第4話 通学会議

「おはよ、たっくん」


 いつもの目覚まし時計が鳴るよりも早く、新たな同居人が朝を伝えた。

 彼女は制服にエプロンと変わらずの悩殺スタイルだった。


「お、おはようございます。南さん」

「『南さん』じゃなくて、ママって呼んで?」

「マ……ってあんたは俺の母さんじゃないし!」

「ええ、母さんではないわ。ママだもん」


 なぜだろう。起き抜けにして早くも頭痛がする。


「きっとまだ寝ぼけているのね。ほら、顔洗ってシャキッとしてきなさい」


 ベッドから無理やり引っ張り出され、背中をポンと押される。

 部屋を出ると、下のキッチンから味噌の香りがほのかに漂っていた。


「朝ごはん、できてるからね」


 そう言って南は一階へと下りて行く。


「まじかよ……」


 彼女の徹底的なママっぷりは、ギャルとしてのイメージとかけ離れ過ぎていて、早くも脳の処理が追いつかない。

 ただ理解しようとしても疲れるだけ、というのは昨夜だけでよく分かった。


 もう何も驚かないし、考えない。

 これまで通りの生活を送りたければ、俺自身から変わる必要があるんだ。

 そう自分に言い聞かせてから、一階の脱衣場兼洗面所に向かった。


 が――


「ぬぉおおおおおおおお⁉」


 洗面所に入った瞬間、反射的に声を上げてしまった。

 そこには当たり前のように女性の下着が洗濯用のかごに入っている。

 健全な男子高校生の朝に、この光景は目に毒だ。

 ってか普通、俺に見られないよう隠したりしない?

