最終話
放課後の誰もいない教室に残っている僕はいったい誰を待っているのだろう。もしかしたら、誰も待っていなくてただ家に帰りたくないだけなのかもしれないが、その答えを僕は思い出すことが出来ない。
いつもと違って外の景色が見えずらいなと思っていたら、最近席替えが合って廊下側の一番前の席に移動していたという事を思い出した。ここ最近は記憶力も低下してきているんだろうと自嘲していたのだけれど、忘れていたことを思い出せているだけでも大丈夫なんだろうとは思っていた。
黒板に書かれている日直の名前は久々に見た名前だったのだが、名前は思い出せても顔までは思い出せなかった。実は思い出せているのかもしれないのだけれど、僕の想像している名前とその人が同一人物なのかどうかという事には自信が持てなかった。そんな事を考えていると、廊下を走ってくる足音が聞こえてきた。教室の前で足音が止まると、一瞬の間を開けて勢いよく扉が開かれた。
「ごめん、委員会があるのをすっかり忘れていたよ。私から誘ったのに待たせちゃってごめんね。今は何か考え事でもしてたの?」
「考え事と言うか、教室の子の席に座って外を見ているのって懐かしいなって思ってたよ。この席って確か、修学旅行から帰ってきた後の席だったと思うんだよね」
「へえ、意外と小野君って記憶力が良いんだね。そこまで覚えてるなんて意外だわ」
「この席はちょっと印象的なことがあったから覚えているだけだよ。でも、その印象的な事が何だったのか思い出せないんだけどね」
「印象的なのに思い出せないってのは変な感じだね。でも、二十年以上も経っていればそんな風に思い出せることの方が少なくなってきちゃうよね。私にはその感覚はわからないんだけど、やっぱり昔を思い出せなくなるって辛い事なのかな?」
「さあ、どうなんだろうね。そもそもが、思い出せないって事なんで思い出そうともしてないんだよね。だから、忘れているって事すら覚えてないって事なんだから辛いとか辛くないとか以前に関心が無いって事なのかも」
「わかったようなわからないような、難しい話だね」
「それで、用事ってのはいったい何なのかな?」
「あ、小野君は私の用事をさっさと済ませて行っちゃおうとしてるでしょ。こうしてちゃんと話す機会ってあんまり無いんだからもっとゆっくりしていこうよ。時間はきっとまだたくさんあるはずだからさ。こうして話していることも小野君はすぐに忘れてしまうんだから、少しでも覚えておいてもらえるようにしとかないとさ。私も忘れられたら寂しかったりするんだからね」
「僕は高田さんの事を忘れたりはしてないよ。そりゃ、顔とか声とかすぐに思い出せない時もあるけどさ、高田さんの事を忘れたことなんて一度も無いよ」
「ありがとう。でも、それは言葉にしてくれなくてもわかってるよ。小野君ってさ、結婚するちょっと前から私のために毎日朝と晩にお経をあげてくれているもんね。私の家とは宗派が違うってのに気付いたのは結構経ってからだったけど、その気持ちはとても嬉しいよ。いつからか小野君の奥さんも一緒にお経をあげてくれてたしさ、二人とも仲良しで羨ましいなって思ってみてたもん。あ、奥さんには何度か直接それを伝えたりもしてるよ。小野君と違って奥さんは私の事をちゃんと見てくれているみたいだけどさ」
「僕は幸子と違って霊感ってのが無いからね。もしかしたら、家族の中で僕だけ霊感が無いのかもしれないけど」
「そうだよ。小野君だけ霊感が無いんだよね。私のためにお経をよんでくれるのは嬉しいんだけどさ、私がお礼を言っても何の反応も返してくれないんだもん。ちょっと悲しくなっちゃうよね。でも、私のために時間を作ってくれているってのは嬉しいよ」
