第66話 策士も騎士も取込中 side.S



 『シャーロット、僕は』

 

 …あの時、自分は何を言おうとしたんだろう。


 屋敷じたくに戻ったシリウスは、昼間の出来事を振り返っていた。

 前々から王子とも話していたが、シャーロットは自分の容姿に自覚がない。


『月の光を集めた銀の髪、仙境で咲く菫の瞳』


 昔話の『精霊のお姫様』のような姿で微笑みながら、当前のことのように自分を『普通の令嬢』だという。

 シャーロットの場合、謙遜とか、話法の一種としての自虐でなく、本気でそう思っているのがシリウスには分かる。


『銀の君』


 この美しい呼び名は、貴族の子弟の間で密かに、だがすぐに広がった。

 

「あぁ、シャーロットのことだね」


 王子は笑っていたが、シリウスは少し複雑な気持ちだった。

 誰が呼び始めたかは知らないが、その呼び名には、決して手の届かない憧れが込められていると思った。


(シャーロットは、この国の王太子エメラルド殿下の婚約者だ)


 いずれ、この国の王妃になる。

 決して手が届かない憧れ…まるで、自分の心を読まれた気がしたのだ。





「シリウス、今日はマードック侯爵のご婚約披露に行ったのよね?」


 夕食の席で、母に尋ねられた。

 母はハーロゥ公爵の娘だが、血がつながっていると思えないほど気が弱い。


「はい。主役のルイス嬢はとても幸せそうでしたよ」


 当たり障りのない返事を返すと、母は「そう…」と息を吐いた。


「シリウスもそろそろ、ねぇ?」


 母は同意を求めるように、父を見た。

 父は、無言で食事を進めている。

 母はまた息を吐いて、シリウスに向き直る。


「どなたか、いいお嬢様はいらっしゃらなかったの…?」


 ここ数年、茶会その他、若い令嬢がいそうな集まりに行くと、必ず聞かれる言葉である。


「特には…」


 この返事も定番である。

 同世代の令嬢は話せば話すほど、中身のなさが伝わってきて、関心は遠ざかるばかりだった。


 幼い時から宰相の息子として、また、王子の側近としての教育を施されているシリウスから見れば、会話に手応えがなくとも仕方ないのだが…


(これが、シャーロットなら…)


 と考えてしまう自分を、シリウスはまだまだ己の修行が足りないと思っていた。


 そう、と悲し気に母は下を向いたが、不意に、父が口を開いた。


「学園入学後に、相手を決める者も多い。今、焦る必要はない」

「はい…」


 珍しいなと、シリウスは目を見開いた。

 宰相という職業上、家族にも話せない事が多いので、父が食事の席で口を開くのは稀だ。


「シリウス」

「は、はい!」


 思わず声が上ずった。


「後で私の書斎に来るように」

「はい」


 何かあったのか?


(いや、何かバレたのか…?)


 心当たりは幾つかあり、首筋がややひんやりする。

 今日、王子を連れ出したのは、ちゃんと許可を取ってある。

 

(まさか今日、シャーロットも一緒だったことが…いや、それはないか)


 マードック侯爵邸の人間も、『黒髪の女の子』の素性を知らないのだ。


(執事のサイラスも、僕らがどこかの女子と一緒に来たことを、外に漏らす人間じゃない)


 保護者に許可を得ている以上、シャーロットを連れ出すことは悪くはないが、変装していたことがバレるのは少しまずい…気がする。


(まぁ、父上なら大丈夫か…)






 緊張した面持ちで、シリウスが書斎に入ると、クロフォード公爵は書きものの手を止めた。


「お前を呼んだのは、他でもない、エメラルド殿下のことだ」


 シリウスは心の中で、ほっと息を吐いた。

 幼馴染の王子に関しては、父に後ろめたいことは何もない…と、気を抜いたところに、いきなり直球が投げ込まれた。


「お前は、エメラルド殿下の供をして、ウイザーズ侯爵令嬢とも会っていると思うが…」


 …そちらか。


「殿下と令嬢の仲は、どんな様子だ? 令嬢は、王妃教育が進んでいないという話もあるが…」


 シリウスは目を瞬くと、瞬時に頭を切り替えた。


「父上。王妃教育が進んでいないのは、主に、妃殿下のご都合がつかないという理由である事は、父上もご存じだと思いますが?」

「知ってはいるが、令嬢の方も、妃殿下に歩み寄る姿勢を見せないのではないか?」


 嫌われている相手に、すり寄らない事を非難されるのは理不尽だ――とは口に出せない。

 下手に自分が、シャーロットに肩入れしているように思われるのは避けたい。


(自分が公平であるからこそ、父は宮中の事を話してくれるのだ)


「確かに、王子殿下に招かれ、王城に来た際も、妃殿下へお目通りを願うことはありませんね」


 軽く頷いた父親を見て、シリウスは言葉を続けた。


「妃殿下の方も、侯爵令嬢が城に上がっているのを知っていて、お茶に招くこともありませんが…。また、付け加えれば、侯爵令嬢は妃殿下にお茶に誘われても、直前で都合がつかなくなったと断られることが、幾度かあったようです」


