第四話

 何時もは会話のほとんどない食卓なのだが、今日は珍しくお義父さんが僕たちに話しかけてきていた。お義父さんが食事中に話をしているのを見て娘も今日あった出来事なんかを嬉しそうに話していたのだけれど、それを聞いたお義父さんも嬉しそうにしていた。

 結婚前からも何度も食卓を囲んでいたのだけれど、今みたいに楽しそうに食事をとっている姿を見るのは初めてのような気がする。おそらくだが、お義父さんの中では故人を偲んで粛々と食事を済ませるというのが当たり前になっていたのだと思う。

 それほどお義父さんにとって鵜崎さんの行ったことは衝撃的だったという事なのだろう。


「それにしてもだ、将也君の同級生にあれほど凄いことをやってのける人がいるとは知らなかったよ。幸子から聞いたんだが、あの人は教会で育ったそうだね。沙弥ちゃんが教会で育ったら同じくらいの力を持ってしまうかもしれないね」

「ちょっと、お父さん。冗談でも沙弥を他所で育てるとか言わないで頂戴」

「育てるって言ってもだ、習い事みたいな感覚でいいんじゃないかと思うんだけど。何だったら、あのお嬢さんの所に行って修行するとかでもいいと思うんだけど」

「本当にそんな事をしたら怒るよ。沙弥には私みたいに苦労して欲しくないんだからね」

「それは分かってるよ。でも、力があるのにそれに対して何も出来ないってのは良くないと思うからさ。幸子だってちゃんと修行をしていれば今日だってどうにか出来ていたと思うんだけどな」

「ママとジジは喧嘩してるの?」


 娘の沙弥が心配そうに幸子とお義父さんの事を見ていた。僕は沙弥を安心させるように優しい言葉を選んだ。


「ママもジジも喧嘩はしていないよ。今日は凄いお姉さんがいたからその事でジジが嬉しくなっちゃったんだよ。ジジだけじゃなくてママも嬉しそうにしてるから沙弥もちゃんと見てごらん」

「わかんないけど嬉しそうなの?」

「そうなんだよ。二人とも恥ずかしがり屋だからそれがわかりにくいだけなんだ。沙弥も嬉しいことあったんでしょ?」

「うん、昼ご飯を食べた後におっきいワンちゃんと遊んだの。公園で見てたら撫でていいよって撫でたの。おっきくておっきかったよ」

「そんなに大きかったんだ。じゃあ、今度またそのワンちゃんに会えるといいね」

「また遊ぶ約束したよ。今度はパパも一緒に行こうね」

「そうだね。その時はみんなで行こうね」

「わかった。じゃあ、ワンちゃんの絵を沙弥が描いてあげる」

「絵を描くのはごちそうさまをしてからね。今日もちゃんと全部残さずに食べられるかな?」


 何事もない一日とは言えないような日だったけれど、こんな風に楽しく食卓を囲むのは幸せな事なんだとつくづく感じていた。食器を台所に持っていって沙弥と一緒に洗い物をしていると、こんな夜遅い時間だというのにチャイムがけたたましく鳴り響いた。

 檀家さんのところで何かあったのかとも思っていたけれど、お義父さんが玄関の方へ向かって言ったので僕は洗い物を続けていた。沙弥もチャイムの音を聞いて心配そうにしていたいのだけれど、夜になるチャイムは誰かの急な訃報を告げるものだという事を何となく理解しているのかもしれない。

 洗い物を終えた僕は沙弥の気を紛らわせるために紙とクレヨンを探していたのだが、先程とはうって変わって落ち着いたトーンのお義父さんの声に呼ばれて玄関へと向かうのであった。玄関には、水瀬さんがしゃがみこんでいた。しゃがんでいるのに全身が小刻みに震えていたのだが、きっと何か良くない事が起こってしまったのだろう。それくらいは僕にでも想像がついた。


「どうしたんですか?」

「さあ、何を聞いても答えてもらえないんだよ。何があったか将也君から聞きだしてもらえないだろうか?」

「水瀬さん、何かあったの?」

「小野君。助けて。理香が、理香が大変なの」

「理香って、水瀬さんのお嬢さんの事?」

「そう、私の娘なの。ねえ、どうしよう。どうしたらいいんだろう。ねえ、助けて。お願いします。お願いします」

「お願いしますって、何があったか教えてもらわないとどうすることも出来ないよ。とりあえず、ここじゃなんだから中に入ってもらえるかな?」

「ダメ、さっきの場所は怖いから。あの場所は怖いから」

「さっきの場所って、本堂かな?」

「あそこから視線が感じるの。誰かに見られてる感じがするの。私が見ても誰もいないのに誰かに見られているの。ねえ、助けてよ。お願いだから助けてください」

「わかったから、こっちの部屋で話しを聞くからさ。いったん落ち着いてね。深呼吸して落ち着こうか」

「ごめんなさい。でも、娘が大変なの」

「ここじゃ寒いからさ、いったん中に入って話を聞くからさ。どうぞ」


 水瀬さんは明らかに何かに怯えていた。霊感が全くない僕でも水瀬さんの娘に何かあったという事は簡単に想像がついた。それも、おそらく高田さん絡みの事なんだろう。でも、鵜崎さんが言うには水瀬さんに憑いていたのは高田さんの事を思って水瀬さんが作り出した存在だという話ではなかっただろうか。そんな存在が娘さんにどんな影響を与えるというのだろうか。僕には想像もつかないような話だった。

