第12話


「……は」


 何を言っているのか。そう否定しようと開いた口から、言葉が紡がれることはなかった。


 突如異常に成長した癒花と、見ただけでもわかる目の前の少女の跳ねあがった祓力。

 抑えていた筈の符が塵となり、そこまでの威力ではなかった筈の己の目が、敵の攻撃を映し跳ね返したという現状。


 能力の暴走。


『目が合ってお互い認識すれば、互いに能力が少しだけ暴走するような衝撃がある、と』


 先ほどの紅葉の言葉が蘇り、桜深は口を閉ざす。いやまさか、という思いはあるが、否定する根拠が出てこない。

 役目を終えた癒花がひらひらと散って消え去る頃には、互いに傷一つ存在していない。頬を染め、漸く人形のようだったそのかんばせに表情を乗せた甲が、つがいである、と宣言している、事実。

 つがいを重要視するのは異形能力者たちだ。そして彼らは、まずつがいを見間違うことなどないと言う。


「……嘘だろ?」

「申し訳ございません、私のようなものではご不満もおありでしょうが……」

「いやいやそうじゃねえって、あんたがどうこうじゃなく」

 まるで人形のように表情がない少女だが、先ほどの笑みはかなり可愛――ではなく、かなり整った顔立ちであるのは間違いない。少しずれたところがあるが、おそらく悪い人間でもないのだろう。そんな少女につがいと求められて嫌だ、というわけではなく、まずそもそも知り合ったばかりなのだから不満もなにもわからぬといったところである。そもそも容姿だなんだというのはあまり関係ないかもしれない。能力者のつがいとは何も動物のように夫婦を指すような言葉ではなく、能力的なパートナーを示す言葉であるのだから。――成婚率は高いが。

 桜深は混乱していた。これはどう応えるべきか、自分はあまりそういったものに興味がなかったし、まさか甲のつがいであるなどと考えたこともなかったのだ。


 だがそこですっと視線を横へと流した紅葉が、ぴんと背を伸ばして立つと桜深に背を向ける。……吹っ飛びのたうつ化け物がいる方角に、視線を向けて。


「察するところ、その目のお力は、隠されていたのですよね?」

「あ、ああ。そうなる、な」

「では、お任せくださいませ。今ならできる気がいたしますの」

「……あー、何を?」

「もちろん――お邪魔虫の駆除でございます」


 人形のような表情に戻った紅葉が、それでもその口角を上げ目を細めるその様子は、ぞくりとするほどの凄みがあった。

 細い手が振り上げられる。褪色界の枯れた街路樹に突如緑が生い茂り、生き生きと伸びたその枝が、まるで意思を持っているかのように蠢き蛇を絡みとった。


「ひれ伏しなさい」


 有無を言わせぬような冷えた声。続く破壊音のような轟音は、力に物を言わせる形で化け物を地に組み伏せたらしい音であった。


 本当に先ほどまでの紅葉と同一人物かと思うような威圧感を感じた桜深は、引きつりそうな口を手で隠して一歩下がる。

 いや、ひれ伏しなさいってどこの……そういや天下の地樹月家のお嬢様だったか。一人ボケ突っ込みという名の自問自答をした桜深は、さてと完全に優位に立っているらしい紅葉に少しばかりこの場を任せ、ちらりと視線を横に向ける。


 どうやら友人たちが間に合ったようで、異界門が開くのが見えた。――救助だ。それを察した桜深は、紅葉の言葉の意味を理解して、左腕ではためく不要となった包帯を噛むと千切り、なんとか必要面積に足る符替わりの布を作り出す。内ポケットから取り出した符術用の筆が折れて使い物になっていたのは誤算だが、そのままウエストポーチに収めた小瓶を取り出すと捻り、そのキャップを外して刷毛を布の上へと滑らせた。応急処置にしかならないが、何かと便利だと持ち歩いているネイルエナメルである。

