お城からの叫び
「小宮山慶衣のグロリアスニュース」
いつもの鳴きで浅く座り直した。たった三秒のオープニングジングルが、唯一私が女である証の見せ場だ。
サイドにラメの星が並んだストッキングを、今夜もあの人は見てくれただろうか。
残りの正味四十七分はテーブル込みのバストショットばかりで、ゲストとバトルを繰り広げる勝気な正義仮面に映っているだろう。
女性アナウンサーになるきっかけが,特殊だった。
同期の柴原萌夏のように高一から有名な読者モデルでもないし、後輩の榊原もえは洗練された帰国子女でトリリンガル、五日市冴絵先輩は三年連続ミスキャンパスでインフルエンサーだ。その点私は初めから、どうせ報道志望だろうと決めつけられてここに着地した。
県都境の駅から渋谷の私学に通う地下鉄で、毎日同じおじさんに狙われた。
「この人痴漢です」
捕まえたのが中二の春。
勇気ある中学生として鉄道警察に表彰されて、写真付きの小さな記事が新聞に載った。テレビの夕方のニュースでも取り上げられて、それからちょくちょく同世代の代表として学校問題が話題になると意見を求められてテレビに顔出しをした。
初めは素直に受け答えしていたけど、カメラに慣れてくると正論を言うべきだと思い、次第に取材に来る女性記者が望む答えをしゃべるようになった。
その記者のつながりで、やたらにしゃべるおばさんたちの集団のマスコット的存在になって経産省や厚労省や文科省にも付き合わされた。
「この子たちが大人になる頃の物価を考えてください」
「彼女は何人の老人の年金を支えるんですか」
「どうしてイジメられている方が学校を休むんですか」
おばさんたちの先頭に立たされている私を見て大臣は言う。
「頂いた資料を精査し関係部署と早急に検討して対処します」
そして同行したカメラに向きを変える。どの大臣も。
「子供たちの未来が明るく輝く国であるように努めます」
おばさんたちは満足そうだった。
だけど私には偉い人がみんな、痴漢をした会社役員が雇った弁護士そっくりに見えた。
保護者のパパと示談金の交渉ばかりして、私には謝罪がなかった。
最初の交渉から五倍にまでなった示談金と同額の慰謝料を提示してきた時、この辺で許してあげたらとパパが言ったけど、蹴って裁判にした。懲役一年執行猶予二年。
会社役員だった痴漢は仕事を失い引っ越したそうだ。
それから周りの大人たちが、私を腫物扱いし始めた。
高校へ進学すると友達だった子たちからも敬遠された。
ショックだったかって、そんなものは想定内だ。私は痴漢をした事を謝って欲しかっただけだ。たったそれだけで自分の家に住めて会社も辞めなくて良かったはずだ。正しい事をしたり言ったりする方が異端視される大人の世界を観察していたから、私を怖がるその程度のガキの反応は織り込んでいた。三年間も孤独で寂しくなかったかって。ぜんぜん。
ネットを通じて影響力のある世界の若きリーダーたちと交流を持った。
未来の社会は子供でも決められると知った。どうすればいいか、あなたが立ち上がればいいだけだとドイツの少女に言われ、カナダとスウェーデンではすでに同世代のリーダーが誕生していた。
議員になって国を動かそうという志を持って政治学で有名な大学に入った。市町村から都県を経て国政へ。為政者は遠い道のりだと知った。
アナウンサーの道を教えてくれた准教授の薦めでテレビ局を受けた。面接では、あの中学生だった私を前提にした質問ばかりされた。期待通りに、望んでいるであろう答えをテスト用に会場に用意されたカメラから少しだけ目線を外してしゃべった。
美人で聡明な女性アナウンサーたちは、バラエティー班と情報系へ振り分けられ、私は研修期間が終わるとすぐに報道局兼任勤務になって国会担当になった。
