第10話 仕立屋を探しに
それから、ルークとは何度も手紙を交わした。手紙の内容は近況報告だったり昔の思い出だったり他愛のないことだった。手紙を交わしてからしばらく経った頃、突然、返信のペースが落ち始めた。もしかしたら忙しいのかもしれないと思った。
アリスは何度もルークと会う約束をするか迷った。でも、今の自分はまだルークに会うにはふさわしくないとあきらめた。
気がつけば、アリスは16歳になっていた。
アリスが16歳ということは、シエナがデビュタントの年だということだ。
社交シーズンを迎えると、グリムキャッスル伯爵家は首都ドルヌーンにあるタウンハウスに移った。シエナは女王陛下に拝謁を賜るために宮殿へと向かった。一部の貴族を除いて謁見は先着順だった。また、女王陛下はすでに高齢ですぐに奥に下がってしまうために、直接謁見したい令嬢たちの馬車の行列で、宮殿へ続く通りはごった返した。
シエナはお辞儀の練習を何度も何度もしていて、この日に向けて準備をしていたけど、アリスには関係のないことだった。もちろん、これは「
と、そこでアリスは気づいた。
「ねえ、服、どうしよう……」
アリスは女王陛下に拝謁を賜ることはないが、それでも舞踏会に出るのであれば相応の衣装が必要だ。
グレースはああ、とつぶやいて考え込んだ。
「そもそもお金がないのですわ。私がデビュタントの時は90ポンド(約216万円)の小切手をもらいましたけど、足りませんでしたし」
「そんなに何に使ったの?」アリスは怪訝な顔をした。
「いろいろですわ。服だけではなく、交通費もいつも買ってる本も全部そこから出しましたから」
アリスは腕を組んだ。
「どうしよう」
「それにもう一つありますわ。いつも服を仕立ててもらってる店は使えません。アリスだけではなくて、レディ・シエナも服を作っていただいてるでしょう? バレますわ」
グレースがそういって、アリスは唸った。
「こんなところで躓くとは」
「まずは仕立て屋を探すことですわね。そこで必要な金額を聞いて、お金を集める方法を考えるのがよろしいとおもいますわ」
アリスはうなずいた。
「外出なんて珍しいですが、今日はどちらに?」
ルイーズが辻馬車のなかでそういった。
「未婚の若い令嬢がお供も連れず外出するなんて考えられません」とグレースが言うので渋々ルイーズを連れてきたのだった。アリスの隣にはグレースも座っている。
首都の道路は広くて、馬車が何台も走っていた。アリスは窓の外に向けていた目をルイーズに戻して言った。
「ちょっと仕立て屋を探しに」
「仕立て屋、ですか?」
アリスはうなずいた。馬車を走らせている御者には「知っている店でいいから連れて行って」と話していた。御者は「じゃあ『House of Wiz』ですかね」と言って馬車を走らせた。
「他に知ってる店はある?」
そう尋ねるとルイーズは少し考え込んでから首を横にふった。
「いえ私はあんまり詳しくないんです。でも『House of Wiz』は有名だって聞きますよ。なんでも女王陛下に認められた仕立て屋がいる、とか」
そんなに有名なんだ。アリスは小声でグレースに「知ってる?」と聞いたが、彼女は知らないようだった。多分彼女が死んだ後に有名になった仕立て屋なのだろう。
そうこう話しているうちに馬車が止まった。
『House of Wiz』の窓ガラスの向こうには美しいドレスが飾られていた。店の前に一人の少女が立っていて食い入るように中を除いていた。ちらりと見るとその頬には『20』の数字が浮かび上がっていた。
「死んでますわね」グレースが囁いた。
通行人が少女に近づいていく。彼は少女の姿に気づいていない、というか、見えていない。通行人は少女を通り抜けた。が、少女も通行人も全く気づかず、彼は歩き去ってしまった。
『20』の数字は余命を表していた。
幽霊のルール、その6。死んで幽霊になると顔には『30』の文字が浮かび上がる。一日経過するごとに数字は減っていき、『0』になった瞬間、世界から存在が消えてしまう。
グレースたちがどうして3ヤードしか動けない制限があるにもかかわらず物に取り憑いたのかというと、そうしなければ消えてしまうからだった。
この少女は消えてしまう。けれど、きっと未練がないから取り憑いていないんだとおもった。
未練というものを知る前に死んでしまったのかもしれないけど。
アリスは彼女をこの世に引き止めることもできた。だがそれが、未練のない少女にとっていいこととは限らない。
アリスは彼女から目をそらして、店に入った。
店内にはたくさんの布が置かれていた。棚には他にも――この店員の家族だろうか――写真や小さな箱などいろんなものがおいてあった。棚の近くに一人の女性が立っている。客だろうか?
