第3話



「水の能力者を呼べ!」

「いや炎だ! 水なんでぶちまけて見ろ、感電するぞ!」

「炎の能力者は火を鎮めろ!」


 ああ、ウルサイ。またこの夢か。


「そんなことより、化け物どもはどこにいる! 裂け目はどこだ、探せ!」

「三つ目を排除しなければ、火を消しても意味がない!」


 大人たちの叫ぶ声がひどく耳に残る。どうせ無駄なのに。この日の"敵"を、人類は、捕り逃したのだから。

 甲も乙も丙も関係ない。

 だから静かにしてほしい。最期まで俺を守ってくれた命の音が、聞こえなくなるだろう。


 熱など感じる筈もない夢の中、記憶をもとに蘇る痛いほどの熱が全身を嬲るように這いまわる。これは夢だと自覚しているのに、俺の脳は夢の中ですらその苦痛を正確に蘇らせていた。

 開きたくもない目を開き、俺の目はその光景を脳裏に焼き付けるかのように一点に集中する。

 すぐ目の前にある灰色の瓦礫の山。そこから伸びる青白く細い枝のようなものが、俺の腕を支えていた。そこにある揺らめく炎の色を写しとる小さな光は、愛する人と揃いなのだと持ち主がとても大切にしていた輝きだと知っていた。自分の子どもにのろけるほどに、仲のいい夫婦だったから。

 ところどころ濡れたような黒が広がっていくその瓦礫の隙間から、色を失った『目』がこちらを捉えている。最後まで俺を見ていたあの瞳はもう、俺を映していないのだろう。

「おかあさん」

 なぁに、桜深。そう呼ぶ柔らかな声はもう聴くことはできない。

「おとうさん」

 どうした、桜深と視線を合わせてくれた時に感じるあの安心感は、抱き留めてくれるあの熱は、これからなくなっていくのだ。

 動くことはできないこの夢の中で、やけに温かく感じる俺の身体を包むものの正体はきっと、俺を守ろうと腕に抱えてくれた、父で。この後少しずつ熱を失っていくのだと、記憶が知っている。遺されたのは、自分と、熱のないたった一冊の本のみなのだから。

 パキリ、と母の伸ばされた腕に、ガラスのヒビが広がっていく。ヒビから崩れ落ちる欠片と共に、ぱらぱらと、世界が崩れていく。



 はっとして体を起こした桜深は、荒い呼吸を繰り返しながら喉を押さえた。

 もうあの焼けるような熱さは感じない。それでも喉が焼けて熱を持っているように感じて髪をかき乱した桜深は、今いるのが自室に引いた布団の上であることを確認し、一つ大きな息を吐く。

 何度も何度も何度も何度も、この全てを失う夢を見た。

(あの日俺から奪われた、それは俺のすべてだった)

 そう考えてしまうような、忘れられない出来事だった。そろりと手を伸ばした桜深は、枕元にあった本を一冊手繰り寄せる。

 それは、符術士であった両親が桜深の為に遺した、符術の知識を記した本だ。桜深の為だけにつくられたそれはすべて両親の手書きであり、筆跡は二人分。通常の符術士の技術とは違う、一族の秘伝とされる技術まで記された、世界にただ一つのもの。

 これが遺されていたからこそ、専門の技術習得が必要となる符術士でありながら、その為の学校を選ばずとも桜深は技術を得ることができたと言っていい。

 ぱらりと捲った桜深は、最後にあたる裏表紙の裏に張り付けられた紙の表面、封印を示す文字を撫でた。数ページ貼り付けられているとわかる厚みがあるのに、その中身を確認できたことはない。その隣にある最後のページには、しかるべき時、桜深が困ったときにだけ封印が解けるようにしてあるのだと父の文字で綴られている。

 これまでに困ったことなどいくらでもあった。だがそれでも解けなかったのだから、父の言う「困ったこと」は起きていないのかもしれない。

 そこでふっと視線をずらした桜深は、飛び込んできた時計の針の位置にばさりと布団を跳ねのけた。その拍子に本が床に落ちたが、今まさに非常に困る状況であるも、やはり封じられた最後の数ページは張り付いたままだ。

