第11話 シャペロンを探しに

 2歳になったティオはひどく病弱だった。走り回って遊びたいだろうに、ずっとベッドにいて、咳き込んでいた。


 デビュタントであるシエナと違って暇を持て余していたアリスは、ティオと遊んであげることが多かった。血はつながっていないけれど本当の弟みたいに思っていた。ティオはアリスにとてもなついていて、部屋に行くと手を伸ばして顔を輝かせるのが可愛らしかった。


 ティオはグリムウィッチ伯爵を相続する存在だ。だから家族は彼に期待していたし、同時に、その病弱さを心配していた。


 それが、ある問題を引き起こしていた。


 シエナとサイモンとの婚約である。アリスは婚約などティオが生まれたときにとうに解消したと思っていたがそうではなかったらしい。社交シーズンが終わり季節が秋に変わったある日、シエナが父を睨んでいる現場に遭遇した。アリスたちはカントリーハウスに戻っていて、レイラが完成させた服は5つになっていた。アリスは廊下でドアの影からシエナとヘンリーの様子を眺めていた。

「どうして、まだ婚約を解消してはいけないのですか? ティオが生まれたのですからもういいでしょう!?」


 ヘンリーは小さく首を横に振った。

「だめなんだ。わかるだろ? ティオは……病弱なんだ。もしものことがあったときどうする?」

「それは……」シエナは下唇を噛んだ。


 もしティオが亡くなった場合、正式な相続人はサイモンに戻ってしまう。


 ヘンリーは以前からサイモンの行動を問題視していた。彼が相続した場合、たちどころに爵位は汚れ、失墜してしまうだろうと考えていた。だから、シエナと結婚させることでサイモンの行動を制限し、爵位を保とうと考えていたようだ。


 もし婚約を破棄してしまえば、それが叶わなくなる。サイモンとの関係は良好なままにしておかなければならなかった。


 シエナはボロボロと涙を流してヘンリーを睨んだ。

「私の幸せはどうなるんです?」


 ヘンリーは一瞬あっけにとられたが、すぐに手を握りしめて言った。

「それが……貴族なんだ。何をしてでも先祖がつないできた爵位を守る。お前がいればグリムウィッチ伯爵家は安全に引き継がれる。サイモンだけではだめなんだ。わかるだろ?」


 シエナは、肯定も否定もしなかった。彼女はヘンリーの前から逃げ出して、アリスが隠れていたドアの方へと歩いてきた。アリスは慌ててドアから離れて廊下を進んだが、見つかってしまった。

「聞いてたの?」シエナの言葉にアリスは立ち止まった。


 アリスが振り返ると、シエナは今まで見たことがないくらい、アリスを睨んでいた。


 彼女はふっと目をそらすと、廊下の向こうへと去っていった。




 アリスが舞踏会に参加するのは社交のためではなかった。ただ一つ、ルークに会って話をするということだけが目的だった。彼と会うのにふさわしい人物になるために服を用意して、グレースから教育を受け、ダンスを……まあなんとかなるくらいには練習してきた。


 残るはシャペロンだ。


 仕立て屋を探したときにグレースが

「未婚の若い令嬢がお供も連れず外出するなんて考えられません」

と言ったとおり、未婚の令嬢はどこに行くにも誰かがついている必要があった。その人物の事をシャペロンという。未婚の令嬢の社会的、肉体的純潔が守られているという証明である。父親や兄でも構わないが、恋愛の指南をするという意味では既婚の女性がふさわしいとされていた。


 シエナが舞踏会に行くときはヘンリーかアグネスがいっしょに行っていたと思う。


 問題は、アリスが舞踏会に行くときに誰がシャペロンになってくれるかということだった。ルイーズ達メイドではだめだ。誰か貴族の女性、それも貴族に顔見知りが多いほうがいい。舞踏会で浮いてしまうのは避けたい。

「グレースがついていけばいいじゃん」とダコタがいった。

「私はついていきますわ。でも、周りに見えませんでしょ? それじゃあ意味がありませんわ」グレースは呆れたように言った。

「ねえ、前から気づいてたけど、ダコタってアホの子?」レイラが小声でアリスに尋ねた。

「そうだよ」アリスは何でもないことのようにいった。


 と、その時ドアがノックされた。答えるとルイーズが手紙を持って入ってきた。

「あの、お手紙が届いてます」


 ルークから!?