 元は養護施設の小さな女の子たちに頼まれお守り代わりのに護符の紋様を爪に描いたのが始まりであるが、これならば包帯でも墨より滲むこともない。もともと眼鏡に括りつけていた符と同じものを作り出し、速乾のそれが乾いたと判断したところで目立たぬよう髪になるべく隠れる位置に結び付ける。眼鏡をかけなおす前になんとか片手で目を覆い制御を試みつつ、近づいてくる気配を感じながら桜深は足を踏み出した。

 眼鏡をかければ、振り返った紅葉が「問題ありません」と頷く。やはり、他の人間が来る前に桜深の目を何とかする時間を稼いでくれていたらしい。


 ……とはいえ、お邪魔虫扱いされた一つ目は、もう本当に虫の息のようだが。



「無事か!」

「学生二名発見! 一つ目の化けも――あ? なんだ死にかけてるぞ! 急げ!」

 飛び出す男たちの腕には見覚えのある腕章が揃っている。管理組合の、救助隊だ。

「君たちは後ろに下がって! 大丈夫、友達も無事だよ!」

「待ってくれ! ここから少し先のコンビニに……!」

「ファイブマートの黄八号店だろう! そちらも対応している! 男三人であってるな!」


 飛び出してきた救助隊らしき能力者たちはどうやら丙のようだ。たまに組合で見る顔もいるな、と思いながらも、あのピアスの男たちにも救助の手が入ったのだと聞いて安堵の息を吐いた桜深が頷きその場に座り込めば、あの、と紅葉が小さな足音を立てながら駆け寄った。


「ご無事でございますか?」

「……あんたのおかげでな」


 苦笑すれば、ほっとしたように紅葉の表情が僅かに緩む。次いで目を抑えつつ助かったと告げれば、はい、と嬉しそうな声が届いた。


「あ」

「ん?」

「あの、その」

 何か言い淀む様子に、どうしたのかと桜深は視線を合わせた。すると、おずおずと視線を上に桜深を見上げた紅葉が、僅かに頬を染める。


「……え」

「ん、悪い、もっかい言ってくれ」

 少し奥では、大人たちが戦っているのだ。桜深が耳を近づけるように屈むと、潤んだ瞳がそらさないでと桜深の前に回り込む。


「お、お名前、教えてくださいませ」


 少し震えた声だった。先ほどの威勢はどうしたと言わんばかりのその様子に、ふ、と桜深は息を零す。

 つがいだなんだとすぐに応えられないものはあるが、


「都美山桜深だ。よろしく、地樹月」

「都美山さま、都美山、桜深さま。――はい、よろしくお願いいたします。……あの! 紅葉ではなく、『くれは』と呼んではいただけませんでしょうか!」

「くれは?」

「愛称のようなものと思っていただいて構いませんので、どうか……」

 決死の覚悟という様子のその紅葉を見て、ああ、と桜深は視線を動かす。

「地樹月って呼んでたら目立つか」

 彼女の様子が違うことは分かっている。だが今はその話をする余裕のない状況だ。緊張しているのはもしかしたら相手が桜深のせいかもしれないし桜深も鈍い方ではないが、あえてそれには触れず、さらにもう一つの理由であろう内容を口にすれば、こくこくと頷く紅葉が黒髪を揺らした。

「……あっ! そ、そうです。ですので、あの」

「わかったって、紅葉な。俺も下の名前でいいぞ、あと様とかガラじゃねえから」

「で、では……桜深、さん」

「いや、それもなんかむずがゆいんだけど……ま、いいか」

 さて、と今後のことを考えた桜深は、いくつか確認しなければならない事項は浮かぶものの、僅かに眉を寄せた。

「紅葉」

「は、はい!」

「恐らくこの後、丙の能力者たちによる事情聴取がある」

「……その、取り調べ、というものでしょうか?」

「あー、警察機関がするようなもんじゃなくてな。どこでここに落ちて、どんな被害があったか、敵の戦法、能力、威力……とまあそんなとこだ。それで、俺は組合に所属してるが、まぁまず俺のランクじゃあの一つ目を倒したとは思われない」