対応したのは店員らしき若い男性で、かなり緊張した様子だった。
「いらっしゃいませ。どのようなご用件で?」もしかしたらまだ仕事になれていないのかもしれないと思った。彼は視線をさまよわせて、両手を開いたり閉じたりしていた。
「あの、ボールガウンを仕立てるとなるとどのくらいの値段になるのか教えていただける?」
「生地にもよりますが……少々お待ちを」男性は店の裏手に回った。
先程から棚の近くにいた女性が振り返ってアリスのそばに近づいてきた。
「この人スタイルいいなあ。真紅でもいいしオレンジでも似合うだろうな。ここをこうして」何を考えているのかわからないが、女性はアリスの胸に触れた。
「ちょっと、なに!」
「え?」その女性とルイーズが首をかしげるのが同時だった。
「え! なんで触れるの? というか見えてるの!?」
「あ」店員だと思っていたがどうやら幽霊だったらしい。顔に数字がないということはなにかに取り憑いてるんだろう。
アリスには幽霊と人間の区別がついていなかった。そのくらいにははっきりと見えていた。
(こういうときに困る)
そこでアリスは気づいた。
まずい。幽霊に話しかけてるの見られた!
アリスはルイーズを振り返って慌てていった。
「虫がね、虫が飛んでたの!」
「ああ、そういうことですか」ルイーズは呑気にそういった。アリスはホッとして、グレースをみた。
「私が説明するんです?」アリスはうなずいた。
「はじめまして、私はグレースといいます。貴女と同じ幽霊ですわ……」幽霊の女性は目を見開いたままグレースの説明を聞いていた。
と、男性店員が生地をいくつか持ってきて言った。
「こちらの生地ですと少なくとも20ポンド(約48万円)、『フェデフルー』ですと200ポンド(約480万円)ですね。『フェデフルー』はレイラという仕立て屋が作る最高傑作ですよ。舞踏会で注目されること間違いなしです」
アリスは驚愕しすぎて固まってしまった。それはルイーズも同じだった。
「20ポンド……私の年収……」彼女はそう小声でつぶやいていた。
グレースが90ポンドを使い切ってしまった理由がよくわかった。ドレスだけであれだけするんだ。手袋や帽子、他の装飾品を買ったら大変なことになる。
アリスは生地を見るふりをしながら考えた。まずい、そんなお金どこから出るんだ。
と、グレースが戻ってきて言った。
「あの幽霊、もともとここの仕立て屋だったみたいですわ。名前はミス・レイラ。そこにある裁縫箱に取り憑いてるみたいです。なんでも女王陛下から賜った物らしく大切にしていたそうです」グレースは棚を指差した。そこにあった箱は金属でできていて、本のように見えるくらい薄かった。多分必要最小限のものしか入っていないのだろう。
ルイーズが言っていた『女王陛下に認められた仕立て屋』というのは彼女のことだったんだ。
「あの、ここから離れられるってホント!? 全然動けないし、服も作れないしでうんざりしてたの!! もっと服を作りたいのに!!」レイラはグレースの後ろからそういった。
グレースは顔をしかめてから言った。
「それと、どうもこの店員怪しいですわ。『フェデフルー』というのはミス・レイラが仕立てた服のことを言うようなのですが、ミス・レイラはすでに亡くなってますし……。いったい誰が仕立てているのでしょうね」
「こいつ私の作った作品を勝手に使って商売してんの!! そうしないと店が潰れちゃうし、それに適当なものでも売れるからって客を騙してるの!! 私を生きてることにして!! ムカつくったらないわ!! それにあの裁縫箱!! 宣伝のために使ってんだよ!? 大切なものなのに!!」
レイラは憤慨していた。
つまりこういうことだ。この店はレイラの存在ありきで成り立っていた。ある日レイラは事故か何かで亡くなった。この店員――多分店長だろう――は困った。このままでは路頭に迷ってしまう。そこで、彼はレイラを生きていることにして『フェデフルー』というシリーズを売り続けた。
この店で服を作ることはないだろうな、とアリスは思った。
ただ、『フェデフルー』がボッタクリとはいえ、最初言っていた20ポンドがボッタクリなのかどうなのか判断がつかなかった。それに、レイラを連れて行ってどうするかについてもグレースと相談したかった。
アリスは一度外に出ようと思った。ここでいくら小声で話そうともグレースとの会話は聞かれてしまう。一度外で話をしてから決めよう。そうしよう。
「ありがとう。今日は下見だったの。少し考えます」
アリスはそういってレイラをおいて一度店を出ようとした。
「ちょ! ちょちょちょちょ! ちょっと待ってよ! おいてかないで!!」
レイラがアリスの腰にしがみついた。アリスは気にせず進もうとした。
(今は説明できないの!! 幽霊と話してるってバレちゃうでしょ!! ちょっとまっててよ!!)
