第8話 ギャルの告白

「たっくん! どうしよう! どうしよう⁉」


 慌てふためく南の肩を掴み、正面から両目を見据えて対話する。


「落ち着こう。一旦落ち着いて。はい、深呼吸―」

「すーっ、はー。すーっ、はー。……どうしよう⁉」


 南は涙目になりながら、すがるように俺の腕を掴んでいた。


「と、とりあえずリビングに行こうか。そこで話を聞くから」


 俺はついさっき帰ってきたばかりで、靴すらまだ脱いでいない。

 玄関では何をするにも限界がある。

 まずはリラックスできる環境を作って、南を落ち着かせないと。

 なかば南を連行するようにリビングへと向かい、彼女を三人掛けのソファに座らせる。


「コーヒーか紅茶を淹れるよ。どっちがいい?」

「それなら私が淹れ――」

「大丈夫。ママは座ってて」


 すっかり家事は自分でやるもの、という癖がついてしまっている南。

 やはり〝お手伝い〟は大事だなと痛感しつつ、コーヒーと紅茶の両方を淹れる。


「どっちがいい?」


 二つのカップを差し出し、南はコーヒーを手に取った。


「砂糖は?」

「三つ欲しい」


 どうやらかなりの甘党らしい。

 食器棚からシュガーポットを取り出し、ソファ前の机に置いた。


「ありがとう」


 南の声は力なくしおれている。

 先ほどからずっと浮かない顔をしているので、よほどのことが起きたのだろう。

 南がコーヒーを飲んでは「ふぅ」っと息をついた。

 少し落ち着いた様子が見て取れたので、何があったのか尋ねてみようと思う。


「いったい何があったんだ?」

「……もしかしたら、みんなとお別れするかもしれない」

「え……。それってつまり転校?」


 首を振る南。


「じゃあ何かの病気?」


 再度首を振る。


「えーっと、じゃあなに?」

「一年生になっちゃうかもしれないの」

「……は?」


 言っている意味がよく分からない。

 一年生になる?

 今俺たちは二年生で、南はもしかしたら一年生になるかもしれない、と。

 つまりそれは――


「落第するってことか?」


 こくりと頷く南。


「まじか」


 厳密には落第ではないんだろうけど、学年が落とされるなんて話は初めて聞いた。


「そのー、落第する理由とかお聞きしても?」

「……絶対に笑わないで」


 真剣な面持ちに潤んだ瞳でそう言われては、


「絶対に笑わない」


 自然とこちらも誠意をもって受け止める覚悟ができた。

 じりじりと時が流れていく。

 コーヒーを一口ふくんだ南が、意を決して事の経緯を語り始めた。


「私ね、高校に入ってからのテスト。全部赤点なの」

「ふっ――」


 予想の斜め上な発言に、思わず息がもれてしまった。

 ジロりと怒気のこもった眼差しを向けられたので、咳払いをしては背筋を伸ばし、誠意ある態度に正す。


「それで二年生の進級はなんとか先生を口説き――説得して認められたんだけど」


 今妙なワードが聞こえたのは気のせいか?


「進級の条件にね、全教科の追試を合格しろって言われてて」

「まあそれぐらいはしないとな」

「でも、そんなの絶対無理に決まってるじゃん‼」


 声を荒げて南は突然立ち上がった。


「全部赤点なんだよ⁉ 〇点だっていくつもあるのに! それなのに追試を全部合格しろだなんて、絶対無理!」

「そうは言ってもなぁ。追試合格しないと落第なんだろ? じゃあ頑張るしかないじゃん」

「頑張ってる! 頑張ってるよぉ! でもなに言ってるか全然分かんないの!」


 少しずつ、事の全容が見えてきた。

 つまり、南は今落第の危機に瀕していて、とにかく追試がヤバいと。

 そんなタイミングで俺との同棲生活間で始まってしまったもんだから、余計集中力が続かなかったり、勉強の時間が取れなかったりで、半ばパニックになってしまっているとか、そういう感じだろう。

 これは俺にも責任がある。


「分かんないところも時間かければできるようになるから! 焦らず頑張ろうぜ、な? 時間はまだあるんだろう?」

「明日」

「……へ?」

「追試は明日ある」

「嘘だろ」


 現実とはどうしてこうも悲惨なんだ。


「噓じゃないからヤバいの~! たっくんどうしよう~⁉」

「どうしようねぇ⁉」


 南につられてこちらも気が動転し始める。

 このままでは共倒れになり、南はあえなく落第。

 その責任はここ数日、彼女の世話になっている俺にも多少なりともあるわけで。

 なんとか、なんとかするしかない!


