第11話
「ぐ、うああああっ!」
「ぎゃあああ!」
「痛い! っあ゛ぁぁ! 助けてくれええ!」
突如轟音と共にアスファルトが剥がれ、桜深の体が投げ出される。しかも、桜深の耳に届いたのは自分の叫び声だけではなかった。
なんだ、もしかしてあいつらが戻ってきちまったのかと、飛ばされる最中視界に映った光景から、友人の姿を探す。
だが尾の強烈な一撃が地面に叩きつけられたことはわかったが、護符を持ってしても強かに壁に背を打ち付けた桜深の視界はそこで明滅した。
ずるりと背が滑り、なんとか地に足をつけるも、前後不覚の状態にさすがにやばいと脳内で警鐘が鳴り響くようだった。これまでもなかなかにヤバイ橋を渡った経験はあるが、さすがにあれは出鱈目だ。
「はっ。もう、……っ、くっついて、やがんのかよ」
先ほど桜深の符によって自分自身を攻撃することとなった化け物の腹は確かに半ばまで裂けていた筈なのに、ぱっと見そこに傷は見当たらない。妙な固まり方をしたのか、一部ぼこぼことただれたようになっているだけだ。
(くそが。クソ、ざけんな化け物!)
それでも間違いなく化け物は怒りを感じているようだった。当然それは、己を傷つけた桜深に対してだ。
「もう容赦なしってか」
呟いた桜深は、地を蹴って壁を駆けのぼり、ぐるりと身を捻って攻撃を開始した触手から逃げ回る。だがものの数撃で回避しきれなかった触手の一本に上半身を狙われ、左腰から右肩にかけて制服が裂け、浅い傷を作った。かすり傷、と判断してそのまま民家の物干し竿を掴むとぶん投げ触手の口に突き刺し、それすらばりぼりと砕くその隙をついて距離を取り、爆砕符を放って触手の先端を砕いていく。
そうして粉塵を利用し隠れ移動した先で、聞こえた悲鳴。
「ひい!」
「は……? おまえら、なんで!」
そこにいたのは、友人ではなかった。ここに来る前まで自分たちを追ってきていた、丙の男たちの内の四人。耳にピアスの術具を付けた男もそこにいて、がくがくと震えながら桜深を見ていた。
「助け、助けてくれ。見てたんだ、おまえ、強いだろ? もうちょっかいかけたりしねえから」
「他のやつら、喰われたんだ。八人はここに飲まれた筈なのにこんなんなちまって」
「半分もかよ!」
桜深は髪をかき乱して叫んだ。もう、四人喰われた。
(そうだ、あいつは一つ目。推定レベル五以上のバケモンだ! 十人以上同時に門の中に引きずり込むなんてわけねえってか!)
男たちが言葉通りなら八人いて、桜深たちは六人。すでに同時に飲み込まれた人間が十三人以上と確定――レベル四相当。だがもっと飲み込める可能性だってあるのだ。目有がレベル五以上と想定されているのは、レベル四までの目無の化け物とは違い、それまでの括りに当てはまらない場合が多いせいであるとも言われている。どちらにせよ、よけい恐ろしさが具体的になったようなものだ。
助ける助けないの話ではなく、あの化け物をなんとか救助が来るまで抑え込みたいのは桜深とて同じだ。だが、助けてと懇願する男たち二人の後ろ、残りの二人には、時間がなさそうであった。気絶した男と、足が千切られたらしい男はどうみても重症なのだ。
「おまえら、後ろのそいつら担いで逃げれるか」
「やる、大丈夫だ。俺らだってこいつら見捨てたくなんざねえんだよ!」
ピアスの男が叫んだ。桜深はその言葉に目を細め、護符を数枚男に託す。
「いいか、この護符は多少衝撃を殺すか、敵の触手であれば一瞬動作を鈍らせる程度しか効果がない。それでも俺以外の祓力で発動するからお前らでも使える筈だ。俺があいつの気を散らすからその隙にそいつらと逃げろ」
「逃げて、どうしたら」
「黄域の管理組合に行け。一つ目ほどの穢れの持ち主なら、そこに詰めてる能力者が感知できる可能性が高い。暴れて空間を揺らがせろ」
「……助かる。マジで助かる。俺の能力は重さを操る重力操作系だ。こいつら運んで絶対逃げきってやる」
そういったピアスの男は、連なるピアスをいくつか外してポケットに突っ込んだ。すぐにふわりと浮いた体がぐらついたところを見ると能力制御に慣れず術具で押さえていたようだとわかるが、ぐっと歯を食いしばると男は気を失った仲間二人を両肩で支えるように担ぎあげ、もう一人に行くぞと声をかけた。
こくこくと頷く仲間の男は、大した能力がなくて悪い、と言いながら涙目で桜深を見ると、悪かった、と告げて走り出した。
根が悪い奴らではなかったのかもしれない。
