溺れた二代目
「お母さんもそうだったよ」
この一言で私はいつも暗い水の底に沈んでいく
父親の姓でアナウンサーをしていても、顔も体型も、何より声と抑揚がそっくりになってきた。やっぱり蛙の子。そう言われる頻度が増してきた。
私はテレビの中のママを見て育った。
保育園の友達が家で見ていたアニメの時間は、ママがニュースを読んでいた。
友だちのママ達よりバッチリメイクできれいな服のママ。輝いていた。
小学校ではちょっとした有名人になった。
「おまえ出てるぞ」
BEW美容院の翔真くんが持って来た女性週刊誌のグラビアに運動会に来ていたママが載った。目に線が入った私も写っていた。
クラスの男子に一目置かれて浮かれた私を女子たちは苦々しく思っていただろう。特に私にまったく関心を示さない中野椛。
ママに頼んでもらってきてもらったアイドルグループのサインが赤い✖で潰された。彼女が持っているマジックと同じ色だ。理科の教科書が破られたのも鉛筆を折られたのも彼女が日直だった日だ。
まさか高校でまた一緒になって、同じ大学に進むなんて、そしてまた。
まったくなんの因果なのか。実家の古い和菓子屋を継げばいいのに。
小学校から一緒だという理由だけで、仲良しでライバルと決めつけられて、比較対象の例題としてラジオに二人で呼ばれた事がある。学芸会や修学旅行の写真を前にエピソードを紹介されたけど、ツーショットはないんですねと突っ込まれた時、私は暗い過去の重みで黙ってしまった。
「だって琴葉ちゃんは有名人の一人娘だったから」
中野椛が嫌味っぽく吐き出した。そこからやっぱり母親の話題になって、家でのママの様子を探ろうとする質問を適当にかわしながら番組を終わらせた。
スタジオを出ると、ママに昔お世話になったという常務に食事に誘われ、聞きたくもない自慢話と君のママもこれが好きでねと勝手に注文されるマグロにうんざりした。私はヒカリモノ派でイワシなら五貫連続で食せる。ママはママ、私は私。
テレビ局には誰かの子供がわんさかいる。
CMでお馴染みの企業の息子、大作家の二男に役者の娘、大臣の娘だっている。みんなそういう目で見られている。いつまでも。
だから中野椛のように、町では有名な老舗和菓子屋だけど全国区ではない家の出身の、いわゆる普通の子の方が期待されない分の伸び代がある。スポーツ選手だって、スターの子息は苦労の連続だ。トンビが鷹を産んだと言われてもトンビの方は気分は悪くないだろうけど、鷹が鷹を育てられるとは限らない。
アナウンサーに憧れはなかった。っていうか、ママのようにはなりたくなかった。
いつも酔っぱらって帰って来て服を脱ぎながらキッチンで大きなグラスの水を一気に飲んでゲップをする。一分程度のシャワーで済ませ腰にタオルを巻いただけで歩き回り、テレビが点いていればすぐに消す。私が目に入らないのか、話し掛けられた事は一度もなくて、私が話し掛けても返事をしない。テレビでは、あんなにうなずいて、微笑んで、涙まで浮かべる時だってあるのに目も合わせてくれなかった。
いつも壁際の籐イスに座って、右手の爪を見てブツブツ言っていた。
「あのバカのお陰で印象が悪くなったじゃねーか」「あのバカどっかに行け」「あのバカまたやらかしあがって」「あのバカ」「あのバカ」あのバカは一人じゃないようだった。そんなに馬鹿ばかりの職場なら辞めてしまえばいいのに、朝になるとシャンとして出て行って、また夜に壊れて戻ってきた。
なのにどうしてママと同じアナウンサーを選んでしまったのか。
中野だ。中野椛のせいだ。
大学のキャンバスで会っても、お互いに知らないふりを通していたある日、明らかに待ち伏せされた。
「星野さん、ちょっとお時間いいかしら」
小学校で私に関心を示さないただ一人の女子、中野椛のハキハキした声だった。
「なに」
あの頃みたいに吐き捨てた。
椛の髪がさっと広がった。正面に立ったその目はキラキラしていて、恨みがましさが微塵もなかった。
それが刺さって、心が痛かった。
誘われた喫茶店で、なにも注文しない私のコップはテーブルに大きな水の輪を作った。あの頃の中野椛はきっと、こんな感じで理不尽な涙を流していただろう。
ママにも無視され、クラスでこいつだけが同じように私を無視していた。
