御台所か側室か

鶏口牛後の気概を持てなんて、何時代のあいさつなんだ。

地方局のアナウンサーならご当地アイドルの方が東京じゃ売れているって。

やっぱり何としてでも東京にこだわるべきだったかと後悔しても始まらない。

書類も筆記も一次面接も、民放キー三局でトップ通過、残る二局も五番以内だったのは各局のお偉いさんたちから直接聞いている。二次面接もカメラテストも上位の部類でクリアした。最終面接だって去年までバラエティ―番組を制作していた役員が番組起用まで予告してくれた局もあったのに、結局どこからも内定通知が届かなかった。

理由は分かっている。ウッチーノプロダクションだ。

大手出版社のファッション誌の表紙を飾ったのが高一の秋。オーディション経験もなく自由が丘でスカウトされてから二カ月という異例の抜擢。古風な顔立ちが受けてテレビ番組にも頻繁に呼ばれ、大物芸人から娘同然に寵愛された。高三の一年間は芸能活動を休止して外語大目指して学業に専念、の予定だったけど、海外ドラマにキャスティングされておじいちゃんみたいな重鎮の社長に頭を下げられたら断れなくなってシアトルとホノルルを行ったり来たり。結局AO入試で名門校へ鞍替え。出演したドラマは世界52か国で放送され有名になったのはいいんだけど、どこへ行っても羽を伸ばせなくなった。

二回も離婚しているママが三度目の結婚をあきらめてマネージャー代わりになってサポートしてくれたけど、母子で働かされた割にお金は貯まらなかった。

アメリカや香港で独立する話を持ち掛けられるたびに所属していたウッチーノプロダクションのギャラが上がって、白紙に戻った。

そんな芸能界と一線を画したかった。就職して安定したサラリー収入で母子二人ならやっていける。

英語なら堪能だし番組出演も豊富でテレビの世界の空気感もパワーバランスも心得ている。女子高校生のカリスマといわれた即戦力の私をアナウンサーとして迎えれば局としてメリットしかない。

どこの局も分かっていたはずだ。なのに全局不採用。こっちも白紙に戻された。

内野洋二郎は演歌歌手のマネージャーから成りあがり、今や所属タレント二百名を抱えるウッチーノプロダクションの傘下に番組制作会社、出版社、美術レンタル会社、大人のアニメ編集所、ロケーション動員サービス、護衛警備探偵社などウッチーノ系列と呼ばれるグループ会社八十七社の統領だ。

『大切に育てた蓮華草を摘んじゃうんですか』

あの静かな口調で笑っていない目で局の上層部にぼそりと言えば、誇張された伝言が現場まで届いて、私の夢と将来なんてはじけて消える。


大学卒業と同時にウッチーノプロダクションを辞めた。

芸能界に復帰しない誓約書にサインさせられた。社長からだと振り込まれた退職金でママに新居をプレゼントした。

私はシアトルで眉間を三ミリ中央に寄せて窪みを深くした。ついでに胸を思い切って2カップ盛った。

顔だけだったエントリーシートの紹介写真をバストショットにして、東京の支局で簡単な入社試験を受けた。倍率50倍程度ならないに等しいって思っていた通り一回も行った事のない地方局のアナウンサーに採用された。

身体一つで向かって、すべて地元で買いそろえた。

アナウンサーだから研修期間があるものだと思っていたけど、人手不足でAD作業が研修のうちだった。

初仕事はローカルニュース枠で自分で取材してきた五分間のリンゴ出荷レポート。

農園のおじさんを二回笑わせて、リンゴは皮ごと芯だけ残して完食してみせた。

相手を笑顔にさせて何でも食べるハーフのアナウンサーとして地元で有名になった。

ファッションも注目された。自前でもコーディネートは素人じゃない。雑誌やテレビで活躍していた内山田麗華だとバレないように小さなミスも作って着こなす崩しもぬかりなくやった。

最初に食いついてきたのは世襲三代目の衆議員議員。

商店主や会社役員たちから、せんせいと担がれて間は私に無関心を装っていたけど、二人きりになったら病的な甘え方。私の人気に乗りたいのと、あわよくば私にも乗りたいのだろう。せんせいも私をハーフだと勘違いしていた。

ママが三度目の結婚をしたロバートはウクライナ人の母とスペイン人の父を持つフランス人で大使館の書記官だ。

エントリーシートを提出した時の姓はモローに変わっていた。

カバンも地盤も看板も盤石なせんせいは政治家としての幅を広げるきっかけとして義父と知り合いたいのだろう。

人生初の地方都市暮らしの退屈を紛らすために、せんせいいじりの趣味を持った。

特別な東京土産をねだり、お褒美に地元情報を提供する。

たとえば、自由が丘のブティックだけが扱っている手作りボタンや葛西のインド系スーパーに置いてある南インド産のクローブシードとか。国のために働くせんせいを私のためだけに半日も時間を費やしてくれる悦びで満足だった。私だってせんせいのために、ついでだけど努力した。

東京なら街頭インタビューはたやすい。銀座や新橋など対象世代が選び放題で局の腕章に寄って来る人だっている。だけど地方は通行人を見つけるのも難儀で出たがりも少ない。だから週末は人気者の私が駆り出される。話しのついでに、この町って東京より住みやすいですねって軽い感じでフレばいい。不満たらたらだ。

そのまま地元民の声としてせんせいに伝えるだけで、今週も豊洲の乾物屋でしか手に入らない青いキヌガサタケを土産にもらった。

私がいなかった頃は県議を通じて地元情報を収集していたそうだ。実際秘書の久保田さんは困っていた。地元の声は県議から市議、市議から町内会長と下請け孫請けになっていて、交通の便をよくしろとか病院を作れとかありきたりの要求ばかりだったそうだ。

週末地元入りするせんせいとは駅の駐車場で待ち合わせて、ゴルフ場の応接で食事をしながら情報を提供した。

ビジネスパートナーの仲なのに噂が立った。

農閑期にキャディーのパートをしているおしゃべりなおばさんが発信源だった。応接室でなにかしていると東京から来た広告代理店のパーティーに漏らし、面白やらしくネットで拡散した。

先週街頭で、市議のW不倫騒動のコメントを求めたら、高齢の女性にいきなり注意された。

国会議員とハーフの地元アナが週一で逢瀬。ネタとしては極上だ。

覚悟はしていたけど社長室に呼ばれた。

総務部長と桑原アナウンス部長もいた。直接注意すればいいじゃない桑原さんも、そう思った。

「モローさん、明後日発売の週刊誌のゲラがここにあるんですが、あなたと片山議員の事が五ページも書かれています。お互いに独身ですから我々が口を出す事ではありませんが」

「どんな内容か知りませんけど、局アナとして何が問題なのか、何を慎むべきか教えていただければ従いますから言ってください」

社長室に呼ぶなんて。鶏口牛後の気概で全国一斉発売の週刊誌で五ページも獲得しましたって啖呵を切ったろか、オイなめんなよ。

「そんなに怖い顔しないで、実は応援したいんですよ。我々は」

「局としてね、結婚後も家庭と仕事を両立させてアナウンサーを続けてもらいたいって事を言っておこうと思って、こうして集まったんだ」

「産休、育休に関しては系列局横並びでアナウンサー職も一般職と同じ規定です」

「議員夫人として地元を守りながらアナウンサーとしても」

「記事って結婚する事になっているんですか」

「いやそうじゃないんだ。交際中なんじゃないかって情報を追っている内容だけど、もしもそうなったらって確認だよ」

「これまでも、恋愛中の局員をここに呼んでこうして確認してきたんですか、それがこの局の方針なんですか」

「おいモロー、社長に何てこと言うんだ。記事だと君が議員夫人になったら、妻にだけ地元を任せる従来のスタイルを変えるつもりだって、直撃されたせんせいが答えている。早々に解散はないだろけど次の選挙をみすえてたぶん」

