閑話 ルークへの手紙


 手紙を出そうと『Dear Load Strange』と書いたはいいものの、ルークに何を書いたらいいのかわからず筆が進まなかった。


 よくルークと会っていたあの頃はサイモンにいじめられることが多かったし、ルークはといえばシエナに捕まえられてずっと彼女のそばにいた。だから、アリスとルークがいっしょにいる時間なんてそんなに多くなかったんじゃないかと思う。二人で話したことなんて数えるほどしかないんじゃないかと。


 それでもルークとの思い出が無いわけではなかった。


 アリスは手紙にこう綴った。

『むかし、と言っても4年か5年くらい前、森の中でかくれんぼをしたときのことを覚えていますか? ――』



 その時、アリスは10歳でワンダたちは連れていなかったと思う。


 忘れもしない、その時、鬼はシエナだった。


 アリスはいつも決まった場所に隠れていた。少し離れたところに体が収まる木のうろがあった。アリスはしばらくそこにいた後、そこから出てわざと見つかるようにしていた。すぐに見つかる場所にいると叩かれるし、全然見つからないとまた叩かれたからだった。


 シエナのカウントが終わって動き出したのがわかった。少し離れたところで鳥が飛び立って草むらを揺らした。誰かが動いたのかもしれない。シエナはそちらに向かって走り出した。


 彼女が戻ってきたら少し飛び出してつかまろう。いつものようにそうすればいい。


 しばらくしてシエナが戻ってきた。収穫はなかったようだった。


 アリスは木のうろから出て立ち上がった。今のままでもよく探せばシエナはこちらに気づくはずだったが、キョロキョロとあたりを見回すばかりで見つけられないようだ。


 仕方なくアリスは動き出した。

(木の陰を回っていこう)


 そう思って歩いていくと、そこに男の子がしゃがみこんでいた。最初誰かわからなかった。というのも彼は上着を脱いで頭にかけていた。

(もしかしたらサイモンかも)


 そう思って後ずさったとき、小さな音がして気づかれてしまった。


 彼は驚いた顔をして振り返った。


 ルークだった。


 アリスの顔を見ると彼はホッと息を吐き出した。

「なんだ、見つかったかと思った」ルークは小声でそういった。


 ホッとしたのはアリスも同じだった。


 というか、どうしてそこまで真剣にかくれんぼをしてるんだろうと思った。彼は12歳で教育だってちゃんと受けている歳だろう。それにいつも大人っぽくてサイモンとは比べ物にならないくらいしっかりしている印象を受けていた。かくれんぼをするのも、他の子供達に合わせてのことで、適当に参加しているのだとばかり思っていた。


 思えば彼が遊んでいる姿をしっかりと見たことはなかった。それはいつもサイモンやシエナに邪魔をされて、アリスが自分のことで手一杯だからだった。

(そうなんだ。彼もまだ子供なんだ。私と同じ……)


 そう思うと、今までものすごく遠い存在だったルークがすぐ側に感じた。


 ルークはアリスに手招きをした。すぐに見つかるつもりだったアリスは悩みながらゆっくりルークに近づいていく。

「あ、まずい!」ルークは小声で言うと、アリスの手をひいて抱き込んだ。どうやらシエナがこちらを振り返ったらしい。


 自然、ルークに抱きしめられる形になって、アリスはびっくりして硬直した。ルークは顔を上げて、シエナの様子を観察している。アリスはそれどころではなかったけど。


 バクバクとなる鼓動の音が、彼のものなのか自分のものなのかわからない。温かい彼の体温と、柔らかな匂いに包まれて、更に心臓が跳ねるのを感じた。


 しばらくして心地よい束縛が解かれた。ルークはあたりを見回して息を吐き出した。

「もう、大丈夫みたいだ」


 ルークは抱きしめたのが全然何でもないことのようにそういった。アリスはずっと固まっていて、動くことができなかった。というか、ルークと顔を合わせられなかった。


 彼はアリスのそのすがたを見て、ようやく自分のしたことに気づいたのか、少し焦りだした。

「ごめん、急に。びっくりしたよね」


 びっくりとかそういうレベルではなかった。身も心も突然近くなってしまったような気がして、アリスは軽くパニックに陥っていた。


 ルークは「ああ」と項垂れて言った。

「サイモンみたいなことはしないようにしてたのに……。これじゃあいじめてるみたいだ……」


 アリスははっとして顔をあげた。

「違います! あの人とは全然! ちょっとびっくりしただけです」


 アリスの様子をみて、ルークはホッとした顔をした。

「そうか、良かった」そこでルークは一瞬口ごもった。

「どうしました?」アリスが尋ねると、ルークは言った。

「俺は君に何もしてあげられない。サイモンたちに意地悪されてるのに。誰も君を助けてくれない。君は一人ぼっちじゃないか」


 もしかしたらこのときアリスはルークのことを想い始めたのかもしれない。彼は自分の事を考えてくれている。そんな人、ワンダ達以外で今までいなかったから。


 アリスは少しだけ微笑んで言った。

「いいんです。私は大丈夫」

(それに、ひとりじゃないから)


