第六話

 僕は後部座席のチャイルドシートに沙弥を乗せていたのだけれど、鵜崎さんは何の迷いもなく沙弥の隣に座っていた。沙弥も隣に鵜崎さんが座ってくれて嬉しそうにしているのだけれど、こういう時は助手席に座って貰えた方が僕も安心出来るような気がしていた。でも、家族で買い物に行くときは幸子も沙弥の隣に座るのでソレが当たり前なのかもしれない。


「じゃあ、水瀬さんに聞いている住所もナビに入れたし、さっそく向かう事にするね。シートベルトは大丈夫かな?」

「私も大丈夫よ。あ、前に座った方がいいかな?」

「全然そっちでも大丈夫だよ。鵜崎さんは後ろの方が好きなの?」

「そんなことは無いんだけど、普段ってあんまり車に乗ることが無いんだ。乗ってもたまにタクシーに乗るくらいだからさ、前に乗った経験ってあんまり無いんだよね」

「そうなんだ。先生って言われてたから車で送迎されているのかと思ってたよ」

「先生って呼ばれてるのは確かだけど、それってあんまり好きじゃないんだよね。頼られたり力になれるのは嬉しいんだけど、頼られっぱなしってのはあんまり好きじゃないんだ。だからさ、今日は小野君の家族と力を合わせて解決出来たらいいなって思ってるんだよ。いっつも一人で何でもやらされているからさ、私が誰かに頼ることが出来るってのはちょっと嬉しいかも。こんなこと言ったら水瀬さんとかみんなも不快な気持ちになりそうだし、誰にも言わないでね」

「うん、誰にも言わないよ。僕は何の役にも立てないと思うけど、出来ることがあったら何でも言ってくれていいからね」

「小野君自信って霊感とかないけどさ、昔から周りの人にそういう方面で影響力を持ってたりするんだもんね。小野君は気付いていなかったと思うけど、私も小野君と同じクラスになってから見えるようになったりしてるんだよ。それまではずっと普通だと思ってたんだけど、何かきっかけがあったんだってさ。私にもそっち方面の才能が眠ってたんだけど、その眠りが深すぎて諦めてたって親戚の子に言われたんだ」

「気を悪くしたら謝るけど、鵜崎さんって教会でお世話になってたよね?」

「うん。教会で育ったよ。私もさ、物心つく前から教会で育ってたんで本当の家族なんて知らずに過ごしていたんだけど、小野君のお陰で本当の家族と再会することが出来たんだ。でも、その話ってとても失礼な話なんだ。思い出しただけでもイライラしちゃうんだけど、水瀬さんの件が片付いて落ち着いてから聞いてもらってもいいかな?」

「僕で良ければ聞くけど、高校時代に僕と鵜崎さんってそんなに話したことも無かったよね?」

「そうなのよ。それが不思議なのよね。私もなんでなのかはわからないし、お姉ちゃんもその理由がわからないって言ってたの。あ、そろそろ着くんじゃないかな?」


 僕と鵜崎さんは高校時代に三年間同じクラスで過ごしたことは間違いないのだが、三年間で話した時間を足しても今日一日の方が話しているように思えるくらい接触はなかった。それは水瀬さんや桑原さん達にも言えることなのだが、僕は授業で話す必要がある時以外は自分から女子に声をかけに行くようなタイプではなかった。それは大塚君も同じだったので、僕たちはクラスの中でも女子と話すことの少ない側の生徒だった。

 それとは関係ないのだが、教会に住んでいて身寄りのいないと思っていた鵜崎さんの言っているお姉ちゃんというのが本当のお姉ちゃんなのか教会で一緒に過ごしたお姉ちゃんなのか気になってしまっていた。


 なんてことを考えていると、目的地周辺にたどり着くことが出来た。

 ナビが指し示している目的地が近付いてきたので徐行をしていると、僕たちに気付いた水瀬さんが大きく両手を振って僕たちに合図を送ってくれていた。

 水瀬さんの隣に車を止めた僕は窓を開けてどうすればいいか尋ねると、少し離れた場所に駐車スペースがあるのでそこまで案内してもらえることになった。

 水瀬さんは僕と鵜崎さんに礼を言うと助手席に乗り込んで道案内をしてくれた。沙弥に気を遣ってくれているのだろうか、水瀬さんは家族に今何が起こっているのかは言わずに駐車スペースまで淡々と道案内をしてくれていたのである。

 水瀬さんの家から少し離れた駐車スペースに車を止めて歩くことになったのだが、沙弥はチャイルドシートから降りるとそのまま僕に抱き着いて離れなくなってしまった。眠い時以外に抱っこをせがまない沙弥だったので少し心配になっていたのだけれど、目を閉じてウトウトしつつある様子を見て少しだけほっとしていた。良くない事が起こる前触れではないようで僕は少し安心していたのだ。