「組合……ランク……」

「……ひとまず聞いてくれ。時間があればわかんねえとこは答えるから。で、ここに唯一いた異形能力者、甲のお前が倒した、と判断される筈だ。一つ目が出たなんてここで留まる話にならないと思って間違いねえ。……おまえ、大丈夫か?」

 そもそも騒ぎになることを恐れて彼女は男たちに絡まれても周りに助けを求めようとしていなかったのだ。どういった事情があるのかわからないが、このままでは確実に、騒ぎになる。

 真剣な様子で問う桜深を前に、少しの間考えるような素振りをみせた紅葉は……やがて、少しだけ表情をやわらげる。

「つまり桜深さんは、私の心配をしてくださっているのですね?」

「……いや、だから、そこじゃねえよ……」

「大丈夫ですわ。私も今は地樹月の名をもらい受けた者。あの程度であれば、半覚醒の出来損ないと認識されておりましても、なんとかして当然、と考えられるでしょう」

「……そっか」

「ですが、桜深さんの功績を横取りするようで心苦しいです。申し訳ございません」

 むしろ、桜深が致命的な傷を与えたとばれるのは、まずい。言い方を変えれば紅葉という異形能力者がいたことを利用して隠すつもりであった桜深が、そうではないと口を開くよりも先に。続く紅葉の言葉に思わず桜深は言葉を飲み込んだ。

「ですが今はその方が安全かもしれません。もし私が本当につがいを見つけたと知られては少々面倒なことに巻き込んでしまいかねませんもの。桜深さまの目は恐らく守種を使ってまで封じていたものなのでしょう? 私が覚醒してしまったことは少し隠してみますけれども、どうせいつかはばれますものね。何か、対策を考えなくては」


 うん? と桜深は眉を寄せ頭を抱えた。おかしい、謎が増えた。

 桜深の話も一部伝わっていなかったようだし、もしかしたら甲と丙、いや地樹月と一般人以下の異能能力者には常識に大きな違いがあるのだろうか。一瞬自虐とも言える考えを脳内に過ぎらせた桜深は一度首を振ると、ひとまず、となんとか無事だったらしい携帯端末を取り出す。

 ぱちりと瞬いた紅葉はそれを見ると、首を傾げた。


「学園の皆様もお持ちの機械……のように見えますが、桜深さまもそちらをお使いに?」

「そこからかよ……ッ」

 とうとう桜深は吠えた。連絡先を尋ねる前に相手から爆弾発言が降ってきた。いくらお嬢様でもこれはありなのかと頭を抱えた桜深であったが、目のまえの紅葉が何か失態をおかしたのだろうと察したのか心なしかしょんぼりとした空気を纏い、慌てて首を振って手段を考える。


「そうだな、なら、近いうち会えるか?」

「よろしいのでしょうか?」

 ぱっと目を見開く紅葉に、待て待て、と桜深は手のひらを向けストップをかける。

「いや、話さなきゃなんねえだろ。あっちも終わったみてえだし、今は無理そうだ」

「あら」

 ちらりと見た先では、とうとう息絶えたらしい一つ目の前で、大人たちがやったぞと拳を振り上げている。やがてひび割れるように褪色界が崩れていき、あとはもう『表』に戻る筈だ。


「ではお疲れでしょうけれど、明日はいかがでしょうか。土曜日ですので、午前中から寮の外出は可能でございますの」

「あー……なるほど、寮か」

 少し悩んだ桜深は、それならば、と明日の十時半に緑域で、と指定した。ただし場所は一番大きな駅前にある噴水を指定する。目立つ場所でもなければ、連絡不可能な彼女とすれ違うのは間違いない。二人が共通して知っている場所といえば今日出会った場所もあるが、彼女が絡まれていた場所を指定するのは論外だ。――もうあの男たちの半分以上は残っていないが、お嬢様の制服が悪目立ちするのは間違いないのだから。

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