私の話なんか耳に入っていないふるまいのママだったけど、私の願いはひとつ残らず叶った。
誕生日に欲しかったスマホも、和歌山へのバス旅行も、流行りのパンケーキも、アイドルのコンサートチケットも。運動会に来て欲しいと酔ってソファーに突っ伏している背中に言った事も覚えていてくれた。
だけど私は満たされなかった。テレビのママのように、ただ私を見て私の話を聞いて欲しかっただけだ。大臣に食って掛かれるくせに、反社会的な親分にもマイクを向けたくせに、どうして私には。
ママがわざわざ貰ってきてくれたアイドルグループのサイン色紙に中野椛の筆入れからマジックを取り出して✖をつけた。理科の教科書を破って折った鉛筆の欠片を中野椛の机に放った。私がかわいいから、ママが有名なアナウンサーだから、なんでも叶うクラスの人気者だから、いじめにあっている。
罪深い一人芝居で悲劇のヒロインになって中野椛の少女時代を潰した悔いに襲われ、私はただただ、喫茶店の固いイスで中野椛の話を聞いていた。
アナウンサーになりたいけど、業界の伝手が何もないからママを紹介してくれないかというお願いだった。
「分かった」それしか言えなかった。
朝方まで帰って来るママを待った。
乱暴にドアが開き、買ったばかりのコートに泥の引き擦り跡を付けたママがグラスの水を飲んでいる時に話し掛け、大きなゲップの後でバッグをごそごそ探って名刺を投げてよこした。
「こいつに」
言うなり裸になりながら自分の部屋へ行ってしまった。
公共放送の局長の名刺だった。
酔って間違った名刺をよこしたのかもしれないと思いながら、翌日半疑で電話した。
ママの娘で友人がアナウンサー志望だと伝えると、一緒に来るように言われた。
だけど私は、中野椛と会う事が耐えられなくて行かなかった。
中野椛がアナウンサーになれたのは彼女の力だ。
ずっとそう思っていた。あんな事になるまでは。
私はフィナンシャルプランナーが夢だった。金融関連で働く大学の先輩を頼って就活をした。
だけどどこに行ってもママの娘として紹介され、その目に委縮した。
高校を卒業するまで月に二回だけ会えたパパに悩みを相談した。パパも当時は、ママの旦那だと言われるのが辛かったそうだ。今でも時々、元旦那さんですよねと言われるそうだ。自分らしく生きる修行のためだと、ママと同期の元女性アナウンサーが校長先生をしているアナウンススクールを紹介された。
放送業界志望者ばかりじゃなかった。医者やホストや僧侶も生徒でインテリチックなディベート中心の授業が多かった。
派手なママに対して校長先生は報道畑出身。私を私として厳しく指導してくれた。
アナウンサーになる気はないと宣言して通っていたけど、試しに受けてみなさいと公共放送を薦められ、とんとんと受かってしまった。
中野椛と同期入局。
因果だった。
中野椛の初任地が福岡放送局に決まり、私は少しほっとした。
私の方は予想していた通り、すぐにママの娘として利用された。
開局以来の異例の抜擢という触れ込みで、新人ながら対談バラエティー番組の司会をする事になった。初回は主演映画のギャラなら一億円と言われる大物俳優。
「ひょっとして僕の娘だったりして」
冗談だという演技まじりでそういわれた時は、握っていたペンで手鏡の自分にうっとりしているその目を突いてやりたい衝動にかられた。
打ち合わせを兼ねてあいさつに出向いた劇場の楽屋で、名刺を出す前にいきなり言われた。
こいつとママが恋人だったのは知っている。私が生まれる前の事だ。でもこいつもママもお互いに結婚していたはずだ。
平成のゴシップ史を検索すれば、ママの名前はちょくちょく登場する。噂レベルで好き勝手に書かれた記事や、パンチラ写真が多いけど、若き日のこの大物俳優とは決定的な写真付きのスクープだから逃げられない。お正月のハワイ、夕陽を浴びたクルーザーのデッキでキスをしていた。その後こいつは二度目の離婚をして、ママは局の広報を通じて軽率だったと謝罪していた。ディレクタ―だったパパも肩身が狭かった事だろう。
台本を渡して帰る時、握手を求めてきて甲をさすられた。
ゾッとする覚悟をしたのになぜか安らいだ。本当にこいつの娘だったりして。
