第5話 ハプニング
同棲初日の朝。
互いに怒鳴り合い、殴る蹴るの暴行にまでは発展しなかったものの、まあケンカと呼ぶに相応しいことをした俺たち。
結果〝しばらく〟は同棲を秘密にするとし、その一環として俺は南よりも先に家を出た。
歩いての登校は、高校に入学して数日程度だったから、約一年ぶりである。
通学路の公園に咲く桜たち。優しく頬をなでる春風。
思いのほか歩いて通うのも悪くない。
自転車では見過ごすような景色を楽しむことができる。
まあその分、朝のお家時間は短縮されているんだけどね。
でも、それもこれも全ては南との同棲を隠すため。
もし仮に、俺と南の同棲がバレたら……で想像される未来と比べれば、ほんの数十分、朝の時間が取られることなんて些細なことだ。むしろそれだけで済むのなら、有り難いことこの上ない。
そうしていつもと同じぐらいの時間に登校。
――あれ、今日はチャリじゃないんだね。と声をかけてくる友だちがいないのは、不幸中の幸いである。
教室に入っては自分の机に座り、今日の宿題やら小テストやらの対策を行う。
そう、俺は〝友だち〟という青春を捨て、引き換えに〝それなりの成績〟という未来の可能性を手に入れた。
日本は結局なんだかんだ言って学歴社会だ。
良い大学を出れば、そこそこ良い企業に就ける。
長い目で見た時に、〝青春〟と〝優良企業〟どちらが魅力的か、考えれば誰でも分かることだろう。
答えは明確。それは
「亜沙乃おはー」
反射的に身体がビクッと強張った。
目線を教室の入り口に向けると、そこには数十分ほど前に「行ってきます」を告げた同居人の姿が。
何もしていないのに、同棲がバレやしないかと冷や汗が止まらない。
「おはおはー」
「あれ? 何か亜沙乃の匂い変わった?」
銀髪ギャルの一言に心臓がキュッとなる。
女子ってのは男子よりも匂いに敏感だと言う。
もしや俺の
そしたら同棲がバレるのも時間の問題――
「さすが彩~! 香水変えたの!」
「やっぱり⁉ いや~ウチの鼻冴えてるわ~」
キャッキャッと笑い合うギャル二人を横目に、盛大なため息をついては突っ伏した。
他人と秘密を共有するとはこれほど大変なことなのかと、早くも心が折れかけている。
頑なに隠匿を嫌がっていた南の気持ちが、少しだけ分かった気がした。
そして続々と、南たちの〝いつメン〟が集まっていく。
朝の挨拶に始まり、くだらない話をしては笑い合い、男子からのちょっかいを楽しんで、いつものように自撮りで締める。
――あぁ。やっぱり俺と彼女じゃ、住んでいる世界が違いすぎる。
最後に無慈悲な現実を見せつけられた朝だった。
***
その後、つつがなく午前の授業は終わり、昼休みとなった。
クラスメイトが各々持参した弁当を広げる中、俺はいつも通りの買いメシだ。
高校の購買なんて、パック詰めの焼きそばか、スーパーでよく見る惣菜パンが一番美味んだから、弁当を作ってもらえている連中は存分にその幸せを嚙み締めるといい。
彩り豊かな弁当箱を横目に、購買へ向かおうと席を立つ。
同時に目の前に人影が現れて、俺の机にコトンと何かを置いた。
「はいこれ、お弁当」
最初は人違いをされたと思った。
だから、間違いを正そうと口を開く。
しかし弁当を差し出した当人は、俺の目を見つめ、若干得意げな表情さえ見せている。
南亜沙乃は、俺のために弁当まで作ってくれていたのだ。
当然、
クラスメイトは一様に驚きの表情を浮かべていた。
「バ……バババババババカじゃねぇの⁉」
だが誰よりも驚いていたのはこの俺だった。
「バカってなによ! せっかく作ってきてあげたのに!」
「違っ! その……場所っ!」
俺の断片的な言動に南は小首をかしげる。
「場所がなによ。机に置いちゃまずかった?」
「そ、そうじゃなくて!
