第3話 はじめての夜
コンコンコンと小気味良い音がリビングに響く。
「こんな切れ味のいい包丁はじめて使うよ~」
と、楽しいそうに野菜を刻んでいく南。
「たっくんは普段料理とかしないの?」
「しない、というか出来ない。だからいつもフードデリバリーで済ませてる」
「あぁ~、お金あるもんね」
何気ない会話で気抜けしそうになるが、冷静に考えてこの光景は異常だ。
だって、クラスのギャルが制服の上からエプロンを着て、うちのキッチンに立っているんだぜ?
それを部屋のソファに座り、遠くから眺める俺、という構図を客観的に眺めた時、これはもうれっきとした同棲生活の一ページだろう。
だが勘違いしないでもらいたい。
俺は見たくて彼女の料理を見ている訳ではない。
それは遡ること三〇分ほど前――
「ね、ご飯まだでしょ。作ってあげる」
「作るって南さんが?」
「そ、だってママだし。家がある時は自炊してたし」
「いや悪いよ。とりあえず今日はデリバリーで済ませ」
「作るったら作るの! 私はたっくんのママなんだから! それぐらいさせてよ」
と、押し切られ今に至る。
俺は不安なのだ。
だって、ギャルの料理ってきっと――
『調味料なんて適当でいいっしょ! しょうゆにー、みりん? 砂糖と塩とか、とりまあるもの全部入れちゃえー‼』
って感じじゃん。
いや、料理作れない俺が言える立場ではないんだけど。
だからこうやって、その悲劇的な瞬間を見逃さまいと見張っている。
「水は二〇〇㏄で。しょうゆは大さじ二か……ねぇ、計量スプーンってどこー?」
「なんでそんな丁寧にメモリ測ってるのぉぉぉぉ⁉」
「なんでって、当たり前じゃん。調味料はちゃんと測って入れないと味がめちゃくちゃに……まさか、私のことギャルだからってガサツな女だって決めつけてたでしょ」
ジトっと目を細め睨んでくる南さん。
胸が痛いです。
弁明の余地もありません。
「ま、よくあることだけどさ。みんな見た目がギャルってだけで、ガサツで適当で、品のない女ってレッテル貼るんだから」
「大ッ変申し訳ございませんッ‼」
「いいってよくあることだから。でも、他のギャルの子には、勝手にそういうイメージ持ったらダメだからね」
「はいッ! 以後気を付けますッ!」
「よろしい」
……あれ、なんだか俺、ギャルとの会話を楽しんでないか?
「それで、計量スプーンはどこにあるの?」
「ああ。それなら確かそこの引き出しに」
ソファから降りてキッチンの引き出しから計量スプーンを取り出す。
自然と俺は南の横に並ぶことになって……。
「ん、ありがと。ってなに固まってるの?」
女子とこんな至近距離に近づいたの、小学校の学芸会以来じゃないか?
あの時は俺が草役Aで、もう一人寡黙な女の子が草役B。
先生がここに立っててと指示した場所は、隣の女の子と数センチの距離。
だけど、今はそれよりも近い。肩と肩が触れ合ってしまいそうな距離だ。
「ねぇってば。それ、ちょうだい」
「え、あ、あぁ。ごめん」
思わず強く握っていた計量スプーンを渡して一歩退く。
南は「ありがと」と言って受け取り、そのまま調理に戻った。
俺との距離を気にする素振りは一つも見せない。
これがギャルなのか。
確かに今になって思えば、ギャルって男女分け隔てなく接していたような気もする。
俺はその男女にも入れなかったから、経験はないんだけど。
だから、南にとっても俺はただの友人……いや、息子……なのか?
