ひなた's ダイアリー

桃波灯火

ひなた's ダイアリー

「うぅ…寒い」

 時刻は二時。昼間なのにとても寒い。冷たさが肌を刺してきていた。日差しはあるのになぁ、体を震わせながら雪を踏みしめる。

 私は家は日本家屋。しかも大きい。田舎ゆえに土地が有り余っているのだった。

 庭に出て桜の木の下に向かう。大きな桜の木だ。ご先祖さまが植えてからずっとこの家を守っているそうだ。父もいつから生えているのか、はっきりとは分からないと言っている。

 私はしゃがみ込むと、手袋をはめた手で雪をどけ始めた。

 手袋越しにも雪が冷たい。手がかじかんでしまいそうだ。そうなる前には家に戻りたい。

 目的に夢中になり、私の心はだんだんと冷たさから解放されていった。



「う…あぁ」

 耳元で大好きなアイドルグループの音楽が聞こえてくる。小さくうめいてスマホを手に取ると、六時半と表示されている。

 大音量の音楽は寝起きの頭にガンガンと響いた。

 ナマケモノもびっくりのゆっくりさで布団から這い出る。眼鏡を手探りで探し、やっとの思いで立ち上がった。

「ふぅ……あぁ」

 言葉になっていない言葉を吐き出す。大きく伸びをし、カーテンを開けた。

 日差しが目を刺す。暗闇に慣れた目は痛むが、これが朝の目覚めには必須だった。

 いくら好きなアイドルグループの音楽でも足りないよね。

 重たい足を引きずって階段を降りる。リビングにつながる扉は開いていて、テレビの音声が漏れていた。

「おはよう、よくねむれた?」

 テレビを見ながら母が声をかけてくる。

 はて、朝のニュースを見るような母親だったか? と思いながらテレビを見ると、ニュースはやっていなかった。

「あれ、ニュースやってないの?」

「え? やってないわね」

 この時間でこのチャンネルならニュースがやっているはずなのだ。受験の面接でニュースがの話題が出るって話だったからかじりついて見ていた。

 実際、面接で聞かれたのだから見ていたかいがあったというもの。

「なんで? この時間でこのチャンネルならやってるでしょ?」

「んん? あぁ、今日は土曜日よ」

 土曜日。スマホの電源をつける。確かにそこには土曜日と書いてあった。

「ひなた、毎日休みだからって気が抜けてるんじゃない? 学校いったらどう?」

 あきれたような表情で母が言った。もちろん、テレビから視線は外さないまま。

「今行ったってすることないよ」

 そう言って冷蔵庫から牛乳を取り出して一気に飲み干した。

 私が通っている学校は二月から自由登校だ。大抵の人は受験が控えているから登校するが、私は前期入試で進路が決まっているから行く必要がない。

 毎日毎日家の中でだらだらしている。

「でも外くらい出なさいよ、健康になるわよ」

「現役高校生が外でないだけで不健康になる?」

 思わずぶっきらぼうになる。そのままドカッと椅子に腰を下ろした。

「どうせ暇なんでしょ?」

 母が言う。もちろん、テレビから視線は外さないままだった。



「……すぅ」

 外に出る気はなかった。でも掃除をするからって家を追い出されてしまった。

 ……本当に掃除するの? あの母親。

 しかたなく外出。あてもなくとぼとぼ歩いている次第。

 空気が冷たい。周りは音一つ立たなかった。一面が銀世界で、雪が音を吸収しているんだろう。

「あ、先輩! 先輩!」

 自宅が見えなくなってきたころ、そんな静寂の世界に声が乱入してきた。

「ちかこちゃん」

 声のした方にふりかえると、そこには部活の後輩がいた。

「先輩、お久しぶりです!」

 ちかこちゃんは元気が有り余っているようなテンションだった。笑顔がまぶしい。ジャージにマフラーで白い息を吐いている。もこもこのセーターに外套の私とは対照的で寒そうだった。

 ジャージって、意外に寒いんだよなぁ。特に脚。

「今から部活なの?」

「そうです! 先輩もどうですか?」

 無邪気な笑顔。まぶしい。

「いや……私は遠慮するよ」

「えーー!」

「また今度ね」

 食い下がってくる後輩をなだめながら考える。私は高校でテニス部に所属していた。でもテニスが好きかというとそういうわけでもない。私たちが通っている高校はとても田舎にある。部活も野球とサッカーとテニスくらい。必然的に女子の大半がテニス部に入るわけだ。

