タイムスリップをした、のかもしれない

 もちろん、見覚えはある。けれど、何だか懐かしい雰囲気だ。

『今、何年の、何月何日ですか!』

 そんな定番のセリフを誰かに訊ねなくても、SF好きの僕には、これがタイムスリップだとすぐに分った。

 普通なら驚くところだろう。けれど僕は、この現象を素直に受け入れて、とても興奮している。

『こういうこと、本当にあるんだ』

 けれど、何故ここにいるのだろう……今いるのは、たまに来ていた古本屋の前。そして、目の前にいるのは、小学三年生の僕。

「おっさん、なんか用?」

 生意気なガキ……そう思うが、これは紛れもなく僕……あ、そうだ。確か、この本屋に入ろうとしたら、万引きを見つかった同い年くらいの小学生が店から飛び出してきて、僕は、そいつの友達と勘違いされて、ひどい目にあうんだ。もしかすると今は、その瞬間……そう思った僕は、この生意気なガキ……いや、僕のことを、ここから離れさせなければと思った。

「ここにいると良くないから、欲しい本があるなら、別の本屋に行きな」

「は、おっさん誰だよ、こわ……誘拐犯」

 僕が、僕から走って逃げて行く……複雑な気持ちだか、案の定、店の中から万引き小僧と、それを追いかける店主が出てきたので、ひとまず危機は回避した。

 だけど、これって良くないのかな?本や映画では、過去を変えてはいけないなんて聞くけど、これくらいなら、まぁいいかと思いながら、懐かしい町を歩く。

 しばらく歩くと、また生意気な僕が、人の家の前でウロウロしているのを見つけた。

 あぁ、そこはマユミの家。僕は、あの子のことが好きだったから、あの古本屋にも、読みたいと聞いていたマンガ本をプレゼントしようと思って、立ち寄ったんだ。可愛いいところもあったな……そんな甘酸っぱいことを思い出すと同時に、苦汁をなめたことも思い出す。

 そうだ!この時、玄関のチャイムを鳴らしたけれど、玄関が開いたら緊張して逃げ出したから、出てきたマユミに、ピンポンダッシュをしたのと勘違いされて、次の日の学校で、酷く文句をいわれるのだ。

「おい、なんか渡すものあるなら、明日、学校で渡せ!」

「何だよ、また、おっさんかよ!」

 ここでチャイムを鳴らすと、明日、マユミは女子全員を味方につけて僕に文句を言ってきて、おまけに先生にもチクるから、放課後に反省文を書かされるんだよ……なんて、話しても、通じるわけがない。

「いいか、マユミは確かに可愛いけれど、成人式で会った時には、えらくケバイ、キャバ嬢になっていて、『男はみんな金づる』なんて言うような、女なんだよ!」

「私、そんな女じゃないもん!」

 こいつ、もうチャイムを鳴らしていたのか……玄関から出てきたのは、学年一と言われていたほど可愛らしいマユミだが、今の話を聞いていたらか、物凄い目つきで、僕を睨んでいる。

「このおっさんは誰だか知らねぇけど、これを渡しに来ただけだから」

「え?あ、これ、読みたかったやつ!ありがとう!」

 あれ、渡せちゃったぞ……ひょっとすると、また過去を変えちゃったかな。なんて思うが、十年後、ブランドバックをもらって、今のような愛嬌を見せているマユミの姿は、十分に想像できる。照れ臭くなって走り去る僕を見ていると、何だか可愛らしくて、思わず笑みをこぼしてしまう。

「だから、おじさんは誰?ママー変な人がいるー」

 まずい、完全に変質者だ。子供の頃の僕を守るつもりだったのに、僕が逃げるはめになるなんて、これでは話があべこべだ。

「大丈夫!おじさん、もう帰るから。ごめんね!」


 まったく酷い目にあった。もう、あのガキに関わるのは(とはいっても、僕なのだが)やめようと思いながら歩いていた矢先に、またまた、僕の姿を見かけた。

 何だろう……虫かごとシャベルを持って、花壇の前に立っている。あぁ、そういうことか……僕は生き物が好きだったから、家で犬猫は飼えなかったけれど、小さな生き物は沢山飼っていた。そして、死んでしまうと、ここに埋めに来ていたんだ。