「明日の追試ってのは、何教科あるんだ?」

「先生の厚意で、一応一教科。科目は英語」

「その次は」

「次の追試は来月で、月に一回、一教科の追試を受けるの」

「よし、つまり今日中に英語ができるようになればいいんだな」

「そうだけど……え、その目はなに? まさか――」

「あぁ、今夜は俺が寝かさない」


 寝かさないの意は、互いを求め合い、愛し合う。身体のスキンシップを意味するのではなくて、俺が付きっきりで英語漬けにしてやる、ということだ。


 これを説明するまで、南は上半身を両腕で抱きしめ、俺の一挙手一投足にひどく警戒していた。

 変な言い方をした俺も悪いけど、そこまで警戒心をむき出しにされるのも、それはそれで傷つく。「変態ッ!」と連呼されすぎて、新たな性癖が芽生えそうになったじゃないか。



 今日は時間が惜しいということで、夕飯は南の手料理ではなくデリバリーで済ませることに。

 食事中の時間も無駄にしまいと、南はどういう勉強をしているのか聞いた。


「とりま教科書を全部ノートに写してる」

「それだけ?」

「うん。それやってるとすぐに眠くなってきちゃって。あはは」


 というように、南の勉強法はすごぶる効率が悪かった。

 模写をしたところで理解できていなきゃ意味がないし、勉強ってのは結局暗記勝負みたいなところあるから、理解をすっぽかして覚えてしまう方が手っ取り早かったりもする。


 今回は一夜漬けということで、とにかく暗記をしてもらおう。

 そのためにも南がお風呂に入っている間に暗記用の問題を自作。

 一年生の問題集にも手を伸ばし、出題されそうな問題をピックアップしておいた。

 タイムロスを最小限に押さえるため、南と入れ替わりでお風呂に入る。

 つい数分前まで、ここには南の裸が……と邪念に襲われるも、今回は戦うことを避け、潔くその邪念を消化した。


 そして戦いの時が訪れる。


「ママ~? 準備できた?」


 何やら部屋で作業をしているらしい南を、扉越しに呼びかける。


「もう少しかかる! 私がたっくんの部屋行くから、たっくんはそっちで待ってて~」


 今は一分一秒が惜しいけれど、女子には女子のお風呂後ルーティーンってのがあるのだろう。

 お風呂上がりのスキンケアってよく美容系の動画とかにあがってるし。


「分かった。なるべく急ぎでね」

「は~い」


 そうして部屋に戻り待つこと数十分。

 コンコン。


「どうぞー」

「お邪魔しまーす」


 入ってきた南の格好に思わず息をのむ。


 フードのついた同じく黒のパーカーを羽織り、中は胸の谷間が一望できる黒のキャミソール。

身体のラインが出るストレッチ素材のスウェットがこちらの情欲を煽り立てる。

 金色の髪は一つ結びにして右に流し、艶やかなうなじを露わにしているし、未だお風呂上がりの熱を帯びていて、火照った頬が妙に色っぽい。


 これから同い年の男と、長い夜を過ごすというのに、ずいぶんとガードの甘い格好だ。

 しかしそんな艶やかな格好に相応しくない、ずいぶんと庶民的なものを両手に抱えている南。


「ママ? そのトレーに乗っているおにぎりは……?」

「さっき急いで作ってたの! 勉強のお供といったらおにぎりじゃない?」

「それはそうだけど……お前はいま、それどころじゃねぇだろうがぁぁああ‼」


 深夜であることを忘れ、俺は思い切り叫んでしまっていた。



 こうして俺と南は、真夜中に二人っきりで、一つの部屋に閉じこもった。

 年頃の男女が真夜中に二人きりとくれば、間違いの一つや二つは起きるものである。

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