第9話

 表情は一切ないと言える相変わらず人形のような少女だが、その声は確かに申し訳なさが伝わるものであった。

「本物のお嬢様どころかまじもんのお姫様みたいなもんじゃん」

「なんであんなとこいたんだよ」

 地樹月は名家も名家、この国中の街の要となる結界の担い手一族だ。さすがの俊でも頭を抱えるような状況だが、桜深は相変わらずの変わらぬ態度で紅葉に声をかける。すると紅葉漸くどこか困ったような表情を浮かべ、その視線を彷徨わせた。


「……その」

「うん?」

「つがいを、探しておりましたの」

「……は?」


 しん、と辺りが静まった。というより、どうやら紅葉……と直前に護符を使っていた桜深によって奇襲などからは守られたようだが、ここは化け物がいるという褪色界の真っ只中だ。先ほどまでいた廃墟が立ち並ぶ場所と見た目こそ変わらないが、その色は赤褐色寄りに全体が褪せていて、割れたアスファルトから覗く雑草など枯れた葉のように触れるだけで崩れ落ちている。

 そんな中、おそるおそると言った様子で紅葉はポケットからハンカチを取り出した。上質かつ上品で繊細な刺繍が施されたそのハンカチが開かれると、中には淡い薄紅の花が一輪、大切に収められていたいたようだ。色がないその世界には、随分と不釣り合いな美しく可憐な花である。

 ……そのつがいから送られた花とでも言いたいのだろうか、と全員が困惑した。

 つがい、と俊は目を瞬き、つがい、と玄太は首を傾げ、つがい、と真白が唖然とし、つがいですかぁ、と朱里が遠くを見つめた。さすがに次々に呟かれたつがいという言葉に居心地が悪くなったのか、紅葉はハンカチを大切そうにポケットに戻すと、白くほっそりとした手で顔を覆った。表情はあまり変わらないが、恥ずかしかったらしい。なんとも独特なテンポのお嬢さんである。


「そのつがいってやつの名前か顔は知ってんのか?」

「……いいえ」

「……んなもん、簡単に見つかるもんじゃねえんだろ? 名家なんだから顔合わせだなんだって探す機会あんだろうに、なんだってあんな場所に」


 冷静に突っ込んだ桜深に、がばりと紅葉が顔を上げる。じっと上目遣いに見つめられさすがの桜深も半歩足を引けば、なぜか紅葉はさらに距離を詰めた。


「え、え、なに?」


 動揺したのは真白だ。自分たちは危険な褪色界にいる筈なのだが、自分たちは何を見せられているのだろうか。

 普通高に通う丙の男になぜか迫る名家のお嬢様は一体どうしたというのだろう。混乱した状況で、まさか、と口を開いたのは玄太だった。


「えっと、桜深くんがつがいに見える、とか?」

「はあ?」


 素っ頓狂な声を桜深があげるが、紅葉は否定せずその瞳を覗き込む。さすがに耐え切れず桜深が視線を逸らしたところで、どうして、と紅葉は漸く身を退いた。


「……その、つがいっての、見つかったらなんかわかるもんなんだよな?」

「はい。目が合ってお互い認識すれば、互いに能力が少しだけ暴走するような衝撃がある、と」

「……俺、なんともないけど」

 ついでに言うならば、先ほどの花も桜深には見覚えがないものだ。

 だが紅葉はまるで、夢見ていたその瞬間が訪れないことに心底困惑しているのだと言わんばかりに戸惑い落ち込んでいるらしく、だんだんと視線も肩も下がっていく。

「そのようで、ございますね。私も……」

 無表情のまましょんぼりとした声を上げ己の両手を見る紅葉に、なんと声をかければいいものか。確かに沸き立つような感覚はあったのですけれど、と続ける紅葉に、それってただの一目惚れなんじゃん? と空気を読まず俊が突っ込んだ瞬間真白が慌ててベシンと背を叩くが、その声はとうに紅葉にも届いている。

「一目惚れ……?」


 首を傾げた紅葉がもう一度桜深を見上げるが、桜深は黙り込んだ。


 実は姿が見える前から、男たちが囲む『何か』が妙に気になる感覚はあったのだ。とはいえ力が暴走するようなこともなく、言えば混乱するだけだとひとまず口を閉ざす。そもそも桜深にはその一目惚れなんて感覚はない。ただし、引っかかる何かは確かにあった。まるで壁越しにでもこの状況を見ているような感覚があるが、ひとまずそれは置いておくことにする。


