第2話

 彫り師のライセンス制度が施行され、はや十年。麻酔薬と再生医療技術の発展により、刺青の意味は大きく変化した。

 もはや刺青は、一生消えないものではない。レーザー治療や皮膚移植などをしなくても、塗り薬で安く簡単に消すことができる。刺青を入れる際の痛みもない。全自動のタトゥーマシンも普及し、ハイクオリティの刺青を安全に、しかも彫り師が入れるよりもはるかに迅速に入れることができる。失敗されることはあり得ない。彫り師とは、全自動タトゥーマシン技術者の呼称となり、デザイナーも兼ねていた本来のタトゥーアーティストとは別物となった。

「消えないけど、消そうと思えば消えるインクが発明されたのと同じです」

 休日のカフェ。呼び出された俺の前には、弓野がいる。今日は彼女一人だ。

「実際は、医療やマシンなど、様々な技術の発展が結合した結果なのですが、新しいインクが発明されたのと同じ意味しかないなんて、虚しくなります」

 弓野はコーヒーをすする。ネイビーの薄手のニットワンピースは、喪服とはかなり違う印象を与える。胸のふくらみは、肩こりが心配になるような代物だ。

「そんなことを僕に言われましても」

 弓野と吉持は、アカネの背中の皮を剥いで持ち帰った。協会で保存するという。それが、アカネの望みだったのだと。たまたまネットで協会のことを知ったというアカネが、自ら電話をかけてきた、と弓野は話した。協会の活動内容を知って、刺青を保存しようという気持ちになったらしい。

「あの、アカネはなんと言っていたんですか」

 俺の前にあるコーヒーは、一口も飲まれずに放置されている。

「なんと、と言いますと?」

「自分が死んだら、皮を剥ぎに来てくれって、依頼したんですよね?」

「そのような言い方ではありませんでしたが――」

「あなたたちは、妹が死ぬことを知っていた。そうですね?」

「ええ」

 そうでなければ、彼らが葬儀に現れるわけがない。アカネの遺書には、事件性がない自殺であることを示すことと、葬儀の場所と日程の指定をする役割しかなかった。

「どうして死ぬか、聞かなかったんですか?」

「そこまでは聞きませんでした。わたしたちは、アカネさんから氏による刺青が背中一面に入っていると聞いたので、それを保存したいというアカネさんのお言葉をありがたく――」

「とめてくれなかったんですね。アカネと話したのに」

「アカネさんが自殺するなんて、知らなかったんです」

 俺は弓野を睨みつける。それ以外に、葬儀の日を指定できる死に方があるか。彼女のすまし顔。殴りつけてやりたい。

「これから死ぬってことを話したのに、なにも疑問を持たなかったんですか?」

「個人的なことをお尋ねするのは失礼かと。アカネさんは、いつどこで彩龍氏に施術してもらったかも、答えてくれませんでしたし。でも、刺青の出来は本当に素晴らしくて、間違いなく、彩龍氏の作品だと思われます」

「はあ」

 弓野は残念そうに首を振る。

「彩龍氏に関する情報を募っているのですが、姿をくらましていて、見つからないんです。もとから神出鬼没で、気の向いた時にした施術をしない特殊な彫り師なのですが。ライセンスを持たない違法彫り師なので、なかなか表立って探すこともできなくて」

「そんなやつ、放っておけばいいじゃないですか」

「違法であっても、芸術性には関係ありません。刺青の意味が貶められてしまった今、本物の彫り師の本物の作品を保存することには、非常に意義があります。そのために、ぜひとも居場所を突きとめたいのです」

「そう言っても、皮を剥ぐなんて……妹の意思だっていうから承諾しましたけど、気分が悪いです。今更ですけど、写真で保存するんじゃだめなんですか?」

「花と花の写真では、価値が違うでしょう。でも、今は花がなくなってきてしまっています。タトゥーを入れてもすぐに消してまた違うものを入れたり。スマホに花の写真を保存しているみたいなものです。本物の花を飾ることの価値なんて、みんな忘れてしまったような」

「タトゥーと花は違うでしょう」

「彩龍氏は、刺青のことをと呼んでいました。いろいろな呼び方があって、どれもしっくりこないからと、自分で言葉をつくったんです。片海さん、彩龍氏のことを知りませんか?」

「知りませんよ」

 俺は吐き捨てるように言った。

「そんなことで俺を呼び出したんですか?」

「顔も本名も年齢もわからないんです。もしかしたら女性かもしれません。アカネさんは、自分が刺青を入れているのを知っているのはお兄さんだけだとおっしゃっていました。仲良かったんですよね?」

「普通ですよ」

 内向的でふさぎ込みがちだったアカネ。その気になれば、もっといい仕事、いい人間関係を手に入れられたはずだったのに。馬鹿ではないのに、いつも、なにかに怯えているような顔をしていた。

 思い出すとつらくなる。でも、どうしようもなかった。仕方ないこともあるのだ。誰にも触れられない心の中に、死を想う原因があることもある。俺のせいじゃない。

「ほかにご家族はいらっしゃいますか?」

「いえ」

「親御さんはもう――」

「それがなにか関係が?」

「アカネさんから、お金のことや付き合っていた人のことなど、なにか聞いていませんか?」

「アカネのですか?」

「はい。アカネさんは、アルバイトで生活されていたんですよね? 彩龍氏の刺青を背中一面に入れるには、かなりのお金がかかったはずです。しかし、親しい人になら無料で彫ることもあったようです。アカネさんとお金の貸し借りなどはしていませんでしたか?」

「全然。付き合っていた人のことも知りません。アカネがその彩龍って人と付き合っていたとでも?」

「可能性はあると思います。刺青について、なにか聞いていませんか?」

「背中に入ってると聞いただけです」

「刺青の状態からして、それほど前ではないはずです。すごく綺麗な状態でしたから。アカネさんがどこか遠方に通っていたとかいう様子は――」

「知りません。そんな犯罪者とアカネが付き合ってたとかも、あり得ないですから。あなたがアカネについて謝ることがないなら、もう失礼します」

「なにか思い出したことがあれば、いつでも連絡してください。これ、わたし個人の連絡先です。プライベートの連絡先は普通渡さないんですけど……」

 俺にメモを渡し、弓野は少しうつむきながら言った。

「そうでなくても、なんでもいいので、連絡してください」

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