第67話 策士も騎士も取込中 side.J
…今日、初めて好感の持てる令嬢に出会った。
サラッと音のしそうな黒髪、一見儚げなのに、印象的な薄紫の瞳の少女だった。
「見たことなかったけど、普段は領地にいるのかな」
王都にいれば噂されそうな美少女なので、今までこちらの茶会等には出たことがないのだろう。
「まぁ僕も、それほど社交してないけどね」
ジャック・ランドウッドは自嘲するように口元を歪めた。
これまでのジャックにとって、王都の社交界は苦痛でしかなかった。
『ほらあれが騎士団長のところの…』
『似てないのね、残念!』
『
『将来の伯爵様よ!近づいて損はないわ』
男も女も好き勝手に、ジャックの事を噂している。
それでも男には、勝手に
大人の女性は、見目の良い『騎士団長の息子』に必要以上に近づいてきたり、また、父親がなびかない腹いせもあってか、子供のジャックに平気で色目を使って来た。
個室に押し込められたり(ドアを蹴って壊して逃げた)、薬を盛られたり(態度が怪しかったのでグラスを取り換えた→その後の大騒ぎに紛れて逃げた)と、実害にも遭っているので、相手が女性であろうとも、彼は決して気を緩めなくなった。
少女達も実害はないものの、『伯爵令息』としての彼しか見ておらず、持ち上げたり、家に呼ばれたがったり、誘いを断ると『元平民のくせに生意気だ』と、裏で中傷誹謗された。
一介の騎士だった父は、己の功績で男爵になり、母と結婚して子爵家を継ぎ、魔獣討伐の褒章として伯爵に進んだ。
尊敬しているし、自分も父のような騎士になりたいと思っている。
だけど爵位は…
(…いらない。本当にいらない。何とか返上できないかな…?)
と真剣に考えてしまうほど、ジャックは貴族社会にはうんざりしていた。
そんな彼が、ほぼ貴族のみで構成されている『魔法学園』に行きたいと思う筈もなく、『騎士学校』への入学を希望していたが、父には…
「私のような苦労はしてほしくない。これからの為にも、お前には出来れば『学園』へ進んでほしい」
と、憂い顔で言われ、母には…
「私は今のお父様に、何の不足もありません。それでも、お父様が『学園』に行かなかったことで、苦労されているのは知っています。ですから貴方には『学園』で、学んで欲しいと思います」
と、ダメ出しされた。
絶望的な表情になった息子に、母は苦笑を浮かべた。
「貴方の気持ちは分かるわ。下位の貴族令嬢だった私でさえ、社交は大変だったもの」
貴族階級は、『公爵、侯爵、伯爵』が上位貴族、『子爵、男爵』が下位貴族とされている。
実際の権勢は、この順通りとは一概には言えず、零落した伯爵家もあれば、裕福な子爵家もあるが、貴族社会の基礎を成す順列は揺るがない。
「だから尚更、貴方には『学園』で、貴族社会の考え方や社交を学んで欲しいの」
母の気持ちは分かるし、父の憂いを晴らしてあげたい気持ちもある。
だがしかし、ジャックには、己が貴族の中で暮らしていけるとは思えなかった。
「私も『学園』出身だけど、結構面白かったわよ」
明るく快活な母は、当時を思い出しているのか、若い娘のようにフフフと笑った。
「今でもお付き合いしているお友達は、あの『学園』で知り合った方達だし。ジャックも、お友達が出来れば、社交も少しは楽しくなるわよ」
楽しくなるわけがない――と母に言うのは忍びなく、ジャックは曖昧に微笑んだ。
(友達か…)
騎士団で見習いのようなことをさせてもらった時に、何人か出来た同年代の知り合いは、平民か下位貴族の子弟で、団長の息子であるジャックを敬遠していた。
(仕方ないよな。自分だって、上の連中といたら気疲れするだけだ…)
不意にジャックは思い出した。
何度か会ったことのある、シリウス・クロフォード公爵令息。
彼はいつも自然に、王子殿下の側にいる。
(まぁ、四大公爵の跡取りなら、王族みたいなものだからな)
だが貴族の頂点にいる筈のシリウスは、ジャックを見下したりは決してしなかった。
いつも丁寧に、他の誰とも一緒に扱った。
(あと王子も…)
幼い時に、一度、父に連れられて王城に行き、国王陛下と第1王子に引き合わされた。
同い年の王子は大らかで、元平民の父にも明るい口調で『騎士団長がいるから安心できる』と言い、息子が騎士志望だと聞くと、『君も騎士団長と同じように強くなるんだね』と言ってくれた。
(あの時は、この王子に仕えたいと純粋に思ったけど…)
騎士団長の息子で伯爵令息といえども、元平民の父を持つジャックが、すんなり王子の周囲に認められる訳はない。
今日も、王子がゲストとして招待されたのを知りながら、ジャックは挨拶もしなかった。
(騎士学校に進めば、接点が出来るとしても3年後だし、その頃には向こうだって覚えてないだろう)
それまでに、王都を離れる準備を…と思う、ジャックの脳裏に黒髪の美少女がよぎる。
