第2話

そしてついに今日、食い逃げ挑戦100店目を迎える。記念すべき100店目に俺が選んだのは、松岡祐介の店だ。松岡祐介はあのレースの後、全国大会で優勝し、有名大学に入り、オリンピックで日本代表に選ばれた。彼は若くして現役引退した後、この度、焼肉店をオープンしたのだ。今日はその店のオープンの日で松岡も店に来ていた。今日、俺はあの日松岡とできなかった勝負することに決めた。俺が食い逃げすれば必ず松岡が追いかけて来るはずだ。俺こそが一番早いってことを証明してやる。

 

 松岡は有名人だ。焼肉屋の入り口には、名前の聞いたことのある芸能人や有名な会社から送られた花が所狭しと飾られていた。さすがオープン当日だ。入口を入ると真黒な新品のユニホームを身に着けた店員がロビーの両側に整列し「いらっしゃいませ」とさわやかさを装った大きな声を上げた。背の高いイケメン店員は俺を店内の隅の2人用のテーブル席に通した。店内は有名人の店とだけあって、満員御礼だった。松岡は客である俺をチラッと見たが、当然俺の顔など覚えてはいなかった。

 

 あの松岡が優勝した県大会のレース。俺の母親が脳出血で倒れたというのは、誰かの嘘だった。誰かが病院関係者を装い、陸上の顧問の先生をだましていたのだ。今となっては嘘をついたのが誰かは知る由もないが、俺がレースを棄権したことで最も得をしたのは松岡であることは間違いなかった。

 

 俺は早々にランチを食い終えた。外を見ると行列ができている。入り口には相変わらずアーチを作るように店員がロビーの両側に立っていた。この状況での食い逃げはさすがにハードルが高い。しかし、俺なら逃げ切れる。松岡は店の入り口でお客と写真を撮ったり、握手をしたりしていた。俺は松岡と同じ条件で走りたくて、わざわざ家で埃をかぶっていた革靴を履いてきた。

 

  俺は払う気もない伝票を持って入口にある受付にそれを出した。店員は涼しい顔で「2500円になります」と言った。俺は店員の目をまっすぐ見つめて言った。


「払う金などない」

「えっ?」

「俺は食い逃げします」


俺はそう言って店から走って飛び出した。

後ろから店員の「店長、食い逃げです!」という声が聞こえた。

振り向くと早速、松岡祐介が得意げな顔で俺を追いかけているのが見えた。

自分の脚力に敵う奴などいないと言わんばかりだ。

俺は狙い道理の展開にうれしくなって笑った。

俺は松岡の店があった人気の少ない商店街を全力で走り抜けた。

俺と松岡の足音が世界に響き渡っていた。

商店街を抜けると心臓破りの急な登り坂がある。俺はここからターボ全開で駆け上がった。さすがに革靴は走りにくい。いつものようにスムーズに足が出ない。時々振り返ると松岡が大きくなって、俺にどんどん近づいてくるのが見えた

俺は振り返り、あの日松岡に言われた言葉を投げ返した。


「俺から見ればお前なんか亀だ!」


だが息が上がる。足が前に進まない。食い逃げをして10キロは太っていたのだ。

てっぺんまで駆け上がろうとした瞬間、松岡は俺の襟元をつかんで、道路に俺を叩きつけた。

俺は負けた。

松岡は道路に這いつくばる俺の顔を覗き込んで言った。


「貴様、誰だ」


松岡は俺の顔を至近距離で見ても覚えていなかった。

そしてなぜだか涙が頬をつたった。

松岡を恨み続けた人生に、ピリオドを打てた気がして、清々しくも感じていた。


 


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