第16話 数字のルール


 夕食会まで2週間ある。その間普通のデビュタントであればいくつかの舞踏会に参加したり、食事会に参加したりするものだが、アリスは全くそんなことがなかった。招待状が破かれてしまっているのか、そもそも招待状が届かないのかということは全くわからなかったけれど、おそらく後者だろうという気がしていた。


 というのも、そもそもアリスの存在を知っている人は殆どいないだろうし、前回の舞踏会で盗人と踊るというやらかしをしてしまったし、それに盗人と踊らなくてもなんだか嫌われているような気がしていたからだった。


 というわけで彼女は暇だった。


 アリスは今日は本屋に来ていた。最近ワンダはルイーズたちに本を読ませてもらっているので、読書量が一気に増えていたのだ。ルイーズにワンダのステッキを持ってもらい、店を巡回させた。ワンダが遠くにいる間、アリスも本を物色していると、突然うしろから声をかけられた。

「ミス・カートライト?」


 振り返るとそこにはルークが立っていた。顔に書いてある数字は『112』になっていた。


 おかしい。どうして減るどころか増えてるんだろう。

「あの、私のことを覚えていますか?」アリスが黙っていたからだろう、ルークは少し不安そうに尋ねた。

「ええ。もちろん覚えていますよ、ロード・ストレンジ」


 そうアリスが言うとルークは微笑んだ。


 ルークは本を三冊持っていた。初めはスリーデッカーかと思ったがそうではなく、全部同じ本だった。誰かに配るんだろうか。

「よくこの店に?」ルークは尋ねた。

「いえ、今日はたまたまです」アリスが言うとルークはうなずいた。

「そうですか、あまり見なかったものですから」


 と、ルイーズが近くにやってきた。ワンダは本棚の方ばかり見ていてルークに気づかない。彼女はいい本を見つけたのか近づいてきてアリスに言った。

「ねえ、あの本にしようと思うんだけど」ワンダは少し高い場所にある本を指差した。

(今話してるんだから黙ってて)


 そう小声で言おうとした瞬間、ルークが言った。

「ご友人ですか? 取りますよ」


 ルークは背伸びをして本を取ると、ワンダに差し出した。


 ワンダは目をこれでもかってくらい開いてルークを見ていた。それはアリスも同じだった。

「あの……どうぞ?」ルークは更に本を前に出した。


 ワンダは本に手を伸ばして掴む素振りを見せた。


 ルークが手を離す。


 本はワンダの手をすり抜けて地面に落ちた。


 ルークは落ちていく本を見ていた。彼はしばらく床に落ちてしまった本をみて、それから、顔を上げた。

「まさか……ゆうれ――」アリスは慌ててルークの口を手で塞いだ。手袋の下でくぐもった音がなる。

「あ、ごめんなさい」アリスは彼から手を離した。「でも突然そんなことを言うので……」

「いや……悪かった。あまりにも驚いてしまって」


 ルークは目をパチクリさせてワンダを見た。ワンダはジリジリとアリスの後ろに隠れた。

「じゃあ、もしかしてこれも見えているのか?」幽霊が見えると知ってから彼の口調は完全に砕けていた。


 アリスはうなずいた。

「ええ。『112』になってますね。舞踏会では『110』……いえ、その前は『107』だったのに」

「そう、そうなんだ。君と詳しく話がしたい……ただ、ここでは……」


 ルークは周りを見た。アリスも見ると、店員も客もこちらをジロジロと見ていた。アリスはルークが落とした本をひろうと言った。

「あるきながらでも構いませんか?」



 歩きながら話すとは言ったが、家族に出会わないか少しビクビクしていた。確かシエナはこの時間、ずっと家にいたはずだ。大丈夫。アリスは深呼吸をした。


 広い公園の遊歩道を進みながら、アリスは尋ねた。

「あの、後ろからついてくるのは貴方が連れている幽霊ですか?」


 本屋を出たときから一人の男性がついてきていた。それは舞踏会のときにもいた従者らしき幽霊だった。

「そうだ。彼も見えてるんだったね。ドミニクだ」

「よろしく」彼は微笑んで言った。目が細くてほとんどつぶっているようにも見えた。柔和な印象を受けるが、何を考えているかわからないのもまた事実だった。

「何に取り憑いているんです?」アリスが尋ねると、ルークはステッキを持ち上げた。

「中に剣が入ってる。もともとは剣だったものをステッキに代えたんだ。特注品だよ」


 彼のステッキはよく見るとさやのような物がついていた。多分さやはそのままで剣の柄だけを作り変えたのだろうとおもった。そんなことをして、ついている霊が消えたりしないんだろうかと少し不安になった。

「彼はもともと騎士なんだ。死んだのはもう数百年前だと聞いてる」


 それにしてはいい服を着ている、と思ったが幽霊は結構簡単に服を着替えられるのだった。霊は服をイメージするだけで着替えられるらしい。どういう仕組みになっているのかはわからないけど。


