたかった。なんとかタイミングを見計らおう視線をさまよわせる。
そんなふうにローズをチラチラと見ながら思案していると、バーバラが睨んだままアリスに言った。
「レディ・トムリンズとはどこでお知り合いになったのかしら?」
アリスが答えるより先に、ローズは言った。
「侯爵家の舞踏会でです。ミス・カートライトにはその時大変……その……お世話になって」
ローズは言葉を選ぶようにしてそう言った。
そういう話になっているようなので、とりあえず微笑んでおいた。
「そう……」バーバラはローズの顔をみて、更に眉間にシワを寄せてアリスを睨んだ。
(何がそんなに気に食わないんだ!!)
さっぱりわからず、アリスは椅子の中で身じろぎをした。敵ばっかりだ。
バーバラは続けて言った。
「舞踏会ではダンスはしまして? それともその先まで?」
アリスははっとローズを見た。
(こいつ、私が舞踏会で男性に見向きもされなかったことを話したのか!)
ローズはうつむいていた。まるで自分が関係ないかのように振る舞っている。
アリスは下唇を噛んだ。
アリスはもうほとんど敗北を認めるしかなく、「いいえ……全く」と小さな声で言った。
「嘘、ですわね」バーバラは手袋をはめながら言った。「誘惑して手玉にとったのでしょう?」
そうできたらどれだけ良かったか!
アリスは更にダメージを食らった。
バーバラは手袋をつけ終えると立ち上がった。
「では、そろそろお暇いたしましすわ」
「あ、はい」ローズも立ち上がって、彼女を見送ろうとした。
アリスは小さく安堵のため息をついた。敵が一人消えてよかった。
そう思った。
バーバラはアリスのそばを通って玄関にむかった。と、突然立ち止まり、彼女はアリスの襟元をがっと掴んだ。胸ぐらを掴まれ、天井を向かされたアリスは心臓がバクバクとなるのを感じた。アリスは心の中で叫んだ。
(ぎゃああ!! 暴力!! ついにここまで嫌われたの!?)
アリスはその場で泣きたくなったが、それよりも驚きが大きくて固まっていた。
すぐにローズや付添のルイーズが飛んできて、バーバラを離してくれた。
アリスはあまりの出来事に咳き込んだ。
「なんてことを!!」ローズはバーバラに言ったが、バーバラは何も言わずスタスタと帰ってしまった。
◇サイド、バーバラ
バーバラはアンジェラを睨んだ。表情がこわばったからではなく、本当に睨んでいた。
(この恐ろしい令嬢はローズとどんな関係なのかしら?)
ローズはやけにアンジェラに対して好意を持っているように見えた。恋をしているようにさえ見えた。バーバラはそれが気に食わなかった。
なぜなら、バーバラがローズに恋をしていたから。
ローズが可愛くて仕方なかった。初めて見たとき本当に天使が現れたのではないかと思った。
だからこの天使に近づく羽虫は全部叩き落とす必要があった。
「レディ・トムリンズもさぞ人気なことでしょう?」アンジェラがやってくる前、バーバラはそう尋ねた。もしこの天使と踊るような男がいたら逐一調べる必要がある。必要があれば追い払う!
「いいえ。踊ってくださったのは一人だけですし、その方とはもう二度と踊らないよう約束しました」ローズは少しうつむいていった。
「あら、そうなの!」バーバラは安心してそういった。
よかった! 近づく虫は今の所いないのね!
そう思っていたのに!
どうしてこの恐ろしい令嬢にそんな恋する乙女みたいな表情をするのよ!
(私のローズ!)
ここに奇妙な三角関係が完成した。
バーバラはアンジェラが怖かったが、ローズを取られまいと睨みつけた。子犬である自分が大きな人間を威嚇するようなそんな気分だった。
アンジェラの服はとてもいいもののようで美しいデザインだった。それも相まって、アンジェラは近づきがたい雰囲気を醸し出していた。
アンジェラはチラチラとローズを見ている。特に手や顔を見ている。
触ろうとしてるのね?
バーバラにはその真意がよくわかっていた。なぜならバーバラ自身がよくその場所を見る時は触りたいときだからだった。勘違いだけど。
なんとか気をそらさないと。バーバラはアンジェラに尋ねた。
「レディ・トムリンズとはどこでお知り合いになったのかしら?」
アンジェラに言ったつもりだったが、ローズが少しためらいがちに答えた。
「数日前にあった侯爵家の舞踏会でです。ミス・カートライトにはその時大変……その……お世話になって」
何かを隠しているように聞こえた。
何かあったのかしら?
何かがすでに起こってしまったのかしら!?
ローズは頬を染めて、うっとりとした目でアンジェラを見つめている。そこにあるのは尊敬だったり敬愛だったりするのだが、バーバラは恋心だと思った。
舞踏会で二人は急接近したに違いない。
(誰もいない場所で、二人でダンスを踊ったりとか……。もしかしたら、く……口づけをしたりとか!? ローズの唇を奪ったの!? 私が奪うはずだったのに!?)
自分の願望が噴出してバーバラの思考は汚染されてしまっていた。
どこまでやったの?
バーバラは知る必要があると感じた。
「舞踏会ではダンスはしまして? それともその先まで?」
そう尋ねるとアンジェラははっとローズをみた。ローズは恥ずかしそうにうつむいている。
(ど……どこまでやったの? なんでローズはそんなに恥ずかしそうにしてるの!?)
