第9話 ルークとの再会
社交界にでられないと知ってから、アリスの生活はどこか色を失ってしまったように見えた。
(いままで何を勘違いしてたんだろう)
アリスはぼうっと過ごすことが多くなった。ほとんどの時間をワンダたちに憑依させて過ごした。まるで自分の人生を過ごすことを諦めたような過ごし方だと自分で思った。
その日もアリスはいつものように自分の部屋で過ごしていた。今日は親戚や知り合いが集まってガーデンパーティが開かれていた。もちろんサイモンの姿もそこにあるはずだった。
使用人は大忙しだったから、ワンダに本を読ませる暇もないようだった。といって最近はアリスが体を貸してワンダに本を読ませていたから、あまりルイーズたちと話してはいないのだけど。
アリスは窓辺に椅子を持っていって三人の幽霊と話して過ごしていた。
と、突然、部屋の扉が開いた。アリスはぎょっとして扉の方をみた。サイモンがやってきたんじゃないかと思った。ティオの件で八つ当たりをしに来たんじゃないかと。
アリスは全身の血の気が失せるのを感じた。
扉が完全に開いて、その人物は姿を表した。
「あら、部屋をまちがえちゃったわ」
と、のんきな声を出したのは、アリスの祖母、ペギーだった。彼女はヘンリーの母、すなわち先代グリムキャッスル伯爵夫人であり、この屋敷にもともと住んでいたはずだが、迷ってしまったらしい。
アリスはホッと胸をなでおろすと、ペギーに近づいて言った。
「お祖母様、お久しぶりです。ここは私の部屋ですよ」家族でもないのにお祖母様というのもおかしな気はしたけど、でもそれ以外にどう呼んでいいかわからなかった。
ペギーは杖をついて完全に部屋に入ってくるとアリスを見上げた。
「ああ、貴女は、ええと……ライラ……じゃなくて……、リリー……じゃなくて……。そう、アンジェラ!」
「アリスです」アリスは苦笑して言った。
「ああ、そうそう、アリス。きれいになったわね。舞踏会に出ていた頃が懐かしいわ」
「おばあ様。私14歳ですし、まだ舞踏会でたことないですよ」
「あら、そうだったかしら」
そう言うと、ペギーは杖を付きながらつかつかと歩いていって、アリスがもともと座っていた窓際の椅子にゆっくりと座った。
アリスは自分の格好をみた。人と会うための服じゃなかったので赤面した。
「あのおばあちゃん大丈夫? 勝手に部屋にズカズカ入ってきたし、いろんな事よくわかってないみたいだけど」ワンダが近づいてきて尋ねた。ダコタもグレースも驚いたような顔でペギーを見ていた。
「大丈夫よ……多分」アリスは小声で返すと、ペギーの向かいに座った。
「ああ、腰が痛い。ここはいい眺めね」ペギーはそうつぶやいた。
夏の名残か今日は日差しもあって暖かく、親戚たちは笑い合っていた。その中にサイモンの姿があった。彼はシエナに話しかけようとしていたが、シエナは友人の令嬢と話すのに忙しいふりをして、無視しているようだった。
「あの子は父親によく似ているわ」突然ペギーは言った。
「あの子というのは?」
「サイモンよ」
そこは間違えないのかとアリスは思った。サイモンの父親、ということはヘンリーの弟のことだろう。アリスの叔父に当たる人物ですでに亡くなっている。
ペギーは続けた。
「粗暴な男だったわ。私の夫によく似ていた。だから三代続いてよく似ているのね。ヘンリーが似なくてよかったわ……でも一部……悪い部分が似ているけど」