 王妃の誘いを断れる貴族はいないし、その予定がなくなったと言われて非難できる貴族もいない。

 妃殿下関連では、一方的にシャーロットが迷惑をこうむっているのが事実だ。


(ただ、本人シャーロットは、むしろそれを喜んでいるっぽいけど)


 最低限の社交しかしていないが、シャーロットは多忙だ。

 お茶やお菓子や、最近では服や小物の開発まで手掛けている。


(あれじゃあ、時間は幾らあっても足りないよなぁ…)


 王妃の態度には思い当たる事があるのだろう、クロフォード公爵は苦い顔をした。


「あの方も困ったものだ…だが」


 続けられた言葉は小声で、殆どつぶやきのようなものだったが、シリウスは父親の唇の動きから意味を読み取った。


『良かったかもしれない』


(良い? 王妃のシャーロットに対する態度が…!? それはどういう意味だ…)


 シリウスの頭が高速回転して、解答を探していると、公爵はまた不可解な言葉を投げてきた。


「シリウス。お前宛てに来ている、婚約打診や、見合いの申し込みはすべて断った」

「は…はい」


 正直有り難いが、改めて言われる意味が分からない。

 …頭が混乱してきたシリウスに、この日最大の爆弾が落とされる。


「少し先の話だが…エメラルド殿下のご婚約者が変わる可能性が出てきた」

「え…」


 驚きすぎて言葉の出ないシリウスに、公爵であり宰相である父親は、きつく口止めする。


「お前は今まで通り、殿下と侯爵令嬢に接しろ。それが出来ると思うから、知らせた」

「…それでは、殿下はそのことをご存じないんですね?」

「学園の入学前には、知らされるだろう」

「それは…新しい婚約者候補の令嬢も『魔法学園』に入学するということでしょうか?」


 父は無言で頷いた。


「王子と気が合わないようなら、次の候補はお前だ」


(成程、婚約打診を全部断ったというのはここにかかるのか)


 頭の冷静な部分も動いていたが、感情も目まぐるしく動いている。


「他の家の者も出てくるだろうが、出来れば公爵家の血縁までで留めたい」


 それだけ争われるような令嬢とは、どこの誰だ?

 どこかの王女でも、留学してくるのか?

 それとも…


「学園入学まで、特定の相手を作ることのないよう、注意深く行動してほしい。殿下とお前、共にだ」

「僕はともかく…殿下にはすでに、特定の相手がいますが?」


 あまりにも、現在の婚約者シャーロットに失礼だろう。

 不快感を表す息子を一瞥して、公爵は平然と告げた。


「もし殿下との婚約が、破棄されることになったら、ウイザーズ侯爵令嬢には、国が責任を持って良い嫁ぎ先を提供する」


 そういうことではない…という思いの他に、一つの可能性がシリウスの胸の中に芽生える。


「…分かるな? 王子の次の候補はだ」


 公爵は、先ほどと同じ言葉を繰り返したが、シリウスの耳には全く別の意味を持って聞こえた。


 この国の、未婚の貴族男子の序列でいえば、第1王子の次は第2王子になるが、第2王子マクシミリアンはまだ幼いし、その他にも色々問題を抱えている。

 そういう事情を汲んでの、シリウスなのだろう。


(つまりエメラルド王子がシャーロットの手を放すなら、次の候補は…)


「分かったなら、下がっていい」


 息子の気持ちを知ってか知らずか、公爵はあっさりと、シリウスの退室を促した。






 自室のベッドに腰掛け、シリウスは放心状態になっていた。

 かろうじて、父の書斎を退出したまでは覚えているが、どうやって自分の部屋にたどり着いたかは覚えていない。

 

 覚えているのは…


『エメラルド殿下が、他の令嬢と婚約するかもしれない』


 ということ。

 

(もし、そうなるなら…)


「殿下とシャーロットとの婚約がなくなるから…」


 シャーロットが自分の婚約者になるかもしれない――そう思うだけで、胸の中が熱く、甘い思いで満たされた。


 シャーロットの笑顔や、はにかんだ顔、得意そうな顔、泣きそうな顔が脳内に再生され、シリウスは自分の恋心を自覚する。


 だが突然『はっ』と正気に戻ると、ザザーっと罪悪感が湧きあがって来る。


「うわぁ…! …あぁ、殿下、ごめん…ごめん!!」


 シリウスは真っ赤になった己の顔を両手で覆い、まだ何も知らないであろう王子に謝った。

 親友の婚約者に横恋慕するには、彼の修業は全く足りてなかった。






Atogaki *****************



…初恋の自覚でジタバタする策士様です。


…上位貴族の男子に婚約者がいない理由は、こんな感じです。

…既に婚約者がいる場合はアウトです(国に届けが出ているので分かります)。

…但し王子様除くです(ズルい)。


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