閑話 一週間放置されたメイドたちの反応


 問題はどうやってダンスの練習をするかだった。グレースは少し考えてから言った。

「私は踊りを教えることはできるけど、でも……」

「でも?」アリスは首をかしげた。

「音楽がないじゃない? 誰がピアノを弾くの?」


 アリスは「ああ」とつぶやいた。

「じゃあ、グレースがアリスに憑依してピアノを弾けばいいんじゃない?」


 ダコタの言葉にワンダが呆れたように言った。

「誰が踊るの?」

「うーん、僕?」ダコタは腕を組んで言った。

「ルイーズ達の中でピアノを弾ける人がいないか聞いてみる」アリスは苦笑してそういった。


 この頃になるとルイーズだけでなく彼女といっしょに働いていたポーリン、スザンナ、ケリーもワンダに本を読んでくれるようになっていた。彼女たちは初めビクビクしながらやってきたが、ルイーズの説得もあって話せるようになっていた。


 そうだ、ショックを受けて一週間くらいぼうっとしていたからしばらく話してなかった。


 そう思いながら、屋敷の中を探していると、四人揃って掃除をしているところを見つけた。ちょうどいい。

「ああ、四人ともいっしょにいたのね、よかった。少し話があるん……だけど……」


 アリスが話しかけると四人はぎょっとして、アリスから距離をとった。


 一週間呼び出さなかっただけで心の距離が開いてしまったようにルイーズたちは目を合わせないようにしていた。なんだか当初の状態に戻ってしまったようにすら感じた。

(え? え? 私なんかした?)


 もしかしてヘンリーがなにか言ったのだろうか。アリスは少しうつむいて言った。

「あの……お父様からなにか聞いた?」


 四人は顔を真っ青にした。

(やっぱりなにか言われたんだ!!)


 アリスの心は一気に暗くなった。


 社交界の生活だけじゃなくてここでの生活まで奪う気だろうか。生活を保証するなんて嘘だったんだ。


 アリスは悲しくなって半泣きになった。


◇ 何も知らないメイドside


「ねえ、最近ミス・アリスから呼び出されないけど……私達嫌われちゃったのかな?」ルイーズが掃除中にポーリンに尋ねた。

「違う……と信じたい」ポーリンは言った。

「誰かが粗相をして、もう呼ばないって決めたんじゃね?」スザンナがタレ目と同じくらい口角を下げて言った。

「え! 誰です!?」背の高いケリーがぎょっとした。

「私達の誰かだろ?」スザンナが言うと、四人は互いを見て黙り込んでしまった。互いに疑心暗鬼になるかと思われたが、その視線は磁石に引き寄せられるようにルイーズに向かった。

「なんでこっち見るのよ!!」ルイーズは顔を赤くして怒鳴った。

「だってさあ……、ねえ?」ポーリンは腕を組んだ。

「今までもバケツひっくり返してたしな。紅茶の入ったカップでもひっくり返して本を汚したんだろ」スザンナが片方だけ口角を上げて言った。

「何その具体的な失敗例! そもそも眼鏡にしてから失敗してないでしょ!」


 ルイーズは頬を膨らませた。


 と、そこにアリスが通りかかった。

「ああ、四人ともいっしょにいたのね、よかった。少し話があるん……だけど……」


 四人はぎょっとして、アリスから距離をとった。

(話ってなんだろう……)


 そう四人は思った。


 アリスは四人の反応をみて、少しうつむいてから言った。

「あの……もしかしてお父様からなにか聞いた?」


 四人は血の気が引くのを感じた。

(聞いてない聞いてない! え? 話ってそんなに重要なこと? もしかして……お暇を出されるの!?)


 四人は身を寄せ合うようにして震えた。

「あの……私達何かしてしまったんでしょうか?」ルイーズは両手を握りしめて尋ねた。

「ち、ちがうの……。そう言うことじゃなくて……」アリスは大きく首を横に振った。

(もっとやばいことなの!?)