「なんでかわからないけどさ、僕は高田さんのために何か一つでもしてあげたいなって思ってるんだよね。何か特別な関りがあったわけでもないし、仲が良かったって事でもないのにね。仮にだけど、亡くなったのが高田さんじゃなくて他の女子だったらこんな風にお経を毎日あげていたのかはわからないかも。理由は上手く説明できないけど、高田さんは僕にとっても大事な人って感じに思ってたのかも。大塚君が一緒に居る時は高田さんの話題ばっかり振ってくるんで、それが印象的だったからなのかな」
「どうだろうね。でも、私は小野君に気付いてもらいたかったって思ってるんだよ。小野君ってさ、私の事を全然見てくれないんだもんね。もっと私の事を見て欲しいんだけどな」
「そうは言ってもさ、僕は霊感が全く無いから姿を見ることは出来ないんだよね。でも、声なら聞こえる時はあるんだよ。自分で意識して出来ることじゃないんで高田さんには迷惑をかけてしまうかもしれないけど、もっと呼び掛けてくれたらきっと僕は高田さんを見付けられると思うよ」
「それもあるんだけどさ、そうじゃなくて見ててほしかったのは高校生の時の話だよ。今とは違う昔の話だからって前提で聞いて欲しいんだけど、私は小野君の事が好きだったんだよ。あの時ってさ、二つの理由があって私から告白が出来なかったんだよね。一つは、女の子から告白するのなんてまだまだ恥ずかしいって思うような時代だったって事ね。二つ目は、私が成人することなく死んじゃうって事かな。告白して上手くいったとしてもさ、私が小野君と付き合っていられるのは高校生の時だけかなって思ってたんだ。今の時代だったら医療も発達して治らない病気じゃないのかもしれないけどさ、私達が高校生の時は治すことなんて不可能だって言われていたんだよ。でも、私は死ぬことがわかってたからこそ出来たこともあるんじゃないかなって思ってるんだよね。それでも、告白して小野君に後悔させるのは良くないって思ってたんだよ。告白がうまく行っても私は小野君と付き合った後に死んじゃうだろうし、告白が失敗したとしても私が死んじゃったら小野君は後悔するんだろうなって思っちゃってさ。そう思うと、これから数年以内に死ぬ人間が告白なんてするもんじゃないなって思ってさ、呼び出したのに何も出来なかったんだよ」
「僕は高田さんと付き合ってたわけじゃないから何とも言えないけど、もしも付き合ってたとしたら今みたいに夢で逢う事は無いんじゃないかなって思ってるよ」
「付き合ってた彼女が夢に出てきたら気持ち悪いって事?」
「そうじゃなくて、たぶん僕も高田さんの後を追っちゃってたんじゃないかなって思うよ。確信はないけど、当時の僕だったら高田さんが亡くなったことを知ったら止まらなくなっちゃうと思うな。付き合ってなくても高田さんが亡くなったのを知った時は喪失感に苛まれていたよ」
「小野君ってやっぱり良い人だよね。なんで私が小野君を好きになったのかわからないけど、私なりに小野君には他の人にはない何かがあるように感じてたんだ。それが何なのかはその時はわからなかったんだけど、死んで幽霊になった今はそれが何なのかハッキリわかるんだよ。小野君ってさ、誰にでも優しいんだけど、それってきっと人間以外に対しても優しい気持ちを持ってるからなんだよ。こうして幽霊になっちゃった私とも対等に話してくれているしさ、小野君はお人よしすぎるんだよね」
「そんなことは無いと思うけど。今は家族が出来たから他人よりも家族を優先しちゃうと思うよ」
「それは仕方ないよ。誰だって家族は大事だからね。だからこそ、小野君は家族を守らないといけないんだよ。美緒ちゃん達みたいになったらダメだからね」
「水瀬さん達みたいにってどういう事?」
「美緒ちゃんも雪乃ちゃんも楓ちゃんもみんな鵜崎さんに騙されているんだよ。私が夢に出てたってみんな言ってたみたいだけど、私が夢に出れたのって小野君と小野君の奥さんだけだもん。それもさ、こうして夢に出れるのって月に何度もあるってわけじゃないんだよ。それなのに小野君は私の事を忘れちゃうしさ。この夢の事は忘れて欲しくないんだけど、もう何回目になるか覚えてないくらいお願いしてるんだよね。今度こそ忘れないで欲しいんだけど、鵜崎さんに騙されないように気を付けてね」