ニュースで、国会を呼んでみましょうとスタジオからふられて、雑多な狭い部屋から顔出しで首相の動向やコメントを報告する担当者だ。各局ともデスククラスのベテランが多かったけど、女性の私はノーメイクでもそこそこに目立った。
会期中じゃなくても呼ばれて顔出しするようになり、スタジオとの短いやりとりをする様子がちょっとした話題になった。先輩アナウンサーの軽いジョークや切り返しを真顔で流して丁寧なおじぎだけで返すからだ。
SNS上で、その仕草が流行った。
編成局がBS放送にデイリーの報道枠を作って、司会に抜擢された。
「きょうで番組が始まってから三年が経ちました。明日の世界も笑顔で過ごせますように、おやすみなさい」
そうは言っても未だに笑顔は苦手で、小宮山慶衣のグロリアスニュースがアイアンハッグショーと陰で呼ばれているのも知っている。
大仰な音楽がカットアウトして番組が終わると、お馴染みの通販会社社長が困り顔で登場して艶っぽい部下に扮したお姉さまと田舎芝居で今夜はハンディ掃除機を売りつけ始めた。
男女同権を番組で掘り下げに掘り下げても、CMになれば男と女の役割は石器時代のままだ。
原稿を抱えてメイクの愛崎さんと並んでスタジオを出ていく間に、建て込みが明日の動物番組用に替わっていた。大道具仕事を支える美術部スタッフの半数以上が女性にになってから撤収スピードが超人的に早くなった。折り紙の要領を取り入れて収納するアイデアが生まれた事と徒弟制度を廃止したのが大きいそうだ。
ニュース番組の組み立ては、報道デスクと番組プロデユーサーが決めている。
速報優先で、政治、経済、国際、スポーツの順に並べて事件事故からローカル情報に流れる構成だ。テレビ創世記の昭和の時代からほぼ変わっていない。さらに正解のような一言を使い廻して女性スタッフの情熱を削いでしまう。
「それは視聴者が興味ないだろう」
刑事の勘よろしく根拠はない。視聴者とは女性を意味する。
グロリアスニュースを始める条件として私が編成局長に一つだけ出した注文はそこだけだ。私が私の番組で扱うニュース項目の決定権を持つ事。
私との約束を勝ち取ってくれた編成局長は次の期で子会社出向になった。約束を守るために刺し違えてくれる大人の男性も居るんだと嬉しかった。
グロリアスニュースで扱う項目を一日一つだけにして二時間で徹底的に検証した。
解説する専門家やご意見番を排除して、当事者vs小宮山慶衣の構図で通した。
アイアンハッグという冷徹ばばあの頭にクールが加わったのはかっこいいからじゃない。女も男も韓国人もザンビア人も後期高齢者もCEOでも、ゲストに招いて遠慮のない質問と率直な意見で冷たく追い込むからだ。
公開処刑のようでゲストに失礼だと先輩アナウンサーたちから言われた。番組に寄せられるクレームは、圧倒的に同世代の女性と五十代の男性からだ。脅迫めいた内容にも時間が許す限り返信して理解して頂こうと努めている。
三年間初志を貫いてきた力の源は未成年と祖父母世代からの激励。それにスタジオのカメラマンや音声担当の技術スタッフがどんどんやろうと乗り気になってくれたからだ。そしてあの人の存在。
出会いは大学。大学といってもリモート授業ばかりで、退屈な座学と永遠に終わらないんじゃないかと思える提出課題に追われた二年だった。バイトもリモート家庭教師を四件掛け持って使う機会のないお金だけが溜まった。引き籠りライフにもリズムが出て来た頃、准教授の知り合いだという女性から中三の息子の個別指導を依頼された。週に二時間だけでいいけどリモートではなく訪問して直接教えて欲しいと頼まれた。気がすすまなかったけど世話になっている准教授の知り合いなので承知した。