 その辺の恥ずかしさとかないのギャルって。


「しまった……またギャルを理解しようとしてしまった」


 ついさっき疲れるだけだと割り切ったはずなのに、俺は再び同じ過ちを犯していた。


「たっくんどうしたのー?」


 そして俺の叫びを聞きつけて、南がこちらに向かってくる。

 南のパンツを見て叫んだ、なんて知れたらまたもあのニヤつき顔でからかわれるに違いない。

 だから、


「なんでもない! 段差に小指ぶつけただけだから!」


 苦し紛れの嘘でなんとか誤魔化す。


「え、ダッサ」


 しかし思わぬ形で精神的ダメージを受けるのであった。




 制服に着替えて食卓につく。

 テーブルの上には、みそ汁にサラダ、玉子焼きにソーセージと、とても庶民的な朝食が並んでいた。


「ギャルの朝食って、もっとチャラついたものだと思ってたよ」

「なによチャラついたものって。まぁ確かに他のみんなは朝にスムージーとか飲んでるわね」

「そうそう! そういうのだよ!」

「どうしてそんなに嬉しそうなの……?」


 怪訝な表情で睨まれたので、静かに「いただきます」をして箸を取る。

 みそ汁を一口すすって俺は確信に至った。

 こんな朝食をこれから毎朝食べられる俺は、世界で一〇番目ぐらいには幸せだと。


「そういえば、ここから学校までどうやって行くの?」


 同じように箸を進めていた南が思い出したかのように尋ねた。


「自転車で二〇分ぐらいかな……って南さん、自転車って持ってきた?」

「持ってないけど、チャリなら二ケツで行けんじゃん! ラッキー」

「待て待て。それは俺の自転車に乗っていくってことか? 二人乗りで?」

「もちのろん」

「いやだよ! 他の人に見られたらなんて説明するんだよ⁉」

「え? 二人で同棲してまーすって」

「……バカなの?」

「バ、バカって言う人の方がバカなんだからね!」


 小三ぶりに聞いたぞそのセリフ。


「いいやバカはお前だ。なんで自ら同棲を公表するんだよ」

「え? しないの?」


 間の抜けた返事に、手元の箸を落としてしまう。


「南さん。俺らが同棲することになったって、誰かに伝えた?」

「いや、まだだけど。学校でみんなに直接伝えようかなーって。サプラーイズ! みたいな?」

「ダメだ。それは絶対に許さない」

「どうしてよ⁉ こんなビックニュース滅多にないじゃない!」

「ビックすぎるんだよっ‼ 俺と! 南さんが! 同棲するんだぞ⁉ ギャルと陰キャ、月とスッポンぐらいかけ離れた俺たちが同棲だぞ⁉」

「たっくんは別に陰キャじゃないわ。ただ物静かな性格ってだけよ」

「お、おう。それは……ありがと」

「けど、家だとこんなに喋ってくれるのね。ママ嬉しいわ」

「それ言われるのすっごい恥ずかしいから! やめて!」

「どうして? いいことじゃない」

「思春期男子はキャラを家と学校でこっそり使い分けてるの! それを親に知られるのってすっげぇ恥ずかしいんだよ!」

「あら、ようやく私のことをママって認めてくれたのね」

「認めてねぇからぁああああああああああ‼」


 やばい。叫びすぎて血管が破裂しそう。


「まあまあ。きっとたっくんが思ってるよりも騒ぎにはならないって」

「いーや、絶対騒ぎになる。騒ぎになって、いじめられて、学校に俺の居場所がなくなる」

「そうかなぁ」

「そうなの。だから俺たちが同棲してるってことは誰にも言うな。絶対に」

「う~ん」


 煮え切れない返事。

 同棲を秘密にすることのどこに、引っかかりを覚えるのだろうか。


「そして俺たちが同棲してるとバレないよう、家を出るタイミングもバラバラにしよう。幸か不幸か我が家に自転車は一台しかないし。俺が先に出て歩いて行くから、南さんは後から自転車に乗って学校に来てくれ」

「う~ん」


 彼女はまだ頷けずにいた。

 よほど気がかりなことがあるらしい。


「言いたいことがあるなら言ってくれ。一応は同居人だ。俺ばっかりの意見を通しては、南さんの生活が大変になっていくだろうから」

「……やっぱり隠し事って良くないと思うの」

「――へ?」


 聞き間違いじゃなければ、いま目の前の女子高生は、ギャルのくせに超絶優等生のような言葉を口にしたぞ。


「ようは友だちに噓をつくってことでしょ? それって裏切りじゃん」

「裏切りかもしんないけど、時には必要な噓だってあるだろ」

「いいえ。噓をついたっていずれバレる。それなら、自分たちから伝えた方が潔いと思わない?」

「ギャルなのにどうして、そんな理路整然としているんだ」

「友だちに対してはマジだから」


 そこには俺が触れてはならない特大の地雷が存在した。

 ギャルに対して、唯一手放しで称賛できるところ。

 彼女たちは決して友を裏切らない。

 マジな目を見せる南にたじろぐも、それでも俺は引き下がるわけにはいかなかった。


「分かった。確かに同棲を秘密にするってことは、友だちに噓をつくことだし、ひいてはそれが裏切ることにもなる。だけど、俺と同棲していることを仮にバラした場合、友だちの反応はどうなると思う」