 僕が水瀬さんを茶の間まで案内していたのだけれど、水瀬さんを挟むようにお義父さんが後ろを歩き水瀬さんの隣には妻が寄り添っていた。それでも、水瀬さんが不安そうにしている姿が視界の隅で確認することが出来た。


 水瀬さんを落ち着かせるためにも妻はココアを淹れてくれたのだが、この時間にココアを飲めると知った沙弥は嬉しそうに飛び跳ねてココアを淹れる手伝いをしていた。最近では料理の手伝いもしていたりするそうなのだが、女の子は小さくてもそんな風に成長していくものなのだと嬉しく思ってしまった。

 水瀬さんは出されたココアをじっと見つめていた。結構おいしい味だと思うのだけれど、もしかしたら水瀬さんは猫舌なのかもしれない。沸かした牛乳だけではなく沙弥のように冷たい牛乳も混ぜた方が良かったかなと思ってみていると、水瀬さんは声を出さずに号泣してしまっていた。

 僕もお義父さんも妻もその姿に驚いて固まっていたのだけれど、沙弥はそんな水瀬さんの頭をヨシヨシと撫でていたのだ。お手伝いをするだけではなく優しい心も持ち合わせてくれているんだと思って僕は誇らしく思っていた。


「ありがとうね。ごめんなさい。私も何が起こったかわからなくなっちゃってて、ごめんなさい」

「大丈夫だよ。言える範囲で良いから何があったか教えてもらってもいいかな?」

「えっとね、あの後なんだけど、家に帰って娘と晩御飯の支度していたの。主人が帰って来てから一緒に晩御飯を食べたんだけど、その時に郁美の話をしたのよ。主人には夢の話をしていたんで解決したんなら良かったと言ってくれたんだけど、理香はちょっと不満そうな顔だったのよね。その時は魚じゃなくてお肉が食べたかったのかなって思ってたんだけど、そうじゃなかったの。それは後でわかったことなんだけど、その時は気付いていなかったの」

「何に気付いたの?」

「気付いたのはそのちょっと後なの。いつもは娘が一番最初にお風呂に入るんだけど、洗い物が終わってもお風呂に行く様子が無かったんで宿題でもしているのかなと思って部屋を覗きに行ったの。そうしたら、部屋の電気もつけないで窓の外を見てるのよ。私は何かあるのかなと思って話しかけてみたんだけど、理香には私の言葉が届いていないと思わせるくらい反応が無かったのよ。それで、なんでかわからないけれど、その窓の外を見ている理香の姿が郁美が教室から外を見ている姿と重なって見えて、私は理香ではなく郁美って呼んでみたの。そうしたら、理香は私の方を振り返って黙って立って見ているの。夢で何度も見たあの姿でずっと私を立って見ているのよ。私は怖くなって動けなかったんだけど、理香もじっとしたまま動かなくて、どうしていいかわからなくなってたら、主人が私を読んでいるのがわかったの。そのまま私は理香の部屋を離れて一階に降りたんだけど、そこにはリビングの前に立って私を見ている主人の姿があったの。私は主人の姿を見ても郁美の姿が重なって見えて怖くなって二階の寝室に入ろうとしたんだけど、いつの間にか廊下に出ていた理香が何も言わずに私をじっと見ているのに気が付いて、私は怖くなって車の鍵だけをもって家を飛び出してしまったの」

「それって、高田さんが旦那さんと娘さんにも憑いていたって事なのかな?」

「水瀬さんの話を聞く限りではそうかもしれないけど、実際に見てみない事にはわからないな。本堂に一緒に来ていた鵜崎さんには頼らないのかい?」

「鵜崎はどこにいるのかわからないし、連絡先も知らないんです。何年か前に教会を尋ねてみてもどこにいるかわからないって言われたし。でも、郁美の法要には必ず来てくれていたんで、その時には姿を見かけるって感じです。誰か連絡先を知っている人がいればいいんだけど」

「将也君も知らないのか?」

「僕も知らないですね。でも、鵜崎さんが代表をしているってところに聞いてみたらどこにいるかはわかるかもしれないですね。こんな時間ですが、ちょっと連絡してみようと思います」

「そうだね。じゃあ、私と幸子は水瀬さんのご自宅に向かう事にしようか。私達にも出来ることはきっと何かあると思うし、鵜崎さんが来るまでの時間稼ぎにはなるだろう。幸子、急いで準備するよ」

「はい、水瀬さんの住所を将也君に教えてもらってもいいかな。その間に準備を済ませちゃうからね」


 不安そうにしていた水瀬さんではあったが、お義父さんと妻の頼もしさと僕の娘の優しさに幾分救われたようだった。今は来た時よりも冷静さを取り戻しているようだった。


「こんなことに巻き込んでごめんなさい。でも、他に頼れる場所が無かったんで」

「そんな事なら気にしなくても大丈夫だよ。お義父さんと妻に任せてくれたら安心だからさ。それに、僕も鵜崎さんを探してみるからね」

「あのね、鵜崎には頼らなくても大丈夫だと思うの。うまく言えないけど、頼らない方がいいんじゃないかなって。私は鵜崎が何を言ってくれたのかわからないけど、私に抱き着いていってた言葉は綺麗な言葉じゃないような気がするんだよね。もしかしたら、そのせいで娘と主人があんな風になっちゃったのかも。考えすぎかもしれないけどね」

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