共演NGがテレビの世界に本当にあるのかプロデューサーに尋ねたら、そんな調整したら番組なんかやってられないと笑われた。
迎えた初めての収録。大物役者はどこまでも爽やかで、私の新番組を盛り上げてくれた。むしろ私だけがぎこちなく映った。
でもそれが初々しくて良かったと周囲に言われた。いい滑り出しだった。
第二回のゲストは、福岡を中心に活動している人気お笑いコンビに決まった。宿泊するホテルに打ち合わせに出向くと、態度がつっけんどんだった。多忙でお疲れなんだろうと早めに切り上げたら、上司にクレームが入っていた。
「星野、ちゃんと詰めないとだめじゃないか、マネージャーから泣きが入ったぞ」
「通して読みましたよ。何も言われなかったし、なんか不機嫌そうだったし」
「一方的に説明して帰ったって。それが東京スタイルですかって嫌味いわれたぞ」
大物役者の回と違って、嫌な空気の収録になった。気の利いたコメントもなく、話題をすぐに私にフッてくる。立ち場を逆転させて笑いを獲ろうと散々いじられた。
「ところでお母さんだったらきっと」
「はい、ここでCMです。一度言ってみたかったんです。アハ」
シーンとなったところで、ディレクターが収録を止めた。
「困るなあ」
歩み寄ってきたディレクターがそう言ったのは私にだった。編集するからゲストのトークにはとことん付き合えと命じられた。だけど母親ネタは困ると言い返したら、その母親のごり押しで入ったくせに生意気言うなとなじられた。
福岡から来た二人に私の情報を吹き込んだのは中野楓に違いない。
アイドルのサイン色紙に✖を付けた話も、教科書を破って鉛筆を折った話も面白おかしく持ち出された。
私は引きつった顔をしていたと思う。
収録後、落ち込んでいた私をプロデューサーが飲みに連れだした。二軒目の赤坂の高級クラブでママの名前が入ったボトルが出て来た。私をアナウンサーにするためにママはこの店で局の幹部連中を接待していたという。
ショックだった。実力のつもりだったのにママの力だったなんて。
情けなくて、悔しくて、どうせ私なんかと飲み続けた。
知らない部屋で目が覚めた。
白い大きなベッドでたぶんホテルだと分かった。横の大きな枕に数本の太い髪、脱ぎ捨てた濡れたバスローブ、私が決して飲まないペットボトルが空になって床に転がっていた。
やだっ、身体に名残がある。誰と?
思い出せ、私は誰と居たんだ。目をつむった。
収録終わりで飲んだのはプロデユーサーだ。二軒目の店、そうだ、ママのボトルを全部飲んだ。それからどうした、ああ、頭が割れそうだ。毛の短い絨毯を引きずられる記憶が微かに甦った。それからどうした、ああ頭が痛い。記憶はそれだけだった。
鐘が鳴る頭でフロントに行き、連れはどこに行ったのか尋ねると、星野さまはおひとりでお泊りになられましたよと言われた。ロビーの絨毯に見覚えがある。来た時の事も尋ねた。チェックインはプロデューサーとドアマンに両脇を抱えられていたそうだ。私を部屋まで連れて行ってプロデユーサーはすぐにタクシーに乗ったという。
じゃあ一体誰が。誰だ、誰が私を。どうしよう、誰にも言えない。
番組は、たった二回で休止になった。私のせいじゃない。
担当ディレクターが同棲しているメイクの彼女に暴力を振るって逮捕されたからだ。
ニュースでも報じられ、先輩アナウンサーが局としてお詫びのコメントも読んだ。
民放がスポンサーの意向を伺う以上にうちは敏感だから、星野琴葉も酒には気を付けろとプロデューサーに注意された。先手を打たれてあの日のあの事を何も訊けなかった。
それどころか、盛岡放送局への転勤を命じられた。
友と呼べる存在が居たためしがない私は、やるせない気持ちの置き場も分からず、晴らす方法も知らない。だからママと同じで、酒を浴びるんだ。
知らない東北の地で初めての独り暮らしを前に、飲まずにいられるわけがない。
日本酒の四合瓶を空け、ワインを抜き、これまでの出来事をきれいに忘れて北の地で歩み出せるに違いないと、スコッチもちゃんぽんで痛飲した。
酔いたい時に限って酔えなかった。飲んでも飲んでもあのホテルの朝ばかり思い出す。
仕方なく荷造りを始めた時、いつにも増して酔ったママが帰ってきた。