日差しがあたって心地いいのか、ペギーは船を漕いで目をつぶって、頭がガクガク揺れている。
「おばあさま」アリスが呼びかけると、ペギーははっと目を覚ましてアリスを見た。
「ああ、ええと……アンジェラ!」
「アリスです! 覚えて!」どうしてそう確信したように違う名前を言えるんだ。
と、廊下を走ってくる音が聞こえて、見かけたことのないメイドが現れた。おそらくペギーの連れてきたメイドだろう。
「あ! ここにいたんですか奥様! 探しましたよ!」メイドはそう言って部屋に入ってきたが、アリスの姿を見てぎょっとした立ち止まった。なにかしたかなあ。
「そろそろ戻らないとねえ」ペギーはそう言って立ち上がり、腰をさすった。「ああ、痛い痛い」
ワンダがアリスを呼んで机の上の缶を指差した。それはガーデナーのために作った腰痛の薬で、効果は実証済みだった。
「あの……、これ、腰に塗ると痛みが楽になるはずです。持っていってください」
ペギーは不思議そうにそれを見て受け取った。
「あら、ありがとうね。つかってみるわ」ペギーは缶をメイドに渡すといっしょにでていった。
アリスは笑顔を浮かべたままドアを閉めると、一気に表情を崩した。大きくため息を吐く。それはグレースも同じだった。あのおばあちゃんが何をしでかすかわからなかったから心配だったのだろう。
「びっくりした」窓際のテーブルに戻ってアリスが言うとグレース達三人もうなずいた。
「最初サイモンが来たのかと思った」ワンダも同じことを考えていたらしい。「アリスがまだ子供でサイモンがよく遊びに来てた頃はさ、よく部屋まで来て連れ出されてたじゃん」
「そうね。今はいきなりドアを開けて連れ出したりしないと思うけど」アリスは苦笑した。
「さすがにノックくらいするか」
ワンダがそういった瞬間、ドアがノックされた。
「ひっ」アリスは小さく悲鳴をあげた。
きっとペギーが忘れ物でもして戻ってきたんだ。そうに違いない。
アリスはドアに近づき、ノブに手をかけた。
「ミス・アリス。中にいるかな?」それは男の声だった。はっとしてアリスはノブから手を離した。誰かはわからない。フットマンでないのは確かだ。
そしてペギーじゃないことも。本当にサイモンが……?
アリスは震えて、ドアから離れた。
居留守を使おう、と思ったが悲鳴は聞かれていただろう。アリスは覚悟を決めて尋ねた。
「ど……どなたですか?」
「……ルークだ。覚えていないかな?」
アリスはまた悲鳴を上げそうになった。
「な……な……なんで! どうしてここに!?」
ルークは声変わりしていた。以前と全く印象が違った。大人になったんだとアリスは思った。彼は今年16歳になるはずだ。
「もう何年も顔を見てないから、元気かなとおもって……」
確かに彼とは全く顔を合わせていなかった。というか、サイモンだろうと親戚の誰であろうとほとんど顔を合わせていない。ペギーとだって本当に久しぶりにあったのだし。
「ドアを開けてくれないか?」ルークは言った。
アリスは自分の姿を思い出した。ペギーはいきなり入ってきたから仕方なくこの格好で対応したが、ルークはだめだ。アリスは慌てて言った。
「あの! 今、人に会える格好じゃなくて……! ドア越しでごめんなさい」
ルークは少し戸惑った様子だった。
「ああ、わるい。突然だったし、そうだよな……」彼は咳払いをして、「でもこうして無理にでも抜け出さないと話ができないと思ったから」
そんなに話したかったの?