「訳分かんねぇ」
「なに変なこと言ってるの。それよりほら、もうすぐできるよ」
南の前にある鍋は、ほのかに香ばしい匂いを漂わせていた。
中を覗くと、少し大きめに切り分けられた根菜と豚肉が橙色の煮汁に染められ、コトコトと気持ちの良い音を立ている。
「これは……肉じゃが?」
「そ、肉じゃが。私の得意料理なんだから、味は保証する。たっくんの口に合うかは別だけどね」
「もうすでに美味しいよ」
「まだ食べてないでしょ、もう」
そう言って嬉しそうに笑う南を見て、自然と俺も笑みをこぼしていた。
「さ、お皿持ってきて」
食器棚から久方ぶりに皿を取り出す。
その時ふと、昔の家を思い出した。
脳裏によみがえった光景は、母親に食器を持っていくところで。
当時八歳ぐらいの俺は、とにかく母親に褒めてもらうことが好きだったっけ。
そんなこと思いながら、南に皿を手渡した。
「ありがと、たっくん」
心がじんわりと暖まる。
不覚にも俺は、彼女からのお礼を心から嬉しいと思っていた。
そして盛り付けをする南を見て、改めてその見た目の攻撃力に理性をそがれる。
だって自分の家で、ギャルが制服の上にエプロンを着て、目の前で肉じゃがを盛り付けてるんだぜ?
ギャル嫌いの俺でもさすがにこれは気持ちが揺らぐ――って危ねぇ!
南亜沙乃は俺の敵だ。
敵に油断も隙も見せちゃいけねぇ。
「……どうして、いきなり警戒心をむき出しにしているの?」
小首を傾げながら盛り付けた皿を差し出す南。
なんでもない、と答え皿を受け取り、ダイニングテーブルへと運ぶ。
早炊きをしていたらしいご飯も丁度炊き上がり、食卓には肉じゃがの大皿と、ほかほかの白米が並べられた。
「本当はお味噌汁とかも作りたかったんだけど。さすがに時間がかかりすぎちゃうから……」
と、俺の向かいに腰かけた南は申し訳なさそうな表情を浮かべていた。
「いやいや、これだけ作ってもらったんだから十分だよ。普段はもっと食事偏ってるし」
「やっぱりそうなのね。これからは私が――違う、ママが朝も昼も夜も、たっくんの健康を考えたご飯を作ってあげるわ!」
「だから、どうしてそうママ役に前のめりなんだよ」
「だって仕事だし。ママにもなりたかったし。一石二鳥じゃん?」
「俺にはその二鳥が分からない……」
「とにかく生活の大半は全部ママに任せておけばいーの。それじゃ、手を合わせてください!」
「え?」
「ほらほら、早く」
南にせかされるまま、両手を合わせる。
そして互いに向き合って、
「いただきまーす!」
「い、いただきます」
数年ぶりの「いただきます」を口にした。
南の作った肉じゃがは、どこか懐かしい味がした。
***
作ってもらったお礼も込めて、皿洗いは自分から名乗り出た。
なんというか、同い年の女の子にお世話されっぱなし、というのはどうにも気が引けるのだ。
その間南には、父親から用意された部屋で荷解きをしてもらっている。
南にあてがわれたのは一階の個室で、元々は客室用に作られたもの、らしい。
しかし客などうちに呼んだことないので、新品同然の部屋だった。
部屋に入った南の第一声は、
「前のリビングより広い……」
だった。
持て余している部屋の贅沢加減に引かれたか、と内心焦ったものの、次いで彼女は
「ホテルみたい、すごーい!」
と目を輝かせて喜んでいた。
今ごろウキウキで荷物の整理をしているんだろうな、と想像しつつ俺は二階へ上がっていく。
うちの家はリビングが吹き抜けになっていて、リビングを囲うように二階の廊下が建てられている。東側に一つ、西側に一つ、南側に小部屋が二つあって、俺が使っているのは東側の部屋と南側の小部屋一つだけ。
メインは東側の部屋で、南側の小部屋はゲーミングに最適化した環境を整えてある。
しかし最近は特にやりたいゲームもないので、アニメや映画の鑑賞部屋に変わりつつあった。
そんな小部屋を通り過ぎ、メイン部屋の扉に手をかけ中に入る。
ようやくのプライベート空間にほっと息をつくと、糸が切れたようにベッドへ倒れ込んだ。
「とんでもないことになったなぁ」