 アリスは気持ちが高鳴るのを感じた。最近ルークからの手紙はものすごく頻度が落ちていた。2ヶ月に一回、ひどい時は4ヶ月も間があくことがあった。手紙で尋ねてもルークは何も言わなかった。


 ただ、隣の部屋にいるシエナの話を(ワンダが)盗み聞きしたところによると、舞踏会や正餐会には参加しているようだった。事故に巻き込まれたわけではないらしい。


 忙しいんだろうか。

「ありがとう」


 アリスが手紙を受け取ると、ルイーズは頭を下げて部屋を出ていった。


 いそいそと封を開いて、アリスはがっかりした。それはペギーからの手紙だった。


 内容は「あの薬を送ってほしい。礼は今度必ずする」とだけ。14歳のときに突然部屋にやってきたときに腰の薬を渡してから、こうしてときどき手紙を送ってくる。と言っても薬を送ってくれという連絡だけ。一度だって礼をされたことはない。


 グレースがその手紙を覗き込んでつぶやいた。

「ちょうどいい機会ですわね」

「何が? 私はルークからの手紙だとおもったのに」アリスが膨れるとグレースは言った。

「シャペロンですわ。ザ・ドウェージャー・レディ・グリムキャッスル(The Dowager Lady Grimcastle。つまりペギーのこと)にシャペロンを頼むのです。『礼は今度必ずする』と書いてありますでしょ? きっと力になってくれるはずですわ」


 アリスはペギーの姿を思い出した。人と話しているのにいつの間にか寝てしまったり、アリスの名前を忘れてたり、はっきり言って頼りなかった。


 だが、他にシャペロンを見つけられるかというとNOだ。


 アリスは深くため息をついて言った。

「わかった。頼んでみる」


 手紙を送るとすぐに返事がきた。『動くのが大変だから来てほしい』というのが内容だった。こんなので本当に大丈夫なんだろうか?


 馬車に揺られること一時間。今日はいっしょにグレースとワンダを連れていた。グレースは令嬢としての補佐のために、ワンダはペギーの病状を見せるために連れてきた。荷物を持ってくれるのはいつもどおりルイーズだった。


 アリスはペギーの家にたどり着いた。グリムキャッスル伯爵家のタウンハウスに比べればかなりこじんまりとした屋敷だが、金はかかってそうだった。庭の手入れはしっかりとされている。きっとガーデナーが優秀なのだろう。ベルを鳴らすといつぞやのメイドが現れてアリスを客間に案内した。

「ああ、ええと……アンジェラ?」ペギーはまたもや間違ってそういった。

「アリスです」アリスはため息を吐くとペギーの前にある椅子に座った。

「そう、そうね、アリス。シャペロンが必要と言っていたけど? 貴女のお母様でよろしいのでは?」

「それは……、あの、お祖母様。お父様には内緒にしてほしいのですけど……」アリスは今までの経緯を話した。社交界に出さないと言われたこと。社交界にはっきり出ずとも、舞踏会には参加してある人物に会いたいこと。流石に幽霊の話はしなかったけど、とあるつてを使って令嬢としての教育は受けたことも言った。


 ペギーはうなずきながら聞いていた。

「そう。ヘンリーがね……。話はわかったわ。いいでしょう。貴女の舞踏会についていってあげる」


 アリスは顔を輝かせた。「ありがとうございます!」

「ただね、困ったことがあるの」

「何でしょう?」

「舞踏会に『アリス・スティーブンス』という名前で出れば、すぐにヘンリーが気づくわ。社交界というのは狭いのよ。たちどころに貴女の情報は色んな所からヘンリーに届くでしょうね」


 グレースを見ると眉間にシワを寄せてうなずいていた。

「じゃあ、どうしたら……?」

「身分を隠して別の名前で出ることね」

「そんなのバレたら!」

「ええ、バレたら大変なことになるでしょうけど、でも貴女の目的は『ある男性に会いに行く』ことなんでしょう? 他の人には身分を隠して、その人にだけは本当のことを言えばいいわ。全員に本当のことを言う必要はないの」

「男ってバレてるね。長年の勘だね」ワンダが笑みを浮かべて言った。

「じゃあ、私は誰になればいいんです?」

「そうね。アレンシア人だと言えばいいわ。遠く海を渡ってやってきて、こちらの社交界で貴族を捕まえるつもりの金持ちという身分ね。名前は……アンジェラ・カートライト」

(アンジェラはいっつもあんたが間違える名前でしょうが)


 と思ったがこれまた黙っていた。

「それでいいかしら」


 アリスはグレースをみた。

「まあ、しかたないですわね」


 アリスはため息をついて、うなずいた。



 そして翌年、アリスは17歳になった。

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