頭の回転が早く発想も豊富で教えた事はすぐにできる子だった。学校には二年間行っていなかった。先生からのいじめに遭っていた。クラスをまとめて率先してやることが担任の若い女性教諭は気に入らなかったようだ。徹底的に無視されて彼は壊れた。
若い女性を見ただけで委縮して動作がぎこちなくなる病気だと診断されて薬を処方されていた。
私だって若いし、どちらかといえば教諭タイプに見えるのに、彼は一緒にいても平気だった。むしろよくしゃべった。
「雇ったのはショック療法ですか」
二度目に訪問した時、母親に訊いた。
「そうじゃないわ、あなたの事を准教授に伺って安心したの」
私を理解しているというその意味はわかった。ならば納得がいかない事があった。
「結婚なさっているんですよね、またはしていたんですか」
「ああ、あの子ね。ちょっと複雑で、実は血縁がないんですよ」
確かにママとかお母さんとか呼称で呼んでいなかった。思春期によくある反抗だと思っていたけど、一緒に住んでいる女性の子供だという。私と同じ同性愛者なんだと納得した。
初めて訪問した時からそうじゃないかと思っていた。出された紅茶に合うクッキーの組み合わせ、食器の配置、服の着こなしセンス、話を聞いている時の目の配り、そもそも准教授の友達だし。。
「住んでいる方と結婚は考えているんですか」
思い切って訊いてみた。
「法が整えばすぐにって思っているんです。あの子にもそう伝えています」
「私も将来、准教授に申し込もうと決めているんです」
「やめておきなさい」
少し強く言われた。
「もちろんあなたの事を好きだと思う。でもあの方は別なの。女性だとか男性だとかもちろん人種も関係なし。だから私やあなたのような女が勘違いするの。私も前に彼女に夢中になったの。その時言われた。平等や権利や平和って形がないでしょ、愛もそう、愛するのは自由だけど愛される事を求めるのは違う。欲しがることはつまらないってね」
准教授の含蓄ある言葉だと思った。きっといつものように包み込むように微笑んで言ったに違いない。でも私はいつか必ず気持ちを伝えて、受けてもらいたい。
准教授と直接会ったのは数回で、あとはリモート講義で向き合って、画面からでもやさしさに引き込まれて胸が熱くなった。これが恋なんだと部屋で焦がれた。
彼女が薦めたアナウンサーになって、私の番組を毎日見てくれているだろうと信じて三年間打ち込んだ。
彼女も教授になった。
お祝いをしたいと、おこがましいけど食事に誘った。
少しは世間に知られている私の印象は少し傲慢にみえていることを、予約したレストランの支配人の態度で改めて感じた。
こちらの部屋でよろしかったでしょうかと案内された個室で様子を伺うように訊かれた。数えきれない接客を生業にしているベテランなのに好き嫌いを隠せない性質らしい。教授をお連れした時は、一転笑顔だった。
乾杯してコース料理を食べ終わるまで、ほぼ私がしゃべっていた。
嬉しくて舞い上がっていたのもあるけど、恋愛感情を読みとられないようにそうしていたんだと思う。
「私もあなたを好きよ」
ナプキンを置きながら唐突に言われた。
「ずっと好きでした」
タイミングを逃さずに告白した。番組ならここでCMだ。
沈黙。どうしよう。
「お食事はいかがでしたか」
食後のエスプレッソを支配人自ら運んで来た。
おいしかったですと教授だけが返し、恐れ入りますと支配人が去った。
「大丈夫よ、気にしなくて」
「えっ」
「おいしくなかったなんて感想を絶対に言わない事を知っていて尋ねているんだから。あなたが答えなくてもあなたの印象は変わらないわ」
「嫌な女のままですか」
「そうね、きっと男性アナウンサーだったら黙っていても変に思われないかもね」
「今度来たらおいしかったって言います。実際おいしかったし」
「もう来ないわよ。トレイの下に色紙を持っていたわ。だからもう来ないわよ」
確かにいつもこのタイミングだ。