「よう」

 背後から声をかけると、小学生の僕は、寂しそうな顔を僕に見せる。

「何だよ、また、おっさんか……」

「それ、カブトムシだろ。死んじゃったのか」

 僕が訊ねると、小学生の僕は、黙ったまま小さく頷いている。

「なぁ、おっさん」

「何だよ」

「こいつ、死んだら、どこ行っちゃうんだ」

「さぁな……」

「死んだら、どうなるんだ」

「さぁな」

「真っ暗なのか」

「さぁな」

「僕も……いつかは死ぬのか」

「さぁ、どうだろう」

 そうだ、僕は飼っていた生き物が死ぬたびに、ここに埋めながら、そんなことを考えて怯えていたんだ。

 そして、誰の前でも泣いたことのない強がりのくせに、ここで一人泣いていたことを思い出す。

「なんだよ、おっさんのくせに、何にも知らねえじゃねぇか!」

 八つ当たりのように怒り出したのかと思えば、案の定、泣き出した。大丈夫、心配しなくても、四十過ぎまでは生きていられるから、なんて言っても、微妙過ぎて慰めにはならないだろう。

 けれど、僕のことだから、よく分かる。散々泣いた夜は、このようなことばかりを考えてしまい、眠れなくなってしまう臆病者なのだ。そして、電気を付けっぱなしでないと眠れない癖は、大人になっても直っていない。

 生意気なガキだけれど、生き物の死を自分のことと同じように悲しめること、それは唯一、昔の僕を好きなところだ。

 僕は無意識に、僕のことを抱いて、その泣き顔を胸に当てて隠してやる。やめろよ、気持ち悪いなんて言いそうな奴だけれど、どうやら今は、素直に受け入れているようだ。

「何でみんな、死んじゃうんだよ、嫌だよ、嫌だよぉ」

「大丈夫、おっさん、お前のために頑張って生きるから」

「おっさんが頑張ったって、しょうがないだろ!」

 タイムスリップなのだから、僕の助言一つで、変わることがあるかもしれない。だけど、何を言ったって、こればっかりは変わらないだろう……そう、僕は中学生になって生き物を飼わなくなるまで、こういった思いを繰り返すのだ。

 それは、今の僕にとっても大切な経験だから、辛いことかもしれないけれど、変える必要のないこと。ならば、今くらいは、僕が僕のそばにいてあげよう……と思っていた時、背後から強く呼びかける声が聞こえた。

「お父さん!」

 振り向くと、何故だろう……今、この時代にはいるはずのない、高校生の僕の娘が、立っている。

「のぞみ?何で、ここにいるんだ」

「何でじゃないわよ!こんなところで何やってるの!はやく帰るわよ」

 何かがおかしい。そもそも、望は僕のことを嫌っていて、口もききたくないなんて言っているから、通りすがりに話しかけてくるはずなんてない。だけど今は、意地でも連れて帰ろうとして、僕の腕を強く引っ張る。

「お母さんだって、心配しているんだから!」

 一体、何がどうなっているんだ……この世界は何なのか謎に思っていると、目に映る強引な娘の姿が霞んでゆき、消えるように意識が遠のいた。


 目を覚ますと、僕は病院のベッドに横たわっていた。横には妻と娘がいて、二人とも真っ赤な涙目で、こちらを見ている。

「今、何年の、何月何日だ……」

 まさかの定番セリフが、ここで出た。けれど本当に、今は何がどうなっているのか分からない。

「何を馬鹿なこと言っているのよ!本当に心配したんだから!」

 妻から話を聞くと、どうやら僕は、仕事へ向かう途中で車に撥ねられたことにより意識を失い、救急車で運ばれて今に至るらしい。

「あぁ、そうか。なら、生きているんだな」

「そんな、簡単に死なせるかよ、バカ親父!」

 女の子でも、口が悪いのは、あの頃の僕にそっくりだ。そうなると、この出来事は夢だったのか、それとも走馬灯のようなものだったのか……けれど、僕を嫌っているはずの娘が、こんなことを言ってくれるのだから、もしかすると、少しだけ未来が変わったのかもしれない。

 あいつ(僕)は怖がりだからな。大切な家族と、あの生意気なガキの為にも、生きていなければと思う。

 きっと、誰も信じてはくれないだろう。でも、僕は今日、本当にタイムスリップをした、のかもしれない。

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