第5話



「――であるからして、我々、丙の祖は、今なお『侵略者』たちからこの世界を守る『神降し形様方』様方を迫害するなどという恐ろしい大罪を犯し……聞いているのか、都美山桜深!」

 退屈な話を聞き流しつつ、ぼんやりと隠した携帯端末を弄っていた桜深は、自分の名前が聞こえたと同時にさっと首を傾けた。同時に上げた手のひらで、髪を掠めた衝撃を受け止める。

 手のひらの中で砕けたそれを握り込んだ桜深は、随分遠慮なく投げたなと文句を小さく零す。そのまま唖然とした教室内でゆっくりと立ち上がりつつ表情を作り上げ、腕を窓の外に突き出した。手の中にある昔ながらのチョークがぱらぱらと砕け落ち、空を舞う。

 これだけで、桜深の身体能力の高さが伺える。一般より高い能力を持つ丙と言えど、教師もまた丙なのだ。かなりの速度で放たれたチョークを避けるだけではなく、痛みを見せることなく砕けるそれを平然と掴み取って見せるなど、異様だ。そのせいで、桜深の笑みは心底気味の悪いものに見えたことだろう。


「……もちろん聞いてます、佐塔先生。異能能力者は、許されない罪を犯した。当然その罪を忘れたことなどないですから」

 桜深の、普段よりも穏やかな、感情すらこもっていそうな声に、後ろにいた俊が教師に聞こえぬ程度の小さな声で「出たよ桜深の外面、いい子ちゃんモード」と呟いた。その横では真白が噴き出しかけて震えているので、茶化した俊はあとで殴られそうだ。

「……ふん、ああそうだ。よくわかってるじゃないか。だが人の話を聞けないような――」

「でもさー先生、その話、この学校に入った時から何度も聞かされて、正直耳にたこができる、ってやつ」

「なんだと!」

 桜深の後ろから突っ込む俊のその言葉に、クラスメイト達がぎょっとしたのがわかる。

 そもそもこの桜深が歴史の教師に絡まれるのは、最早最近お決まりの出来事なのだ。……というのもこの教師、入学してから教科書も無視してあまりにも過去の異能能力者の罪の話ばかりしている、いわゆる丙や乙の中に多少なり存在すると言われる甲信奉者なのである。

 何度も同じ話、それも異能能力者の存在自体に罪悪感を植え付けようとするその授業は、当然生徒たちにとって苦痛以外の何物でもない。不満も出る。そしてそれを感じた教師がさらに苦痛を強いる……それを面白くなさそうに見つめていた桜深は、いつからか、満遍なく生徒に当たり散らすその教師の矛先を己に向けてしまった。

 煽ったのだ。

 わかりやすく携帯端末を弄って見せ、同じ話しかできないんですかと、笑顔のままあれこれ口で攻撃してくる教師に言葉だけでやり返してしまった。それも、どうなるかわかった上で。


 桜深の性格を誰よりわかっていた玄太はこの時点で頭を抱えていたが、最初は混乱していたクラスメイトも、桜深がわざと注意を引きつけてくれたのだと最近は気づいていて、下手に目立つ行動をとるよりも少しでも桜深が的にならぬよう大人しくしていたのだが。彼の親友の一人とされる俊がその均衡を崩したことに、クラスは動揺し――ある種の期待を向ける。彼らも、この信奉者教師のいいようにされ桜深に負担を強いることは良しとしていないのである。


「だってそうでしょー先生。何度も何度も繰り返さずとも、諳んじれる程聞かされてきた話ですよ。そんなにしつこく飽きるほど聞かされることこそ、大切さを薄れさせるとは思いませんか! そこんとこ大事ですよ先生。ほかならぬ甲様の話ですよ!」