 まぁ、その分在校生自体が少ないわけだが。

「絶対ですよ、絶対!」

 後輩は不服そうな表情をしながらも私を開放してくれた。自転車にまたがって私に手を振ると、すぐに走っていってしまう。

「部活か……」

 右手を握る。そこにラケットはないが、部活について思い出すには十分だった。テニスをしたくてテニス部に入ったんじゃない。することがなかったからテニス部に入ったのだった。

 高校生活は部活、そして友達と遊ぶこと。田舎だから大した遊びもしてはいないが。

 大学に進学してからテニスを続ける気はなかった。というか、受験が始まってからはテニスを完璧にやめていたし、あの時点で私のテニスに対する意欲は消滅状態。

「暇だな」

 思わず口からこぼれた言葉。その言葉でハッとしてしまう。いまだ友達は受験中。遊びにも誘えない。三年続けた部活も惰性でやっていたものだった。

 私は、薄い。高校生活を無駄に使いつぶしていたのではないか。一回そう感じてしまうとそれが心に染み入ってくる。

 自然と足は家に向かっていた。けれどその気持ちは頭から離れない。一度染みた色は完璧には落とせないのと同じ。目で見てわからないところまでそれが浸透していくのだった。

 不安になる。そんなことを考えながら家路についた。母はまだテレビにかじりついている。

「ただいま」

 私は小さくそういうと、階段を上がって自分の部屋に入った。そのままベットに倒れこみ、目をつむった。




「う、う~ん……」

 ゆっくり目を開ける。口に違和感を感じて手を当てると、髪を巻き込んでいるようだった。

「今何時……?」

 緩慢な動作で布団をまさぐり、スマホを探した。

 スマホを起動する。ロック画面は明るくて、寝起きの目にクリーンヒット。思わず目をそらしてしまった。

 いつもそうだ。毎日これの繰り返し。まぶしいことを忘れて目を傷める。これがサイクル。こんな小さなことでも忘れて、積み重なっていない。無駄な行程。そう考えると同時、寝る前の記憶がよみがえってきた。心がすっと冷たくなっていく感覚。一度捨てたはずの記憶が下りてきて、心に根を張った。

 それを振り払うように体を起こす。そして目を細めながらもう一度画面を見た。

「一時……」

 となると五時間くらいは寝ていたことになるのか。いつも夜に眠っているのと同じくらいの時間だ。

 時間を使いつぶした……。

 無理やり、もう一度めぐりそうになった冷たい思考を取り払う。


「お母さん?」

 リビングに入る。母を探すが居ないようだった。テレビはつけっぱなし。どこかにいるのだろうか。

 玄関で母の靴を探す。靴はなかった。出かけたのだろうか。

 母は勝手にいなくなったり、突如として大きな買い物をしてきたりする。リビングに戻って私は、キッチンにある巨大な食器洗濯機を見た。これも母が買ってきたもの。いわく「洗うのがめんどくさい」だそうだ。

 後々ネットで検索してみたら、十何万とかするものだったと知って驚いた。

「ん?」

 テレビでも見ようと椅子に座ったとき、机に紙が貼ってあるのに気が付いた。

 どうやら母からのメモのようだ。「買い物にいってくるから、ご飯はご自由に」とのこと。

 昼ごはんか……正直抜いちゃっても、いいかな?

 夕飯たくさん食べられれば問題はないよね。

 そう思って昼ご飯のことは頭から捨て去った。テレビのリモコンを手に取ってポチポチポチ。

 ザッピングをしていると、好きなアイドルグループのメンバーが映し出された。

「あ、出てるんだ! 知らなかったぁ」

 どうやらゲスト出演のようだった。

「お昼ナンデス、見たことなかったな」


 それからしばらくその番組を見ていた。推しアイドルは面白くて、名場面がたくさん。

 料理対決で推しがお魚を焦がして炭化させたのはさすがに腹を抱えてしまった。

「おもしろかった~」

 番組はエンディング。ひとしきり笑いまくった私は満足感を覚えていた。

 ふう……、っ。

 まただ。気持ちが落ち着いてきて、さっきの冷たさが襲ってきた。その冷たさはループすればするほど激しくなっているようだ。ひたすらにという言葉が頭を支配してしまう。その冷たさは粘着質で、いくら頭を振っても離れてくれない。どろどろとしたものがまとわりついているようだった。