そう考えながら桜深は建物の陰から飛び出し、爆符を使って一つ目に対峙する。案の定、逃げる男たちを追おうとしていた一つ目は、自分を傷つけた憎らしい桜深を前にその動きを止めた。
爆発、轟音、そして建物が瓦礫と化して崩壊し、激しい音が響き渡る。時間稼ぎをしなければと桜深がすべての攻撃を避けながらも奮闘するが、その時、屋根の上を飛び乗って移動していたあのピアスの男が、バランスを崩したのか膝をついた。
それを、いくら桜深を狙っていたとしても、化け物は見逃してくれなかったようだ。
「逃げろ!」
触手数本が、男たちを狙う。咄嗟に桜深が爆符を飛ばし弾いたが、一本が、よりにもよって口が付いたそれが、男たちの下へと向かう。
それに気づいたピアスの男は、咄嗟に、自分が担いだ二人を屋根に下ろすと触手の前に飛び出した。両手を広げ、守るように。
「ぐああああああっ!」
「うわああっ」
仲間の男が悲鳴を上げる。しかし、ピアスの男を貫いたその触手は、そのまま後ろに投げ出された足をすでに喰われたらしい男へと突き進み、その体にかじりついて巻き付くと引き返していく。
ぐちゃり、と聞こえて欲しくない音が聞こえてきた。
「さっくん!」
捕らわれた男のあだ名らしいものを泣き叫んだ男が、視線をもう一人の仲間……ピアスの男に向け表情を引きつらせた。血が、ぼたぼたと屋根に降り注ぐ。
ぐらりとピアスの男の体が傾いた頃に到着した桜深は、脇腹の肉をこぶし大ほど持っていかれて視線の定まらぬ男を慌てて支えた。これはまずい。
「義人! ヨシ、しっかりしろっ!」
仲間の男が叫ぶ。桜深はありったけの爆符を追ってきた化け物の頭部を狙って叩きつけると、そのまま義人と呼ばれたピアスの男と、彼が守ろうとしたもう一人、屋根に寝かされた気を失った男を抱え、目立つ屋根の上から離れる為に走り出す。
「おまえも来い!」
「うぐ、う」
吐きそうになったのを耐えたのか、おかしな音を立てつつも男がついてくる足音を聞きながら飛び下りた桜深は、そのまま数軒隣のコンビニまで走ると、自動ドアを蹴り飛ばし中に転がり込む。
「くっそ、死ぬなよ! 生きろ! 褪色界の怪我は優秀な治癒士ならほぼ完ぺきに治せる!」
叫んで声をかけながら、男の腹部に一枚の符を貼り付けた。僅かに血の流れが遅くなったように見えるが、あまり持たないようにも見える。
桜深は、治癒が得意ではないのだ。
コンビニとはいえ並んだ品は本物なんかではなく、ぶつかるとともに砂のように崩れ落ちる中、救急道具が手に入るわけがない。桜深は即座に立ち上がると、ここに隠れてろ、と唯一意識がはっきりした男に告げた。
「お、おまえは?」
「引きつける。必ず助けを呼ぶから生き延びろ」
そうしてコンビニを飛び出した桜深は、視覚に頼っているのかきょろきょろと目玉を動かす化け物の前に再び躍り出る。
だが桜深とて、無限に符を生み出せるわけではない。爆符はすでになく、護符を駆使して逃げ回るも、手持ちがほぼ尽きたところで反応が鈍くなると、とうとう触手が桜深を捕らえようと直線で放たれる。
「くっそ」
なんとか避けようとどこかのアパートの上から桜深が身を投げたその時だった。
突如桜深の視界の前に、黒く艶やかな髪が広がる。両手を広げたように桜深に背を向け飛び出してきたその小柄な体躯の後ろ姿には、見覚えがあった。
自分たちとは違う、真っ白で上質な生地で作られているのだろう制服。日にあまり当たっていないのか、しっかり食べているか不安なほど細く青白い手。
「は?」
「う、あ……ご無事、で」
最後の護符が衝撃を多少殺したが、地面に投げ出された二人は建物の陰になったことで僅かに化け物の目から逃れられた。
目有の、特に一つ目は得たばかりの視覚に頼ることが多いという。その短いだろう隙の合間に逃れなければならないのはわかっているが、桜深を庇ったらしいその少女の脇腹が、赤く、じわじわと染まっていく。
「何してんだ!」
「申し訳、ございませ……」
「そうじゃねえって! なんで庇ったりなんか――!」
自分は見ず知らずの他人の筈だろう。妙な勘違いはあったのかもしれないが、それこそ出会ってほんの一時間程しか経っていない筈なのだ。
だが少女は困ったように視線を伏せ、小さく唇を震わせる。
「どうしても、気になって、しまって」
「気になって、じゃねえっての……!」