「騙されないように気を付けてって、どういう事?」
「幽霊の私だからわかることなんだけど、小野君って同じ空間にいるだけで元気になれるんだよ。幽霊が元気ってのも意味の分からない話だろうけど、小野君の近くにいると力がみなぎってくる感じがするんだよ。小野君の奥さんも義理のお父さんも小野君の近くにいることで力が蓄えられているんだと思うよ。本人たちがそれに気付いているのかはわからないけど、小野君にはそんな力があると思うんだよね」
「そう言えば、昔から幸子も大塚君も僕の側にいると元気になれるって言ってたかも。それって良いことなんだろうと思うけど、実際はどうなんだろう」
「小野君の人柄も加味されての言葉なんだと思うよ。小野君みたいにいい人ってその力があるからいい人なのか、いい人だからこそその力を与えられたのか、答えは永遠に見つからないんだろうね」
「もしも、僕に霊感があったらどうなってるんだろうね」
「小野君だったら何も無く普通に過ごしてるんだと思うよ。でも、それをちょっとでも悪いことに使ったら大変なことになっちゃうんじゃないかな。日中でも悪霊が跋扈する世の中になっているかもしれないし、そもそも人間は絶滅している世界かもしれないからね」
「それはちょっと怖いかも。でも、そんな事にはならないと思うよ」
「小野君って本当にお人よしだよね。そんなんじゃ本当に悪意ある人に食い物にされちゃうよ。例えばさ、身近なところだと鵜崎さんとかね。絶対に鵜崎さんには手を貸したらダメだからね」
「どうして鵜崎さんに手を貸したらダメなの?」
「鵜崎さんの狙いが何なのか私にはわからないけど、いいことじゃないって言うのはなんとなくわかっているのよ。人にとって住みたい世界にしてくれるのか、人が住みづらい世界になっているのかわからないもんね。でも、鵜崎さんだけには協力しないでね。一応、小野君の奥さんにもお願いはしておくんだけど、小野君は起きた後も私の事を思い出してくれるのかな」
「もちろん忘れないよ。僕はいつだって高田さんの事を思ってお経をあげているからね」
「それは嬉しいんだけどさ、鵜崎さんに気を付けて欲しいって事を覚えていてくれたらそれ以上に嬉しいんだけどな」
珍しく僕は沙弥に叩き起こされた。こんな風に沙弥が起こしてくれるのはきっと何かして欲しいことがあるからだ。今までも何度かこんなことはあったのだけれど、その度に沙弥は僕に何かを見せてくれていたのだ。
今日見せてくれたのは今までとちょっと違う絵だった。
たぶん、僕と幸子の間にいるのが沙弥だとは思うのだけれど、沙弥と一緒に手を繋いでいる女の子は誰なんだろう。大きさは僕たちとそれほど変わらないのだけれど、沙弥よりはだいぶ大きく見える。それに、今まで端に描かれてた正体不明の女の子はいなくなっていた。
「おはよう。二人とも今日は早いんだね。沙弥ちゃんの描いたその絵をママにも見せてもらってもいいかな?」
沙弥は嬉しそうな顔で絵を幸子に見せていた。幸子の動きは絵を受け取ったと同時に一瞬だけ表情が硬くなったのだが、すぐにその表情は明るいものへと変化していた。
「沙弥ちゃんは写真のお姉さんの絵を描いたの?」
沙弥は写真のお姉さんがわからないのか首を横に振っていた。僕も絵を見た時には高田さんなのかなと思ったのだけれど、沙弥は違う人を描いたらしい。
「じゃあ、このお姉さんは誰なのかな?」
「いくちゃん」
「いくちゃん?」
「うん」
「いくちゃんって郁美ちゃん?」
「うーん、うん。いくみちゃん」
沙弥の絵に描かれていたのは高田さんだったのだ。薄々そう感じてはいたのだけれど、どうして沙弥は高田さんの絵を描いたのだろう。
もしかしたら、沙弥も高田さんが夢に出てきたのだろうか。もしもそうだったとしたら、沙弥にだけは悪いことがおきませんように。
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