 のらりくらりと話すことが多い俊の声にだんだんと熱が籠ってくる。さらに、ほかならぬ甲様、という言葉に、教師はぴくりと反応した。

「なに……?」

「いいですか、先生! 先生だってただお決まりに授業終わりに言われる『ありがとうございました』より、誰かに直接言われるほうが嬉しいと思いません? 例えば甲のアイドル、『うさみみカレンちゃん』が転びそうになったところを助け、『ありがとうございます、佐塔センセ』なんて言われるほうが嬉しいと思いませんか!?」

 ちなみに教師・佐塔がアイドルうさみみカレンちゃんに熱を上げていることは、この学校において公然の秘密である。隠せていると思っているのは本人のみというやつだ。

 普段不真面目な生徒が真剣な表情で熱弁し、教師は飲まれた。いや動揺したのか。普段ない状況への適応能力が低いとも言える。

「ここぞと言う時にこそ語る、それが大切なことを伝える定石でしょう! それならば、過去の話を踏まえた上で、今も我々の為に『敵』と戦ってくれている『神形様方』がいかに素晴らしいのか、それを先生たちから教えてもらう方がよほどためになるってもんですよ!」

「す、すばらしさだと」

「そうです! 例えば今朝、北方面の結界樹付近の外壁に新たな亀裂痕が発見されたとか! 当然神降し形様のどなたかがご対応されたんでしょう? やっぱり先生ならご存知なのでは?」

 この雰囲気をどうするつもりなのかと思いきや、どうやら俊は話を逸らすことにしたらしい。黙って様子を見ていた桜深は僅かに口角を上げ口を開く。

「なるほど確かに、帆多流君の言うように詳しいのではないですか? も……みんなも聞きたいかと。なあ?」

「僕も聞きたいです、先生ご存知なんですか!?」

「先生ー、あたしこの地区に詳しくないのでぜひ知りたいです!」

 ぱっと笑顔で先生に期待の視線を向ける玄太と、ひらりと手を上げ主張する真白の輝く笑みに、うっと教師は呻く。

「あらら、私も知りたいですの、センセ」

「智も、興味、あります……」

 追撃をかけたのは、貴新美空と扇刃智であった。真白とは系統が違う、どこか妖艶さ含んだ美貌を持つ美空と、おっとりとした美少女にも見える智の言葉に、教師はさらに呻いた。心なしか首元が赤い。ちなみに扇刃智は男子生徒であるので、先生にはとどまってもらいたいところだ。

 知りたい、なんて当然のように言われ慣れていないこの教師、きょろきょろと視線を泳がせながらも、とうとう「いいだろう」と頷いた。


 わっと周囲が沸く。亀裂痕の噂マジだったのか、だとか、うっそ私知らなかった、だとか。賑わう教室の反応を見ていた教師は、先生教えて! の言葉に陥落し――たかと思えば意気揚々と今朝の事件について語りだす。


「仕方ない。では今回と、特に大きく報じられた二年前の亀裂に対する神形様のご活躍でも少し話そうか。神形様の中でも守護に長けていると言われているのは知っての通り地樹月家、討射の出身地方で言うならば梶須舞家の方々であるが――」