と、その時だった。
棚の方からキキキと音がした。振り返ると店員もそちらを見ている。アリスが一歩すすむ。また、棚で音がする。
どうやらレイラの裁縫箱が動いているようだ。店員は顔を真っ青にしている。
なんで……。
グレースが少し考えてから、一度棚の近くまで歩いていって、確認するような仕草をした後、戻ってきた。
「ちょうど行動制限の3ヤードみたいですわ。私も裁縫箱の場所から先に進めませんもの。多分ミス・レイラがしがみついた状態でアリスが動いているので、行動制限を越えてしまった結果、裁縫箱が動いているのではありません? こんな現象初めて見ましたわ」
つまりこういうことかとアリスは考えた。3ヤードの行動制限とは鎖みたいなものだ。鎖に繋がれた犬がいて、鎖の先は重い箱につながっているとする。普通犬は重い箱を動かせず3ヤードの範囲でしか動けないが、アリスが犬といっしょに鎖を引っ張ってしまったために重い箱が引っ張られて動いてしまった。
アリスは更に一歩すすむ。裁縫箱がカタンと音を立てて動いた。
「な……なんで……」店員はひどく狼狽している。
アリスはルイーズをみた。彼女も怯えたような顔をしていた。
「あの……この店早く出ませんか? なんか……幽霊みたいなのがいませんか?」
「幽霊!?」店員はぎょっとしてこちらをみた。
「呪われてるんじゃ?」ルイーズが言った。
「呪い!?」店員は更に目を見開いた。
これ以上言うと文句を言われかねない。アリスはルイーズの肩に手をおいて言った。
「ルイーズ、先に馬車に戻っていて」
「でも……」ルイーズは棚にある裁縫箱をみた。
「大丈夫、すぐに行くから」
ルイーズは逡巡したが、うなずいて店を出た。
扉が閉まるとアリスはその場で振り返り、店員に言った。
「そこにある裁縫箱、頂いてもよろしいかしら」
店員はずっと裁縫箱を見ていたが、アリスの方を向くと、首を大きく横に振った。
「だめです! あれはレイラの大切なものなので……」
「ミス・レイラは死んだでしょ?」
アリスが言うと、彼は目を見開いた。
「え……死んでなどいません。まだ働いています」
頑として聞かないらしい。
レイラは連れて行こう。何をしてくれるかとか、ワンダたちとうまくやっていけるかとか、この際考えずに。
アリスは一芝居打つことにした。男を怯えさせれば、呪いの品である裁縫箱を手放すだろうと思った。
「じゃあ、どうしてその裁縫箱、動いているの?」
アリスはレイラを少しだけ引っ張った。また、裁縫箱が動いて、棚から落ちそうになる。
「それは……」
「ミス・レイラは怒ってる。『フェデフルー』って作品を使って客を騙して商売していることを怒ってる。呪われちゃうよ?」
男は更に怯えた。
(よし、これで裁縫箱を手放すだろう)
アリスはそう思って言った。
「呪われたくないなら、その裁縫箱頂戴」
男は怯えていた。だが、恐怖よりも欲のほうが強かった。
「だめだ!! これがないと店の権威が!!」
男は棚の方へと駆け出した。悪魔に魂を売って恐怖の中でも商売を続けることに決めたようだった。
(だめ! 奪われる!)
