スポーツ実況というハードル
千穐楽、優勝力士は賜杯に始まり、友好国、自治体、企業と最後のスポンサーまで式典が一時間近く続く。
「優勝賞金は1千万円だけど、副賞もたんまりもらって、このあと祝勝会のご祝儀も含めるとゴルフのメジャー大会優勝金くらい入るらしいわよ」
「それが年に六回なんて、私も目指すべきだったわ」
升席の柵にだらしなく足を伸ばしたメアリーが悔しがった。
「女は土俵に上がれないのよ」
「変わるわよ、きっと」
「変えた方がいいのかな、アメリカだって女性の神父は居ないでしょ」
「区別って訳か、ならそれもありね」
さすがスポーツキャスター。納得していないくせにルールを厳守だ。
メアリーは史上初めてメジャーリーグのオープニングゲームを実況した女性だ。
ホームチームのチャンスやピンチを伝える時、七色のアニメ声を駆使して当事者のセリフとしてしゃべった。審判の心の声までアテンドした。絶叫型がスポーツ実況だと認識していた世界に新風を巻き起こし、新感覚中継と絶賛するファンと、スポーツを愚弄するなと激怒するファンに二分された。
シーズン前は、ホームゲーム三試合に一回を担当する契約になっていたけど、開幕戦を実況したきりお呼びが掛からなくなった。
上司はずっと、ファンの反応を分析中だと言っているそうだ。
スポーツ実況はラジオで始まった。
熱戦を見ている以上に誇張してユーモアを交えて伝えるアナウンサーが人気になった。すべての動きを言葉に出来るように鍛錬するためにアマチュアの試合会場の片隅で実況を録音する。何度も聴き直し、書き写し、また試合を見て実況して反省をする。考えなくても言葉が出てくるようになるまで繰り返ししゃべり続けるしか上達の道はない。
メアリーも、初めて見る相撲をブツブツと話しながら観戦していた。
「牡鹿がぶつかる音がした。右の大きな男がエルボーを繰り出しても左の背の高い方が腕を伸ばしてベルトを掴んだ。喉を突かれても離さない。派手な着物で走り回るおじさんがうちわで風を送ってあげています」
「あれは軍配って言うのよ」
メアリーはすぐに吸収して行司の動きを交えながら熱戦をアナウンスした。十両の九番を実況し続け、攻める方だけは何とか言えるようになって決ま手も七つ覚えた。とにかく言葉が見つからなかったのが、がっぷり四つで組み合った時だ。
動かない時間を動かないなりに次を予測しなければならない。実際の放送では元力士の解説者の出番だが、メアリーは荒い息や汗ばかり説明して、行司のハッキヨイも叱っているように聞こえたようだ。
勝負が決した後の落ち着いたお辞儀という行為を納得できないようで、力士にインタビューしてみたいというので、国技館から歩いて行ける相撲部屋が一角を占める通りで帰って来る力士を待った。
両国ならば、必ずといっていいほど各局がオープニングのロケーションに選ぶ場所で、私も街歩き番組のロケで立った場所だ。
シャラリシャラリと雪駄の摩れる音が近づいてきた。
近づくメアリーに気付き、露払い役の付け人が英語で話し掛けた。
立ち話でいいからインタビューをしたいという申し出は、疲れているからと断られていた。後ろにいた御代山が私に気が付いて目礼をした。私も軽く会釈した。
「あの人たちいい香りがした」
メアリーは上気していた。鬢付けの椿油は女性を美しくすると聞いた事がある。
さっきの大きな付け人が勝手口から裸足で出て来て、メアリーに何か言った。
Waaaoと叫んでこっちを見た。
「さっきのお相撲さんが私が実況した試合を見てたんだって。入ってくれって。招待されちゃったみたい。やったやった、行こう」
大きなパンツを着けただけの御代山が開脚した両側に座ってちゃんこをご馳走になった。後ろに並んだ付け人が、ごはんのお代わりやビールを注いでくれる。
御代山関はモンゴル人でロシア語と英語も堪能で四か国語に精通している。引退後はアメリカでバスケット協会のアジア代表理事になるのではと噂されていて、メアリーは親方からずっとNBAの質問をされた。
銅の大きなちゃんこに、いなりずしの山、野菜の煮物、マグロと鯛とホタテのお刺身、ステーキとチャーシューと北京ダック、十段重ねの小籠包のセイロ、皮のままのタケノコもあった。
メアリーは箸を置いて訊かれた事に丁寧に応え、御代山関はうなずきながら箸が止まらない。
「いやあ勉強になる。キャシーさんありがとう」
苦笑いしたメアリーを見た御代山関が初めて私の方を向いて酒を差し出した。
並々と注がれたままの盃に慌てて口をつけ、半分飲んでから差し出した。
「親方って外国人はみんなキャシーとボビーなんだよ。申し訳ない」
「気にしてないと思いますよ。それよりメアリーの話も聞いてあげてください」
大きくうなずいてメアリーの方を向いてくれた。
スポーツキャスターらしい質問に、勝つ事で示せという相撲道を叩きこまれているので生活すべてが言葉不要で、兄弟子を見て覚える。取り組みだけが注目されますが立ち合い前の所作にも取組後の礼にもすべて理由があり、相手がいるからこそ相撲を取れた感謝を忘れない事。これが相撲道の簡単な教えだと言ってメアリーに酌をした。
注がれた盃を置いたメアリーが、引退後の処遇を質問した。
「日本語では答えにくいんで英語でいいですか」
それから御代山関の英語がしばらく続いたけど早口で聞き取れなかった。最後にその時はよろしくお願いしますとメアリーに言って五合徳利を持った。
「相撲取りは多くを語らないからね、こうして相手に酒を注ぐという事は自分も注いで欲しいという現れなんだよ」
慌てて酌をしようとしたメアリーの後ろに立っていた付け人が両手で五合徳利の尻を支えていた。
御代山関が飲み干すと、すぐに付け人が満たす行為を三度繰り返した。
「三回やる事にはどんな意味があるんですか」
「酒好きだってだけですよ」
大爆笑になっても立っている付け人たちは笑わなかった。それを見たメアリーがお腹を抱えて笑っていた。
帰りに部屋の大きなタオルと御代山と四股名入りの反物を頂いた。
恐縮する私に反してメアリーは少し機嫌が悪い様に思えた。
「買収されたくない」
「そういう意味はないわ、アスリートとしてではなく礼儀なのよ。お土産文化よ」
ボクサーに密着取材した新人の時、相手陣営の関係者から情報を買いたいと金額ブランクの小切手を示されて申し出があったそうだ。断ると、数日後に怖い経験をしたと
具体的には教えてくれなかったけど涙目で言っていた。
メアリーは報道志望だった。アメリカの抱える悩みを解決する手段をジャーナリズムに求めた。政治家を取材して社会を正そうとした。
ところが腐敗の一端がそこにあったそうだ。
知り過ぎると報じない。掴んだ尻尾を放送する以上に儲かる仕組みが出来上がっていたそうだ。もちろんそれはほんの一部だとメアリーは言っていたけど、日本だって似たよう仕組みがある。腐った鉱脈をいつも誰かが掘って見つける。
「裸の相撲には嘘がない。スポーツってそうじゃなきゃ」
翌朝も早起きをして相撲部屋を回ったメアリーは、序の口と一緒に本場所入りをして
十時間も国技館にいて初日から皆勤賞。二千番近く観戦した。
ホテルでも英語版の相撲関連本もを読み漁り、過去の記事も閲覧して、協会の分裂騒動や八百長事件など黒い歴史にも詳しくなっていた。
行司や呼び出しも階級によって衣装や待遇が違うのが面白かったようだ。髷を結う係にも階級があると教えたら、さっそく御代山の部屋に会いに行って取材をしていた。
私が知らないうちに親方衆とも親しくなっていた。
取り組みが終わって場内整備が始まると、親方衆は土俵に背を向けて帰る客を監視する。そこで話し掛ける。相手は仕事中だ。後でとあしらわれても食い下がるメアリーが約束を取り付け、場所中三度もちゃんこに招待されていた。
成田空港で別れのラーメンを食べた。
「神事だと思っていたけどメジャーリーグ並に外国出身力士も多かった。とりわけモンゴル系はキューバ、東欧勢はベネズエラ、プエルトリカンってとこかな。日本の強豪高校に留学した相撲エリートより日本に来てから相撲を覚えたタイプの方が取り口が魅力的だったわ。日本人力士も大学や社会人で活躍した有名人は頭打ちで型を破るのは別路線から参入した無頼派ね。昔、ハワイから体が大きいだけの相撲未経験者を連れて来たら強くなったらしいわね。基礎を誰がどのように教えたかって重要よね」
「つまり日本に来て部屋ですべてを教わったからハワイ勢は強かったって分析なの」
「基礎がないほど吸収力は大きいものよ。食べて、寝て、稽古するだけの繰り返しでお金を稼げるって学べば、強くなるしかないでしょ。彼らを知ってやっぱりスポーツ実況を目指そうって決めたわ。有意義な日本滞在だった。ありがとう」
メアリーは帰国後、分断国家の両国トップに世界初の単独取材をした。
スポーツ実況を期待していた私は意外性に驚いたけど、何にでも体当たりしていくあのメアリーにしかできない命を張った大勝負だった。
これまでもどちらかに取材をしたジャーナリストは四人いたけど、一方の言い分だけで公平な内容ではなかった。
インタビューの全文が、世界で一番購読者が多い雑誌に掲載された。
両国でひとつだけ同じ質問をしていた。
「にらみ合った状態が続くといづれぶつかる。加勢する国が現れ戦いは広がりルールが破られ反則の応酬になり、どちらかが動かなくなるか、消えてしまうまで続く。日本の相撲には勝敗の清さを見極める行司がいる。昔、引き分けという裁定もあった。がっぷり組み合った状態で止めて勝敗を預かって熱戦を讃えた。力士は東西に分かれて相手へ敬意を払って一礼をする。そのように相手を認められますか?」
A国の首相は笑って言った。
「国家は駆け引きでもスポーツでもない。私は国民の権利と財産と安全を守るためならいつでも戦える」
B国のリーダーも笑って言った。
「私は大衆の代表だ。権力と癒着する勢力とは徹底的に戦う準備がある。スポーツとは違うんだ」
メアリーが見た相撲は相手への感謝や敬意を示す事で体重が倍以上ある相手だろうと親子ほどの年齢差だろうと同じ土俵で裸でぶつかり合っていた。それを大国と小国に例えても意味はなかった。相手を罵り経済的に追い詰め核を保有する仲間を増やしてにらみ合い、戦いになれば破壊して進軍していけばいいだけだ。
確かに相撲にはそんな愚かさがない。
記事には、両国トップに思いは通じなかったと書いてあったけど、購読者には通じたようで相撲が注目された。
円を描けばそこが土俵になる。足が出るか転べば負けというルールも簡単。
体格差も年齢差も人種も関係ない。道具も準備もいらない。
リゾートビーチでちょっとしたブームになった。
ところが遊びのつもりでも熱くなる。力でねじ伏せようとキックやパンチの応酬になってしまう。倒しても離れずにもつれ合ったり、再び立ち上がって殴り合う。けが人が続出して、相撲は野蛮なスポーツに色分けされてしまった。
「ハグや握手をするから組み合うスポーツに抵抗がないと思ったんだけど、勝敗をつけるとなると生きるか死ぬかの大勝負に出る、やっぱり銃社会なのね、殺さないと終わらないみたい」
「負けを認める潔い覚悟を伝えるのは難しいわよね。そうよね、ねえ、ちょっとメアリー、聞いてるの」
モニターの中のメアリーが横を向いたままフリーズした。
「また後で継ぐわね。お話しできて嬉しかった」
一方的に画面を消された。
嬉しかったなんて言われてもあしらわれた感じがして気分が悪かった。きっと男だ。
そう思って暗い画面を睨んだら、カサカサと紙が擦れる音がした。
切れたと思っていたパソコンが繋がったままだった。スピーカーを最大限にした。