肉が削がれた様子はない。恐らく口のないただの触手に貫かれたのだろうが、それでも桜深よりかなり薄く頼りない腹に攻撃を受けたのは間違いなかった。慌ててすでにぼろぼろのジャケットを脱いで傷口を塞ごうと考えた桜深だが、そのジャケットのぼろぼろさと血の汚れにこれはまずいかと舌を打ち鳴らす。他に何かないかとウエストポーチに手を伸ばそうとしたところで、そこにほっそりとした指が重なる。
ピリ、と静電気のようなものが走った気がしたが、それを気にしていられないほど、頼りない力に思考が囚われる。
「しっかりしろ、すぐ玄太のとこに連れてってやる。あいつは治癒士だ!」
「平気、です。私はこれでも、地樹月の血を引く異形で、す」
言うなり、開いた手の平にふわりと白い花のつぼみが現れる。それを傷口に当てると伸びた茎が根を張るように傷口を覆い、ふわりと白い花が開花した。
「祓力を使って治癒を行う癒花です。御覧の通り痛みはありませんし、害も、ありません。あなた様のお怪我も、治療させてくださいませ」
「いい、それなら助けて欲しいやつらがいるんだ、まず自分の怪我を治すのに集中してくれ」
「それは構いませんが、あなたの怪我とて放置できるものではございません。そのようなことをおっしゃらず……あら?」
ふと、視線を一点で止めた紅葉がその表情を動かした。驚いたようなその様子になんだと視線を追えば、その視線は桜深の脇腹に向けられているようであった。そこには小指の先ほどの小さな、ぼこりと肉が膨れ上がったような古傷がある。皮が引きつれたような痕も残っているのであまり見た目はよくない為、普段はあまり人に見せないようにしているのだが、このぼろぼろ具合ではさすがに隠れなかったのだろう。
「それは只の古傷――」
「守種です、どうして……」
「守種……?」
「結界の類でございます。ですがどうして人体に……?」
聞き慣れぬ言葉に、桜深は眉を寄せる。正直そんなことを話している暇はないと思うのだが、そこで止める間もなく紅葉の細い指先が、その傷痕へと触れた。――と同時に、体内で溶けたかのように膨らんでいたその部分が消え去った。
「えっ?」
「あ?」
さすがに驚き両者が声を上げ、視線を合わせた瞬間だった。ぶわりと紅葉の腹部で花開いていた癒花が強烈なまでの成長を遂げ二人に絡みつくと桜深の傷までも癒していく。
だがしかし、そこまで祓力の力が膨れ上がれば、さすがの化け物も見逃しはしない。アパートの屋根の向こうからぬぅっと頭を覗かせたその化け物は、自身の目をすぅと細めた。みぃつけた、と言わんばかりの、嗤っているかのようなその目の距離の近さに桜深が慌てて目の前の少女の背に腕を回し背に隠そうとしたが、それより先に涎がぼたぼたと降り注ぎ、そして放たれた触手が束となりすべて桜深の目前に届く。
届いて、そして。
――化け物の頭半分を、肉塊と変え吹き飛ばす。
「な……」
桜深の切り札である、見た攻撃を移し跳ね返す鏡符は使っていない。符は、作り上げた時と発動する時に祓力を使用する。先程の一枚を作るのにかなりの祓力を消費してしまった筈だ。
……だというのに、まるで自分の目前に迫った全ての触手をそのまま打ち返したような状況に、何が起きたのだと桜深が唖然とする中。
「目が……」
桜深に抱き寄せられた体勢のままであった紅葉が、桜深を見上げてぽつりと零した言葉を聞いて、はっとして桜深は片手で目を覆う。恐らくきっと、自分の目が鏡符を使用する際の、光るガラス玉のような状態になっていると察したのだ。
かけたままであった眼鏡をはずした桜深は、眉を寄せた。眼鏡に結び付けていた筈の符が、役目を果たし終えたのだと崩れ落ちる。
考えられるのは、能力の暴走、暴発。そういえば先ほどから、全身を通して祓力が膨れ上がるように漲っている。何がどうして通常の回復以上に祓力が漲っているのか知らないが、符の能力ならまだしもこちらはまずい。こちらの能力の制御は、ひどくむずかしいのだ。下手をすれば敵味方関係なく攻撃してしまう可能性もある。
「くそ、なんで暴走なんて」
眼鏡の符は、桜深の『もう一つの能力』を隠し、抑える為のものであったのだ。桜深は丙でも珍しい二種能力者なのだから。
それを知っているのは玄太と、同じ養護施設出身の兄のような青年ただ一人であったのに。こんな場所でまさか出会ったばかりの甲にさらすことになるとは。
だがその口止めをする前に、目の前の少女が、咲き乱れる癒花の中、初めて、ふわりと花のような笑みを見せる。
「やはり、あなた様が私の『つがい』でしたのね」
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