天井をぼーっと見上げながら、この数時間の出来事を思い返す。
うちにギャルが来て、父親の謎の厚意により同棲することとなった。
しかも彼女は俺のママになるらしい。
「ほんと冗談みたいな話だな」
思わず鼻で笑ってしまうも、一階ではそのギャルが目下荷解き中だ。
「……どうなるんだ、これから」
今の状況が特異すぎて、明日の想像すらおぼつかない。
ひとつ屋根の下でクラスメイトの女の子と同棲。
改めて考えてみると、夢のような話じゃないか。
つまりはアニメによくある〝あんなこと〟や〝こんなこと〟が、十二分の可能性で起り得るわけで。
いずれは二人、異性として意識し合って、その先には――
「いやいや何を想像してるんだ俺は! 相手はあのギャル! 俺たちの敵だ」
煩悩を振り払い、ベッドから降り立つ。
時刻は既に零時を超えようとしていた。
「シャワーだけ浴びてさっさと寝よう」
着替えのパジャマを持って一階のお風呂場へと向かう。
階段を下りる頃には、一日分の疲れから、ただ茫然と「風呂入って寝る」という意識しか残っていなかった。
そのため風呂場の明かりが付いていたことにも気づかず、無意識に扉を開けてしまっていた。
「――っ⁉」
明かりをつけたであろう先客と目が合う。
彼女は今まさに制服のスカートを脱ぎ、淡いピンク色の下着を露わにしているところだった。
上のブラウスは既に洗濯かごに入っており、つまりは上半身を守っているのは胸の下着だけ。ちなみに色は同様のピンクで、黒のレースにリボンの付いた、いわゆるランジェリーと呼ばれる類のもの、だと思う。
そしてこの瞬間、俺のスクールカーストは日陰者から〝変態〟へと大幅なランクダウンを見せる。
「見てません! 見てませんからぁ!」
せめてもの抵抗として、急いで扉を閉め後ろを向き、精一杯の弁明を試みる。
しかし脱衣場からの返事はない。
これは……相当怒らせてしまったのではないか。同棲初日の夜にして、まさかの俺が家から追い出される展開になってしまうのでは。話を聞いた父さんが南の側につくのはいたって明白だし、俺に味方はいないし、なんだかんだハッキリとこの目に焼きつけちゃったし。
と、嫌な予感がよぎりまくり、汗という汗が身体中から吹き出ていた。
静寂に包まれた我が家のおかげで、聞こえるのは激しく高鳴る鼓動と、スルスルスルと聞こえる衣擦れの音だけ。
ってか、なんでこのタイミングでまだ脱ぐんだよ⁉
やっぱギャルってのは見た目通りビッ――
ガチャリ。
なぜか閉めたはずの扉がゆっくりと開いた。
恐る恐る振り返ると、開いた隙間から南がひょっこりと顔を出している。
しかしその表情は圧倒的な無。
感情など一切消し去ったアンドロイドのような無。
謝ろうにも、その無の恐ろしさに息がつまって上手く声が出せない。
「ふふっ」
ふと、彼女から息がもれた。
それを合図に南の目は細くなり、口角もだんだんと上がっていく。
ニヤニヤとした笑みを見せながら、南は口を開いた。
「なぁに? ママと一緒に入りたいの~?」
その扇情的すぎるセリフに俺の身体はビタリと強張った。
「なーんてね」
可愛げなウインクを見せ、扉を閉める南。
次いで風呂場の仕切りが閉められて、シャワーの音が辺りに響く。
顔が燃えるように熱い。
心臓は破裂しそうなほど激しく鳴っている。
意識はもうろうとして、豊かな妄想だけが広がっていく。
俺はものの見事に、クラスのギャルにからかわれた。
「これだから、ギャルは、嫌いだぁぁぁぁぁぁ‼」
それからのことはあまりよく覚えていない。
悶々とした気持ちを抱えながら、ベッドの中でうずくまっていた、と思う。
そうして同棲二日目の朝を迎えた。
「おはよ、たっくん」
気づけばぐっすり眠っていたようで、肩をトントンと優しく叩かれ目を覚ました。
寝ぼけまなこをこすって身体を起こすと、目の前には、ばっちりとメイクを決めた南亜沙乃の姿が。
「おはよ、たっくん」
優しく見守るような彼女の笑みは、まさしくママだった。
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