第15話 アンジェラの活躍

◇ヒドルストンside



 ヒドルストンは誰の紹介もなくアンジェラやローズに話しかけていたがそれもそのはずで彼はこの場に誰一人として知り合いがいなかった。もっと言えば招待されたわけでもないし、男爵ですらなかった。


 彼は金に困った中流階級の男でしかなかった。そして、舞踏会に現れる物取りとは彼のことだった。彼は別の舞踏会で同じようにまだ勝手のわからない若い女性につきまとい、装飾品を奪って逃げていた。そして、それで捕まらないのも知っていた。


 令嬢たちは、男性と二人きりになったと吹聴されるより、装飾品を盗まれたほうがまだましだと考えていた。それをヒドルストンは知っていたのだ。卑劣な男だった。


 今日のカモはだれにするかと探していたところ、ローズが壁の花になっているところを見つけた。ローズは背が低く襲いやすそうだったし、それに、かなり豪華な装飾品をぶら下げていた。


 ヒドルストンはチャンスだと思った。どうやらシャペロンは具合が悪そうで、ローズを連れ出すことも簡単にできそうだ。


 初めのダンスで近づいて、様子を見てから二度目のダンスを踊り彼女を連れ出した。誰もいない場所に連れ出して、彼女の肩を掴み装飾品に手を伸ばした。


 と、彼女は抵抗して、腹を蹴り上げた。ヒドルストンはひるんだが、どうせ何もできまいとローズを追いかけた。


 と、その先に噂になっていた女性、アンジェラがいた。しかも、ローズに言った、

「どうせ、誰とも踊ってもらえないんだ! 俺とダンスを踊ってくれ」という言葉をアンジェラに言ったものだと勘違いされてしまった。

「あ……これは……」ヒドルストンは口ごもったが、そこで、アンジェラは笑みを浮かべ、驚くべきことを口にした。

「ええ、喜んでダンスをお受けします」


 ヒドルストンは焦った。こんなはずじゃなかったのに。アンジェラはすでにヒドルストンに手を差し伸べていた。ヒドルストンは先程のジェントリのフォックスを見ていなかった。だから、アンジェラといっしょに歩いたらどうなるかということを知らなかった。


 それ故に、彼は馬鹿なことを考えた。

(そうだ。このアンジェラから装飾品を盗めばいい。聞けばアレンシア人だというじゃないか。このネックレスも相当高価なものなんだろう。いくら見かけが恐ろしくても、盗んで逃げてしまえばこちらのものだ)

「お兄様……」と、ローズがつぶやいた。


 見ると一人の貴族が歩いてきていた。ヒドルストンはぎょっとした。


 まずい早く逃げないと。


 ヒドルストンは今すぐアンジェラがつけているネックレスを奪って逃げる事もできた。だが今逃げればすぐにこの男に捕まってしまうだろう。

(どうせローズは俺と二人きりになって襲われそうになったと口には出せまい)


 そう、焦ることはない。いつもどおりやればいい。


 ヒドルストンはアンジェラの手をとるとその場から逃げるように引っ張っていった。


 なんとか逃げ延びて舞踏室に入ると、まわりの目が冷たく突き刺さった。それはそうだ。紳士諸君は誰もがアンジェラと踊りたいと思っていた。だがそのオーラにやられて誰も近づくことができなかった。女性たちも話しかけたいと思っていたが同じ理由で遠巻きに見るしかなかった。


 それなのに、嫌がるローズを何度もダンスに誘うような、どこの骨とも知らないヒドルストンがこんな形でアンジェラとダンスを踊ることになるなんて。誰もが嫉妬をして、恐ろしい視線でヒドルストンを見た。


 空気が変わってあたりの気温が下がった気がした。アンジェラの手を引いて歩く間、ヒドルストンはすべての人間から睨まれている様なそんな気がしていた。というか実際、すべての人間から睨まれていた。真っ黒な嫉妬と恨みの視線がヒドルストンにグサグサと刺さっていた。彼はダンスが始まる前から疲弊していた。背中は汗でびっしょりだった。


 彼はアンジェラの手を強く握ってステップを踏み出した。


 ……まわりの人達がやけに近い。これでは衝突してしまう。


 と、突然ふくらはぎに激痛が走った。隣で踊る女性がヒドルストンの足を蹴り飛ばしたのだ。


 なにをする! とヒドルストンは彼女から逃げるように、アンジェラを軸に回転した。


 すると、次は背中を肘で殴打された。ヒドルストンはうめき声をあげて振り返る。背の高い男が刺し殺す視線でヒドルストンを見ていた。


 そこで彼は気付いた。これはアンジェラに近づいたから起こったことだ。アンジェラと踊っている間は攻撃され続ける。


 そう考えている間も脇腹や、後頭部など、様々な場所に攻撃を食らった。貴族だろうがジェントリだろうが、アレンシア人だろうが関係なく、すべての人が等しく攻撃を加えた。ヒドルストンはボロボロだった。これはアンジェラの怒りだと思った。彼女は群衆を操作して、盗みを働こうとした自分に制裁を加えているのだと思った。アンジェラは全部を知っているんだ!