 何度も全員の脳裏に過ぎってはいるのだが、ここは褪色界である。独特なテンポによって気が緩まされたが、ラブコメを繰り広げている場合ではないのだ。



「……はあ。まずここ出んぞ」

 がしがしと髪をかき乱してそう宣言する桜深の声で、ようやく全員が辺りを警戒したように見回した。そんな中、紅葉だけはどこか困った様子で首を捻る。


「その、褪色界から出るには、そこの『主』を倒せばよろしいのでしょうか」

「へ、そりゃ、そーだけど?」

「そのかたは、どのように探せばよろしいのでしょうか。人ではない、と聞いているのですけれど……」

「……もしかして、異界門の中は初めてか?」

「……大変申し訳ございません」


 こりゃとんだ箱入り娘だ、と全員が思ったが口を閉ざす。異能能力者とは違い異形能力者は幼い頃から大切に保護され能力制御を覚えることから始まるのだと聞いていたが、ここの主を見たことすらないのならば、見た瞬間気絶するんじゃないかとすら考えた。それどころか、侵略者とも呼ばれる異界の主の姿を知らないということは、十年前『表』にあふれ出た化け物たちの姿すら見ていない可能性がある。

 そんな周囲の様子に、さすがの紅葉もまずいと察したらしい。不安そうに手を胸元で握りしめ、再度謝罪を口にする紅葉に周囲は慌て、桜深は悩むように口元に手を当てた。

「能力の修行はしてたんだろ? さっきの『手』は俺たちを守るもんだったし」

「はい。ただは特殊なのです。とくに私は、二年ほど前まで枯れる役目のみを望まれておりましたので、外に出る機会もございませんでした。今も半覚醒状態ですので……」

「……枯れる?」

 彼女は地樹月の出だ。植物系の能力者に対し『枯れる』というのはどうにも不穏な言葉のように感じた桜深が呟くようにその言葉を零せば、はっとした紅葉は口を押えた。

「これは、他の方に言うべきではないのでしょうか」

「いや、俺に聞かれてもな……」


 なんとも緊迫感に欠けるやり取りであった。何度も言うようだが、ここは敵の腹の中とも言える褪色界、異界門の中なのだ。

 ああもう、と薄茶の髪をかき乱した真白が、ぱん、とその場の雰囲気を引き締めるように手を叩く。


「……帆多流、あんた戦闘経験は?」

「訓練のよえーのしかやったことねぇよ? まあ、そんな強くないやつならなんとかなるんじゃねえ……?」

「あの、私、武器になりそうなものがほとんどありません……役立たずかもしれないです、ごめんなさい」

 何も指摘することなく各々の戦闘力を確認する全員の表情は強張っている。まさかの甲が戦力外の可能性が浮上したのだ。異界門の大きさはそのまま敵の強さでもあるという。つまり、六人飲み込んだこの異界は、以前真白が相手したような一人二人を飲み込んだ敵より強い可能性が高い。


 そんな中、眼鏡に結ばれた符に手を当てつつ周囲を見回していた桜深は、誰に何か言うでもなくその場を離れ歩き出す。それに気づいた友人たちは、慌ててその制服を引っ張った。


「こら待て桜深! こんな時までふらふらすんなってのー!」

「あんた、この非常時までふらふらどこ行く気よ!」


 騒ぐ俊と真白だけではなく、朱里までもが必死に止めようとしている。ただ、無表情ながらじっと見つめてくる紅葉と、頭を手のひらで押さえている玄太だけは反応が違うようだ。


「桜深くん」

「ん?」

「何人飲み込むやつまで相手できるの?」

「さあ、とりあえず十人まではいけっかな。レベル三まではやった」


 二人の会話に、「……はああ!?」と友人たちは盛大に驚く声を上げた。

 レベルというのは敵の強さを十段階評価したものだろう。一人二人飲み込む敵はレベル一、五人前後がレベル二、十人前後はレベル三。過去この街の災厄として現れた三つ目はレベル七と言われている。八以降はここ百年ほど確認されていない、過去の脅威だ。

 丙の高校生であれば、攻撃特化の者でレベル三あれば優秀、などと言われているのだが――自ら支援向きだと称した、符術士の桜深が?


「桜深おまえ、ガチもんの戦闘経験あったんかよ!」

「だって俺結構依頼こなしてるし」

「まじかよ! 今度オレも組合に紹介して! あそこ子どもだと紹介なしじゃなかなか登録させてくんなくてさー」

「馬鹿、売り込んでる場合じゃないっての!」

 とにかくそれならなんとかなるかもしれない。なんとか落ち着きを取り戻した友人たちであったが……直後、護符を何枚も取り出し宙に投げる桜深のその視線の先を見た彼らは、顔色を失った。いや、桜深すら、その表情がいつになく険しい。


「マジか」


 桜深の声に、ここに来て初めて焦りの色が滲む。


「目……?」


 誰かが呟いた。

 見上げるほど大きな、蛇のような見た目のバケモノ。その体の頭部と思われる部分には当然のようにゆらゆらと黒霧が揺らぎ、いくつも裂けたような口があったが、そこまでは、褪色界が初めてではない者たちにとってはまだ許容できる範囲だった。


 だが、その頭頂部にある一つの目玉はどうしたって受け入れられるものではなかった。強敵の証である目有の侵略者は、今なお災禍の記憶薄れぬこの街のものにとって死神に等しいのだから。



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