バッグを投げ捨てよろけて浄水器にぶち当たり、グラスを掴もうとした態勢のまま床に崩れて動かなくなった。小さな寝息。薄手のブランケットを掛けてあげたら、ママが少し笑ったような気がして、私もしゃがみ込んだら涙があふれた。
「あのねママ、私ね・・・」
辛い毎日をこぼした。ホテルの事も全部しゃべった。
少しだけ楽になった。
もう一枚ママにブランケットを掛けて、私は自分の部屋に行った。
目覚めた時にママはもう居なかった。
私が盛岡放送局に勤務を初めて一カ月。桜の開花情報を朝のローカル枠で伝えた日は生涯忘れられない日になった。
民放に中野椛の写真が出た。福岡で人気のお笑いコンビの目立たない方と交際二年を経て婚約した事が発表された。やっぱり付き合っていたんだ。
二人のプロフィールを紹介している画面の上にニュース速報のテロップ。
午前七時十分頃、大物俳優が都内のホテルの客室で遺体で発見された。
コーナー担当の蝶ネクタイのアナウンサーが二回続けて読んだ原稿で、事件性がない事は分かった。詳しい事はのちほど情報が入り次第伝えると言っておきながら番組中に続報はなかった。
私の盛岡での住まいは、局から歩いて五分ほどの池のほとりに建つマンションだ。
濃い味付けが苦手な私は、通常勤務の日は自宅に戻ってお昼を摂る。
大物俳優の急逝は正午のニュースのトップ項目だった。
心不全のため亡くなりました。七十二歳でした。平板なアクセントで読み悲痛な表情でカメラを見たアナウンサーの横から、家康に扮した大物俳優の写真が出てきた。そんなセンスの局で働いているんだ、私。
大物俳優は主演舞台公演中の劇場そばのホテルに長期滞在中で、朝になっても起きて来ないのでマネージャーが部屋を訪ねると、すでに冷たくなっていたそうだ。
午後の民放ワイドショーは出演した名画とドラマで個人を悼み、俳優仲間の驚いた様子が紹介された。私の番組だった対談番組での発言も文字おこしされて、持病もなく、公演もあと三回残っていて、正月映画のクランクインも控えていたというフリップとして映った。ママとの過去も出るんじゃないかと心臓が高鳴ったけど、女性関連は四人の奥さまたちのコメントだけだった。
「いつもと変わった様子はなにもありませんでした」
カメラに向かって言った男を見て滅入った。あのホテルのフロント係だ。
ピンポーン
宅配の女性が、重いですからと玄関に入り込んで廊下に箱を積んでくれた。
上の箱は福岡の中野椛からだった。冷蔵の辛子明太子と一緒に水分を含んでよれた封書が入っていた。
ママの尽力でアナウンサーになれた事に対する短い謝辞と結婚を期に辞める事。続けて数倍長い告白が綴られていた。
小学生の時の恨みを晴らすために、二十年計画で復讐を実行したという告白だった。
同じ高校に入って私に友達が出来ないようにしたこと。大学でも近づく男は先に落としていった事。ママに紹介された局長とは会ったその日に深い関係になった事。そして私が酔ってホテルに運ばれた日、大物俳優にカードキーを渡した事。メイクの友達を買収して私の担当番組のディレクターに殴られたとうそのDV事件をでっちあげた事。結婚するけどたぶん半年後に別れる。だってコンビの片割れともW交際しているし今も続いているから。
どうしてわざわざそんな事まで。何が本当で、どれがフェイクなのか、とりあえず、辛子明太子だけは食べない方が良さそうだ。
全部が計画通りに終わったという報告の最後に、結婚祝いはお気遣いなくとあった。
私なら平気だ。どうせ友達なんてできなかっただろう。これからも居なくても平気だ。結婚だって、男なんて、酒があれば充分だ。
下の大きな箱はママからだった。
転勤を伝えても何もしてくれなかったくせに。
よじれた粘着テープをはがすと、中でゴロゴロ動いた。私が飲まない事を知っているくせに、二リットル入りの水のペットボトルが二本。ひとつは空だ。
敷いてある布を取り出すとバスローブだった。あのホテルの。
ポケットにメモ。ママが銀座の文具店に特注している緑紺のインク。
【心不全なんて死因はないのよ。止まったから死んだの。値する罪だわ】
ママは今でも私の願いを何でも叶えてくれる。
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