 ルイーズは更に手を強く握りしめた。ポーリンたちを見ると、この世の終わりみたいな顔をしていた。背の高いケリーが小声で、「どうしよう……生きていけるんですかこれ」とか「救貧院? ……もっとひどいところ?」とか独り言をつぶやいているのが頭の上から聞こえてくる。

「あなた達は悪くないの。悪いのは……」


 そう言ってアリスはしばらく考えるような仕草を見せて、それから、目をうるませ鼻をすすり、顔をそむけた。

「ごめんなさい」


 四人は顔を見合わせた。

(ミス・アリスは悪いのは自分だと言おうとしたんだ)


 そうルイーズは思った。


 じゃあ、何が悪いんだろう。

(きっと、ミス・アリスはわざとやったんじゃないんだ。でもその結果、私達四人に迷惑がかかってしまうことになった。だから、だから謝ってるんだ)


 そこでルイーズは気づいた。


 アリスはきっと四人の誰かの行動を旦那様に話したんだ。それはミスを指摘するものじゃなくて、笑い話だったんだろう。


 けれど、階級に厳しい旦那様はそれを良しとしなかった。だから、今自分たちはお暇を出されそうになっている。アリスはメイドに近づかないように言われたのかもしれない。一週間アリスが呼び出さなかったのはそのせいだ。


 嫌われたんじゃなかったんだ。


 でも……。

「あの……私達紹介状は書いてもらえるんでしょうか?」ルイーズが尋ねるとアリスは涙をふいて、一瞬キョトンとしていたが、すぐに首を横に振って言った。

「お暇なんか出させない。大丈夫。安心していいよ」


 ルイーズたちはホッとして、互いに顔を見合わせた。


 アリスは書斎の方へと向かった。


 ルイーズたちはアリスの後ろ姿を見守った。

「話って、私達を守ってくれるってことだったんですかね」ケリーが言った。

「かもなあ」スザンナが箒に寄りかかって言った。

「今、旦那様に直談判しに行ったんだよね?」ポーリンは驚いた顔をして言った。


 スザンナはうなずいて、ルイーズをみた。

「ルイーズが恋する乙女の顔をしてるぞ」

「恋じゃない! 尊敬!」ルイーズは唸ってうつむいた。


 

◇ヘンリーがメイド達になにか言ったのだと思っているアリスside


「あの……私達何かしてしまったんでしょうか?」ルイーズは両手を握りしめて尋ねた。


 ヘンリーはきっと、ルイーズたちに「アリスには今後近づくな」と曖昧な命令しかしなかったのかもしれない。だから、彼女たちは詳細をよく知らないんだろう。

「ち、ちがうの……。そう言うことじゃなくて……」アリスは大きく首を横に振った。

(ああ、なんて説明すればいいんだろう。私は貴族だと勘違いしていたとか? いや、それを彼女たちに話したところで、何の意味もない)


 とりあえずルイーズたちは悪くないから、

「あなた達は悪くないの。悪いのは……」


 と、そこまで言ってアリスは思った。悪いのは誰なんだろう?

(お父様は悪いかもしれない。けど、勘違いしていた私も悪いの?)


 ますます心が重く苦しくなる。アリスの視界が涙で歪む。鼻をすすって顔をそむけた。

「ごめんなさい」


 四人は顔を見合わせた。

「あの……私達紹介状は書いてもらえるんでしょうか?」ルイーズが尋ねた。

(もしかして、お父様は四人をやめさせようとしてる!? だからこんな風に距離をとってるんだ。私がやめさせる原因になったから!!)


 そんなことはさせない。絶対にさせない。

(もうこれ以上、私の人生を邪魔なんかさせない!!)


 アリスは首を横に振って、メイドたちにいった。

「お暇なんか出させない。大丈夫。安心していいよ」


 すぐにヘンリーに話さないと!