「小野君にも見てもらった方がいいかと思ったんだけど、娘さんが眠そうだからやめた方がいいよね」

「正直に言って、僕が見ても何も変わらないと思うんだよね。僕はお義父さんや妻とは違ってそっち方面の力ってのは全然ないんだよね。でも、僕には直接出来ることは無くてもサポートなら出来るからさ」

「う、うん。そうなんだね。でも、何となくそうなんだろうなって思ってたんだ。うまく言えないけど、小野君に相談していると不思議と気持ちが落ち着いていたように思えるんだよね。小野君って頼りなさそうに見えてもやる時はやる人だと思ってるしさ。今日は住職様と奥様が何とかしてくれるんだろうって思うんだけど、本当に大丈夫なんだろうかなって不安になってて。でも、小野君とこうして話をしていると大丈夫なんだろうなって気持ちになってくるから不思議だよね」

「少しでも水瀬さんが落ち着いてくれるなら僕は嬉しいよ。それで、今はどんな感じなのかな?」

「あのね、住職様と奥様のお陰で主人は元に戻ったんだけど、娘がまだ変なままなの。夢に出てきた郁美みたいにピクリとも動かなくて、体に触れても彫刻のように硬くて冷たくて触り続けることが出来ないのよ。呼吸はしているみたいなんだけど、娘は大丈夫かな?」

「ご主人が戻ったなら大丈夫だよ。お義父さんと妻が何とかしてくれると思うし、鵜崎さんも力を貸してくれるっていうしね。ね、鵜崎さん」

「そうね。とりあえず状況を確認してからじゃないと何も出来ないんだけど、水瀬さんはそんなに心配しなくても大丈夫よ。簡単に解決出来るかと言えばわからないけど、何日もかかるような事ではないと思うからね。ご主人の話を伺う事って出来るかしら?」

「それは大丈夫だと思うよ。娘は二階にいるんだけど、主人は一階で休んでいると思うの。まずはリビングに行って主人の話を聞いてみましょう」


 先ほども感じていたのだけれど、水瀬さんの家は周りの家と比べても大きく立派だ。庭のある家もこの辺りでは珍しくないのだけれど、水瀬さんの家の庭は子犬が数匹遊びまわっても迷惑にならなそうなくらいの広さがあった。

 僕はその庭を横目に見ながら家の中へお邪魔したのだが、家の中の造りもどことなく木品が感じられるような造りになっていた。立派な細工の施されたドアを開けて中に入ると、そこには僕の知っている水瀬さんのご主人とは少し印象の異なる男性が横になっていた。

 水瀬さんのご主人は僕たちよりも少し年上だったとは思うのだが、テニスやゴルフの好きな誰とでも打ち解けられそうな印象を持っていた。照明がおさえられているという事もあるのだろうが完全に生気のない目と濃いクマがあるせいでだいぶ年上に見えていた。

 今で起こっていたことを納得できずにいるのだが、それを受け入れなければ解決出来ないのだろうと思っているようにも見えたのだが、僕たちの姿を見た瞬間にその目には生気が宿ったようにも見えた。


「理香は、娘は大丈夫でしょうか?」

「大丈夫ですよ。私も力を貸しますので安心してくださいね。何があったか教えていただいてもいいですか?」

「うまく説明出来るか自信は無いですが、妻が夢で見ていた女の子の話は聞いていたのですが、その女の子が娘と一緒に居るのを見まして、目があったと思った時から記憶が曖昧になっていたんです。今もそれが現実だったのか夢の中の出来事だったのかわからないのですが、気が付いた時にはお坊さんに支えられていまして、どうにか階段を下りてここまで一緒に来たのです。それからも体に力が入らないのですが意識はハッキリしている状態でして、二階に上がって娘を助けたいという気持ちはあるのですが、どうにも足に力を入れることが出来ないんです。あ、お坊さんにもお礼を言わなければいけないのに何も言ってないような気がします」

「なるほど、女の子と目が合ってからお坊さんに助けられるまでは何も見てなかったですか?」

「ぼんやりと何かが見えていたような気はするのですが、それが何なのかはわからなかったです。そう言えば、何も見えていないのに娘と同じものを見ているような気がしていました。どうしてそう思ったのかわかりませんが、私は娘と同じものを見ていたと思います」

「私の考えなので間違っているかもしれませんが、ご主人がそう思ったのは間違いではないと思います。何らかの原因で水瀬さんと娘さんの夢に出てきていた女の子が夢の世界から抜け出して二人に何かを伝えようとしたんだと思います。ただ、それをするにしても自分と同じくらいの年齢の少女の方がそれを実行しやすいと思って娘さんに憑りついたのかもしれません。水瀬さんよりも娘さんの方が霊的なアンテナの強度が高かったという可能性もありますが、十中八九年齢が近いという事が水瀬さんではなく娘さんを選んだ要因だと思います。そこでなんですが、ご主人は水瀬さんよりも近くで娘さんに呼び掛けたりしてませんでしたか?」