「間違えてないわよ。私はたっく――」
「亜沙乃……なにしてんの……?」
彩と呼ばれていた銀髪ギャルを筆頭に、ギャル集団の面々が怪訝な顔で南を見つめている。
「あっ――」
友人に問われてようやく、南は自分のやらかしに気付いたらしい。
みるみるうちに頬を紅潮させ、あたふたと焦り始める。
「これは! そのっ! 私がたっく、笹森くんにっ! えっと、お弁当を、じゃなくて、その! えーと!」
……ダメだ。
南は完全にパニクっていて、おぼつかない言動になっている。
他のクラスメイトたちは、だんだんと俺たちの関係性に怪しさを感じ始めているようで。
「南さんって、笹森みたいなやつが趣味だったの?」
「びっくり……というか、まさかすぎてちょっと引いてる」
「餌で釣って、後から奴隷にするんでしょ」
女子のテーブルから聞こえてきた陰口、その矛先は、なぜか俺ではなく南に向けられていた。
「それもそっか。ギャルなら男のたぶらかし方とか知ってそうだし」
「二年になって調子乗ってるんだよ。手頃なオモチャが欲しかったんだろうね」
「笹森かわいそー」
攻撃されているのは南で、同情されているのが俺。
にもかかわらず、なぜか俺はその影口にひどく憤りを感じていた。
気づけば俺は女子のテーブルを睨みつけ、ボソッと独り言を呟いていた。
「ギャルを理由に偏見を押しつけるなよ」
影口の応酬はそこでピタリと止んだ。
なぜか周囲のざわめきも静まっていて、クラス中の視線を一身に浴びている。
おや? と思い視線を南たちギャル集団の方へと戻すと、彼女たちは鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていた。
「……俺、変なこと言いました?」
恐る恐る尋ねてみると、南は頬を緩ませ優しい笑みを見せた。
「ううん。なにも間違ってないよ」
彼女のバックに控えるギャルたちも、各々肯定的な反応で答えてくれている。
理由はよく分からないが、とにかく場が落ち着いた。
弁明を試みるなら今しかない!
「あの! 南さんは、俺が落とした弁当を拾っていてくれたんですね!」
頼むからどうか察してくれ!
そんな願望を目いっぱいに込めた眼差しは、どうやら彼女に届いたようで。
「え、ええ! そうなの! ちょうど学校来る時に拾ってさぁ」
南の言葉に、安堵のため息や呆れ声など、とにかく収束に向かうクラスメイトの反応があった。
「ママの手作りなんでしょ? ちゃんと大事にしなきゃ」
「ありがとうございます。美味しくいただきます」
「笹森くんのママ、相当頑張ったみたいよ? すごくいい匂いがするもの」
「そ、そうなんですね。それは楽しみです。南さん、この度はありがとうございました」
深々と頭を下げ、これにて一件落着。
だと思っていたのだが、南はぷくっとハムスターのように頬を膨らませ、ご機嫌ナナメなご様子だ。
「また〝南さん〟って呼んだ」
彼女の呟きは、傍にいた俺だけがなんとか聞き取れる、とても小さな声だった。
――これは一体、どういう意味だ。
と意味深なメッセージに思考を巡らすかたわら、南は他のギャルたちにつられ、校庭でのピクニックランチへ赴いた。
教室はいつもの光景を取り戻している。
昼休みの時間は限られているし、考えごとをするにしてもまずは腹ごしらえだ。
数年ぶりの手作り弁当は、料理をしない俺が見ても、とても手が込んでいるものだと分かった。
ワンプレートに、緑、赤、紫に黄色と、色彩豊かな食材が散りばめられ、中央には団子状のおにぎりが三つ並んでいる。
写真映えするような盛り付けも相まって、食べるのがもったいないと感じるほどの完成度。
心からの感謝をこめて「いただきます」と箸を取り、一口。
「――うま」
南の手料理に俺の胃袋は、すっかり鷲掴みにされていた。
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