 そのまま生徒に押されるように話し始めた教師を見て漸く桜深が椅子に座れば、お疲れ、と後ろから声をかけられる。だが今回熱弁を披露したのは桜深ではなく、俊だ。

「おまえな、最初はひやひやしたぞ。役者かよ」

「マジか。それ桜深が言うなんてなー、オレ役者なれそう?」

「無理無理、今のはやり過ぎて逆に胡散臭い。わざとらしすぎて鳥肌」

 真白の突っ込みに、ひどいわ、とポケットから配布されたらしいポケットティッシュを取り出しその袋ごと顔に当て泣き真似する俊を見て真白が盛大にため息を吐く。

 幸いにしてこれ幸いとクラスメイトたちが教師に声をかけるおかげで、今なら少し話しても問題なさそうだ。

「てかなんであんなことしたんだよ」

「そりゃ当然、桜深ばっかいいかっこしてんのが悪いだろ? 一組の奴らの対応も、信奉者の相手も全部桜深が被ってくれてたじゃん」

 その俊の言葉に、桜深は眉を寄せる。桜深としては別に、自己犠牲やら正義感でどうこうしていたわけではない。ただ不快だからやり返した、ある意味では本気で自己中心的な我儘を発揮したのである。正義感からクラスメイトを守ろうとしたのであれば、それこそ今の俊のように別のやり方があっただろう。……と桜深が考えようが、幼馴染の玄太は元より、同じクラスで二ヵ月ほど過ごした友人たちは聞きやしないだろう。

「オレらにもやらせろって。似てた? 桜深の真似」

「あれ、俺の真似かよ……」

「うそ、桜深くんならあそこで煽りに煽ってそれで授業潰して時間稼ぎしたと思うよ? 俊くんのほうが上手いかも。ね、桜深くん」

「玄太、おまえな。俺を何だと思ってんだ」

 そう呟きながら表面上先生の話を熱心に聞いているかのように視線を前に向ければ、玄太は苦笑する。同時に、まったく、と呆れたような声が後ろから届いた。

「桜深、あんま綱渡りなことするなよ」

 それは、確かに心配されてのものだった。見回せば、俊と桜深に向かって、先生の目を盗んでクラスメイトたちがピースやら笑みやらを向けてくるのだから、苦笑するしかない。共通の敵、というより相手からはライバルとすら見てもらえないという一組の生徒はことあるごとにちょっかいを出してくるし、やる気のないもしくは洗脳でもするつもりかという大人に囲まれたこの状況において、桜深や俊、真白といった生徒によってもたらされた連帯感。入学から一ヵ月半、このたった二十五名のクラスの団結力はなかなかのものだ。

「……わかってるよ」

 不貞腐れたように答える桜深は恐らく照れているのだろうと、わかりにくい友人のことを知るたび俊や真白は笑みを浮かべ、玄太は嬉しそうに目を細める。


 気づかぬ教師は、いつもの不機嫌な声はどうしたのかと思うほど上機嫌に、今朝の甲による偉業を語っていた。


 そもそもこの教師が言う神降し形様方、神形というのは、甲である異形能力者のことである。それも、相当敬う者たちもしくは異形能力者本人が口にする言葉で、異形能力者のその姿は動物ではなく神である、という考え方が元となっているのだ。

 それはおそらくあながち嘘ではないだろうと乙の者たちも語るという。というのも、有名な異形能力者に四神の姿を借りたのではないかと思われる西白家や東雲家といった名家があり、この街で最も有名な地樹月家は植物の姿を得る為だ。八百万の神がいると考えられるこの国で、異形能力者の姿は神から受け継いだものであるかもしれないと考えられるのはある意味必然であった。

 だからこそ過激な信奉者なんかも存在するわけだが、その異形能力者が人々の生活を守る大きな力を持っているのは変わらぬ事実である。


 だが教師の語る亀裂痕の話に皆が食いついているのは、何も同じように神形に興味があるからだとか俊や桜深の策に乗ったというだけではない。結界を傷つけるような敵の存在……この街を十年前に襲った災厄の主、『三つ目』が戻ってきたのではないかという根本的な恐怖がある為だ。

 二年前にも一度、街を覆う外壁と結界に外から与えられた衝撃によるものと思われる大きな亀裂痕が見つかったことがある。その時は甲の者たちが必死に対応にあたるも、結界と外壁を修復できたのはひと月ほど経ってからであり、かなり街の住民は不安な日々を過ごしたものだ。

 化け物たちはより多く人を喰らうと褪色界から外に溢れ出る。多くの被害をもたらした三つ目は、瀕死まで追い込んだものの異界門から抜け出したまま、街の外へと逃げられた。今なおどこかでひとを狙っている……それをこの国の者で知らぬ者はいないのだから。


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