第8話
「ったく、無駄に勘は鋭いのかよ」
面倒くさそうに桜深が言いながらも、ほら今からでもいいから行けってと友人たちを押しやり、すたすたと逆……たむろする男たちの方へと歩き出す。
桜深はなにも、正義感に溢れた人間ではない。どちらかといえば面倒事は流すのがいいと考えているが、それでも、目の前で絡まれている人間から目を背けるのは、あまりいい気分ではない。
そして桜深はその自分の感情に割と正直に生きている。やりたいことをやる。甲だの乙だの丙だの知らんが、邪魔すんな、と。
「んだよ兄ちゃん。はっ、その制服、丙だろ。こちらの甲様をお助けしてポイント稼ぎってか? 王子様かっての」
服を着崩して耳にいくつもピアスを開けた男が、だらりとした態度のまま桜深の前に立ちふさがった。その奥で、漸く桜深の存在に気付いたらしい白い制服の少女が、ぴんと伸ばした背をそのままに、目を見開いて固まる。
眼鏡の位置を押し上げることで一瞬の表情を隠した桜深は、その手を下げるとにやりと口角を上げた。
「まさか。それで緑域とはいえ同じ丙とやりあうのは面倒だろ」
傍目には乙か丙かわからないだろう男を前に、桜深は丙だろうと断言する。
ぎょっとした男は、桜深の視線が一瞬己のピアスに移動したことを悟ると、不愉快そうに耳元を手で覆った。何の変哲もないアクセに見えるそれは能力者が扱う術具であったが、あっさりと見つかるとは思わなかったようだ。
「何のようだよ、ガキ」
「興味あんだ、甲のお嬢様ってやつ」
「へえ。そりゃ残念だったな、あのお嬢様は俺らがこれから丁寧に接待するつもりだからよ」
「今回は譲れって。その制服に絡んだんだ、すぐに通行人から通報が入った警邏が来るぞ。お前らの風体じゃ面倒だろ?」
「馬鹿にしてんのか! 俺らの獲物だぞ!」
桜深は表情こそ人を食ったような生意気な色が滲んでいるが、見た目には眼鏡をかけた真面目そうな少年だ。
だが男の言葉を聞いて、獲物ね、とその表情にぞくりと背筋が冷えるような色が混じる。『獲物』とは、動物の姿をとることが多い甲に対する侮辱だ。
かつて異能能力者たちは、異形を異端として狩りまわった。それこそ獲物と称し行われたその行動は、やがて彼らの最大の罪となる。
異形能力者たちは、その力が強大だからこそ突如与えられた力を暴走させてしまっただけであり、異能能力者と同じく、いやそれ以上に……世界の敵、異界門の先のバケモノと戦う強く優秀な力を有していたのだから。
下剋上などとも呼ばれる、異能能力者上位の環境がひっくり返ったのは、かなり昔の話だ。
いまだに獲物などと表現するその愚かさを嗤えばそれが顔に出たのか、とうとう男の仲間たち全員が桜深の元へと足を向け……気の早いピアスの男が掴みかかったその手を、すっと僅かにのけ反るだけで避けた桜深が、とんと跳躍と同時に男たちの頭上をすり抜ける。
「はっ!?」
「なんだあいつ、異形共じゃねえんだろ!?」
男たちは動揺した。そもそも緑域では能力は封じられるが、そのもって生まれた身体能力は別だ。常人よりは恵まれているが鍛えなければならない異能能力者よりも、元からの身体能力が高い異形能力者のほうが有利とも言える
だが実際桜深は跳躍一つで男たちをすり抜け、たどり着いた少女に逃げるぞと叫ぶと走り出す。当然のように速度の速い桜深について走れる少女もまたやはり能力者、あっという間に距離をとるが、男たちだって腐っても異能能力者だ。
夕暮れ時、追う男たちのプライドが原動力となったこの追いかけっこは、当然、二人だけでは済まなかった。
「ったく、何してくれちゃってんだよ桜深ぃ!」
「げ、なんでいんだよ俊」
何のために桜深があれほど挑発する行動をとったと思っているのか。少なくとも友人たちに被害が及ばぬようにした筈が、どうやらその友人たちは桜深が逃げるだろう道に先回りしていたらしい。
「置いてけるわけねーでしょうが! なあ玄太!」
「そう、だけどっ、女の子二人は帰したほうがよかったんじゃ、ないかなっ!」
「ふざけないでよ、あの状況であたしたちだけはいさよならなんてできるわけないでしょ!」
「はあ、うう、そうですけど、足を、引っ張っちゃったら、どうしたら……っ!」