「ウケる、とかで終わんじゃない?」

「まじかよ軽いな。ギャルってそういうもんなのか」

「んー、ま、なんとかなるっしょ」

「そういう無責任なところはめっちゃギャルなんだな⁉」

「あー、たっくんまたギャルを偏見で見てる~」

「これは偏見じゃねぇ! いま! 目の前で! 起きたことだ!」


 ぷぅっとふくれっ面を見せる南。

 そんな可愛い顔をしたって俺は容赦しないからな。


「たとえ友だちを裏切ることになったとしても! 俺たちの生活を守るためには、同棲のことは隠し通さなくちゃいけない!」

「いいえ! 生活と友だちを天秤にかけちゃダメなの! どっちも大事なの! だから同棲のことは伝えるべきだわ!」

「伝えた後のこと考えろよ⁉ 絶対俺たちを変な目で見てくる連中はわんさかいるぞ! 南さんモテるから、同棲を知った男子どもは全員俺を殺しにくる‼」

「そんなことない! 私はそんなこと望んでない!」

「望んでなくても起こるんだよ! 俺たちは人の目を、流れる噂を制御できない! だから同棲については絶対に隠す!」

「なによ、どうしてそこまで反対するのよ! ママの言うことが聞けないっていうの⁉」

「だから俺は、お前が母親だって認めてねぇえええ‼」


 同棲生活、はじめての朝にして、早速ケンカが勃発した。

 互いの譲れないもののために、俺たちは戦いを繰り広げた。

 気づけば汗だくになって、己の意見を主張しまくっていた。


 ただ――


「だから笹森はモテないのよ‼」


 という一言が俺の心にダイレクトアタックをもたらした。

 次いで自分の感情に追いつけなくなったのか、南はポロポロと涙をこぼし始める。


「お、おい……泣くなよ」

「だってぇ、だってぇ」


 目元を覆ってうつむく彼女の姿に、俺は二秒と耐えられなかった。

 気づけば俺の額は、床と綺麗に接着していた。

 そういえばいつの日か、『ケンカをしたら彼氏の方から謝りましょう』みたいな記事をネットで読んだ気がする。あれは彼女が欲しすぎて、なぜか付き合った後のことをひたすら妄想していた時だった、と思う。


 まさかこんなタイミングで役に立つ日が来るとは。相手は彼女じゃなくてママだけど。――いやママでもないけどな⁉


「ごめん、俺が言い過ぎた。だけど、どうかお願いだから、同棲のことはしばらく秘密にして欲しい」

「ううん。私も自分のことばっか考えちゃって、ごめん。それと、そんな綺麗な土下座見せられても困るから……顔上げて」


 ゆっくりと、恐る恐る顔を上げては、南の様子をうかがう。

 その一瞬スカートの中が見えそうだったことは、おくびにも出さまいと細心の注意を払った。

 南の顔が涙で濡れていて、その湿っぽさに鼓動が高鳴った。


「たっくんいま、『しばらく秘密に』って言ったよね」

「あ、ああ。言った」

「しばらくすれば、話していいってこと?」

「ああ。そのしばらくってのは、俺たちが互いに、同棲を『当たり前』だと思えるようになるまで、だ」

「同棲を、当たり前……」

「そう。同棲を当たり前だと思えるようになったら、たとえ変な噂を流されても、ある程度気にせず振る舞えるし、弁明にだって一定の説得力があると思う」

「確かにそうだね」

「そんで同棲を伝える時にも一工夫だ。友だちの中でも、まずは最も信頼できる人から、少しずつ伝えていこう」

「分かった。そっちの方が余計な誤解とかされずに済みそう」

「そういうことだ。だから当面の目標は、まず二人でこの生活に慣れていくこと、だな」

「きっとそれは、そんなに時間かからないと思うわ。少なくとも、私の方はね」


 いつものからかうような、いたずらっぽい笑顔。

 そんな南の表情に、ほっと一安心する自分がいた。


「それはどうかな? 俺はまだ、お前に本当の俺を見せていないからな」

「そーいう厨二病? みたいなやつ、本当にキモいからやめた方がいいよ?」

「急に辛辣ぅ!」


 そんなこんなで、俺たちは今後の方針を決めることができた。

 二人が同棲していることは、〝しばらく〟秘密にしておく。

 だから家はバラバラに出るし、学校ではこれまで通りの距離感を保つ。

 しばらくしたら、少しずつ同棲を打ち明けていくし、きっとその頃には自然と二人の距離も縮まっていると、思う。


 ――ってあれ? 俺、このギャルと仲良くなりたいって思ってない?



***



 そしてつつがなく午前中の授業が終わり、昼休みを迎えたころ。

「バ……バババババババカじゃねぇの⁉」

 南の突飛な行動に、思い切り取り乱す俺がいた。

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