「やべ」

 都美山桜深、誕生日を迎えたばかりの、十六歳。高校入学二日目にして、遅刻決定であると時計の針が指示していた。



「ぶはっ、ふ、はははははっ」

「うるっさいわね、仕方ないじゃない、落ちたんだから!」

 爆笑する俊に、真白が噛みついている。

 昨日からではあるがすでに親睦会でも見た慣れたやり取りに、クラス中がつられたように笑った。

 というのも、この討射真白、昨日の入学式に続き二度目の登校日である本日も、一時間遅刻して学校に現れたのである。理由は――またしても、運悪く通学路に『異界門』が開いて落ちた、というもの。

「あー、討射。おまえどこ通ってきたんだ?」

 さすがに連続ということで事情を尋ねるつもりになったらしい担任の言葉に、どこって、と戸惑う様子を見せた真白が、なんとか通学路にあった覚えのある店や建物の名を口にすると。

「……そこ、閉鎖された旧商店街じゃねえの」

 ぽつりと呟いた桜深の言葉に、え、と真白が固まった。

「へ、閉鎖? なんで?」

「そりゃお察しの理由だろ。店も開いてねえし、人、いなかっただろ?」

「……そういえば」

 桜深の言葉でさっと真白の表情が青褪める。それを見てさすがに笑いをひっこめたらしい俊が、マジかよ、と呟いた。

「旧商店街っつったら、異界門開きまくりーな南区名物ゴーストタウンじゃん」

「あんなもん名物にすんなよ」

 俊と桜深の会話を聞いた真白は口元を引きつらせて慌てて担任を振り返るが、その担任はどこか呆れた様子で真白を見て肩を落とす。

「……討射、お前な。通学路を記した地図は渡しただろ」

「わ、わかんないですよあんな知らない地名だらけの地図!」

 どうやら引っ越したばかりの真白が迷い込まぬよう、担任は比較的安全な通学路を指示していたようだった。それが生かされることはなかったようだが。

「んなとこ通ったなら異界門あんのはわかっけど、なーんで落ちんだよ」

 にやにや笑う俊に、真白はきゅっと口を尖らせ、だって急に開くから、と不満そうにする。しかしその言葉に、周辺にいた生徒たちは首を捻り……ああ、と理由に思い当たったのは、担任である風河だった。

「そっか、おまえはまだわかんなかったな。あー、んじゃそこの、もう一人の遅刻生徒にでも聞いてくれ。門出現の兆候」

「え?」

 戸惑う真白の斜め前で、げ、と小さく声を漏らして眉を寄せたのは桜深だった。どうやら真白ほどではないが、桜深も遅刻していたらしい。そうそうお前、と担任に指示された桜深はものすごく面倒そうだ。

「討射はな、後天性……かどうかわからんが、能力者だと知られず育ったんだ。おまえらも知っての通り、乙の住まう地域は滅多に異界門なんざ開かんからな。ま、それで二度も門から生きて帰ってこれるんだ。楽しく破天荒な術者になれんだろ」

 状況がわからぬ真白に代わり説明した担任の言葉に、生徒たちは驚いたように真白を見る。その視線を受けて居心地悪そうに真白は視線を逸らすが、向けられるのは階級が違ったという警戒ではなく、どこか羨望のようなものが多い。

 本来であれば担任もそこまで説明するつもりはなかったのかもしれないが、さすがに知識がない状態で丙の街で暮らすのは危険だ。話を聞いてしまえば先ほど大笑いしていた俊まで笑みを消していたのだから、さすがの真白も口を閉ざす。そこで時計を確認した担任は、つーわけで頼むぞと担任が教室を出ていった。……まだ終了の鐘の音は鳴っていないが、少し早いくらいはいいかという考えのようだ。


「……あんた、遅刻したの?」

「そうだよ」

 悩んだ末真白が声をかけたのは、不貞腐れた表情を見せていた桜深だった。

「あはは、目覚まし七個くらいあったと思うけど、足りなかった?」

「七ぁ?」

 玄太が苦笑しつつ桜深に声をかければ、俊が目を見開く。

「なになに、桜深ってば寝起き悪いとか?」

「音なんかで起きれるかっての」

「僕たちのいる『あすのひ』じゃ、必ず誰か起こしてくれてたもんね」

 それは彼らの育った養護施設の名だ。桜深はそこをすでに出ているが、様子から誰かが揺すって起こさねば目覚まし七個あっても駄目なのだろうと察した俊が、ぽん、と桜深の肩を叩く。

