第13話 舞踏会(レディ・ローズ・トムリンズ)
◇ ローズside
レディ・ローズ・トムリンズのデビュタントの毎日はそれはひどいものだった。他の令嬢よりも背が低く、幼く見られてしまう彼女は18歳ではあるものの、周りからは社交界デビューはまだ早いと思われていた。
デビュー前にいくつかの舞踏会に「練習」として参加した彼女は紹介された男性に、
「社交界に出るのはあと5年先かな」と言われた。彼は全く悪気なく、本心でそう言っていた。
ローズはこのままだと一生社交界デビューできずに、オールドミスになってしまうと考えた。それは両親も同じだった。
今年、シエナと同じように女王に謁見したが、それも失敗ばかりだった。宮廷へ向かう途中の馬車の渋滞で気分が悪くなり、名前が呼ばれるのを待っている間に手袋を落とし、ブーケを落とし自分のトレーンを自分で踏んづけて転んだ。いっしょに拝謁を待っていた女性たちはクスクスと笑っていて、それがいたたまれなかった。
いざ、舞踏会に出席すると、男たちの目はセクシーな女性、特に遠く海を渡ってきたアレンシア人に注いでいて、コルセットを付けても体の曲線がはっきりとしない(親には、コルセットつける意味があるのかしらと思われている)ローズは見向きもされなかった。というより、場違いだと思われていた。男たちは、「どうしてここに子供がいるんだ?」と思っていたに違いなく、目を潜めてこちらを見ていた。アンジェラが入ってくると皆が彼女を見て、そして、恐れ多く目をそむけるようになった。それでも、ローズは相手にされなかった。
ただ、そんな中でも一人の男性が近づいてきてダンスを申し込んでくれた。彼はヒドルストンと名乗った。爵位は男爵と言っていたが、ローズの母は知らないようだった。誰の紹介もなく突然話しかけてきた彼は若くはなかったがローズはダンスを受けた。
それが過ちだった。ヒドルストンは不自然に体を密着させたり、おかしなところに手を回したり、ひどく顔を近づけて鼻で深く呼吸をしたりした。なんだか気味が悪かった。というより怖かった。一曲終わると、彼は頬を紅潮させて言った。
「もう一曲踊ってくれないか?」
ローズはやはり怖くて、あるき出しながら断った。
「あの……他の女性に悪いです。まだ踊っていない方に声をかけてください」あくまで令嬢らしく、「独身男性は少ないのだから、壁の花になって踊れていない女性と一緒に踊ってあげてほしい」という理由をつけて断った。
「しかし、君は他に踊る人がいるのかい? 僕ならすぐに踊ってあげるよ」ヒドルストンはすぐに隣まで歩いてきて、ローズの腰に手を宛てた。背筋がぞぞと凍った。
「私のことはお気になさらず」
ローズはそう言ってあるき続け、シャペロンである母の元に戻った。ヒドルストンは諦めたのかそこまでは追ってこなかった。
「どうだった?」母は柄付眼鏡(ロルネット)を手で弄びながら言った。それを通してずっと見ていたならわかるでしょ、とローズは思ったが、母は今日は具合が悪そうで文句をいう気にはなれなかった。
「なんか、……怖かった」
「男の人はそんなものよ」
「お兄様もそうなの?」ローズは尋ねて、兄の姿を探した。少し離れたところに彼の姿があった。
ロード・ストレンジ、つまり、ルーク・トムリンズの姿が。
彼は数人の貴族たちとともに談笑をしている。
「ルークは……少し特殊だから」
「そう」ローズは言って、母の隣にたった。
ヒドルストンのダンスを断ったものの、他の男性は相変わらず目を潜めていた。女性たちは競争相手にもならないと思っているのか、どこか不憫そうな目をしていた。
ローズは自分だって一人のレディだと思っていた。社交界でのマナーだって身につけたし、会話が途切れないようにする工夫も身につけた。それに、外国語だっていくつか話せるまでになっている。狭い勉強部屋から外に出る準備はしっかりとしていたはずなのに。実際にできるか、実際にそれを発揮する機会が訪れるかは別だった。ローズは周りから認めてもらえない状況に心が暗く沈んでいくのを感じていた。
ローズはまた、アンジェラをみた。彼女こそが誰もが認めるレディなのだと思った。
ジェントリのフォックスがアンジェラと挨拶し、そのあと、壁の花になっていた別の女性をダンスに誘う一部始終をローズは見ていた。会話の内容は聞こえなかったが、アンジェラに報告するかのように、大きな声で壁の花の女性にダンスを申し込むのは聞こえた。
ローズの近くにいた令嬢達の会話が聞こえてきた。彼女たちも詳細な会話は聞こえていなかったはずだが、フォックスの顔はしっかりと見たようだった。
「ミスター・フォックスの顔見ました? あのレディを大変気に入ったように見えましたよ」
「ミス・カートライトよりも、ということ?」
「ええ、そうですそうです」
「ミス・カートライトはそれを見越して、ダンスを断ったのかもしれませんね。ミスター・フォックスに『あの女性が運命の方ですよ』と言ったのかもしれませんよ」
「まさか!」
令嬢たちはそう言って笑っていた。
アンジェラのようになれたらどれだけいいかとローズは思った。アンジェラは未だ誰とも踊っていないのに、この舞踏室で一番存在感があった。なのに、そこには力を持つ者特有の傲慢さなんて微塵も感じ取れなかった。それは、令嬢たちの会話を聞いても明らかだ。
アンジェラは輝きに満ちていた。
