第7話



「なーなー、このまま緑域に飯食いに行こうぜ。あとカラオケ」

「離れろ俊、暑苦しい」


 放課後の騒がしい生徒玄関、下駄箱前で、がしりと背中から覆いかぶさってきた俊の頭を鬱陶し気に押さえつける桜深の隣で、ええ、とあからさまに真白が嫌そうな顔をした。

 桜深に俊、玄太と、真白に朱里。結局クラスでの活動班もこの五名となり、なんだかんだと一緒に過ごしているのだ。今の俊の誘いは間違いなく、この場にいる五人にかけられたものである。


 入学式から約二ヵ月、もうじき夏服に衣替えだとそろそろ初夏の熱気が鬱陶しいこの時期に、炎の能力を持つ男は平気で冬服のまま友人である桜深や玄太に絡んでいる。見てるだけで暑苦しい、とは真白の弁だ。


「着替え持ってきてないんだけど」

「そのままでいーじゃん? なんたってオレたちの正装! 花の女子高生なら堂々と行け!」

「バッカじゃないの。丙高校の制服なんて着て行っても遠目にひそひそされるだけじゃない」

「そうだよね……」

 真白に同意したのは朱里のみだ。桜深はそもそもあまり気にしていない節があるし、穏やかな気質の玄太もその辺りは割り切っているのかわりと平気で一般区域……乙が多く集まる生活領域に出かけるのだから、女子二人の悩みの本質はわからないのかもしれない。

 そもそも、丙や甲が乙の暮らす地域に行くことは禁止されていない。そこに住居を構えることは、仕事上不都合がある、子が乙の能力者など理由がある場合にしか認められていないが、基本的には『平等』に近くあるべきというのが、今を統べる甲たちの考え方なのだ。一応は。


 街にはそれぞれ地図で色分けされた五つの区域がある。


 一つは白、政府の重要機関や、甲でも特に貴重とされる血筋の、いわゆる名家の住まいがある白域。

 それ以外の力ある甲やとびぬけた才能で暮らしの助けとなっている乙の住まう、青域。

 多くの一般の者、もしくは家族で丙や乙が混じる家庭が住まう、最も人の多い、緑域。

 丙が中心となって暮らしている、黄域。丙の高校や軍学校があるのもこの区域である。

 そして、人々が住まう地として外壁と結界に守られた街の内部ながらも、様々な要因から異界門が多く出現し閉鎖地域となる赤域。入学時に真白が迷い込んだ旧商店街がこれにあたる。

 また、その五つとは別に地図で黒く塗りつぶされた街の外は、黒域とされ、通ることはできても人が住める地ではなくなった場所を指している。


 上から順に結界の安全地帯となるのだが、序列最下位ともされる丙が黄域に大人しく住まうのは、何も追いやられたということだけが理由ではない。序列がひっくり返った過去にはそういった理由が強かったのかもしれないが、丙にとってもある意味ではその方が都合がいいから始まったと言われている。生まれた時から強い能力を制御することから始め成長する異形能力者とは違い、異能能力者は刺激されてこそ能力が育つと言われている為だ。

 黄域とて出歩くのも危険なほど危うい地域というわけではなく、非公式ながら『橙』と呼ばれる異界門が発生しやすい地域を避ければ子どもでも健やかに育つことはできる。……とはいえ異界門の事前察知能力はないために、その能力だけが特化した乙の『巡回者』と呼ばれるものたちが定期的に見回っているわけだが、それ以外の乙が黄域に行くことは推奨されずとも、丙が緑域に出かけることにはなんの制限もない。

 というわけで、娯楽が少ない黄域ではなく緑域に行こうぜと俊は誘っているわけだが、丙の高校の制服は関心が高い者が見れば一目瞭然だ。序列は乙にはほぼ関係ないことであり、むしろ乙が丙を貶めることは昨今の風潮では許されないこととされている為、あからさまな態度こそ取られることは少ないものの、やはり目立つものは目立つ。


「二人とも可愛いから、目立っちゃうよね」

「玄太おまえそういうとこ直球だよな……」

 にこにことフォローを入れる玄太に、桜深は感心したように頷いた。なるほどー、と桜深に凭れかかったまま手を打った俊は、ふざけた調子でブレザーなんだから上脱いだらわかんなくね? と提案し、あろうことか真白のそのジャケットの腹部にあたるボタンの位置を掴んでひらひらと揺らして見せた。勝手に女子の服を掴んで引っ張っているが、そこに『脱いでほしい』なんて邪な感情はまるでなく、男子高校生らしからぬ子どもっぽさを発揮していることは、この二ヵ月で真白も朱里も十分学んでいる。学んではいるが、そういう問題ではないと真白は食ってかかった。


 そもそもこの帆多流俊という男、ちゃらちゃらとした雰囲気はあるものの、まったく色恋沙汰とは縁遠いのだ。というより、おそらく避けている。

 数少ない女子に告白されても「オレそういうのわかんねーからごめーん」なのである。

 それを言うなら桜深も彼女なんて存在には興味がなさそうなので、クラスでそこそこ人気がある二人と一緒にいる真白……はともかく大人しい朱里ですらやっかみの視線が少なく助かっているという側面もあるのだが、多少は距離感を考えて欲しいものである。制服を脱がそうとした俊には真白の拳が落ちた。