サインの後は土産を渡され、店を出る時に一緒に写真に納まる流れだ。
店を出たら、次はお気に入りのバーに誘って並んで飲む計画を立てていた。
店を出ると教授が私を向いた。
「きょうはありがとう。嬉しかった」
キスをされた。さりげなく。
体の中心に電流が走って触れた唇がわなわなと震えた。
私はその場でタクシーが去るのを見送った。
次の日から散々だった。
仕事に身が入らない。原因は分かっている。どこか上の空で一週間が過ぎた。
責め抜いて世間を斬る使命をどこに置き忘れたんだ小宮山慶衣のグロリアスニュースと新聞の投書欄に載った。味方だった高齢者たちからも視聴者センターにかなりのクレームが届いた。報道局長になじられ、アナウンス部長に叱られ、スタジオ技術チーフの激励も消えた。
毎日二時間偉そうに番組を仕切っていたくせに、三十手前で恋に悩んでいる自分が怖ろしかった。自分の事は解決できないバカなんだ、私。
「アシスタントを入れるか、番組形態を替えるか、あとは終わるかだ」
編成担当に三択を迫られた。同席した営業局長も苦い顔で返事を待っていた。
明日の放送終わりまで待ってもらった。
三つから選べなんて、番組が終わる時のあがきの始まりだ。
明日が最後の放送だと覚悟を決めて、予定していたゲストに断りの連絡をして、新しいゲストに出演依頼をした。
快諾してくれた。
腹は決まった。
「小宮山慶衣のグロリアスニュース」
いつもの鳴きで立ち上がった。2カメさんがあわててあおった。ますます偉そうな私がモニターに映った。
「災害、紛争、エネルギー問題、物価高、年金、いじめ、障害者、薬物、客観的観点から解決策を探って四年目に入った小宮山慶衣のグロリアスニュース。本日は私自身の問題に斬り込みます。ゲストです。若松さやかさん、こんばんわ、ようこそ」
紹介テロップに肩書なし。ぎこちなく頭を下げただけの女性は何者なのか、画面が私に切り替わった。
「若松さんは結婚したいパートナーの女性と共に暮らす主婦です。私が彼女と知り合ったのが七年前、パートナーの子供の家庭教師をしたのがきっかけです。私も同性愛者なのですぐに打ち解け」
目の前のモニターで、通販会社の社長が即席みそ汁を飲んでいた。CMに切り替わったのが分かって、黙った。
「約束が違うじゃないか」
キャスターデーブルに詰め寄ったプロデューサーが声を殺して唸った。顔が真っ赤で怒り具合がわかった。
「だましてすみません。でも最後なので好きにやらせてください」
「ダメだ」
「自分の事を正直に言うだけですから」
「それがダメなんだ」
「だって私の番組じゃないですか」
「テレビなんだ。勝手は許さない」
「スタジオまで三十秒です」
フロアディレクターがプロデユーサーのスーツを引っ張っている。
「自分をさらけ出して何かを変えたいとか与えたいと思っているなら間違いだ。ゲストを通して伝えろ。約束だぞ」
CM明けから若松さんに同性婚の法整備を訴えてもらった。聞き役に徹した。画面越しに教授にプロポーズしようと放送前まで決心していたのに、心が揺れたまま時間が経っていった。
エンディング2分。フロアディレクターがカンペを出した。
「小宮山慶衣のグロリアスニュースをご視聴いただきありがとうございました。明日の世界が笑顔で過ごせますようにと言っておきながら笑顔のない最終回を迎えました。ごめんなさい。おやすみなさい」
男女同権も同性婚も、あれから五年経ったけど進展はスローだ。
私はアナウンサー職を解かれ報道記者として今日の出来事を取材している。あるがままをあるがままに伝えるために。
また教授と食事をするタイミングを見計らいながら。
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