 なんとかしなくちゃ。そう思ってテレビに視線を戻す。そういう時は推しに癒されるに限るのだ。

「あぁ、かっこいいなぁ」

 推しはイケメンで優しそう。テレビで見る彼は他のタレントよりもひときわ輝いているようだ。少しだけ、冷たさが離れた気がする。しかし、離れたことを意識してしまうたびに冷たさは踏みとどまった。完璧にはいなくなってくれない。そしてそれを意識してまた存在がはっきりしてしまう。

 堂々巡りだった。

『ちょっと、やめてくださいよぉ』

 推しが芸人さんにさっきの失敗をいじられている。

『あれ焦がした時は笑ったな!』

『恥ずかしい……』

『それはそうと、お知らせがあるんだよね?』

『あ、はい! 僕たちグループが出演する舞台が始まります』

 それそれ。もう予約チケットは取ってある。それの宣伝のために出演していたのか。

『料理対決は?』

 芸人さんがニヤニヤしながら言う。

『もう、忘れてください!』

『ごめんごめん、では最後に一言どうぞ!』

『え? えっと……みんなも友達と対決してみてね!』

『焦がさないように気をつけて!』

 芸人さんが割り込んでそう言った。推しの「も~~~~~~~」という言葉で番組が終了したのだった。



「天ぷら粉って小麦粉とは別なの?」

 私はキッチンに立って呆然としていた。推しの言葉に乗せられて料理をしようと思い立ったはいいものの、その複雑さに驚かされてしまった。

 ここはダンジョンだ、迷宮だ。見ただけでは用途が分からない器具、薄力粉と強力粉といった違いが分からない粉。おまけに天ぷら粉という専用のものすら出てきたではないか。

「お母さんってすごいんだな」

 初めて母を尊敬した気がする。もはや尊敬を通り越して畏敬といってもいい。怖い。ダンジョンのように複雑なキッチンを使いこなすとは、テレビにかじりついている普段の様子からは想像ができなかった。

「……えぇぇいっ、ままよ!」

 一回やると決めたのだ。わからないなりにやってやろうじゃないか。あの「やってよお願い!」でも完成していた。

 ……わからないけど、とりあえず洗わないといけないよね?

 袋に入れていたを取り出す。蛇口をひねってそれを洗い出した。

「冷たっ」

 水道水はとても冷たかった。思わずお湯にしたいと思ってしまう。蛇口を横にしようと手をかけて、

 でも、温水で洗うのってどうなんだろう?

 よくわからない。私は推しにそそのかされて料理をしだした身、常識を知らない。

「わからないならそのままだ! 普通の水で洗っても損はない! ……はず」

 ひぃぃぃぃっ、冷たい!

 庭からとってきたふきのとうをすべて洗い終えた私は、ストーブに手を当ててあったまっていた。

 料理って、大変。毎日やっている母が凄いのだと改めて感じた。

「よ、よし……続きだぁ」

 手はまだ冷たいが、途中で放り出すのも嫌だった。それこそ時間の無駄というもの……。

「っ…、はやく始めよ!」

 キッチンに早足で戻った。

「次は天ぷら粉?」

 キッチンをひっくり返して探しだした天ぷら粉の蓋を開ける。

 これを、ふきのとうにかければいいのかな?

 ゆっくりと袋を傾けて……、

「あっ」

 思いっきりこぼしてしまった。どさぁぁと音が聞こえる気がする。白い粉が宙を舞っていた。

「まずいまずい、片付けな……ぶわくしょんっ!」

 舞った粉を吸い込んでしまったらしい、盛大にくしゃみをしてしまった。それでまた粉をまき散らしてしまう私。

「あぁぁぁぁ! もうっ」

 シンクのヘリに手をついて肩で息をする。

 前途多難……。

「と、とにかく、粉はついたでしょ!」

 天ぷら粉に埋まったふきのとうを取り出した。しかし、粉はついていない。正確にはついてはいるのだ。しかし、持ち上げた途端に粉が全て落ちてしまう。落ちなかった粉だけであの衣が作れるのか、正直に言って不安だ。

 ふきのとうを一つつまむ。しばらくそれとにらめっこしていると、あることに気が付いた。

「付いて残ってる粉、これ濡れてない?」

 洗って水気は取ったはず。でもこの粉は濡れていた。つまり、のこった水気に付いたってことでは?