その実、バーバラがアンジェラに対しても「自分は人気なんだぞ」アピールをしていると勘違いして、ローズは恥ずかしく思っているだけなのだけど、思考が汚染されたバーバラは知らない。
と、アンジェラが下唇を噛んだ。まるでほのめかすように(バーバラには見えた)。
(口づけまでしたのね!! その味を思い出しているのね!?)
バーバラが動揺していると、アンジェラが小さな声で言った。
「いいえ……全く」
(嘘だ。私の天使はもう……)
バーバラは敗北したのだと感じた。もうローズは完全にアンジェラの手の中にあるのだと。バーバラはもうここから早く逃げ出したかった。
「嘘、ですわね」バーバラは手袋をはめながら言った。「誘惑して手玉にとったのでしょう?」
バーバラの傷心はひどかった。彼女は完全に手袋をつけ終えると立ち上がった。
「では、そろそろお暇いたしましすわ」声が震えるのを必死でかくして彼女はそう言う。
「あ、はい」ローズも立ち上がって、彼女を見送ろうとした。
(ああ、私の天使は奪われてしまった……)
絶望の淵にいるバーバラは最後にアンジェラを睨みつけてやろうとそばを通り過ぎるときにアンジェラを見た。
と、そこでアンジェラの襟元が目に飛び込んできた。正しくは襟の外側、ちょっとした刺繍の模様がついている。
それはレイラが自分の仕立てたドレスに必ず入れる刺繍で、かなり複雑な模様だった。模様の中にはレイラの名前が混ざっている。
バーバラはそれをはっきりと見て、目を疑った。
偽物?
確かに最近『House of Wiz』は偽物を作っていたことで有名になり、公式に謝罪した。彼らの作っていた偽物にはこの刺繍はなかったはず。けれど、これは……。
バーバラはとっさにアンジェラの襟元を掴んで、手繰り寄せじっと見た。
そうは見えない。
それに、アンジェラともあろう人が偽物を見分けられないはずがない。
いつの間にか、アンジェラの胸ぐらを掴むような形になっていて、ローズやアンジェラの付添が飛んできて、バーバラを引き剥がした。
「なんてことを!!」ローズはバーバラに言ったが、バーバラは見たものが信じられずにいた。
(……これは、確かめないと)
バーバラは何も言わず、ローズの屋敷を飛び出すと、馬車に乗って御者に言った。
「レイラの店に行って!」
「え? しかし……」御者は困惑した。
「いいから早く!」バーバラは叫んだ。
アンジェラの着ていた服は比較的あたらしいものだった。それに、アフターヌーンドレスだった。
レイラが、ボールガウン以外を?
しばらく馬車に揺られて、仕立屋『House of Wiz』についた。その店は首都で一番人気の店だったが、今ではそうではない。どうやら最近何かがあったらしい。
馬車から降りたバーバラは仕立屋のドアを開いた。
「いらっしゃいませ」店員の男性はバーバラを見て、その慌てように驚いた。「どうされました?」
「レイラはどこ?」
そう言うと、店員の男性は顔を真っ青にした
「何をおっしゃっているんです?」
「最近アフターヌーンドレスを作ったでしょ!? レイラはどこか聞いてるの!」
店員の男性は持っていた道具を落として後退った。
「知りません……知りません!! レイラは亡くなりました!! 貴女もご存知でしょう!?」
そんなことはわかっていた。だからアンジェラがレイラが仕立てたとしか思えないあんな新しい服を、それも、アフターヌーンドレスを着ていることが信じられなかった。
バーバラはあの刺繍を見た瞬間、目を疑った。
レイラはまだ生きているのだと思った。ボールガウンばかり作っていた彼女は好きな服をつくるために亡くなったと嘘をついて身を隠したのだと考えた。
だが、何だこの狼狽ぶりは。男性店員は呼吸を荒げて震えている。
「どうしてそこまで怯えているの? 私なにかしまして?」
バーバラがそう言うと、店員は首を横に振った。
「いいえ。なんでもありません」店員は手で口を塞ぎうつむいた。
バーバラはその様子をみてため息をついた。
「悪かったわ……、私動揺していたみたい」
そうだ、きっとローズがアンジェラに取られたことに動揺して、幻覚を見たんだ。
バーバラは目をぎゅっとつぶった。
「本当にごめんなさい」
そう言って、バーバラは店から出た。
◇サイド・アリス
(散々だあ。もうヤダあ。帰るう)
バーバラに胸ぐらを掴まれて脅されたと感じたアリスは半泣きだった。ここまで嫌われてたんだ。
アリスが項垂れているとローズが手をとった。
「大丈夫ですか? お怪我はありませんか?」
ローズは本当に心配そうにアリスを見ていた。というか取り乱しているようにも見えた。顔が真っ青でどこかアリスにすがりついているような感じさえあった。
「ええ、大丈夫」
「あの……私……困ったことがあったら力になるといったのに……なにもできなくて……それで……」ローズは今にも泣き出しそうだった。
泣き出したいのはこっちだ!
だが、彼女との関係が悪化してしまえばルークの寿命を伸ばす口実を作れなくなる。
アリスは彼女の手をとった。
「レディ・トムリンズ。気にしないでください。レディ・フリンクはきっと何か勘違いをしていたんですよ」知らないけど。
「でも……でも……」ローズはおろおろしっぱなしだった。
アリスはローズの頭をなでた。やっぱりどうも妹のような印象を受けてしまう。
(というか多分、私は妹がほしいんだと思う)
「へ?」ローズはキョトンとしていた。
「気にしないでください。貴女は悪くありませんよ」
「はい……ありがとうございます」ローズはうつむいた。
と、そこにルークがやってきた。
「どうしてふたりとも地面に座ってるんだ?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます