第15話 幼女アラサーはまだ休み


 シャーロットの最近の日課は、朝食後や、夕食前に庭を散歩することだった。


(中世のヨーロッパなんかは、一日二食だったのよね)


 お昼食べないのかと思ってたら、朝食べないんだと聞いて、驚いた記憶がある。

 確か『ブレックファースト』の語源も、その辺りだった筈。


(とりあえずこの世界が三食でよかった!)


 先ほど食べた朝食は、いわゆる『イングリッシュ・ブレックファースト』な感じで、フレッシュな果物(多分リンゴ)のジュースが美味しかった。


(欲を言えばコーヒー飲みたいけど、さすがに無理よね……あれはアラビアが起源だっけ。貿易とかで、どっかから入ってこないかなぁ)


 朝食は大事だ。

 学生の頃、朝ゴハンを食べないと頭が動かない体質だったので、朝だけはきちっと食べる習慣がついた。

 健康管理なんて『なにそれ美味しいの?』だった社畜が、長い間働き続けられたのはこの習慣があったからかもしれない。


(それで決定的に体壊して『こっちの世界』に来てるんじゃ、意味なかったかもしれないけどね~)


 ようやく、これが夢じゃないと、あきらめがついてきた自分アラサーである。




 散歩には、体力づくりという目的もあったので、腕を振り、なるべく早足で歩く。


 お付きは邪魔なので、一人でいい!と主張したのだが、何度か虫と遭遇しては、悲鳴をあげたので、常に遠巻きに、誰かがこちらをのぞいている。

 これも一応断ったのだが、


(もちろん、庭における虫の大量虐殺ジェノサイドのお伺いも断った……かんべんして)


 屋敷の令嬢その2が、悲鳴をあげたら放っておけないのも分かる。

 それにしても……


(おかしいよね。向こうにいた時は、虫がそんなにダメじゃなかったのに)


『シャーロット』の苦手意識が残ってるんだろうか……等と、優雅な曲線を描く金属製のベンチでひと休みしていると、サリーが、従僕の青年とこちらにやってくるのが見えた。


「お嬢様、エメラルド殿下から、お手紙が来ております」


 従僕が、花のレリーフの入った白い封書を、うやうやしく差し出してきた。

 受け取ろうとして、伸ばした自分の手のひらを見て、あ、っと引っ込めた。


「さっき木を触ったら、手が汚れてしまったみたい。サリー、代わりに読んでくれる?」


 シャーロット宛てに来る手紙は、執事の手で一度開けられている。

 単純に防犯対策で、問題がなければ中身が言及されることはない。


(お父様には、全部報告が行ってるだろうけど)


 はい、と頷きサリーが手紙を受け取り、開く。


「先日の訪問のお礼と、急ですが明日の午後、こちらに伺っても良いか、とのことです」

「……殿下は、確か先週、いらっしゃらなかったかしら?」

「はい。先週、お見えになりましたね」


『殿下ってヒマなの?』のセリフを、再び言いかけて止める。

 サリーは殿下を、いや普通に王室を敬愛しているのだ。


「家庭教師のマーゴット先生に連絡を。明日の午後の予定を明後日にお願いできるかしら?」


 王族の訪問は、基本的に断れない。

 サリーも心得ている。


「かしこまりました」

「こちらの都合なので、丁重にね」


 手紙を側仕えに戻したサリーが、『大丈夫ですよ、お嬢様』と微笑んだ。


 家庭教師は、替わったばかりだ。

 前の先生は、簡単な読み書きをさせるだけの、ベビーシッターのような女性だった。


『さあ今日は、「つくえ」と「いす」と書いてみましょう』

『あの……』

『あらあら、難しすぎましたか? まず「お名前」の復習からにしましょうか?』

『いえ、もう少し先に進……』

『困りましたね、もうお疲れになったの? 仕方ありませんね、お茶の時間にしましょう』


 ……シャーロットがろくに、読み書きすら出来ない理由が、よく分かった。

 何度か授業を受けたけど、態度が変わることがなかったので、先生を替えてもらった。


『お父様、このまま(バカ)では恥ずかしくて、わたくし、王子様の婚約者を名乗れません』

『素晴らしいね、シャーロット。苦手を克服しようとする、お前を誇りに思うよ』


 今の先生は、大学で研究の傍ら、この屋敷に通ってきてもらってる。

 研究のジャマをしてるのかと、少し心苦しく思ったが『気になさらないでください』と明るく言われた。サリーに聞いたところによると、侯爵家うちは給料がとても良いとのことだった。


 シャーロットとして目が覚めて、もうすぐ一か月。

 何度も本を書き写すことで、単語だけでなく、文章が書けるようになっていた。


(小論文対策で、高校の先生に教わったことが、こんな場所でも役に立つとは侮れない……)


 好きな小説でも何でもいいから、とにかく文章のプロの本を書き写せと教師は指示した。

 自分に合っていたのか効果は絶大で、希望した大学に推薦で入れた。


 さすがにこちらでは、分からない単語や文章が多くつまづいたが、先生やサリー、たまに来る王子様にも聞いて補完した。

 

(前より王子と仲良くなってるみたいだけど、ほぼ勉強の話しかしてないからいいよね)


 それに王子とは、興味の対象が似ているみたいで、ウイザーズ邸にない本を貸してもらう約束もした。


「あ、本を持ってきてくださるのかも!」


 思わず声に出したら、サリーは少し首を傾げた。


「殿下がですか?」

「えぇ。精霊王に関する本を持ってらっしゃるって」


 よろしかったですね、と微笑み、サリーはシャーロットに右手を差し出した。

 サリーの反対側の手には、いつの間にか白いハンカチが握られている。


「自分でできるわよ?」

「はい。それでも今はサリーにお任せください」


 素直に手を出すと、優しく丁寧に、手の汚れを拭われる。

 くすぐったいようなもどかしいようなこの気分にも、慣れてきてしまったアラサーINシャーロットである。


 

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