途中合流した友人たちに桜深がはぁと頭を抱え、共に走る白い制服の少女は黙ってそれを見ていた。約二名辛そうだが、一応速度は保っている。
オレ道詳しいから、と俊の先導で走る先は人の気配がどんどん遠ざかっている。能力者らしい体力を持って三十分近く逃げ回り、その周囲の様子を探っていた玄太が、あ、と顔色を変えた。
「ちょ、この先黄域だよ、結界なくなるよ!?」
「つっても、あのまま面倒起こしてたら警邏が来んだろーが!」
「それでいいじゃないの! あっちも丙だったんなら問答無用でこっちが悪人にされたりしなかったわよ!」
俊に真白が言い返したところで、それを遮ったのは桜深だ。
「いや、いいならこっちのお嬢様がとっくに助けを求めてるって。理由は知らねえけど、騒ぎ起こすのまずいんだろ?」
桜深の言葉に、桜深を見ていた少女はこくりと無表情のまま頷いた。艶やかな長いストレートの髪が風に靡き、真白に負けぬ白い肌……いや、どこか青白さがあるその整った見目もあって、なんとも人形のような少女であった。
それまで黙り込んでいたその少女が、少しして、漸く口を開く。
「私は一人でも平気でございます。ここまでありがとうございました。あなたたち、あの人たちを避けてお逃げなさい」
「できたらやってるって!」
悲鳴のように返した俊が、こっち、と複雑に道を曲がり建物の死角を使って、とうとう全員が黄域に足を踏み入れた。しかしそこで、あ、と俊が顔色を変える。
「やべ、一本間違えた。ここ赤域じゃん」
「えっ、うそ、どうしよう真白ちゃん……!」
寂れたその場所は、長く人が住んでいないように見える。
「どうしようって、どうしようもなくなったら、やりゃあいいのよ」
強気なまま返した真白だが、その手は怯える朱里の手を強く握っていた。慌てた俊が急いで戻ろうと促すが、どこ逃げやがった、と叫ぶ男たちの声が聞こえたことで珍しく舌打ちをするとその二人を背に庇う。
「桜深、どうしよ」
「ったく」
あまり焦る様子がない桜深に助けを求めて俊が視線を送れば、桜深はポケットから一枚の符を取り出し……初めて、顔色を変える。その視線の先は、ひび割れたアスファルト。そしてその地面が、ゆらり、と、注視しなければわからない程度に小さく波打った。
すぐに反応できたのは桜深だけだ。いや、白い制服の少女も訝しんではいるが、構わず桜深は符を地面に叩きつける。
他の面々はどうしたのかと少し遅れて符を追って地面に視線を落とし、先ほどより大きく、水面に雫を落としたようにも見える波紋に気付いてさっと顔色を変える。
「堕ち――っ」
それは誰の悲鳴だったのか。全員を飲み込む程大きく開いてしまった異界門に、その場にいた学生たちは全員、とぷんと飲み込まれたのだった。
落下する際の臓腑が抜けるような不快な感覚が止まった瞬間、無事か、と叫びながら真っ先に動いたのは桜深だった。
直前に使用した護符はきちんと作動している感覚がある。だがもしこちら側への召喚直後を狙われたら、という焦りから動いたのだが、見えた光景に息を飲んだ。
恐る恐る目を開ける友人たちを見回したのち、視線を一人違う制服に身を包む少女で止める。その頃には全員が目を開いてあたりを探っていて、まず先に口を開いたのは真白だった。
「え、何、……木?」
彼らをまるで守るように包んでいたのは、伸びた枝のようなものであった。それはみるみる内に小さく、成長を逆再生して見ているかのように消えていくが、その先に繋がっていたのは、間違いなく一人制服が違う少女の腕だ。腕が、木に変化したと思われるそれは、『異能』ではありえない。
「……嘘。植物系の甲の能力者って……」
声に出したのは玄太だが、察したのは真白以外の全員だ。この街にまだ慣れぬ真白も、その力が珍しいことは理解した。
そもそも動物以外の『形』を持つ異形能力者は珍しいのだ。それが植物ともなれば、最も有名なところでこの街の守り手でもある――
「えっ、樹木への変化ってまさか!」
そこで漸く真白も気づいたらしい。もしかして、というその視線を受けた少女は、目を伏せると白い肌に戻った指先を隠しながら、頷く。
「私は
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