 そんなはずはないのだけど。


 彼は足を止めて、ダンスを辞めた。

「あの……どうされました?」アンジェラが言った。まるでまわりからの暴力など見えていないような言い草だった。


 ……その実、アンジェラはダンスに夢中で見えていなかったのだけど、ヒドルストンがそれを知る由もない。


 アンジェラに近づいたことが間違いだった。もしかしたら、そのまえにローズに近づいたことそのものが間違いだったのかもしれない。

「ダンスの続きをしましょう?」

(まだ、制裁は足りないというのか!!)


 これ以上、地獄のダンスを踊るのは恐怖でしかなかった。曲がすすむにつれて痛みはどんどん増していった。耐えきれずに立ち止まったというのに、まだ足りないとアンジェラは言う。

(お願いです。勘弁してください)


 ヒドルストンは跪いた。それは半分はダメージのせいだったが。


 彼はアンジェラに頭を下げた。

「申し訳……有りませんでした……」


 曲が止まった。アンジェラが見下ろしてくるのがわかる。そして、群衆が槍のような視線で突き刺してくるのも。公開処刑をされる人物はこんな気持なのだろうと思った。今まさに首の上にギロチンが落ちてくるのではないかとさえ錯覚した。


 しばらくして、アンジェラが口を開いた。

「なにを仰っているのかよくわかりません」


 この謝罪では足りないというのか!?


 ヒドルストンは絶望した。このままでは群衆が暴徒となって襲ってくるのではないかと恐怖した。社会的な死どころじゃない。本当に死んでしまう。


 ヒドルストンは必死になって言った。

「申し訳ありませんでした! 私は今まで多くの盗みを働いてきました。舞踏会で盗みを働いていたのも私です。それに、そう、私は男爵ではありません! この舞踏会に招待もされていません! 申し訳ありません!!」

(申し訳ありません、申し訳ありません。だから殺さないでください!!)


 ヒドルストンは涙を流して懇願した。


 アリスのそばに――主催者の夫人だろうか――女性が歩み寄ってきて言った。

「ミス・カートライト。後は私が対処しますわ」


 アンジェラは彼女に頭を下げると、こちらを見た。


 その目には哀れみなど一切ない軽蔑の色が浮かんでいて、ヒドルストンは息ができなくなった。


 彼はその場に倒れ込んだ。




◇アリスside



 アリスは呆然としていた。ヒドルストンから突然謝られたが、何のことかわからない。

「なにを仰られているのかよくわかりません」


 ヒドルストンの顔は真っ白になって、それから必死になって罪の告白をした。


 アリスはそれを聞きながら思った。

(いやいや、知らないし)


 と、グレースが隣で震えながら言った。

「もしかしたら、この男、私のネックレスを盗もうとしていたのではありませんか?」


 アリスはハッとした。確かに舞踏会で盗みを働いていたとこの男は言った。


 なぜ罪を告白する気になったのかは知らないが、それは許せないことだった。


 そこに、レディ・デヴァルーが現れた。


 アリスは後の対処を彼女に任せ、ヒドルストンを睨んだ。

(絶対にそんな事させない)


 アリスはヒドルストンのそばにいるのも嫌になって彼から離れた。


 ヒドルストンが毒でも含んだように息をつまらせて、バタンと倒れたのを彼女は知らない。


 ペギーのところに戻ろうとすると先程の子供が近づいてきた。

「ミス・カートライト! あの、ありがとうございました!」


 彼女は目に涙を浮かべて頭を下げた。


 グレースはまだ少し震えながら言った。

「このレディ、きっとあの男に装飾品を奪われそうになってたのだと思いますわ。だから逃げてたのです」


 思い出せば確かにこの子は逃げていた。

「いえ、私はなにも……」というか、アリスも盗まれそうになっていたし。あの男が勝手に謝ったのだ。「とにかく、何もなくてよかったです」


 アリスが言うと、子供は少しハッとした。何を驚いているんだろう。

(……というかこの子供レディなの?)


 さっきグレースはそう言っていた。アリスは気になって少女に尋ねた。

「あの、失礼ですがお名前を伺っても?」


 少女は「あっ」と深刻なことに気づいたような表情をして言った。

「申し訳ありません! 私、トムリンズといいます。今年がデビュタントで……」


 アリスはその名前を聞いて眉間にシワを寄せた。

(え……そのファミリーネームって……)


 まさかとは思ったが、アリスは尋ねた。

「あの……もしかしてクリフォード公爵の?」

「そうです。娘です」


 やばい。


 やばいやばい。


 ルークの妹じゃん!!


 妹いたのか!?