「あらら、今日も仲良しさんですね?」

「美空」


 そこに通りかかったのは貴新美空であった。桜深が良く共にいる四人以外で一番会話があるのがこの少女で、桜深や俊がなんだかんだとクラスのまとめ役になることが多い中、数少ない女子生徒を気にかけているのが美空なのである。真白は少々苦手意識があるようで、桜深にあっさり「名前で呼んで欲しいんですの」と告げた美空に対抗するように真白も名前呼びを強要し、結果クラスメイトはほぼお互いを名前で呼び合う状況になった。玄太は照れて女子はほとんど苗字呼びであるが。

「気を付けてくださいね? 最近少し小さな異界門が多発しているというお話があるんですの」

「へえ、わかった。あんがとな」

「あらら、嬉しいですね。桜深くん、今度私たちとも遊んでください、なんですの」

 それではとひらひらと手を振って去っていく美空を玄関先で待っていたのか、クラスの中でも少し大人しい女子が彼女の周りに集まった。それを見た真白がなんとも難しそうな表情で「女王か……!」と呟くが、あながち間違いではないというか、同意されそうな雰囲気がある。


「ってか、行きたいならさっさとしろ。さすがに完全に暗くなってから黄域帰ってくんのは面倒だぞ」

 結局騒いでいた友人たちを纏めたのは、桜深だ。意外と面倒見がいいせいかそうなっちゃうんだよね、と語るのは幼馴染の玄太だが、その玄太もにこにこと桜深が動くまで眺めているだけなのだから、自然とまとめ役が桜深に押し付けられただけかもしれない。


 一般的に異界門の入り口が見えにくいとされるのは夜である。その頃に学生が黄域をうろついていれば、いくら能力者であろうと巡回者や警邏を担当する丙の大人たちが難色を示す。

 なんだかんだで付き合うらしい桜深にさっさとしろと促された四人は、そのままわいわいと緑域に繋がる駅へと向かったのだった。



「あー、すっきりした!」

 満足するまで歌いに歌いまくり、カラオケを出るなり背伸びをしつつそんなことを言ったのは、緑域を渋っていた真白である。そもそも真白はこの街ではないが緑域、乙から丙へと転身した身の上であり、緑域の空気は馴染んだ懐かしさもあるのだ。

 だろ、と同意する俊も清々しい表情をしているが、反対にちょっと疲れた様子を見せているのは俊に一緒に歌うぞとあれこれ絡まれていた玄太で、朱里はそれを気遣うようにおろおろと玄太に声をかけていた。最後尾からいつも通りの様子で後に続いた桜深は、飯はどこに行くかと騒ぐ俊の声を聞きながら、ふと視線を少し先、若者が集うゲーセンの端にたむろする集団に目を止める。そこに集まっている者たちはあまりガラがいいとは言えず、通行人もどこか遠巻きにそこを避けているようだ。

「ん? どうした、桜深」

 気づいた俊がその視線を辿り、首を傾げる。なんだあれ、と目を瞬くその表情には嫌悪感など乗っていないが、さりげなく真白や朱里を手招いて後ろへと隠した。

「なんかやばそう?」

「そうだね……」

 相手が一般人ならば、能力者、とくに丙は出ない方が得策だ。風潮がどうであろうと、絡んでくる人間はいる。そして緑域は能力者たちの能力が使えぬよう結界が施されているのだから、一般人同士のもめごとに首を突っ込むのはあまりいい結果にならないだろう。

 俊と玄太に同意するように真白と朱里もこの場を離れようとするが、なぜか桜深は、動かない。普段もめごとは基本流す桜深にしては珍しい行動に、友人たちは顔を見合わせる。

「えっと、桜深くん、もしかして」

 見過ごせないかな、やっぱり。そんな言葉を飲み込んだ様子の玄太を見て、桜深は苦笑する。

「悪い、玄太、俊。二人つれて先行っててくれ」

「は? いや、桜深、どうしたってんだよ」

「たぶんあれ、能力者が絡まれてる」

「……マジか」

 一般人同士ではなかったのか。

 その桜深の言葉にぎょっとした俊が再度その集団の方に視線を向け、そして目を見開いた。


「うわ。顔は見えねえけど、囲まれてるのあれ、たぶん、地樹月学園のお嬢様だぞ」

「え?」

「あの白いワンピースみたいな制服間違いねーよ。オレの従姉妹の姉ちゃん、『つがい』に選ばれたから見たことあるし。つがいはベルトが色違いらしいから、たぶんあの子は本物のお嬢様のほう」

 俊は難しそうな表情で告げると、腕を組んで俯く。

 異形能力者の多くは動物に近い姿を得る為、能力の相性が非常にいい相手を『つがい』と呼び、その相手がたとえ丙であろうと大切に囲うのだと言われている。つがいを得た異形能力者には様々な利点があるのだ。

 つがいは形式上そう呼ばれるようになっただけで決して異性とは限らないのだが、丙の女学院にはそのつがいに選ばれることを夢見る少女たちも多く入学する。そして実際つがいとなれば大体が相手の、つまり甲の学園に特別編入となるので、普段目にしない制服ではあるが俊には記憶に残っていたらしい。

「……なんで緑域でもこんなちょっとお上品じゃない地区にいんのよ」

「そこまでは知らん!」

「はぁ。ちょっと都美山、何する気? 緑域の警邏を探して声かけたほうがいいと思うんだけど」

 真白の言い分は最もだ。だが、少し遅かった。


 距離が少しあったとはいえ、ずっとその場にとどまりちらちらと視線を送っていれば、さすがにあちらの集団も気づくというものだ。


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