アリスはとっさに、思いっきりレイラを通りへ突き飛ばした。
「ぐえ!」レイラが呻く。
棚とは反対方向へ突き飛ばされたレイラの体は扉をすりぬけて飛び出していった。
反対に、強く強く引っ張られた裁縫箱が棚を飛び出して宙を舞い、アリスの方へと飛んでくる。アリスはなんとか手を伸ばして、裁縫箱を掴んだ。
棚の方へと走っていた男は宙を舞う裁縫箱をただ呆然と見つめていた。
アリスは裁縫箱を抱きしめた。
「どうして……どうやって……」男は震える声で言った。
「レイラが投げたのよ」正しくはレイラを突き飛ばして引っ張った、だけど。
「そこにレイラがいるの。彼女は貴方を睨んでる」
そういったとき、レイラが通りから店に入ってきた。彼女が睨んでる相手はアリスだった。
「ひどいじゃん! 突然、突き飛ばすとかさあ!!」
男は棚から後ずさった。まるで本当にそこに幽霊が立っているかのような仕草だった。
「この裁縫箱を店から出せば彼女は出ていくって言ってる」これは本当。というか出ていかざるを得ない。
「持っていくね」
アリスが言うと、男は項垂れて、うなずいた。
通りに出ると、ルイーズが心配そうに言った。
「大丈夫ですか……って、え!!」彼女はアリスが持っている裁縫箱を見て仰天した。
「なんでそれ持ってるんですか!! 捨ててください!!」
「だめ! これは大事なものなの」
アリスが言うとルイーズは半泣きになった。
「怖いです! 呪われます!」
「大丈夫! 悪いのは全部退治したから」そして今、店の中で項垂れている。
ルイーズは「ううう」と唸ったが最後は折れた。
「わかりました。そこまで言うなら」
こうしてアリスのもとにレイラがやってきた。
タウンハウスの部屋に戻るとワンダたちがぎょっとした。
「仕立て屋見てきたんじゃないの? なんで幽霊連れてきてんの?」
「仕立て屋の幽霊を連れてきたの」アリスはそう言ってレイラを紹介した。
アリスはレイラの裁縫箱を机の上においた。
「開いてみていい?」尋ねるとレイラはうなずいた。
「いいよ」
中には銀でできたハサミや指ぬき、ナイフなどが入っていた。蓋の裏には金属の入れ物のようなものがついていた。
「これは?」
「中に女王陛下の髪の毛が入ってる」
レイラは本当にすごい仕立て屋なんじゃないかと思った。
お金がないと言っても、それは「服を仕立てる」とか「装飾品を買う」とかいった社交界に出る準備をするための行動にたいしてヘンリーがお金を出してくれないだけで、それ以外なら上流階級と同じように買い物ができた。
つまり、こういうことだ。
「だれだ、ミシンなんか買ったのは」ヘンリーが怪訝な顔をしていた。ちょうど店員が家にミシンを運んできたところだった。店員の対応はもちろんアグネスがやっていてヘンリーは見ているだけだった。店員は少し困ったような顔をしていた。
アリスは裁縫箱を持って近づいていった。レイラがミシンをみて
「これこれ、使ってみたかったんだ」
とはしゃいでいた。
アリスはヘンリーのそばに行くと言った。
「私が買いました。生地もいくつか。家で過ごすのに暇なので裁縫でもやろうかと。屋敷の中であれば好きに暮らしていいんですよね?」
ヘンリーはアリスをちらと見て「まあ、いいだろう」とつぶやき、ミシンを受け取るサインをした。
ルイーズたちにミシンを運んでもらい自分の部屋に設置すると、レイラが早くしてくれと言わんばかりに近づいてきた。
「もういくつか考えてるんだ! いままでボールガウンばっかり作らされてたから、今度つくるのはアフターヌーンドレスに決めてる!」とかなんとか。
すでに採寸は済ませていた。というか採寸させるまでレイラが騒ぐので渋々やらせた。アリスがメジャーを自分であてて、レイラがそれをみて採寸する。今度からはルイーズたちにやってもらおうと思った。
ルイーズたちに出ていってもらった後、レイラに憑依させると、手際よく準備を初めた。弾丸みたいな形をしたボビンに糸を通してミシンにセットし、ペダルを踏んではずみ車を回す。カタンカタンと音がなって針が落ちる。鮮やかな手際でみるみるうちに胴体部分が作られていく。
この分ならすぐに服は出来上がるだろう。
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