 アリスのそばにいる霊たちはほとんど着替えないから忘れていた。

「それで……数字が浮かぶようになったのはいつから?」


 アリスが尋ねるとルークは指折り数えた。

「ええと、17のときかな。幽霊が見えるようになったのも同じ時期だ。突然誰か――いや何かか――に刺されて、目を覚ましたときにはこうなってた。大変だったよ」


 それはちょうど、ルークからの手紙がだんだん来なくなった時期にあたっていた。彼は続けた。

「『刺された』というのは本当に?」

「そう。剣かなにか、鋭利なもので胸をぐさり。燕尾服がだめになってしまった」

「じゃあ大怪我をされたんですね」アリスが言うと、ルークは首を横に振った。

「いや、それがそうじゃないんだ。服は破けて血の跡もあったが、怪我は一つもなかった。それが不思議なんだが」


 ルークは少し考え込むような仕草をしてから言った。

「ともかくそれからだ。この数字が現れたのは。初めは『15』だった。0時23分になると数字が一つ減る。多分それが刺された時間だからだろう。これが余命だと知ったのは、ある幽霊を見てからだ。同じように顔に『1』の数字が浮かんでいた。その幽霊のそばにしばらくいると、数字が『0』になって消えてしまった。俺は焦った。このままでは死んでしまう……」


 そこが気になった。毎日減るのであれば15日後には死んでしまっていたはずだ。でもいま彼は生きている。しかも余命が『112』まで増えている。

「毎日数字は減るのですね。ではどうして、今『112』になっているんです?」アリスが尋ねるとルークはうなずいた。

「そう。これだけが救いだ。人に触れると数字が増える。ただ誰でもいいというわけじゃない。初めて会った人に触れても数字は増えない。それに、家族であっても触って増えるのは1週間に『1』だけだ。どうやらある程度親しい人物でなければ数字は増えないみたいだ」


 そうか。だから増やすことができたんだ。でも……。

「それでも、増やすのは大変ではないですか?」


 ルークはうなずいた。

「ああ。毎日減っていくのに、一週間に一度しか増やすことができない。それに社交シーズンならいいが、それ以外の時期では多くの友人がリゾートやカントリーハウスに行ってしまう。一週間で考えると、まず毎日減る分で『7』必要だ。両親と妹で1週間に『3』ずつ、親しい使用人が4人いるから全部合わせてちょうど『7』。だがもし使用人が辞めたり、家族が旅行に出て触れる機会が失われたらそれだけで一年生きていけなくなる。なんとか頑張って親しい友人を増やして、今ようやく一年に『50』くらい増やせる様になったところだ」


 その親しい友人の中にはシエナが入っているんだろうなと思った。

「そうだ、ミス・カートライト。君に触れてもいいかな」

「え!?」と一瞬ドキッとしたが、寿命の話だろう。

「一度会ったばかりの人なのに増えるかはわからないんだけど」ルークはそう付け足した。


 アリスは手袋を外して手を差し出した。ルークも手袋を外し手に触れた。


 ドキドキした。

「どうかな?」ルークは尋ねた。


 そうだ、触れる喜びに浸ってないで数字を見ない……と……。


 アリスはぎょっとした。


 ルークの顔の数字が『162』になっていた。


 『50』も増えてる!!


 アリスの後ろでドミニクが言った。

「一年で増やせる量と同じくらい増えてるぞ!」彼の細い目が一瞬開いてドキッとした。

「は?」ルークはキョトンとした。


 アリスはルイーズに手鏡を借りてルークに手渡した。


 ルークは手鏡をじっと覗き込んだ。

「信じられない……。本当だ……」


 ルークは手鏡から顔をあげるとアリスに近づき、手をとった。

「ものは相談だが、毎週、いや毎月でもいい。君に触らせてくれないか!?」


 なんだか新手のプロポーズみたいな言葉だった。


 顔が近い!


 みんなに見られてるでしょうが!


 アリスは顔を真っ赤にした。

「離れろ、ばか」ドミニクがルークの肩をつかんで引き剥がした。


 ハッとしたルークが頭を振って言った。

「いや、すまない。あまりにも、その、嬉しくて」

「嬉しい、ですか?」アリスは赤くした顔をそらしたまま言った。

「だってそうだろう? 今までみたいに社交に奔走しなくて済む! 他の事に時間を使えるんだ! こんなにうれしいことはない!」


 アリスは目を細めてルークを見た。

(私だから嬉しいんじゃないのか!!)


 いや、まあ、それを期待するのは酷な話だ。ルークはアンジェラに数日前初めて会ったばかりなのだから。


 と、そこでアリスはふと気づいて尋ねた。

「あの……もしかして、さっきの言葉、女性でも構わず誰にでも言ってるわけじゃないですよね?」

「さっきのというのは?」ルークは首をかしげた。

「『毎週、いや毎月でもいい。君に触らせてくれないか?』って」

「いや……言ってない」ルークはそういった。

「数字が増える人なら言ってる」ドミニクがそう言った。


 アリスは憤慨した。

「な……な……なんですって!?」

(お前はそんな期待させるような言葉を誰にでも言ってるのか!! 私のドキドキを返せ!!)

「仕方ないだろ!? 俺だって死にたくないんだ! それに他にも理由があるんだ。重要な理由が! なんでそんなに怒ってる?」ルークは弁明した。


 アリスは深くため息をついた。


 それはわかるし、今アリスはアリスとして怒っている。アンジェラだと思っているルークにはこの怒りがわからないだろう。


 いや、アリスだったとしてもわからないかもしれないが。


 アリスはルークに近づいて言った。

「なんですか、重要な理由って?」

「それは……」ルークは黙ってしまった。


 咳払いをして言った。

「とにかく、いいですか? 毎週触らせてあげます。その代わり、他の人に――特に女性に『君に触らせてくれないか?』というのを禁止します! いいですね?」


 ルークは困惑した。

「しかし……」

「『50』も増えるんだからいいでしょ!?」


 アリスはルークを睨んだ。


 ルークは小さくうなずいた。

「わかった」


 アリスはため息をついた。手紙が来なくなったと思ったら女たらしみたいなことをしていた。


 なんとかしなくては……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る