メアリーと男の会話が筒抜けた。
「突然で悪かったね、彼氏と楽しんでいたんじゃないの」
「例の日本の娘よ。それよりどうなった、うまくいったの」
「決定的な票を手に入ったよ。君のお陰だよメアリー」
「日本人なんてちょろいもんよ」
ずっと本人に聞きたかったメアリーの来日目的がやっとわかった。相撲にのめり込んだ理由も理解できた。
パソコンの暗い画面に、抱き合いながら私をバカにしている様子が浮かび上がっては消えた。その後の会話で、相手が誰なのか分かった。
メアリーがメジャーリーグの開幕戦を実況したきり、以降の試合を実況させてくれない嫌な上司だと言っていた男だ。嫌な上司どころか、そういう関係じゃないか。
すべてが計算されていて、私も利用されていた。
メジャーリーグ史上初の女性実況キャスターになる事は、メアリーに憧れた日本のバカなキャスターを釣るための餌だった。憧れの存在ですと送ったファンメールにすぐに返信が来て、数回やり取りをしただけで親友だと舞い上がらせたのも、私を頼って来日するための計画だったんだ。
徹底的に相撲だけを調べて人脈も作って帰国した後に、事あるごとに相撲を例にとってしゃべるメアリーは、アメリカ社会で日本通として認められた。
すべては引退後にNBL理事になる御代山関に近づくため。有望選手の未開地であるアジアとのパイプを握る御代山理事のフィクサーになるためだったんだ。
だから初めて部屋に行った帰りに、タオルと反物程度で掘り当てた鉱脈を塞がれる事に怒っていたんだ。
すべての点が繫がった。
メアリーからは二度と連絡が来なかった。PC履歴で失態を確認したのだろう。
私は御代山関に会いに行った。親方も付け人たちも訪問を喜んでくれた。
みそ味のちゃんこに寿司の二段重ねの大鉢が三つも置いてあった。
あの日のように大きなパンツだけで開脚した御代山は、やけに饒舌だった。
誰にも話していないという引退のタイミングまで教えてくれた。断髪式でアメリカに渡ってNBAの理事になる事を発表すると、すでに道は敷かれているようだ。
「あなたが親友のメアリーさんを連れて来てくれたお陰です。感謝しています」
「実はそれを謝りたくて。メアリーは純粋な気持ちで御代山関をアメリカに誘ったわけではないのです。すみません」
彼女の陰謀を全部教えた。
何度も謝りながらしゃべる私に、親方も御代山関も時々うなづきながらも箸は止めなかった。
「だから、本当に申し訳ないと思って今日訪問しました。アメリカでたかろうとしているんです。騙した一味だと思われたくなくて、日本は、相撲は、そんなんじゃないって思って」
私としたことが、泣いてしまった。
女性は感情が表れるから実況向きじゃないんだよと、理論派と言われたプロ野球の名監督に言われた事がある。
「勇気を出して話してくれてありがとう。御代山とよく話しあいます」
親方の優しい言葉に我慢していた分の涙も溢れた。
女将さんが部屋の外まで送ってくれた。
「あなた実況のキャスターに向かないかもね。まっすぐ過ぎる」
相撲部屋の隆盛は女将さんで決まるといわれている。御代山関を筆頭に序二段まで総勢二十二人ひとりひとりを一人前にしている目で斬られた。
「私はただメアリーの本性も知らずに連れて来た事を謝りたくて」
「そこよ。スポーツをきれいごとのように扱うのは実況だけで充分。清濁を合わせて飲みなさい。親方も御代山も全部わかっているのよNBLの事も、メアリーさんの企みも。帰ってからいくらお礼をすればいいかも話していたわ、相手の力を利用するなら相撲の世界の方が上手なのよ。大丈夫、あなたの親友をちゃんとNBLの土俵の外に出すわよ御代山なら」
そう言えば相撲には、逆とったりという決まり手もあったなと私は思った。
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