「そうだったような気もするのですが、娘が立ったまま動かなくなっていると妻から聞きまして、様子を見に行ってからの記憶も曖昧なのです。何度も娘の肩をゆすって話しかけたとは思いますが、ハッキリとは思い出せないのです」

「鵜崎さんの言う通りです。私は娘が夢に出てきた郁美ちゃんみたいに動かずにじっとしているのを見て怖くなって動けませんでした。娘を助けたいって思いは強いはずなのに、私はどうしても前に足を踏み出す勇気が出なかった。自分の命よりも娘の方が大事だと思っているのに、あれ以上前に進むことが出来なかった」


 水瀬さんは誰にも向けられない憤りを感じていたのだろう。水瀬さんの立場になって考えれば、自分の娘を助けたいというのは嘘ではないだろう。それに、夢でよく見ていた状況が目の前で起こってしまえば驚いて動けなくなってしまうのも無理はないのかもしれない。ましてや、その夢の中に出てきていたのが高校生の時に亡くなった自分の親友だという事を思えば動けなくなってしまうのも無理はない話なのかもしれない。

 泣き崩れている水瀬さんのもとに文字通り這って移動していたご主人なのだが、ご主人も目に涙を溜めながら水瀬さんを優しく抱きしめていた。まだ何も解決してはいないのだけれど、この抱擁は水瀬さんの心を少しは救っているのだろうと思っていた。


「水瀬さんはそんなに気に病むことは無いと思うよ。娘を助けたいって気持ちは嘘じゃないってご主人も娘さんもわかってると思うの。それにね、何も考えずに水瀬さんが娘さんに近付いていたとしたら、水瀬さんもご主人みたいにとりこまれていたかもしれないんだよ。もしそうなったとしたら、ご主人はいったい誰に頼ればいいのかわからなくなって解決出来るものも出来なくなっていたかもしれないんだ。そう思えばさ、水瀬さんは大切な娘さんを救うために一番必要な事をしたって思えるんじゃないかな。小野君のお義父さんと奥さんはご主人を救ってくれたんだよ。じゃあ、後は私が協力して娘さんを元に戻してあげるからね」

「鵜崎さん。ありがとう。そう言ってもらえると嬉しいよ。でも、私に出来ることって何かあるかな?」

「ハッキリと言わせてもらうけど、何もないかな。何もしないで見守ってくれればそれでいいからさ。小野君と一緒に四人で見守っててくれればいいからね。あ、ご主人は無理をして二階に上がらなくても大丈夫ですからね」

「いえ、私も娘を見守りますよ。それに、不思議と体も楽になってきましたからね」

「へえ、小野君の力って普通の人にも効果あるんだね」


 鵜崎さんの言葉は他の人には聞こえていなかったと思うのだけれど、僕にはハッキリと聞こえていた。僕に出来ることは何もないのは分かっているんだけど、近くで見守るだけでも役に立てそうな気がしてついて来て良かったなと感じていた。

 僕の首に抱き着いていた沙弥はもう寝てしまったようなのだが、起こさないように慎重に階段を上っていった。二階の廊下に一歩足を踏み入れると、まるで別の空間に入り込んだのではないかと思えるくらい空気が重く澱んでいるように感じていた。僕は沙弥を抱きしめる手に思わず力を入れてしまったのだが、鵜崎さんがそっと僕の手に触れたと同時に緊張が抜けた時のように楽に沙弥を包み込む形になった。

 二階の中でも特に異質に感じている部屋の前に進んで中を覗き込むと、お父さんと幸子が娘さんを挟む位置に座って一心不乱にお経を唱えていた。その様子は鬼気迫るものがあるのだが、二人に挟まれている娘さんが首を少し傾げた形で立っていて微動だにしないのが不思議であった。それに、部屋の中に入るまで二人のお経が一切聞こえていなかったのも不思議であった。


 僕は娘さんを水瀬さんの夢に出てきた高田さんに置き換えて見ようとしたのだが、高田さんの姿を思い出すまでもなく目の前にいる少女が高校時代の高田さんの姿に見えていた。法要の時に写真を見るまで顔をはっきりと思い出すことも無かったはずなのに、今は水瀬さんのお嬢さんが立っている姿を見るだけで高田さんの姿が思い出せていた。いや、あの時の高田さんが目の前にいるようにも思えていた。


「小野君。味方を間違えちゃダメだからね。その子は高田さんじゃないんだよ。だから、そんなに高田さんの事を考えちゃダメだからね」

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