 アリスは書斎へと向かった。



 ヘンリーはいつもと同じように書斎にいた。

「お父様、お話があります!」


 アリスの剣幕にヘンリーは眉間にシワを寄せた。

「なんだ? 社交界のことなら……」

「違います。メイドたちのことです!」


 アリスが言うとヘンリーはじっとアリスを見つめた。

「なんだ?」


 ヘンリーの反応も最もだった。彼はメイドたちに何も言っていない。「やめさせる」と勝手に思っているのはアリスの勘違いで、ヘンリーはメイドの一件など全く知らなかった。

「あの四人をやめさせないでください!」

「あの四人というのは……お前が最近親しくしているメイドたちのことか?」

「ええ、そうです。ルイーズと、ポーリンと、スザンナと、ケリーです」アリスはヘンリーを睨んでそういった。


 ヘンリーは一度咳払いをして言った。

「そこまで本気なら、いいだろう」

「本当ですね?」

「ああ」


 アリスは書斎を出ようとしたが、思いついて振り返り、言った。

「なにか証明する物が欲しいのですけど」

「ああ?」ヘンリーは頭を掻いてから言った。

「一筆書いてサインを下さい」そんなものに法的な効力があるとは思えなかったが、ヘンリーに後で文句を言われるのも嫌だったので、書いてもらうことにした。


 ヘンリーはため息を吐くと、紙を一枚取り出して言った。

「なんて書けばいい?」

「ルイーズ、ポーリン、スザンナ、ケリーにアリス・スティーヴンスの許可なくお暇を出すことを禁ず」


 ヘンリーは目を細めたが「まあ、いいだろう」とつぶやいてスラスラと紙に書いた。

「ほら、これでいいだろ」


 アリスはそれを受け取った。文面はしっかりしたものに変わっていたが、内容を歪めたものではなかったのでアリスはうなずいて、書斎をでていった。


 一人になったヘンリーが「いつやめさせるなんて話が出たんだ?」とつぶやいたのをアリスはもちろん知らない。



 ルイーズたちのもとに戻るとアリスはその紙を見せた。

「これで大丈夫ね!」


 そう言うと若干引かれた。やりすぎたか。

(あ! これじゃあ、まるで「お前たちを一生ここで働かせてやるぞ」と言ってるようなものじゃん!)


 アリスは慌てて付け加えた。

「あの、辞めたい時は好きに辞めてもいいの。ただ、不当に辞めさせるのを防ぐためのものであって」ゴニョゴニョとアリスが言っていると、

「ありがとうございます!!」と四人は頭を下げた。


 アリスは少し安心した。また嫌われる要因を作ってしまうところだった。

「それでね、相談なんだけど……誰かピアノを弾ける人はいる? ちょっとお願いしたいことがあって……」


 四人は一瞬顔を見合わせて、一人が手を上げた。


 タレ目で粗暴な印象を受けるスザンナだった。

「なんか、意外」アリスが言うと他のメイドが、笑った。

「どういうことですか!」スザンナは少しすねた。「昔他のメイドに教えてもらったことがあったんです。使用人たちの催し物がある時はいつも演奏してます」

「じゃあ、ダンスの曲も弾ける!? カドリルとかワルツとか!?」


 アリスが食いつくとスザンナは少し驚いて言った。

「ええ、それなら弾けます」

「やった!」アリスは素で驚いてスザンナの肩を掴んだ。「私、ダンスの練習がしたいの。手伝って!」

「わ、わかりました」スザンナは言った。




 生まれてこの方、アリスはダンスなど踊ったことがなかった。というか運動だって散歩くらいしかしてこなかったし。だから、彼女は自分が、運動音痴だということを全く知らずに過ごしていた。


 スザンナの弾く曲に合わせて、男性くらいの背丈があるケリーを相手にアリスはダンスの練習をしていた。グレースがそばで見ていて、指示を出してくれるけど、全然うまく行かなかった。

「違う! そこで右足を出すの! そっち左足!」


 アリスは運動ができないことを痛感した。動いていると右足を出しているつもりが左足を出していたり、後ろに進もうとして前に進んだり、あべこべになってしまった。


 何度もケリーにぶつかって、彼女の足を踏んだ。

「ぎゃ!」

「ごめん!!」アリスはいって、ケリーから離れた。「あの、本当に私下手なの!」

「大丈夫です。もう一回やりましょう」ケリーはにこやかにそういった。彼女の笑顔にどれだけ救われたかわからない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る