彼女に言ったように、領地の騎士団に入れば何とかなると思っていたが…
(あの子とは、もう会えないだろうな…)
初めて、嫌悪感なく自然に話せた少女だった。
(騎士に憧れていると言ってくれた彼女は、『騎士の誓い』まで知っていた)
『弱き者を守り、民を守る盾になれ』
ジャックも騎士団に通っていた時、『騎士の誓い』を見学させてもらったことがある。
力強く荘厳な光景だった。自分もいつか…と思い震えていた。
(あの子はドレスを汚され、誰もいない場所で一人泣いていた。母さんと同じ子爵令嬢。高位令嬢の子達に転ばされたんだろうか…)
ジャックの心に怒りの感情が湧く。
貴族の令嬢達が、どれだけ心ない行動を、無邪気にとれるか彼は知っていた。
シリウス・クロフォードが、彼女を迎えに来たが、子爵令嬢と公爵子息なら縁談はないだろう。
(それに、クロフォード公子は令嬢達からとても人気がある)
遠縁だというシリウスと一緒に来て、王子の相手でシリウスが離れたところを、令嬢達に嫉妬で襲われたのかもしれない。
(自分が一緒だったら、誰にも指一本触れさせないのに)
『あの少女を守りたい』…それはジャックが初めて持った、希望だった。
その晩、父である王宮騎士団の団長が、突然家に戻ってきた。
職務で地方へ出ていて、予定ではあとひと月はかかる筈だった。
母も使用人達も、あわてて出迎えた。
「お帰りなさいませ」
「連絡を入れられずにすまん」
「お仕事ご苦労様です、父上」
「あぁ、ジャック。…お前には後で話がある」
ジャックは驚いたが、素直に頷く。
(自分も話したいことがあるし…)
簡単な休憩を取った父親に呼ばれ、ジャックが書斎に入ると、いつもよりも難しい顔の父親がいた。
「父上…大丈夫ですか? まだお疲れでは」
思わずそう声を掛けると、父親は苦笑を浮かべた。
「大丈夫だよ。予定より早く終わったし、それほど疲れてはいないんだ」
「そうですか」
「それよりジャック、お前の進学の件だが」
まさに相談しようと思っていたことを、父から切り出され、ジャックは驚きの表情を浮かべた。
「以前から言っていた通り、『魔法学園』に進んで欲しい。前と違うことは、これは決定した話だと言うことだ」
ジャックは口を開いたが、言葉がうまく出て来なかった。
実は、自分も学園に進んでもいいと言おうとしていたとか、なぜ自分の進路が決定されたのか?とか、聞きたいことがありすぎて言葉が出て来ない。
そんなジャックの様子を見て、父親は深刻な表情になった。
「…お前がそれほど
「いえ!そんな、自分のわががままを聞いてくれただけで有難く思います…ただ、なぜ今、決定したのでしょうか?」
父親であるランドウッド伯爵は、大きく息を吐いた。
「極秘事項だが…お前と同じ年に『魔法学園』へ、ある重要人物が入学することになった」
「…それは、エメラルド殿下のことではないのですね?」
第1王子はこの国で一、二を争う重要人物のはずだが、生まれた時から入学は決まっている。今頃、問題になるわけがない。
「そうだ。王子殿下にも関わるが、それ以上は言えない」
「分かりました。では、自分は『その方』の護衛として入学するのでしょうか?」
ジャックは幼い時から、自ら進んで、父親やその部下の騎士たちから剣や体術を学んできている。
同級生や学園の上級生相手なら、立派に護衛を務められるだろう。
「いや、護衛として側に付くことはない。何かあった場合の、備えのようなものだと考えてくれ。そうだな、普段は王子殿下に付いてもらう事になるだろう」
「では、その人物は王子殿下に近しい方なのですか?」
王子と同じくらいに重要で、近くにいることが可能なら、他国の王族かもしれないとジャックは考えた。
だが、この質問に、伯爵は疲れた顔を固く
「近しい存在に…なる予定だ。まだ、分からないがな」
ジャックがこの夜、父親から聞き出せたのはここまでだった。
「体を鍛える時間を、今より増やさなとな…」
漠然と学園に通うより、目的が出来て良かったかもしれないと考えていた。
それがたとえ、見知らぬ相手の護衛モドキだとしても。
そして、ジャックにとっては、正体不明の重要人物よりも…
(『魔法学園』に通うなら、あの少女にまた会える)
…ことの方に関心が大きく、少女との再会がどんな嵐を呼びよせるかも知らず、存外に幸せな気分のまま眠りについたのだった。
Atogaki ****************
…ジャック少年は思い込みが激しい。
(『黒髪の少女』がシャーロットだと知らせたい気持ちでいっぱいです)
…シリウスはそれほど夢を見てない(少し見てる)。
…王子が一番シャーロットに夢を見てません。
何があっても『シャーロットだからねー』で流せる。王子教育の賜物。
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