「はっきりさせておきますけど、そもそも私は週刊誌からインタビューも、あっ」

三人が一斉に私を見た。

桑原部長向きに置かれていたゲラを取って読んだ。印刷物の縦書きに慣れていないから時間がかかったけど、読んでいる間ずっと見られていた。

やっぱり秘書の久保田さんだった。ふざけて選挙カーのアナウンスをやった時に確かに録音された。記者に聞かせたんだろう。

『片山、片山隆一郎の家内でございます。お仕事ご苦労様です。衆院選は片山隆一郎』次期衆院選に向けて地元を固める前に身を固める腹だと記事に書いてあった。

確かに読んだら、片山麗華になるんだろうと信じてしまう。

「フェイクです。局として抗議してください。名誉が傷つきました」

「まあまあ、けど片山先生は交際を否定していないんだよ」

郵政族の三代目。所管の総務省から天下る道にテレビ局の役員ルートがある。

この三人は私を未来の総務大臣夫人として腫れ物扱いって訳か。カオスだ、ウッチーノプロダクションでもそうだった。どうしてそうなってしまうんだ。

「応援して頂けるって事ですよね。隆さまとの関係を」

りゅうさまだなんて、成りきったらなんでもできちゃうんだ私って。

三人そろって首振り人形のようだ。

決してプライベートに介入するつもりはないからと念をおされて社長室を後にした。

片山事務所から取材を歪曲して掲載されたと言い訳がましいお詫びが届いていた。着信履歴が四件。電話に出ないので文章にして送信したようだ。なんだか冷たい文字。

打算で結婚してアナウンサーを続ける未来を想像してみた。

どう転んでもこの地方都市に縛られる。だけど大いに利用できる。

顔も名前も変えて潜伏した甲斐があるってものかもしれない。

世の中が悪いとか政治が悪いって嘆きは、悪い世の中にしてしまった自分の責任だから自分で変えるしかない。いい事言う男とやっとママも出会えたわね。

これまでで一番難しいお土産をせんせいのメールにおねだりした。

二日後に、秘書の久保田さんから少し時間をくださいと連絡があった。少しって政治の世界ではどれくらいの時間なんだろう。


やっとお土産が手に入りました。

季節がひとつ超えて初冬になった水曜日、今週末地元入りするので空けておくようにと連絡があった。

駅の駐車場で待っていたら、せんせいと秘書の久保田さんと後ろに知らない女性。

きれいな顔立ちなのに手入れのされていない茶色の髪を束ねただけで高級ブランドのジャケットも着崩れている。靴はつま先が傷だらけ。

「党本部の佐伯さん。今日から投開票日まで二人三脚で」

秘書の久保田さんに紹介された佐伯さんは、これまで四人の比例代表女性候補を全員当選された凄腕で、うち三人は個人名での得票がトップだった。ゴルフ場に向かう車の中で、生まれながらの政治家はいない、政治経験がない事が強みになると公示日ギリギリまでアナウンサーでいる手立てをレクチャーしてくれた。

応接室で食事をしながら県民の声を伝えて、達ての願いだ義父のロバートとパイプをつないで上げたら、せんせいは久保田さんと先に帰った。

週刊誌の事に一言も触れなかったから、東京ではもう古い噂になって消えているのだろう。

「今のままでは女性票を失います。片山隆一郎が推進している県北リゾート開発に異を唱える方針でいきましょう。あくまで作戦です」

「同じ党で公約不一致は集票に影響しませんか」

「せんせいの地域開発の発想は時代に合いません。だから正面から反対はしない。有権者が気になるのは予算や環境ではない。あなたとせんせいの関係だ。方針が違えば週刊誌で噂されている関係性も薄れる」

「せんせいに迷惑はかかりませんか」

「かかるでしょうね、でもあなたを当選させるためです」

ニュースで環境問題を扱った時は予定にない感想をはさむように心がけた。

選挙が二カ月後に迫り、新聞社系の週刊誌に候補予定者当落予想が載ったけど比例区に私の名前はなかった。佐伯さんってすごい。

10月の改変期に向けて自局制作の新番組が三本。その一本「ナチュラリスト大集合」のメイン司会にキャスティングされた。スタッフと打ち合わせをするのが辛い。

いよいよ一週間後にパイロット版を収録するという昼に桑原アナウンス部長に事情を話した。すぐに社長室に呼ばれた。

総務部長も座っていた。トリオじゃないと応対できないのあなたたち。

新番組は白紙になり、出演は明日の放送から控えてもらうと総務部長に言われ、桑原部長が管理が甘かったと二人に謝った。

「片山せんせいに出馬も口説かれたんだね」

「出馬もだなんて」

「当選したら晴れて結婚なんだろ、だったら早く教えといてもらわないと」

「まあまあ桑原部長、もういいじゃないか、局として応援できることは何もないけど個人的には応援しているよ」

モロー麗華の番組緊急降板は大きな話題になってネット住人たちを中心に原因探しが始まった。横領、妊娠、いじめがTOP3。それぞれにもっともらしい解説を投稿したのはおそらく佐伯さんで、正義感、母性、忍耐に変換された読み物としての完成度がかなり高かった。

公示日に候補者名簿が提出されたと連絡があった。

選挙活動は電車を乗り継いで駅前を歩くだけ。公約は口にせず人が寄って来たら握手を繰り返すだけ。しゃべらなくてもアナウンサーは政治の世界を浄化してくれそうな勘違い票がごっそり入ると佐伯さんが言っていた通りになった。

当選後、リゾート開発に反対していたじゃないかと県北の町議から抗議されたけど、反対していたのは自然破壊で開発は推進したいとやんわり寝返りを伝えた。

せんせいの後見で総務委員会のメンバーになれた。前職が新聞記者やジャーナリストの群れで私が一番若かった。

だから扱いはまたしても一緒だった、いや、むしろ露骨な女性軽視の場だった。

だけどこれでやっとスタート地点に立てた。

牛耳るものなどいない自由な世界を実現するんだ。

女も子供も外国人も障害を持った人も叫ぼうが笑おうが踊ろうが逆立ちしようがどこまでも澄み切った空のように誰にも邪魔のされない世界にするんだ。

「それを声高に叫ばない事。政界の新しい美意識を形にしていきましょう」

佐伯さんにはそう言われている。



















  

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