第2話

 「栄えある一日目に…なるといいな」

 「うん!そうだね、お客さんがたっくさん来てくれたらうれしいなぁ」

 宮坂和心は、隣にいるひょろりと背の高い男性、西橋駿杜にしばししゅんに特盛サイズの笑顔を向けた。

 濃い藍色の、少し色あせた暖簾が店のなかで早く外の世界が見たいとうずうずしている。

 緑の葉が青々としてくるころ、阪神電車がちょっぴり見える閑静な住宅街の路地の中に「料亭 和の花」改め、「お食事処 和の花」が開店日がやってきた。


             *

 6月にもなると、スーツを着て外を歩くと汗がにじんできてしまう。

 ただでさえ汗っかきで困っているというのに、こうも日差しが強いとまるでサウナに入った後かのように汗をかいてしまうのだ。じっとりと肌に張り付く汗は、とにかく気持ちが悪い。

 ふと横を見ると、駅ビルの柱にある黄金の液体のコマーシャルが目に入った。カチンとグラスが重なり、ごくごくと飲んでいる姿を目にする自然と喉がなってしまう。

「今日はビールで一杯やっちゃおうか…コンビニで冷えた枝豆に煮卵、柿の種まで買っちゃって晩酌するのもありかも…ああ、でも…」

 大学4年生に時間の余裕なんてものは存在しない。就活に卒論、それに加えて国家試験の勉強まであるのだ。授業のレポートも山のようにたまっており、こんな週末でも晩酌している余裕は残念ながらない。

「せめてもう一時間ぐらい睡眠時間がとれたなら…」

 ぎりぎりまでうとうと寝ていて、気が付いたらもう降りる駅だったのだ。しかもドアが閉まる直前。あの「ちょっと、あんた、もっと早く下りてよ、」という駅員さんの迷惑そうな表情が忘れられない。こっちだってこんなぎりぎりにとび降りたいなんて思ってないのに。


「あーや!」

 駅から大学まで道のりをかたを落とし歩いていると後ろから、聞きなれた声で呼ばれた。

「岬妃!いきなり呼ばないでよ、びっくりするやん」

 振り返ると同じ学部の友達、岬妃がいた。

 いつも通り、華やかでゴージャスな格好をしている。ゴールドのネックレスに、耳もとにはお父様に買ってもらったというダイヤモンドのイヤリングが輝いている。

「いきなりじゃないし!ちゃんとさっきから後ろ追っかけてたよ?ビールの広告の前で一瞬立ち止まるところも見てたし。てか、きょうもスーツ?」

「いや、そういうところは見なくていいんだよ、ってあたりまえでしょ」

 今日もいろいろあるの、と反論すると岬妃はちゅるんとした唇を尖らせながら「ふーん」と興味なさそうにつぶやいた。


 これだからお嬢様は…、私はぽろっと言ってしまいそうだった。


 岬妃のおうちは超が付くほどのお金持ちだ。父親が金融系の会社の社長をやっているため、岬妃の就職先は変な行動さえしなければ生まれたときから決まっているのだ。そんな岬妃には就職の焦りや不安は微塵も感じられない。

「全然面白くないよ、私だってもっと冒険したい」

とよく言っていたが、この就活の困難さを味わうとその言葉に一ミリの共感でもきなくなってしまう。そんな風に思ってしまうのは私の器が小さいからなのだろうか。


肩を落として歩いている私をよそに岬妃はあっけらかんとした声でいった。

「ねえ、そうだ!これ、見てほしいねんけど」

 くしゃくしゃになったA4サイズのチラシを渡してきた。

「このお店、何年か前までやってたお店なんだって。で、今日またオープンされるらしいねんけど、興味ない?」

 そこには濃い藍色で「料亭 和の花」改め、「お食事処 和の花」がオープンします、と少し堅苦しいフォントで書かれていた。どこか不器用さがあるチラシで少しだけ好感が持てるが…、しかし。

「ねえ、岬妃は時間があるだろうけど、私には…」

「あーや!ね、きいて!あのね、」

 岬妃はつづけた。

「このチラシ配ってるお兄さん!めっちゃかっこよくって!正統派王子様って感じの顔してたなあ…!ね?興味わかない?行ってみようよ、それにここみて…」

「あのさ!」

 私は大きな声を出して岬妃を遮った。やっぱり、岬妃の頭の中はお花畑だ。こっちの切羽詰まった状況なんて考えちゃいない。かっこいいお兄さんに惹かれただけのやつにこれ以上心を乱されたくなかった。

「岬妃、あのさ、今はそんなことしてるひま、私はないの。ちょっと急ぐから先にいくね」

 でも…と戸惑っている岬妃をおいて私は足早にその場を去った。

 岬妃のあの非常識な態度にムカついてついかっとなってしまった。「いいわよね、あなたは。なんの心配もなく遊べて。気楽でしょうねえ、お嬢様!」くらいの嫌味なら簡単にいってしまいそうなくらい。なにが、イケメンよ。今の私には必要ない。だけど、、このチラシ、少し気になるような気がする。

 ポケットにチラシを突っ込み、なるべく岬妃と距離をとれるように足早に歩いた。


              

 

 

 

 

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和の手つなぎ 柵木悠夏 @haruna-mn

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