 アリスは立ち上がって、草むらから移動した。

「ちょっと……」ルークが止めようとしたが、アリスは気にしなかった。

「あ、みっけ。なんだ、アリスか」シエナは面白くなさそうにそういった。


 アリスが振り返ると、ルークの姿は消えていた。うまく隠れたんだろう。



 手紙を書き終えるとアリスはダコタをよんだ。

「ねえ、新しく香水作れる?」


 ダコタはうなずいた。

「ルークに送るために使うんでしょ? いいよ。考えてたのがあるんだ」


 彼女はにっこりして言った。


 ダコタはただの匂いフェチというわけではない。色んなものが混ざっていても匂いを嗅ぎ分けられるくらい鼻が良い。そして、生きている時はそれを特技に仕事についていた。


 彼女は調香師だった。香水を作るのが彼女の仕事。


 ダコタはアリスに憑依すると、机の上に木箱を載せて開いた。中には何本もの瓶が入っていて、それぞれにラベルがついている。いくつかは買ってきたものだが、ワンダが栽培している薬草やガーデナーからもらった花から作ったものも多い。


 そういう意味でダコタとワンダは気が合うところがあった。何と何を混ぜると香りが変化する、というのを知っているダコタに対して、ワンダはそれは物質が混ざって反応するからだと知っている。薬品づくりが得意なワンダは同じように、保存が効く香水のベースを作るのも得意だった。

「ああ、これなくなってきたから、また作らないと」ダコタはワンダに言った。

「それ作るの大変なんだけど」ワンダは廊下から顔を出して言った。また廊下にでてウロウロしていたらしい。


 ダコタが匂いを吸い込むたびに、アリスも同時に吸い込むことになる。一滴混ぜるだけでかなり匂いが変化してびっくりする。


 しばらくして、香水が完成した。なんだか複雑で、よくわからない匂いだった。

「これでいいの? なんか全然ぱっとしない匂いだけど?」アリスは眉間にシワを寄せた。

「時間が経てばちゃんとした匂いになる。空気に触れると匂いが変わるんだよ。人につけるための香水じゃなくて紙につけるための香水だからちょっと工夫しているし」


 アリスはうなずいた。色々考えてるんだ。


 手紙に新しく作った香水をつけ、封筒に宛名を書こうとして悩んだ。

「グレース。封筒の宛名って『Load Strange』でいいの?」ルークが自分の事をそう言っていたのを思い出して尋ねた。


 グレースは封筒をのぞきこんで言った。

「だめ。儀礼称号で書かないと」

「ルークも言ってたけどそれってなに?」

「伯爵以上の貴族なら、父親がいくつか爵位を持っているときに長男はその中から選んで名乗れるの。ルークはクリフォード公爵家の長男で父親がストレンジ侯爵の爵位も持っていたから、それを名乗ってるってわけ」

「じゃあ宛名は『The Marquess of Strange』?」

「The は無し。儀礼称号だから。訪問カードにもそう書かれてるでしょ?」


 アリスは小さくうなずいて封筒に宛名を書いた。最初から訪問カード通りに書けばよかった。

「ダンス意外にもこういうことも学んでいかないとね」グレースは体を起こして後ろ手で手を組むとそういった。


 それから一週間ほどしてルークから手紙が帰ってきた。宛名は『Miss Alice Stevens』。封筒の右上に女王陛下の横顔が描かれた薄紫色の切手(ペニー・ライラック)が貼ってある。


 アリスはその手紙をルイーズから手渡された。アリス宛ての手紙はなるべく家族に(特にシエナに)見られないようにしてほしいとお願いしていたからだった。


 手紙の宛名をみて、グレースはいった。

「いつかこれが『The Lady Alice Stevens』になるといいんだけど」

「そうだね」

「もしくは『Marchioness of Strange(ストレンジ侯爵夫人)』でもいいけど」


 アリスは咳払いをした。


 手紙は『Dear Miss Alice』から始まっていた。

『その日のことはよく覚えている。俺にとっても印象的な日だったから。あの日、俺は君がとても強い人なんだって思ったんだよ……』

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