アリスは少し期待してしまった。
「ありがとうございます。……うれしい」アリスは自分の口をあわてて手で抑えた。ワンダたちがニヤニヤしていて睨みつけた。
「君は……その……まだ、ひどい扱いを受けてるの?」
ルークはどこか心配そうに尋ねた。アリスは少し苦笑した。きっとルークのなかでアリスは小さい頃のこどものままなんだろうと思った。
「最近はミスター・サイモンともあってませんし……。それにメイドたちとも親しくしているので以前ほどではありません」
「でも君は……」ルークはそこで口を閉じてしまった。
「何でしょう?」
「いや、なんでもない。…………ああ、そうだ」何かを取り出すような音がする。「これを渡しておく」
ルークはドアの隙間から一枚の紙を差し込んだ。アリスがしゃがみこんで手にとるとそれは訪問カードだった。カードには『Marquess of Strange(ストレンジ侯爵)』と住所が印刷されていた。装飾はなくシンプルな作りだった。
「『Marquess of Strange(ストレンジ侯爵)』?」
「俺の儀礼称号だよ。カードは最近作ったんだ。何かあったら、その住所に手紙を出してほしい」
儀礼称号ってなんだっけ。後でグレースに聞かないと。
「あ、ありがとうございます」
「……何もなくても、手紙を出してほしい」
アリスは自分の鼓動が高鳴るのを感じた。ルークが何を思っているのか知りたかった。
同情して、心配だから連絡がほしいのだろうか。
それとも……。
やっぱり期待してしまう自分がいて、顔が熱くなるのを感じた。
「わかりました。……すぐに出します」
「よかった!」ルークの声が明るくなって、咳払いの音が聞こえた。「ごめん。じゃあ、これで。…………話せてよかった」
「はい……わたしも」
耳をドアに当てると、ルークの歩いていく音が聞こえた。アリスはホッと息を吐き出して、ルークのおいていった訪問カードを眺めた。
「もちろん、手紙書きますでしょ?」グレースがテーブルの近くで言った。アリスはうなずいた。
いつからなのか全然わからない。シエナが彼を追いかけていたから自分は違うとか、そうあっちゃいけないとか、そんなことを思って自分の気持を隠していたのかもしれない。
けれどそんなことはどうでも良かった。今ある気持ちが真実だった。
覚えていてくれているというだけで嬉しかった。
無理にでも来てくれたのが嬉しかった。
連絡がほしいと言われたのが嬉しかった。
だから、嫌でも気づいてしまった。
アリスはテーブルまで戻ると、大事に訪問カードをおいて、窓の外を眺めた。
シエナがにこやかに男性と話している。その笑顔はアリスが十歳の頃、ボートでみた彼女の笑顔によく似ていた。恋をしているようなそんな顔だ。頬を染めて相手が何を言っても楽しいようなそんな表情だ。そして、その感情が今ならよくわかった。
きっと戻ったばかりのルークと話してるんだろう。こちらに背を向けているからアリスの部屋から表情は見えないけど。
その様子をサイモンが恨めしげに見ている。この構図は何年経っても変わらない。
いや、変わる物はある。
そこにアリスはいない。
階級社会のボートから落ちたアリスを、もう、ルークは助けてくれない。アリスはただ溺れて死んでいくだけだ。
「アリス?」
グレースがいつの間にかテーブルのむかいに座っていて、アリスの頬に手を宛てていた。アリスは気づけば泣いていて、頬は涙で濡れていた。全然気づかなかった。
「なに?」アリスは涙をふいた。
「ルークが好きなのでしょう?」グレースはアリスの手をとった。
アリスはうなずいた。
「でも手が届かなくて、悲しいのでしょう?」
視界がまた涙で歪むのがわかった。
「だって……だって、私はあの人と住む世界が同じようにみえて本当は違うんだよ? ……それに社交界に出ることもできない。私はあの人にふさわしい女性じゃない」
グレースは、アリスの両肩を掴んだ。あまりに力が強くてアリスはハッとした。
「アリス、こんなことで諦めてはだめです。ダンスなら私が教えてさしあげます。レディになるための教育だったら何でも手伝ってあげますわ。舞踏会にはなんとかして出ればいいのです。貴女は養子でもグリムキャッスル伯爵家の娘ですわ。今はヘンリーが邪魔してるだけです。振る舞いがしっかりしてればみんな認めてくれますわ」
グレースは一気にそういった。いつもおしとやかな彼女の剣幕にアリスはあっけに取られた。
と、ダコタが近づいてきてアリスの肩に触れた。
「アリス。僕が死ぬときに思ったのはね、やってしまったことの後悔じゃなくてやらなかったことの後悔なんだ。もっとああしてればよかった、あのときこうしてればよかったって、たくさん思ったんだ」
「私もそうですわ」グレースはアリスから手を離して立ち上がり、言った。
「私も」ワンダは遠くでそういった。「というか、やらなかった後悔が残ってるから、未練があるから、いま幽霊としてここにいるんだよ」
そうか。そうなんだ。
彼女たちはみんななにかやり残したことがあるんだ。彼女たちの存在があまりにも自然すぎて、すべて日常に埋没していて、完全に忘れてしまっていた。
アリスは深く、息を吐き出してから微笑んだ。
「わかった。ありがとう。……でも何から始めたらいいんだろう」
グレースは微笑んで言った。
「まずはダンスの練習からですわね」
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