「オレ、可愛く裏声使ってモーニングコールしてやろうか?」

「音じゃ起きねぇっつってんだろ……」

「そこじゃないと思うんだけど?」

 いいから門出現の兆候を教えてくれないだろうかと頭を抱える真白に、玄太が「えっと」と答えようとしたのを桜深は視線で止め、言われた通りちゃんとやるよと体の向きを真白へと向けた。

「波紋だよ。地面が波打つ」

「……波打つ? そんなの見たことないけど」

「そりゃ、簡単に見れるもんじゃないからな。いいか、俺たちのあの化け物に通用する力は祓力なんて呼ばれてるだろ。あれはこの国で昔敵を『穢れ』だと称したからこそ『祓う』って言葉が使われたせいだ」

「……それは聞いたこと、あるわ」

「で、その穢れと呼ばれた原因だが、あいつら、黒い靄みたいなもんが漂ってるだろ?」

 異界からの侵略者とも呼ばれる化け物たちのその体の周囲には、濃く黒い霧のようなものが漂っている。それを穢れであるとし、祓うと討伐という考えは正しい。あれは、化け物の力そのものだ。

「『黒霧』と呼ばれるその靄は、実は乙にはまずほとんど見えていない。見えないが感知能力は高く、多くは恐怖として乙の脳を刺激する」

「……なるほど、乙がものすごく怖がるのはその靄のせいってわけ」

「そうなるな。で、実は、甲にもあんまり見えてないことが多いらしいんだ。かなり注意深く見ればあったってわかる程度、らしい」

「え、そうなの? 丙より甲のほうが感知は優れてるって聞いたけど」

「そう、感知だ。甲は乙ほどじゃねえけど、感覚派でな、目より鼻やら感覚で理解する奴の方が多いんだと。で、異界門は当然敵の力で溢れかえってんで、その穢れがひどい」

 その桜深の言葉に、じゃあ、と真白は胸の前で手を打った。

「丙だけはその靄をはっきり見ることができるってわけね。あ、わかった! じゃあその異界門も靄のせいで、丙だけが見えるのね!」

「はい残念不正解!」

 自信満々答えた真白に、ノリよく桜深は不正解を叩きつけた。ずる、とこれまたノリが良く真白は体勢を崩し、なんでよと叫ぶ。

 周囲にいたクラスメイトたちもその様子に笑い、どうやら丙にとってわかりきった内容であるとはいえ桜深たちに注目しているようであった。

「正解は、見えないがよくよく気を付けると歪んで見える、だ」

「はあ? でも靄ならあたし、はっきり見えてるけど?」

「あの黒い靄は、褪色界の方が見やすいんだよ。特に能力者は褪色界では普段抑えられてる力が扱いやすくなるしな。見えにくくなるのは『こっち側』での話で、そうなると丙が比較的見える方なのは確かだ。そこで話が戻る。異界門はあの化け物どもの力。つまり多少なり『黒霧けがれ』があるが、こっち側に干渉中ってだけではっきり見えるわけじゃない。だがそれは確かに、溢れようとしてる最中だ」

「……それが波紋みたいに見えるってことね?」

「そういうこと。それもこっち側にいる時はかなり集中して祓力を使わなきゃ見えねえよ」

 目元を指してそう話す桜深に続き、玄太も頷いて肯定する。

「最初は水面に花びらが落ちるようなもの。アメンボがつくる波紋よりわかりにくいけど、慣れたらきっと見えるようになるよ。最終的には小石が落ちたくらい大きくなるけど、そうなったらもう逃げるのは無理かも」

「だんだん大きくなるってこっとー」

 俊がそう告げたところで、漸くスピーカーから途切れたチャイムの音が響く。


 そこで、そういや、と俊は首を捻って黒板を指した。そこにかかれているのは今日のタイムスケジュールで、次は移動しなければならないらしく教室名が書かれている。

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