 アリスは身を固くして、自分の状況を顧みた。


 アリスは一見するとローズを救ったように見える。それに自分の身を守ったようにも。


 だが待て。事情を知らない人間が見たらどう思うか。


 せっかくダンスを踊れたと思ったら相手は盗人で、しかも大声で罪を告白した挙げ句捕まった。裏を返せばアリスはこの場にいる全員に盗人と踊った女だと宣伝されたようなものだった。


 レディとは程遠い。


 だめだ、今会うわけには……。


 アリスが下唇を噛んでうつむきがちに考えていると、一人の男性が近づいてきた。

「ミス・カートライト。妹を救ってくれて感謝します」


 その声には聞き覚えがあった。


 アリスはギギギとぎこちなく男性を見た。カフスボタンはウサギの模様がついている。あの日のままだ。手にはステッキが握られている。背が高い。


 アリスは彼の顔を見た。


 そして、絶句した。


 そうだ。忘れていた。


 ヒドルストンにダンスを申し込まれたあの場所、ローズが逃げてきてアリスの後ろに隠れたあの場所に、他にも男がいたじゃないか。彼の顔には『107』の数字が入っていて、後で探そうと思ったのだった。そして、ローズはその時つぶやいていた。

――お兄様……。


 ローズは今、微笑んでアリスに彼を紹介した。

「紹介しますわ、ミス・カートライト。こちら私の兄のロード・ストレンジです」

「どうぞよろしく」


 ルークは手を差し伸べた。アリスは彼の顔を凝視したままその手をとった。


 ルークの顔には『110』の数字が浮かんでいた。

(待って、待って、どういう事? ルークは幽霊なの? いや、違う。彼はローズに紹介された。ということは生きてるはず。生きてるのに、どうして余命が……。しかも何でさっきより増えてるの!?)


 グレースも驚いた様子でなにかブツブツつぶやいていた。

「あの……私の顔になにかついていますか?」ルークはそう言って怪訝な顔をした。

「いえ……何でもありません」アリスはそう言ってルークから手を離した。


 ルークに聞きたいことが山ほどあった。手紙ではなんにも教えてくれなかった。もしかしたら、彼の手紙がだんだん送られて来なくなったのはこのせいなのかもしれなかった。


 アリスはルークをちらりとみた。


 どうやらルークは、アリスを完全にアンジェラという別人だと思い込んでいるようだ。あれだけ凝視したのに全く気づかない。


 幸いなのは彼がアリスを「盗人と踊った女」だと思っていないことだった。それどころか彼は感謝していた。


 これなら、アリスだとばらしても大丈夫。


 そう思っていた。

「それにしても、身分を偽って舞踏会に参加して盗みを働くとは」


 周りから声が聞こえてくる。

「盗みも重罪ですが、身分を偽るのも重罪ですよ」


 フットマンがヒドルストンを捉えて舞踏室から連れ出すところだった。彼は気がついていたものの項垂れて、表情がなかった。

「ミス・カートライトが気づかなければ大変なことになっていましたわ」


 一人の令嬢が言って、チラチラとこちらを見る人が増えた。


 やばい。本当にやばい。


 アリスはまたぎこちなくルークとローズをみた。


 ローズは尊敬の眼差しをアリスに送っていた。


 ルークは目をつぶり、小さくうなずいていた。


 やばい。


 今正体をバラしたら、お前もかって言われる。


 しかも最悪なことに、ヒドルストンが身分を偽っていると断罪したのがアリスだということになっている。人のことを糾弾しておいて自分も同じ罪を背負っているなんて最悪だ。


 ますます正体を明かせない。


 ヒドルストンとグルだったんじゃないかと言われる可能性もある。


 アリスは泣きたかった。何のためにここに来たんだ!!


 目の前にルークがいる。令嬢として教育を受けて、やっとの思いでここに来た。


 彼に自分がアリスだと言えばそれで終わりだったのに。


 アリスだって言えない!!

「ミス・カートライト。改めてお礼いたします。家にご招待してもよろしいでしょうか?」


 ローズがそういった。


 アリスは思った。ローズとの関係を続けていればいつか、ルークに本当のことを言える日が来るかもしれない。今関係は大事にしないと!!


 アリスはうなずいた。

「ええ。喜んで伺います」



 ローズの家から手紙が届いたのは翌日のことだった。問題なのはローズから、ではなくローズの家、つまりクリフォード公爵家から手紙が届いたということだった。


 ぜひ夕食にご招待したいというのが内容で、明らかにフォーマルな夕食会への招待状が入っていた。


 ペギーの家に届いたその招待状には『Miss Angela Cartwright』とだけ記載があって、シエナやグリムキャッスル伯爵家への誘いは書いていなかった。だが、家族を誘ってはいないとも書いていなかった。


 アリスは慌てた。


 もし家族と一緒になったら、バレちゃうじゃん!!


 家に戻ると、執事を捕まえて尋ねた。

「ローレンス! 二週間後の家族の予定はわかる!?」


 執事は少し気圧されたように言った。

「旦那様と奥様は夕食会に、レディ・シエナもご一緒するとのことでしたが……」


 アリスは目を見張った。

「どこの家の夕食会!?」

「……フォールズ侯爵家だったと記憶しておりますが」

「ああ」とアリスはため息をついた。

(よかった……)


 この生活は心臓に悪い。


 アリスは部屋に戻ると参加する旨の手紙を書いた。

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