「ナイスアイディア!」

 私の料理計画に光が刺した気がした。俄然やる気が出てくるというもの。

「じゃあ次は揚げよう、……揚げればいいのか?」

 やっぱり不安になってきた。



「いただきます……」

 目の前にはふきのとうの天ぷら。言うなれば「我が家産ふきのとうをつかった私天ぷら」といったところか。

 大根おろしが入った皿も隣に置いた。これも大変だった。大根の皮の剥き方が分からなかったのだ。

 結局、悩んだ末に私は大根を長方形の形に切ってしまった。皮付近の中身は無駄になってしまった。これは母に任せよう……。多分何とかしてくれるはず。この短時間で母に対する評価はすこぶる上がっていた。

 天ぷらを天つゆに通して、ゆっくりと口に入れる。天つゆの風味が口の中に広がった。鼻を撫でるその匂いを感じながら、噛む。

「おいしい……」

 以前、夕飯で出てきたものとは違う触感。私のふきのとうの天ぷらはサクサクと呼べるものではなかった。しかし、おいしい。

「………」

 しばらく無言で口を動かす。この独特の匂い、鼻を刺してくるようだ。けれども痛くない。舌から始まって口内全体、体中に染み渡るような深い味わいだった。

 天つゆに大根おろしを足す。ふきのとうを天つゆにさっと通した。大根おろしが天ぷらの上で宝石のように輝いている。夕日に照らされたそれはさながらガーネットのようだった。

 口に含む。さっきとは違う味わい。大根おろしのさっぱりとした風味が口内に満たされた。辛さと甘さがうまく同居したようなこの味、さらに箸が進んでしまう。

「おいしかった……」

 冷蔵庫から取り出した麦茶をコップに注ぐ。箸をおいて一気に飲み干した。天ぷらの風味が一気に流されていく。温かいものを食べた後の麦茶、冷たさが襲う感じがとても好ましい。

「ふぅ」

 小さく息を吐いた。慣れないことをしたからかとても疲れているようだ。頭がぼうっとしてしまう。でも楽しかった。今、充実感に満たされている。

 楽しかった。ただそれだけは確実に言える。

「………っ」

 まただ。またあの冷たさが下りてきた。一息ついた瞬間、ねじ伏せようとしたあの気持ちが湧き上がってくる。

 長く息を吐いて心を落ち着かせようとする。しかし、その感情の本流は収まらなかった。

「どうすればいいの……」

 惰性で過ごしてしまった高校生活。そう察してしまってからずっと、今日一日気持ちを落ち着かせようとしてきた。

 寝て忘れようとして、料理で忘れようとして。

「……もう一回寝るか」

 自然と足は寝室に向かっていた。心が重い。ストレスがかかっている。早くこの呪縛から

 ……逃げ出したかった?

 階段に続く扉のドアノブをつかむ。しかし、ひねることができない。今、私は自分が思ったということに驚いていた。

 そうだ。寝て、料理して、ただ忘れようとしていた。忘れたいと思っていた。している時はよかった。忘れ去ることができていた。だけど今はどう? また心はあの言葉に支配されてしまっている。

 部活のこと、友達のこと、今の私、頭の中で様々な感情が渦巻いた。

 忘れたい、忘れたい、忘れたい。

 私はしゃがみこんでいた。気が付くとそうしていた。

 どのくらいそうしていたのだろうか。母はまだ帰ってこない。もう何時間たった?

 いまだ気持ちの整理はつかないまま、時間だけが過ぎていっている。

 

「……じゃあ、忘れなければいい」

 ふと口から出た言葉に自分で驚いてしまう。しかし、その言葉を反芻すればすれほど心が落ち着いていく。

 あのドロドロとしたものは後悔。そう、後悔だ。忘れたって仕方がないじゃないか。あの冷たさは消えはしない。向き合って付き合うしかないんだ。

 ……でも、付き合える自信がない。今の私には何もない。こうなってしまった原因は、惰性で、空っぽのまま過ごしてきたから。

「……また、料理しよう」

 ドロドロを忘れるための料理。ドロドロを忘れるためにした料理。しかし、私は感じた。そう思った。

 楽しい、と。

 ふきのとうの天ぷらの味を思い出す。体中に染み渡るような深い味わいは、頭からこびりついて離れなさそうだ。

「春料理の為、練習しなくちゃ」

 立ち上がる。

 今までのことは変えられない。惰性だったことは否定できない。後悔は受け入れるしかない。しかし、今からはそれに縛られちゃいけない。

 私は冷たさの中にいた。春が来る。残りの数か月は準備期間だ。

「また、料理をしよう」

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ひなた's ダイアリー 桃波灯火 @sakuraba1008

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