(私とは正反対だ)
そうローズは思った。
何曲か終わって、ローズがそれを痛感していると追い打ちをかけるように、ヒドルストンがまたやってきた。
「やあ、あのあと誰かと踊れたかい? 相手がいないなら僕が踊ってあげよう」
ローズの心は更に深く沈んでいった。彼女は周りを見たが男たちはこちらを見向きもせず、女達は不憫そうな目を向けるだけで何もしてくれない。ローズは母をみたが、彼女は言った。
「こう言ってくださるんだから、踊ってきたら?」
母はアレンシア人で、財産を持っていた。父は財産目的で母と結婚した。代わりに母は地位のために、父と結婚した。そこに愛なんてなかった。だから、きっとこんな状況でも、誰かと結婚できればそれでいいと思っているんだ。
ローズは震える手で、ヒドルストンの手をとった。
また恐怖の時間がやってきて、ローズは目の前が真っ暗になった。きっとこの先もこの男と踊り続けるんだ、怖くても結婚しなきゃいけないんだと思った。
やっとダンスが終わって解放されると思っていたら、ヒドルストンは強く手を握りしめて言った。
「のどが渇いただろう。喫茶室に行こう」
ヒドルストンはローズの返事も聞かずに手を引いた。ローズはそんなことはいいから早く彼から離れたかったが、手は強く握られてしまっていた。もしかしたらあざが残ってしまうかもと思うくらいだった。
ヒドルストンは相変わらず顔が紅潮していて、不敵な笑みが浮かんでいて怖かった。
ローズはうつむいて、飲み物を飲んだらすぐに喫茶室から離れようと思った。そればかり考えていた。
と、いつの間にか喫茶室ではなく人気のない廊下にいることに気付いた。ローズは誰とも踊っていないせいで喫茶室の場所がはっきりと分かっていなかった。別の道から行くものだと思っていたら、いつの間にかここにいた。
「え、こっちは違いますよ!」ローズは立ち止まって抵抗しようとしたが、ヒドルストンはぐいと彼女の手を引いた。
「痛い」
ヒドルストンの目は暗く光っていてローズは背筋が凍るのを感じた。
「来るんだ」
彼はローズを引っ張り、外に連れ出した。ローズは身をこわばらせる。
「嫌です! 離し……」ローズは叫ぼうとしたが、ヒドルストンが体を密着させて手で口を抑えた。
「いいか、ここには誰もいない。二人きりだ。もしこんなところを誰かに見られたら、君の評判には傷がつくそれはわかるね」
ローズはそれをよくわかっていた。アンジェラと同じように、レディである彼女は親から何度もそのことはいわれていた。
『ローズは純潔ではない』と一度噂が流れれば、もう結婚できないものだと考えたほうがいい。
男と二人きりになったとき何が起こるのか、具体的にローズがわかっていたわけではないけれど、なにか恐ろしいことが起きるのはわかっていた。
ヒドルストンはダンスのときとは違って力強くローズの肩を掴み、顔を近づけてきた。
ただただ、恐ろしかった。
ローズは体をよじらせて足をばたつかせ、ヒドルストンの下腹部を蹴り上げた。ヒドルストンはうめいてうずくまる。ローズはとっさに逃げ出した。誰かに見られる前に逃げないと!
「待て!」ヒドルストンは腹を抑えながら走ってきた。「お前とダンスを踊ってくれるのは俺だけだぞ!」
ヒドルストンが追いかけながら笑う声が聞こえてくる。
ローズは建物の中に戻って廊下を走った。
「ダンスの続きをするだけだ!」ヒドルストンの声が背中から聞こえてくる。
ローズは曲がり角を曲がった。その瞬間、ばったりとアンジェラと出くわして、ローズは慌てて立ち止まった。アンジェラの後ろにはシャロンが立っていた。
ローズはとっさに二人の後ろに隠れた。
すぐにヒドルストンの足音が聞こえてきた。
(あ、これで私の人生は終わってしまったんだ)
ローズはそう思って苦しくなった。アンジェラはきっと、噂を流すだろう。婚約もしていない男と二人きりでいたレディを彼女は赦さないんじゃないかと思った。
ヒドルストンは曲がり角を曲がると言った。
「どうせ、誰とも踊ってもらえないんだ! 俺とダンスを踊ってく……れ」
と、突然彼は口をつぐんで立ち止まった。アンジェラの姿に気付いたようで、面食らったように体をこわばらせた。
「あ……これは……」ヒドルストンは口ごもったが、そこで、アンジェラは笑みを浮かべ、驚くべきことを口にした。
「ええ、喜んでダンスをお受けします」
アンジェラはヒドルストンに手を差し出した。彼は目をひん剥いてそれをみていたが、急にアンジェラやローズの後ろに目を向けた。
ローズが振り返ると一人の男が立っていた。その人物を見て彼女は少しだけ安心した。
それは、ローズの兄、ルークだった。
「お兄様……」ローズがつぶやくとヒドルストンはぎょっとして、慌ててアンジェラの手をとり、そそくさと歩いていった。シャロンは訝しげにこちらを見ていたがすぐにアンジェラのあとを追った。
「ローズ、どこに行ってたんだ?」ルークは低い声で言った。
ローズは胸が締め付けられるような痛みを感じてうめいた。
「お兄様……お兄様ぁ……」ローズはルークの胸で涙を流した。
ローズは悔しかった。ヒドルストンを訴えたかったが、それをしてしまえば自分の純潔まで疑われてしまう。ローズはただ泣くしかなかった。
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